3.サラダと前菜(仮)
突然だが、焔木の親族には最近結婚した人物がいない。善良な小市民にとって、フルコース料理を食べる機会は誰かの結婚式くらいだろう。特に、使い終わったシャンプーに水を入れて再利用するタイプの小市民にとって。焔木 業は、そこまでは行かないが「その手があった」とやりかけた小市民だ。流石にみみっちいのでやめたが。
しかし、三十年に近付いた年月生きていれば、何かの拍子に結婚式に出席することもある。標準学生服を着て出席した、従姉の結婚式。焔木 業の感想は「フルコースを考えた奴は相当な大食いなんだろうな」だった。
「オープン当初はフルコース形式でしたが、日本人にとってはなじみがなく、そして多すぎるので、今の形式になったのです。こちら、『ハーブ香るミートテリーヌ』と『自家製ベーコンをたっぷり乗せたシーザーサラダ』でございます。食べ終わりましたらこちらのベルを鳴らしてください。順次他のお料理も運びますので」
メイドさんも、似たようなことを言い出した。と、言うより、心を読まれたような発言をした。去り際に忠告してもらったが、独り言が漏れていたらしい。
そんなことより食事である。赤面している暇があるなら美食に舌鼓を打つ方が、このレストランの本懐に近付く。旅ではないが恥は掻き捨てた方が、よりよく生きられる。多少の恥とプライド以外は脳内ゴミ箱に投げつけてしまえ、が焔木 業の座右の銘である。
まずはサラダ。食事の際に、最初に野菜を胃の中に入れておくと、胃の中の野菜が油を吸うので比較的もたれずに、かつある程度健康的に食事ができる。出典は不明だが、少なくとも焔木はそう信じている。ある種の信仰である。
シーザードレッシングのかかったレタスに、少量のベーコンを隠して、ボロボロこぼれるパルメザンチーズに悪戦苦闘しながらそのすべてを口に運ぶ。しかしうまくいかなかった。最初の一口は、レタスオンリーだった。
しかし、それでも美味である。素材がまずいいのだろう。昨今のコンビニエンスな店舗もこだわりの素材と製法で味への追及が成されているが、保存や流通の関係で妥協も必要になってくる。それでも十二分に美味で、日本人の味へのこだわりがひしひしと伝わる。
それと比較して、このサラダは「妥協」が一切ない。おそらくは産地直送か、それに近しい野菜たちは一切の欠点がない。瑕疵がないものと言うものは、ある種の恐ろしさを醸し出すが、このサラダで味わうなど誰が想像できようか。味覚の種類に恐怖があれば、きっとこのような味がする。そう思えてしまうほど、味がいい。
さて、サラダボウルは空になった。正式名称は不明だが、サラダが入っていればサラダボウルであろう。焔木 業は適当にそう考えた。しかしそもそも日本人の命名も大概適当である。鯛に似ていればとりあえず鯛と名付けるように。
「いかんいかん」
すぐに考えがそれるのは、自分の悪い癖である。焔木 業は、少々空想癖がある。それを自覚してなお考えはそれるものである。こんなにもテリーヌがおいしそうでも、だ。
そう、テリーヌ。ハーブが香るらしい肉のテリーヌ。詳しいハーブの中身は不明だが、とにかく香りがいい。テリーヌ状に形成されたものは何でもテリーヌと呼ばれることはかろうじて知っていた焔木 業は、とりあえずこの肉々しいテリーヌを切り分けて口に運ぶ。
ハーブが香った。貧弱な語彙を恨みたくなる焔木 業であった。
「いやもっとあるだろ……」
何とか頭を回して脳内辞書を引き、感想を絞り出そうとする。しかし、焔木 業の国語最終成績は3であった。凡夫の自信がある彼にとって、このテリーヌは難敵であった。脳みそが干からびる感覚に襲われる。
「とりあえず、ベルを鳴らすか……」
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