第6話

「杏太、羽根が落ちてるわ」

「カラスだろ、汚いからやめなさい」

「白黒カラスがいるってこと?」

「……どういうこと?」


花花子の手元を覗き込んでなるほど、と思った。白と黒の羽根が一枚ずつ、確かに白黒カラスの仕業かもしれない。だからと言って野生動物から抜け落ちた羽根が衛生的だという訳ではないだろう、見た目が綺麗とはいえ無闇矢鱈に触っていい理由にはならない。まあそんなことを僕が言ったところで花花子に拾わないという選択肢が生まれる訳もなく抜け落ちて以来に羽根は再び地から離れた。帰ったらどこにも触らせることなく速攻で手洗いをさせなければいけないなと僕が使命を受け取っている横で花花子は羽根を光に透かして「おぅ、おぅ」と可愛くない台詞を言いながらその興味をキラキラと瞳に宿している。気に入ったのか自分の服に挿そうとしているところ悪いのだが単独で抜けている羽根を二枚生やしたところで飛べる確率は非常に低いと言えるだろう。花花子がどこを目指してその行為をしているのか分からないので一概に否定する訳ではないのだが現段階では僕はそれをパン屋でトングをカチカチ鳴らす程度には無意味な行為だと思っている。花花子が着ている服についても念入りな洗濯が必要になったことに気が付いて僕は今晩と明日の朝の天気予報を思い出そうと少し空を見てみた。晴れじゃないのかな、それ以外は嫌だなと何の足しにもならない僕の感想のみが生まれただけで終わったがそんなに重要なことを考えようと自分に期待していた訳でもない、別にどうだっていいさ。花花子がそれを持ち帰りたいなんて言わない限りは他は自由にしたらいい。


「これ持って帰るわね」

「だよな、そうなるんだよな」


アクセサリーにでもするにはあまりにも雑菌が多そうだ、絶対にやめておいた方がいい。良くない病気にでもなったらどうするんだと言って聞かせてやりたいがその耳を持ち合わせていないのが花花子という女の子である、僕の独り言が増えるだけなら別に言わなくてもいいだろう。漂白とかした方がいいのかな、でもそれだと白黒から白白になったりするのかな、なんて馬鹿馬鹿しいことを考えながら僕達はもう一度歩き出した。花花子、服から羽根が二枚だけ飛び出ている変な人になっているけれど果たして君は本当にそれでいいのかな。


「サンバの人になれなかった人みたいになってるよ、花花子」

「何言ってるの?杏太」

「ごめん、今のは僕も自分で言ってて何を言ってるのか分かってなかった」


風が吹く度にピョロピョロと花花子から生えた羽根がそよいでもう一度飛ぼうとだいぶ無理な努力をしている。もう既に鳥になった気分でいるのか体をブルブルブルッ!と高速で震わせて揺れる羽根をアピールしてくるのは花花子が生物の求愛行動について知るのが好きだからだろう。テレビなどで美しい羽を持つ鳥がそれを大きく広げて『メスにアピールしていますね』なんてナレーションが流れるとそんなにかと言うほど真剣にその番組を見るのだ。というかその理論で行くと花花子の方がオスということになってしまうな、地味な方の僕がメスになる。目立ちたいと思って今も昔もそれぞれの世界で生きている訳ではないが女々しい男になるのは望んでいない。そんな僕が何を血迷ったか負けていられないと胸の辺りで手を使ったハートを作ってみると「ブフッ!」と思い切り花花子に吹き出された。なんて酷い人間だろう、僕は今とても傷付いている。もう花花子を置いて一人で散歩に行ってやろうと歩くスピードを上げると「やぁだ、恥ずかしいからって拗ねてる!」とこちらの自尊心を何一つ考えていない余計に酷い一言が後ろから追加された。もう何もかもが悔しいのでせめて自分が大人になって花花子に素直にからかわれてやろうと後ろを振り向く。すると花花子は僕のことなんて見ておらず全然関係ない空の方を見ていた。なんだよ全く何が見えている?


「あそこの木の股に羽根があるでしょう、貴方からも見える?黄色のやつ、紅葉じゃないわ」

「……?あれ、本当っぽいな。いよいよ何の鳥だか分からない、アマゾンの鳥がこっちに来て巣作りでもしてるのか?」


もう少しで落ちそうなくらいギリギリで木の別れた部分に引っかかっている触ったら痺れそうな色の羽根に目を凝らす。ヒヨコの羽根……そんな訳がないな、色しか合っていない。成長してようやく羽毛から羽根になる頃には既に真っ白になってしまっているのがニワトリだ。いや烏骨鶏……烏骨鶏ってそもそもなんだ?雛の時はどんな姿をしている?養鶏の仕事をしていた訳でもない僕がそんなことを知らないのは当たり前で何も恥ずかしいことではないとして、やっぱりあれが何の羽根なのかは分からず終いだった。当面の問題は花花子がその木に登る気満々だということだろう。とりあえずジャンプしてみることから始めてみたらしいがヒールでそれをするのはやめて欲しい、ヒール部分がポッキリ折れたら僕は勝手の分からないレディースの靴を買いに行かなければいけなくなる。そして多分花花子は裸足で地べたをペタペタ歩き回るだろうし僕はそれをやめてくれやめてくれと必死に止めることにもなりそうだ。花花子がこちらをシャッと振り向いてキリッとした目で僕のことを真剣に見詰める。きっと半分くらいの確率で無茶なことを言い出すんだろう。


「杏太、肩車してちょうだい」

「僕のポテンシャルは君が期待してくれてるよりだいぶ低いよ、それでもチャレンジする?」

「サーイエッサー!」

「それを使うには立場が君と僕で逆じゃないといけないんじゃないかな、明らかにこれから下の方で踏み台になるのは僕なんだから」


とりあえずやるだけやってみようと僕は地面に膝をついてみた。ふんぞり返りながら「ふふ、いい眺めだわ……」じゃない、そんな上下関係をまざまざと感じる中世でもない今時マニアックな光景を作り出すために僕は膝まづいた訳じゃない。早く乗ってくれないともう僕は立ち上がって肩車なんか絶対に出来ないよう空を見上げながら今日一日を過ごしてやる。すると「てぇーい!」という非常に元気なかけ声と共に首と肩にドム!とかなりの衝撃と痛みが走った。頼むから人に乗る時はもう少しゆっくり丁寧に乗ってほしい、あとこれは女の子に言っていいことではないかもしれないが普通に重たくて大変なんだが。足に思い切り力を込めて絶対にふらつかないように体を持ち上げる、多分もう一回でも体幹がブレたら盛大に地面と衝突することになる。ギリギリまで近付いてから肩車をするべきだった、と先に立たない後悔をしながらヨロヨロと慎重にその木まで近付いて行った。まだここからじゃ届かないのは分かり切っていることなんだから上で手をバタバタさせて重心を乱すのはやめてくれないか花花子。何かあった時に体を痛めるのは君だ。それ以上に心を痛めるのは僕だろうけれど。


「花花子、そういえば今日の君ミニスカート穿いてるよね」

「可愛いでしょー」

「……うん、そうだね」


花花子のパンツ越しの温もりをモロに頭裏に感じる、凄くよろしくない。フワフワした太ももが首を挟んでくるのも到底男としてやり過ごせるものではない、なんでこんなに僕ばかりが我慢しなければならないんだ。辿り着いた木の幹に手をついて少しでも安定出来る時間を稼ごうと息を切らしながら大したものでもない工夫を凝らす。手のひらがチクチクブスブスと捲られた木皮に攻撃を受けていて嫌になる程度には痛かった。こういう時の早く終わってくれと神様に願うその場限りの人間の信仰心、程度が甚だしいよな。背を伸ばして羽根を取りたいのは分かるのだけどプロレスぐらい足で首を絞め上げられているのは僕としても危ないのでやめてほしい所存だ。喉から音を絞り出さなければ声も上げられないので花花子に文句と助けを訴える術がない。羽根採りの進捗がどの程度かだけでも教えてくれないか花花子。


「見て見て、とっても綺麗な黄色よ」

「……降りて……!取れたんなら……!」


僕の顔を割と無理な掴み方で支えにしながら花花子がまたしても勢いよく飛び降りて行った。なんか頭がグワングワンしていて血管によくない負担がかかっていそうな自分を労るためその場にしゃがみ込む。花花子がそんな僕を見てヒンヤリした自分の手のひらを僕の額にペタリと当ててくれた。とても気持ちいいし頭が楽になっていいのだが、そもそもこの問題は花花子がそこら辺から引き摺って僕にぶん投げてきたものだということを忘れてはいけない。


「なにか甘い物買ってきましょうか?」

「いや、低血糖ではなくてね……頭が……圧迫されて……」

「脳みそが飛び出そう?」

「いやそんな怖いことではないけど……分かるかな、ぼーっとしてフラフラするあの感じ」

「頭が悪くなっちゃったの?」

「違うよ、もう全部間違ってる」


大きく深呼吸をしてから立ち上がると黄色の羽根は花花子の頭の上でユラユラと電波か何かを受信しているところだった。インディアンのなり損ない、という言葉が頭に浮かんだがさっき似たようなシチュエーションでこの手のボケはつまらないしよく分からないということが発覚したばかりだったので黙っておく。すると花花子がほんの少し頭の角度を変えた拍子に黄色の羽根はヒラヒラと宙を舞って地面に落ちていった。花花子が物凄くショックだとでも言うような顔をしているがピンでもない羽根飾りなんて髪にそのまま挿したら抜けるのが普通だろう、何をそんなに驚くことがあったのか。


「……痛い……!ブチって言ったわ……!」

「そんな訳あるか、直に生えてない羽根が抜けたところでスッキリするくらいだろ」


キャンキャンと嘘泣きをしてくる花花子にかがんで拾った羽根を渡すと今度は落とさないように耳の上に挟んでいたので一周回って新しいなとちょっと感心する。僕達からすると結構前の時代の大工さんなんかが鉛筆でやっていたイメージだ、今時そんな方法で耳を活用する人がいるとは。その下で黄色い羽根よりもよっぽど綺麗に光り輝いている左右で片割れのゴールドのハートのピアスの方が僕は数十倍好きだけれど。花花子が初めてそのピアスをつけているのを見た時には「なんで割れたハートをわざわざつける?」と不思議かつ少々嫌な気分になったものだが「私と杏太の心がくっついて一つになったみたいじゃない」と返されて満更でもなくなってしまった記憶がある。よくよく考えるとそれは僕達の心は元々半分も欠けていたということかと話し合いたくもなってしまうが花花子からしてみればラブラブでしょというぐらいの認識なのだ。それに自分達の心の色を堂々とゴールドに指定するような有り余る自信だって決して嫌いではない。僕は自分の心の色を過大評価したところで良くて『光沢のある』黒ぐらいにしか言えないのだが、だからこそ無理やりにでも上を望ませてくれる花花子のことは人生において大切にしたいと思う。


「今度はあっちの道ね!羽根いっぱい見つけるのよ、ほら行きましょう!」

「なるべく太い道を選んでね、迷子になると嫌だから」


二人してテクテクと歩く散歩道には僕達以外の人はいない。寧ろ誰かがいることが珍しいのだ、一日のうちに見かける人は三人か多くて五人ほど。これは僕の勝手な憶測なのだがこの世界には僕達が実際に見えている数よりも多くの人がいて、けれどお互いに目視出来ず透けて触れられない作りになっているんじゃないかと思うのだ。自殺をするような人間が積極的に他人と関わりたいと思うか、という問いにだったらなんとなくノーと答えるものだと思うし。どんな選ばれ方をしているのか本当のところは知らないがその人達にとって害のない、言わば波長の合う人間同士だけがお互いを見たり話したりすることが出来る。もしそれが実際にこの世界に適応されているのだとしたら現世というのはやっぱり一つの箱に人間を詰め込み過ぎだ。もう少しゆとりを持って計画的に増えるべきだったんだと思う、基本一人ずつしか産まない人間が全体を通して子沢山なのはめでたいことだがそれで皆息がしづらいのは本末転倒だろう。でもまあそれくらいギチギチになるような世界じゃないと生きて行く上で心の底から好きな人を作るというのは難しいのか。人数を増やすことで愛の自由と運命の質の底上げをしているのだとしたら悪くはないが逆に溢れた人がそこそこ不憫かもしれない。というか人類が恋愛に飽きている節がある、今になって一人で社会を生き抜くことが強さなのだと大人が気付き始めるパターンが出てきている。僕なんかは子供の頃に早めに拗らせておいた思想だけれども、じゃあこの僕は順当に褒められるような大人への成長の仕方をしたのかと聞かれれば別に違う気がするのだ。というかまともに育ったのであれば自殺なんてせずに今も普通に生きていろよという話である。全く持って雑な仕事ぶりだった、人生という職場においてミスをいくつも重ねた挙げ句残っていた全ての仕事を窓の外に放り投げ勝手にその場に二度と戻らなくなったのだ。残された人達は色々な意味で泡を食ったに違いないとその苦労を興味のなさそうな細目で称えるしかない。まだ助けてくれていたら興味と罪悪感と感謝ぐらいは湧いたかもしれないが。まあ僕達が考えるのは僕達の苦労だけでいいとして後の人達には振り返らないのが吉だろう。僕達の死後についてはまだ生きている周りにお任せコースとする。


「……あら!?杏太、杏太、ここ凄いわ!」

「ちょっと待て」


角を曲がってすぐそこにあったゴミ捨て場に散らばるこの場でブチブチと毟られたとしか思えない色とりどりの羽根、羽根、羽根。風で関係ない方にまでに飛んでいっている物も少なくないが何だか凄く嫌な光景だ。これが全部黒とかであれば余計不吉な光景だったんだろう、けれどその異常性はカラフルなだけじゃ誤魔化せないほど禍々しいものである。少ないと可愛いものなのに多過ぎると気持ち悪いなんてまるでキスマーク……今この例えはいらない。というかこれって人間の仕業なのか?だとしたらとんでもないやつがこの世界に来たものだ、是非僕達には見えも触れもしないでほしい。花花子の服にくっついている分の羽根も今すぐ捨ててくれと言いたくなる、どこぞの誰かが怨念と悪意を込めて引きちぎった羽根なんて運気が下がってしまいそうだ。こっそり払い落としてしまおうと花花子の胴体に向けて手を伸ばした矢先、ガシッ!と僕達の手と手が繋がれる。気配で分かったのか意外と草食獣みたいに視界が広かったのかは知らないがなかなかやるじゃないか。一応説得はしてみるが多分焼け石に水になるんだろうな。


「……花花子、その羽根なんか良くないものなんじゃないか?こんなに捨てられてても掘り出し物だとは思えないし」

「もったいなーい、全部回収よ!ほらほら杏太も手伝って!」


花花子が勢いよく歩いて行ったおかげでブワブワと巻き上がる羽根のシャワーに渋い顔をしながら僕は仕方なく目の前を通る羽根を掴もうとした。ここで『掴んだ』ではないのは僕が普通に羽根のキャッチに失敗したことを意味する。空気を味方につけているだけあって流石の軽やかさである、空中を舞って一つも待ってくれない。格好つけるより地面に落ちているのをそっと拾った方が絶対に効率がいいと気付いてしまった僕はしゃがみ込んで羽根達を拾い集めることにした。ちなみに花花子は「えいえいえい!」と空中にやたらめったらに手を伸ばし、何故かそれでそこそこの数の羽根をキャッチ出来ている。センスがあるのか運がいいのかは分からないが流石だ、これをゲーム感覚で楽しむユーモアは僕にはないものだから。


「これどこに集めればいいんだ?花花子」

「折りたたみ式のバッグが……」

「持ってきてるのか」

「貴方の右尻ポケットにあるわ」

「なんでだよ」


入れた覚えもないのにしっかり入っていた。何かの特典でもらったはずのシャカシャカした素材のバッグに片手いっぱいになっていた羽根を手放す。フワフワしていてなかなか沈んでくれないな、と底の方に敷き詰めてみるが果たしてこれは潰してもいいフワフワだっただろうか。羽軸が随分としっかりしていて押し潰すのもそこそこ手に当たって痛い。こんなにしっかりした部分を無理やり引っこ抜くなんて僕には考えられない所業だ、これをやっている人は歯医者で抜歯するのが全然怖くないタイプだろうか。当然だが歯医者と患者のどちらの目線だったとしても僕はお断りである。


「花花子、今度こそサンバの人になってる」

「え?何かしら?」

「クソ、やっぱりスべった」


僕のような人間は自分のギャグセンスというものを過信してリサイクルしてみようなんてことはしてはいないのが分かった。というかなんで僕が羽根を集める時は白黒の中に原色が混ざって汚いような印象を受けるのに花花子がカラフルな羽根を抱えると途端にファンタジーのような美しさが出るんだ。羽根を集める女、みたいな題名でどこかの格式高い美術館に飾られていそうな絵画のような光景である。その抱えられた羽根の行き着く先がシャカシャカバッグなのはあまりにも親近感が湧きすぎて逆に嬉しいけれど。高嶺の花だと思っていたものが手を伸ばせば届く距離に来た時、高く見積もりすぎた理想にガッカリすることもあるだろう。でもそれは崇拝のような対象になっている場合で、僕なんかで言えばどんな存在も落ちぶれた時に行き着く汚れた地面は一緒だろうと卑屈な目線で見ている分全員を平等だと思っている節がある。運良く綺麗な空気のある場所に浮かんでいる人達を楽しそうだなと思いはするけれどその足場の不安定さは下の方からよく見えるためそこに行きたいとは思わない。落ちてきた人と偶然気が合えば仲良くするくらいで丁度いいよなと僕の交友関係に対する取り組みの姿勢は堕落を極めている。出会いを求めてそれが成就するたびに疲れてしまうようなタイプの人間はこうでもしないと自分の心が荒れてしまうだろう。仕方がないと自分の中で割り切っていることではあるが、そんな僕でも地獄で握りしめた宝石が自分以外に価値を分からないと分かっていてもそれを手放す気にはなれないもので。つまり花花子のことは無理やりにでも僕に繋ぎ止めておいてしまいたい。結局何を選んでも花花子の方に偏った話しか出来ない僕には花花子がいれば十分なのである。


「あとは向こうに落ちてる羽根も拾いながら歩きましょ!間違ったってバッグ落とさないでちょうだいね!」

「そう言うならそんなグイグイ引っ張らないでくれ、平衡が保てなくなる」


地面の上を風で揺られながらフワフワと移動している羽根達をパシッ!パシッ!とかっこいいつもりなのか勢いよく拾い上げつつテコテコと歩いて行く花花子を微妙な顔で後ろから追いかける。もっと一回一回お淑やかに屈んで拾ってほしい、だからミニスカートのせいでパンツが丸見えなんだってば。こういう時は僕の経験上花花子に注意をするよりも僕が周りに人がいないか神経をすり減らした方が効率的だとデータが出来ている。花花子がそれを知らないのは別に良しとして、それなら花花子のパンツが見えるたびに僕がそれを眺めているのだって誰も気付いていないはずだ。バレなければ許容されることなんて世の中にごまんとある、というか花花子との関係性上僕ならバレたところでそんなに怒られない気がするので何も問題はない。この現場を花花子以外の人に見つかって引かれるとかそういうことでなければ大丈夫なのだ。今日のパンツ薄ピンクだな、女の人ってなんであんなに股上の浅いパンツを穿けるんだろう、凄く防御力が低くて心配になる。大事なところだから念入りに隠しておくためにパンツを穿いているのではないのか。


「花花子、なんで茂みを覗いてるのさ」

「この奥に……羽根が続いてるのよ……」

「ええ?」


そんなところに道がある訳がないと花花子に少しズレてもらって僕も茂みの隙間を覗き込む。季節外れの涼しい風が吹くその隙間にあるのは道と言っても獣道のようで絶対に人が通るのには適していない。そしてそこを覗いたと同時に嫌な鳥肌が僕の全身を襲った。寒いとか暗いとかそういうことを抜きにして、ここには入りたくないと頭の危険を察知する部分が訴えている。光があまりないせいで薄暗く見える羽根は確かに花花子の言う通りに点々と続いていたけれど、それでも嫌だ。というかそれが嫌だ。


「うわー、絶対駄目なやつだよこれ。やばいやばいほら僕鳥肌」

「いいじゃない、冒険してみましょうよ!」

「海賊だって死ぬために航海に出る訳じゃないだろ、ロマンは命の二の次だ」


そんな僕の言葉を全く聞いていない花花子がガサガサと茂みの隙間に体を突っ込んで行った。まるで野良猫の行動に付いて回っているようだと溜息を吐いて僕もそこに入って行く。こういう葉っぱの間に張っている蜘蛛の巣が僕は大嫌いなんだ、見るのも嫌だし触るのも嫌だし蜘蛛本体がいようものなら悲鳴を上げたくなる。そしてそれはでかくて脚が長いほど僕の苦手度は増していって、女郎蜘蛛なんかは見つけてしまうと目を逸らしてもうそこに近付きたくなくなる。まるで人を怯えさせるためだけに生まれてきたようなフォルムだ、神様は何を考えて蜘蛛なんて生き物を作ってそれを地球上に実際に解き放つことにゴーサインを出したのか。ここら辺の地面には蜘蛛以外にも一センチぐらいの変な黒い虫がピョンピョン跳ねたりカサコソ歩き回ったりしている。いくら僕達の方が大きくて知能も高いとはいえ、だからこそそいつらを靴裏で踏んでよく分からない汁が付くことを考えると気持ちが悪くなるのだ。罪悪感と嫌悪感なんて同居していい感情じゃない、人間として心が荒んでしまうだろう。頼むから置いていかないでくれと後ろから花花子の手をパシッと掴むと、花花子は振り返りながら僕の顔を見てこの空間の何よりも明るく笑ってみせた。それだけで心の半分が安心で埋まってしまう僕も僕なのだが、この薄気味悪い道を進む以外の選択肢がない今なら花花子に絆されるのが一番苦労がない。人間様のお通りだと気を大きくしながら僕達はなんでこんなところに自生出来ているのか分からないほど元気のない雑草達を若干名の虫と共に踏みつける。それから道を切り拓くように進んでいけば、少年少女に戻ったような気分は僕達を恐怖から遠ざけてくれるようだった。そうは言っても実際に怖がっていたのは僕だけかもしれないけれど。……待て、本当に何か怖いものがいるかもしれない。良くないものが目の前に見えてきた気がするぞ。


「あら……崖になって終わりだわ。見て、結構高いところに来たのね私達。いいお天気」

「なんかいる!なんかいる!花花子崖の前になんか変なのがいるだろう引き返そう!」


色とりどりの羽根がまばらに生えているその物体は例えるなら生まれたばかりの子供が立っているようで、けれど顔部分にまで羽根が生えているものだから表情があるのかどうかすら分からない。羽根の抜けた部分が影になって凹んでいるように見えるのだが、それがちょうど本来目があるところに被ってしまっていて洞穴が僕達を見ているのかと錯覚してしまいそうだ。ぴー、ぴー、と何かの鳴き声が聞こえているが果たしてそれがどこから聞こえているのか、もしくはこいつが鳴いているのかどうかすらも怪しい。何も理解出来ない目の前の異質に僕はさっさと逃げようとしていた。背中を見せたら良くなさそうだ、とジリジリ後退する方法を選んだところでお出ましなのが恐怖という概念を抜けた乳歯と一緒に放り投げてきた女の子、花花子。臆することもなくそいつに「ねぇこの羽根貴方のでしょ、そんなに抜かれちゃって寒そう!」と僕から羽根入りバックをかっさらって元気な声で話しかけて近付く近付く。抜かれちゃった前提なのか。生え変わりで勝手に抜けたという可能性はないのか。というか多分こいつが自分で羽根を抜いて道に撒いて僕達だか誰でもよかったのかは知らないがおびき寄せたのは明白だろう、実に気持ち悪い。それをほいほい辿ってきた僕達も僕達で趣味や頭が悪いのだが、白黒レインボーを集めたらホラー展開が始まるなんてそんな話は聞いていない。羽根が抜けてしまっている部分、恐らく地肌から湿っぽい何かが染み出している。汗かもしれないし滲出液かもしれないし僕達とは色と訳の違う血液かもしれない。生物から出て良しとされる液体を僕は嬉し涙くらいしか知らないので僕だけの知識で言わせてもらうとこれは良くない液体だ。そこに括り付けられているかのように動かないのもまた気味が悪い、花花子のことをじっと待ち伏せしているように感じてならない。けれど僕達はこの世界で起きる不可解な事象を死んだ後だからと曖昧に濁しながら受け流し過ごしてきたのは事実で、これを拒んだところで辿るルートはそんなに変わらないのではないかと正直思っている。怖いことなんて生きている時の方が多かった、自分と同じ種類の生き物に脅かされる生活が酷く苦痛だった。同情してくれるのかと思ったら心を刺される言動ばかりしてくる人間に比べたら明らかに危ないと見た目で教えてくれるこいつの方がまだ対策のしようがありそうでゲンナリする。人間っていうのは考えれば考えただけろくでもないな。こいつが何の妖怪か化け物かは知らないが人間の成れの果てだったらどうしようか、僕達も同じような化け物にする気だったりして。僕は動けない、そいつは動かない、向かって行っているのは花花子だけ。誰がどんなアクションをしても展開としてはバッドエンドが似合うような状況だ。僕としては靴の中が嫌な汗をかいていて一歩進むことも戻ることもしたくない、花花子がついにそいつと接触してしまった。花花子の手とそいつの羽根だらけの手が重なって少し羨ましい……それどころじゃない!花花子が羽根を持たせてやった矢先に、そいつの体がグンと後ろに引っ張られた!


「花花子!」


……いない。あいつがいなくなっている。花花子は……いる。多分どんな恐ろしいことが自分に起きそうだったか分かっていない。ポッカリ空いた崖の向こう側で閑静な街並みをゆっくりと歩く人々がちらほら見えていた。崖下を覗き込もうとする花花子に今度こそ駆け寄ってその肩を僕側に引っ張る。あいつがどこへ行ったかなんてどうでもいい、落ちたのか余っていた羽根で飛んで行ったのかは知らないがいなくなってくれてよかったと言いたいようだ。とりあえず出た被害がシャカシャカバッグの損失だけだったことに僕は心底安堵の溜息を吐いて、少し泣きそうになっているのを花花子の首筋に額を擦り付けることで誤魔化した。花花子が「パッターが行っちゃったわ……」と残念そうな声を出している。パッターってなんだ。羽根がパタパタするからパッターなのか。というかあれって翼でもないのにどうやって飛ぶんだよ。飛べないヒヨコだってせめて見た目が可愛いというのに、あいつはといえばあんなに恐ろしい見た目をしやがって一体何のつもりなんだ。


「あら、これ渡し忘れちゃった」

「なにが」

「私に生やしてた羽根……」

「いいよそんなもの、捨ててしまえ」

「あらあら!」


花花子の服から抜き取った羽根も耳の上にかけていた羽根もまとめて崖下にポイと放り捨ててやった。空気抵抗のおかげで左右にヒラヒラしながらのんびりとこちらにお別れをしてくる羽根達に早くどっか行けよと重たい睨みを利かせる。花花子が思わずといった様子で羽根に向かって手を伸ばすのを「もう!花花子!」と必死に声を上げてその手を握って引き止めた。少しは怒っているつもりだったけれど実際の僕の声は震えて上擦っていて、まるで一人で置いていかないでほしいと母親に泣くのを堪えながら訴える子供のようだ。そんな僕を本当の幼児のように感じたらしい花花子が「よーちよーち」と三歳児にするようになだめすかして髪の毛をワショワショ撫でてくる。ついでに頭皮を揉んでヘッドマッサージを施してくるのには訳が分からなくて何も言えなくなった。しかもそれが存外気持ちが良くて、この場所に似合わないちょっとしたリラックスによって冷静になった僕からは涙も引っ込んでいく。


「貴方の頭皮ガチガチね。将来ハゲちゃうわよ、今のうちに何とかしましょう」

「ハゲたら僕のこと嫌いになるのか」

「別に?貴方だけ寂しいかと思ったのよ。だからその時は私も頭を丸めてもいいわ」

「そんなの嫌だ、じゃあハゲない」

「ワカメいっぱい食べましょうね」

「花花子、それ都市伝説だから」


いつもの調子に戻ってきた僕達に合わせたのか吹いてくる風が少しだけ温かく柔らかくなっていた。あそこで意味もなく立ち止まっている人は一体何をして何を考えているのだろう、と顔も見えない距離の他人のことをぼんやりと考える。猫っぽい何かがトコトコ歩いて少し高いところにピョンと飛び乗るのが見えた。普段なら三毛模様だキジトラだと観察したりするのだが、如何せんこの距離ではあの猫が果たして可愛いのかどうかすらも分からない。というかもはや猫ではない可能性だってある。まあさっきのあいつみたいな化け物ではなくきちんと向こうで死んできちんとこの世界で生きている本来いるべき生物だったらそれでいい。そして多分あの猫今トイレ中だな、道のど真ん中で大層勇気のあることである。


「ここの景色思ったより綺麗だね。あいつに殺されるのは癪だったから君のことを引き止めたけど、今から二人で飛び降りる分にはいいかも。どうだ、今から一緒に飛んでみる?」

「冷蔵庫に苺の限定スイーツが入ったままよ、あれを食べないうちに死ぬなんて嫌よ。帰ったらお紅茶淹れてあげるから我慢してちょうだい。……まだお砂糖ってあったかしら?」

「心変わりしないな、君も。心配だったらスティックタイプの砂糖、あんまり大きくないやつ買って帰ろうか。でも確か砂糖って賞味期限がないんだったっけ?お得な大容量があったら別にそれでもいいのか……」


自然と帰り道の方向へ向いた僕達の足音と一緒に虫達がピョンピョンと飛んで全然嬉しくないお見送りをしてくれている。もう来ないからな、という気持ちを込めてなるべくそいつらを踏まないように善処しながら通ってやった。虫なんかに伝わるかどうか怪しいと思っている僕の優しさは所詮その程度のものでさっそく何匹か召されている気がしたけれど気にしない。今はさっき入って来たところをくぐったら全然違う場所に出るとかいう怪奇現象の二段構えだったらどうしよう、というとことんネガティブな不安が僕を襲っていた。相変わらずトラップとして仕掛けてある蜘蛛の巣に時々「ギャッ」と叫びながらなるべく花花子に引っ付いて出口を目指す。こちら側から見るとこんな感じなんだな、と見慣れたアスファルトの道があることに安心しながら僕は花花子の背中を押して先に行かせ、最後は自分も駆け足で鬱屈とした獣道から外へ出た。目の前で毛繕いをしていた猫が驚いたように目を見開いて「シャー!」と僕達には謂れのない威嚇をして逃げていく。結構あちこちにいるものだな、今日は猫の集会とかだろうか。それをダッシュで追いかけようとする花花子の腹に手を回して必死に引き止めながら僕は空の青さをしみじみと噛み締めた。「ニャーン!ニャーン!」と寄せる気もないほぼ人語の猫の鳴き声を叫ぶ花花子に「近所の人がびっくりしちゃうからやめよう」となるべく優しく声をかける。残念そうに猫を見送った花花子と手を繋いで今度こそ寄り道せずに僕達のシェアハウスへ向けて足を動かした。僕に降りかかる振動と衝撃に何も躊躇することなく自分だけスキップを始めた花花子に対して特に文句はない。


「天使かしらね、あの子って」

「悪魔だろ、あんなの」


やっぱり君とは感性が違う。と思ったけれど連れていく場所が違うだけで人の命を持っていこうとするのは同じかもしれない。こんなに最底辺を生きる僕と空で舞うのが似合うような花花子が同じ人間であるように、ここに存在している以上どこかしらの共通点というか共存の術があるのだと思う。天使と悪魔は確か戦争を起こしたはずだが、それなら住んでいるところに線でも引いて自分達のテリトリーに別れて生活すれば良かったのにと完全な部外者の僕は思う。もちろんそういう問題ではないことは分かっているのだがそれについて一切の責任もない僕からしてみればそのぐらい軽度の意見しか出てこない。それがどうでもよくない人達が多かったために戦争が起きたのだろうが、その倍くらいは戦争より平和がほしい人達もいただろうという訳で。近くで見れば一大事だし、テレビやスマホなどから遠目で見ればその時にお茶を飲む余裕くらいはあるのが世の中に蔓延する国際問題というものだ。問題の当事者にならないように危ないような場所からはなるべく遠くに逃げる、何かあった場合においてはそれが戦う意思のない一般人の僕達に出来ることである。僕が思うに、名誉の死とは人生を幸せかつ穏やかに健全に終わらせることだったりする。不幸な死に方は無鉄砲に生きていれば出来るかもしれないが、善行の積み重ねは人として本当に恵まれていないと難しい。現に僕は今のところそれが出来ておらず困っている。意地汚い自分のせいで花花子に看取られない人生なんて、それこそ死んでもごめんだ。


「あら見て、虹が架かってるわ。綺麗ねぇ」

「凄いな、今は全然見たくない」


僕の意見に物申すように虹の音がした。ぴー、ぴー。……待てよ、虹から音がするなんていつ覚えた知識だ。おかしいだろう。くそ、変な刷り込みをしていきやがってあの悪魔め。相変わらず訳の分からない作りをした世界だ、今日も明日もその先も変わらずずっと花花子のことを僕が守れるといいんだが。そのためにはこうして繋いだ手を離すことがないようにお互いのことを好き合ったままでいよう。僕達に羽根が生えていなくてよかった、花花子の地肌に触れられないなんて僕には耐えられそうにないから。そんなことを考えながら虹よりも花花子の顔が見たいと指を絡めた恋人繋ぎの帰り道だった。

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