第一話 深雪(2)
結局手に取った雑誌に碌に目も通さず、そのまま元の場所に戻す。
読むつもりで手に取った癖、結局考えに没頭するのは良く無い癖だ。
それに心の中とは言え悪様に言うのはやはり良くないだろうな。そういう風に考え続けていると本人を前にした時、態度に出てしまうものだろうし。
「よーお待たせ!」
とん、と肩を叩かれて思わずびくりと肩を上げ振り返ると、へへっ驚いた? と言わんばかりに笑顔を浮かべた深雪が立っている。
エンデの本みたいな赤いコートの外に垂れた烏羽玉のような黒髪は腰ほどまである。体を動かすのに邪魔だからと肩ほどまでにしていたのが懐かしく思える。
「楽しかった?」
「うん! まー久々といっても終業式からだからねえ、皆んな変わらず元気そうで良かったよー」
「それじゃあ、買い物してくるからちょっと待ってて」
「お母さん?」
うん。と返すと牛乳を手に取りレジへ向かう。
自分と同い年くらいの店員に「名前で分かるようにちゃんと覚えとけよ」と詰めように言う若い男の後ろに並ぶ。手にはビニル袋があり会計は済んでいるように見える。他に店員は見えず、対応する店員はしどろもどろとしている。
面倒だ。なんだって逐一絡むんだろう。煩わしいことだ。バイトをしていた時もこういう、人との関わりが面倒で、不愉快に感じたから辞めたのだ。何も悪くないのに頭を下げる必要がどれほどあるのだろう。絡むことでこういう人は何を求めているんだろう。
「会計終わってるならいいですか並んでるんですけど」
男が振り返り僕を見る。スウェットを着ていたから若い男と思ったが、三十代くらいだろうか。スーツを着ていたら只のサラリーマンに見えそうな風体の男は僕を睨めつける。
口元の無精髭からして、休みなんだろうな。こういう所に職場の人が居合わせたりしたらこの人はどうするんだろう? 恥ずかしく思わないのか、それとも当然のことだと一緒に糾弾するように言ったりするのだろうか。そんなことを考えながらぼんやりと顔を眺めていると、視線を逸らしぶつぶつ言い、聞こえよがしに大きく舌打ちをすると外へ出ていった。
それと同時に奥から他の店員が出てくるのをぼんやりと眺めながら会計を済ませ、外に出る。
深雪はどこだろうと首を巡らせれば、会計を済ませこちらへ向かってくる姿が見えた。
「アイス?」
「おうよ、やっぱ寒い時季におこたで食べるアイスが一番ですよ」
「本当好きだよねアイス」と返せば「まあね、そう言う君は寒いのが苦手だからあまり好きではないよね」と何か自慢げに返してくる。
どちらともなく二人並んで歩き出す。辺りはもう暗く、寒風が吹き付ける。
コンビニから少し歩くと大きな公園がある。そこを通り抜けて歩けば僕たちの家があり、十分も掛からず帰宅出来るのもあって、僕たちはよくそこを通っていた。
公園内に入ると人気は無く、いそいそと犬の散歩をする女性が一人いるばかりだ。街頭も少なく暗がりの多いこの公園は、周囲を囲うように木々が立ち並んでおり、僅かばかりの遊具と生垣があるぐらいで面積の割に何もないと感じてしまう。昔は遊具がもう少しあったのだけど、いつの間にか撤去されて、うら寂しい場所となってしまった。
「借りた映画ってあと一本くらいだっけ」
「うん。深雪の選んだやつが残ってるんじゃなかったかな。なんか去年ぐらいに話題だったやつ」
「ご飯食べ終わったら観ちゃおっか」
「深雪のご両親が観るものなければいいんじゃない?」そう言うと、まんじりと深雪が僕を見て「もし、そうだったら君の家で観ればいいじゃん」とぼやいた。
「大学は違うんだしさ、なるたけ一緒にいよーぜ。こうやって遊べるのは今だけかも知れないんだからさー」
思わず、立ち止まりそうになる。
何処か遠くを見つめる彼女の横顔がまるで別人のもののように見えた。
こうして何を考えるでもなく遊び歩いていられるのも今だけ、か。ごく当然なことだ。大学に行けば新しい人間関係が作られるのは当然で、彼女と道を同じにするのもこれっきりかも知れない。そんなこと考えもしなかったけど、これからは違う場所で多くの時間を過ごして、お互い違う職に就くのだろう。そうなっていく時、側に彼女が、深雪が居ないことを想像してぶるりと体を震わせた。
「君、寒いの苦手だもんねえ」
くすくすと笑う深雪から目を逸らし、空へと向ける。
「……そういや今日も雪、降るんだっけか」
あんまり冷え込むと体の節々が凍りついたような気になって、動くのにも一苦労する。いくら防寒着を身に纏おうと吹く風は容赦無く隙間から入り込んで僕の体を冷気で撫で上げていき、体がその冷たさに震え上がる。
寒いっていうのは思うに死に近いのだと思う。
人は熱を生み出して生きていくものだし、それはどんな生き物でも同じだ。冬はその寒さから生き物がすっかり消えて静かなイメージを脳裏に易々と浮かばせるし、こうして騒がしく生きている人間がおかしいのだ。春が来るその時までどこか穴蔵にでも引き篭もって暖を取るべきなのだろう。
「本当に寒がりさんだねえ」
「まあね、暑がりさん」
活動の時間や幅が増え進歩していく中で、凍える僕は停滞し置いてきぼりを食らうのではないかと考えてしまう。周りが歩いていく中で軋む体を震わせながらよたよた進む僕は降り積もる雪に隠れていくのだ。
そんな妄想を頭が掠めるようになったのはいつからだろうか。そんな妄念が毎年この時期に頭を擡げるのだから冬が、寒さが嫌いになるのも必然だったのだろうな。
それでも、深雪がそこに居るなら多少の寒さくらい目を瞑って歩いていけるようなきもするのだ。今まで一緒だったのだ。これからだって会おうと思えば幾らでも会える。何を心配することがあるというのか。何事も考えすぎる僕に彼女は寄り添ってくれる。きっとこれからも、そうあれば、どんなに寒くたって僕は歩けるだろう。
「なーに、笑ってんの」
そう言って肩をぶつけてくる彼女に僕はちらりと視線を向ける。
「別になんでも無いよ。寒いし早く帰ろう」
横で楽しそうに、打ち上げでの話をする彼女は溌剌として、明るさを振りまいている。それに比べて僕は無愛想な表情を浮かべているんだと思う。よく学校で、深雪は雪なのに太陽さながらに明るいのにお前は雪もかくやに冷たく暗い、あべこべコンビだのあべこべカップルだのと揶揄われていたが、否定のしようもない。
そんな僕と一緒に居てくれる深雪のことを、愛さないわけがないのだ。
公園を抜け、もう少しで家というところで「あっ」と深雪は声を上げた。
「ほら二人で初日の出見に行こうって約束したじゃん」
「ああ、去年から言ってたよね。少し遠いから僕が免許取ったら二人で行ってもいいって。……やっぱり、子供二人じゃ駄目だって?」
「あー違う違う。行くのはいつもの所ならオッケーってさ。そうじゃなくてさ。雰囲気を大切にしようぜってことよ。日の出と共に好きだー! とか叫ぼうよ」
「人が居たら絶対嫌だよそんなの」
「君は人が居なくても言ってくれない気がするんだよなぁ」
それにあそこって人殆ど来ないじゃん。と深雪は口を尖らせた。
地元の人にもあまり知られていないちょっとした日の出を見るのにうってつけの隠れスポット、と彼女は、というより親が言っていたが、大概そういうのは誰でも知っているのではないだろうかと毎度思う。
他にもし人が居たらすごぶる気が進まない。気は、進まないが。
「……いいよ。まあ、偶にはね」
「おお、ほらさ。なんとなく、気付いたら付き合ってたみたいなところあるじゃん私たちって。別に不安とかそういうんじゃないけど、友達らの話を聞いてるとねえ頻繁じゃなくても言われてえなーとね」
照れ臭そうに深雪は頭を掻くと恥ずかしくなったのか「うわあああ!」と叫びながら家へと走っていった。
言わなきゃ分からないこともあるけど、言わなくても分かっていたこともまた、口にするというのは必要なんだろうな。そんなことで彼女が満足するなら幾らでも応えたい。
本当に、そう思う。
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