第二話 艱難(1)

 晩御飯を頂いて、のんびりと深山家一同と映画を見終わった時には外は真っ暗で、空全体が雲で覆われていた。

 ご飯を食べてる間にめっきり冷え込んだ外気と温かな室内との寒暖差にたじろいでしまう。すぐ隣とはいえ、外套をきつく体に押し付けるように腕を組んだ。


「それにしても、長居しちゃったな。映画、二時間越えだとは思わなかったよ」

「へへ、私の不徳の致すところなので気になさんな。それにうちの両親、君のこと気に入ってるからね。なんか子供は男の子が欲しかったらしいんだよねえ」

 緩く微笑む深雪の息が白くふわりと出る。

 昨日、遅くまで書いていたからどうにも眠い。出かけた欠伸を噛み殺す。

「じゃ、帰るよ。また明日」


 僕は外まで見送りに来た彼女に振り返り、思わず片手を差し出した。彼女の手に握られたレンタルショップの袋を見たからだ。返却期限まであと二、三日あるはずだから昼間に行けばいいのに。出てくる時にガサガサと何かしているとは思っていたけど。


「僕、返してくるよ」

「やー、私がさっと返してきちゃうよ。寒いの嫌いじゃん。それにほらパケを手に取って借りたい私の拘りに付き合わせてしまうのもほら悪いじゃん?」

「じゃあついて行くよ。結構暗いしさ」

「気遣いだけで充分ってもんだよ。十分くらいだし、何かあったらここに聞こえるくらい叫ぶよ」

「肺活量に対する自負が強すぎない? そこまで言うなら、いいけど。気をつけてね」


 おうよ、と片手を振って深雪は走って行く。


「ううん、見送ることになるとはなぁ」


 とはいえ、こう暗いと近所とはいえ少し心配だ。まだ、そう遅い時間ではないかもしれないが。うん、追いかけよう。別に、何かする予定があるわけでもない。レンタルショップに返すついでに次に何借りるとか、新作が安くなってないかとか物色するだろうしレンタルショップで会えるだろう。


 道路を歩き始めたところで、玄関の開く音がした。振り向けば、深雪の父が立っている。


「ありゃ深雪、もう行っちまったのか」


 あー、と頭をぼりぼり掻き近づいてくる。何だろうと首を傾げていると、「いや、あいつそそっかしいだろ」と、DVDのはいったケースを渡してくる。


「一本、入れ忘れて行っちまったんだよ。任せていいか?」

「走って行ったんで、間に合うか微妙ですけど」と、僕が手を差し出すと「悪いなぁ頼んだわ」そう返しておじさんは体を揺すりながらそそくさと家の中に戻って行った。


 受け取ったDVDを小脇に挟むと、スマホで深雪にメッセージを送ろうとして、多分家のソファーに置きっぱなしだなとその手を止める。

 レンタルショップで忘れてたよと伝えればいいか。同じ道を通るだろうから、忘れたことに気付いた深雪と行き違いにもそうならないだろうし。


 深雪の映画好きはいつからだろう。週に二、三本の映画を借りてきては「一緒に見ようぜ」と付き合わされているように思う。長いと一時間は平気で物色するから、付いてこなくて大丈夫と言った時は大体長丁場なのだ。見つけたら忘れてたことを教えて、選び終わるまで一緒に居ようかな。家族も一人で歩かせるよりはその方がいいと言うだろう。


 そのレンタルショップに向かうにあたっても、公園を通り抜けるのが早いのは立地としてどうなんだろうね。昼は子供たちや近くのお店で働いているらしいOLなどが昼ごはんを食べているのをよく見かけるが、夜にもなると酔っ払いであったり、酒壜片手にたむろする奴らもいる。近所の人は警察や市に苦情を上げたりしないのだろうか。

 そういうのが居る時は触らぬ神にというやつで通らないようにしている。誰だって面倒ごとは避けたがるものだ。


 木々が多く生えているのもそういう連中が集まる理由なのだろうな。もっと開けていれば彼らももう少し別の場所を探して移ったりするんだろうか。そんなことに思考を回して、公園に入ろうとして、くぐもった男の怒鳴り声のようなものが聞こえた。続いて何か言い返すような声。喧嘩だろうか。年の終わりにそんなことしなくてもいいのに。いや、年末だからこそ翌年に持ち込まないように、問題を解決しているのだろうか。


 そういうのが居る時、彼女もまた遠回りするようにしているから、まだ着いていないかもしれないな。

 通り抜けるだけで三分位早く着けるんだけど、急いで追いつかなくてもいいだろう。着いたら一緒に次に借りる映画でも見繕おうと口にしよう。時間を潰せば彼らも居なくなっているだろうし、そうなれば公園を二人で抜けてしまえばいい。


 脇に挟んだDVDのケースが滑り落ちそうになるのを直しながら、足早に公園の外周を歩いてレンタルショップへ向かう。

 吹く風が嫌に冷たい。その内に雪でも降ってきそうだ。なんとなく、そういう空気がする。鼻を突くような寒さに顔を顰める。


 別に気にせず公園を通ってしまえばよかったな。赤ら顔の酒気を纏わせたおじさんやら、大学生くらいの男が些細なことで怒鳴っているのがオチだろうし、殴り合いなんてのはそうそうない話だ。そも、何が理由か知らないが夜中に大きな声を張り上げるのはなんというか、法ではない、社会のルールのようなものに抵触しているような気がする。


 社会というのは法とは別に、独自のルールのようなものを持っていて、夜中に大声で叫んだり、意味もなく走り出すとそのルールを違反したとして白い目で見られるのだ。マナーのようなものなんだろうな。人の目から見て幾分かまともに見えるような人間足らなければ、社会を生きていくのは難しい。


 今、前から歩いてきた男も、公園を通ろうとして止めた口なのだろうか。妙な振る舞いをすれば遠巻きにされるものだ。そういうのが許されるのは仕事柄求められるお笑い芸人とかを除けば学生ぐらいだろうな。高校生が精一杯で、大学生にもなれば、半ば社会人として扱われ節度を求められるように思う。

 芸人にしたって、モニターの前では一発芸なんかを披露したりして笑いを起こしたりするが、何もない日常生活なんかはきっと歩いていてもそうと気づかないんじゃないかしらんね。


 社会には法以外に、ルールのようなものがある、か。良い言葉じゃないかな? 今書いている小説で使うことはないかも知れないけど、これは中々に面白い言葉な気がする。何とはなしに思索に満ちている気がするし、うん。メモ帳に足しておくのがいいだろうな。


 レンタルショップに着くまで、結局深雪には会わなかった。まだ、店内に居るだろうか。

 きょろきょろと店内を見渡しながら、ひとまず返却ポストにDVDを放り込む。

 最近は何を好んでいたろう。SF? いや、パニックものだった気がする。なんにせよ、洋画の棚の方だろうな。深雪は邦画よりも、洋画を良く好んで観ているから。


 ただ、店内を練り歩いてみたが、深雪の姿は何処にもない。

 入れ違っただろうか。併設している本やらゲームの部分にでも居たら気付かなかったろうし。まだ居るかもしれないと一応本やゲームを置いているコーナーも回るが、やはり見当たらない。


 代わりに何か借りていこうかと思ったが、会員証を持ってきてないのに気付いて外へ出た。

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