第80話:サキュバスの巣8

◆◆◆◆


 そして、彼女についてもう1つ分かったことがある。


 彼女は2人きりの時、ことある毎に愛の言葉やハグを求めてくるのだ。


 もちろん最初に交わした約束の中に「まるで新婚夫婦のように振る舞うこと」というものがあるため、多少は想定していたが、彼女の要求は”それ”を超えていた。


 朝起きてハグ。


 彼女が仕事で部屋を出るときには、ハグと「いってらっしゃい」の意味を含めた愛の言葉を囁く。


 彼女が部屋に戻ってきたときには、ハグと「今日も頑張ったね」の意味を含めた愛の言葉を囁き、よしよしをする。


 眠る前にはハグ。


 また彼女からのハグも多く、料理が美味しかったときや、彼女の好きな紅茶を入れたとき、果ては流しの掃除を行ったときにすら、私のことを抱きしめ頭を撫でるのだ。


 私からのハグと彼女からのハグを合わせると、1日に10回くらい抱き合っているのではないか?


 そして慣れとは恐ろしいもので、初めのうちは彼女と抱き合うこと、そして彼女に愛の言葉を囁くことが恥ずかしかったのだが、数日間続ける内に恥ずかしさが薄れ、むしろ、彼女の甘く良い香りと肉感的な彼女の身体が心地よいとすら感じる。


 そして、どこか彼女の色に染められているようだが悪い気はしない。


 私は彼女を抱きしめた後、部屋の明かりを消し同じベッドへと潜り込んだ。


 家のベッドとは異なり2人で眠っても十分な広さがある。元々、大人2人が横になることを前提とした大きさなのだ。今の私の体躯であれば、彼女の横で大の字になっても問題ないだろう。


 それに柔らかいだけではなく適度な硬さもある。人が重なった際に、重みでベッドに沈み込みすぎることはなく、しっかりと密着するように出来ているのだ。まさに、行為を行うためのベッドなのだろう。


「セツナさん、私の付き人になってから暫く経つけれど、どうかしら?」


 首だけを彼女の方に向けると、彼女と目が合った。

 

「やることは多いですが、最近は色々と慣れてきました。それに、私はアリスさんに敗れて今の仕事を始めたため、どれだけ酷い仕事をすることになるのかと思いましたが、普通の仕事で安心しました。」


「それは良かったわ。男性の付き人を雇うのは始めてだから不安だったのよ。でも、私のような年増を相手に新婚のように振る舞うのは嫌じゃない?」


「初めのうちは少し恥ずかしかったけれど、今は嫌じゃないです。私はアリスさんのことを年増だなんて思ったことはありませんよ。」


「お世辞なんて言っても何も出ませんよ。」


「お世辞ではなく本気です。それに、貴女が努力をしている姿も見ていますから、より素敵な人だと感じております。」


 彼女の年齢を聞いたとき本当に驚いた。確かに私やミリアよりは年上に見えるが、どこをどう見ても37歳には見えない。


 ハリがありシミ1つ無い素肌、艷やかな髪の毛……どれも20歳台で時間が止まっているように見える。そして、それは彼女の努力によるものだ。彼女は基本的に、だらしがないのだが、美しさを保つための努力は欠かさない。


 朝、目を覚ましてからお客様が来るまでの間、必ず毎日トレーニングを行う。日によってジョギングや自重による筋トレなど様々だが、様子を見る限り、プロポーションを保つための筋力維持に効果がありそうなものばかりだ。


 また、化粧品や化粧水などのこだわりも強く、商品ごとに売っているお店が違うのだ。恐らく、様々な商品を自分で試し、良いものを厳選したのだろう。


 さらに彼女は料理を見ると大体の太りやすさが分かるとのことで、たとえ彼女が大喜びをするような料理を作っても、太りやすい料理の場合は、あまり食べてはくれないのだ。そのため最近は、太りにくく健康的で、なおかつ美味しい料理をコックへと聞くようにしている。


「そんなに褒められると照れちゃうわね。」


 彼女は”にへら~”と蕩けるような笑顔を一瞬浮かべる。ただ、それは一瞬ですぐに真面目な表情に変わった。


「でもね、この仕事が”普通の仕事”というのは少し違うのよ。セツナさんが来てからは、たまたまトラブルが起きていないから普通の仕事のように感じるかもしれないけれど、そのうち、セツナさんに助けてもらうときが来るかもしれないわ。だから、その時はしっかりと私のことを護って頂戴ね。」


「もちろん。今の私の仕事はアリス=フィリドールの付き人なのだから当然です。」


◆◆◆◆


「ねえアンタ、今から買出しなんでしょ。一緒に付き合いなさいよ。」


 ブロンドヘアーを長いツインテールに結び、いかにも気の強そうな表情で腕を組みながら仁王立ちで話す。服装は白いブラウスとオーバーオールドレス――まさに”町娘”と言う格好をしている。

 

「ああ、いつも悪いな。」


「別に、クレア様に貴方のことを手伝うように言われたから誘っているだけなんだから、お礼を言われる筋合いなんて無いんだからね。」


 フフンッと鼻を鳴らしながら、話す彼女はブランシュ――年齢は15歳で、先日ホールで接客を始めたばかりの新人とのことだ。現在はホールで仕事を行いつつ、人気嬢であるクレアの下で娼婦のイロハを学んでいるらしい。


「今日、私はクレア様の化粧水と私の使う香水を買いに行くんだけれど、貴方は何を買う予定なの?」


「私はアリスさんの使うシャボンと日用品。」


「そう、じゃあ全部中央広場の東側で済むわね。早く支度をしなさい。すぐに終わらせるわよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る