第16話 追突事故
空が青く澄み渡って高く感じられる土曜日の朝。
私は君枝を誘ってゴイサギ大明神までサイクリングとしゃれ込んだ。
参拝客が増えていると聞き、実際に自分の目で確かめたくなったのである。
ママチャリを漕いで小一時間ほどするとテレビ中継で見知った古民家が見えてきた。
「あったあった。山の麓にぽつんと建っているあの家がきっとそうよ」
君枝が指さしながら嬉しそうにはしゃぐので、私はこれからの動きを一応確認した。
「まずは、地主の草野五郎さんに挨拶しておいたほうがいいよね」
「そうね。でも、私たちがゴイサギ大明神と関係があることを気づかれないようにしなきゃ」
しっかりものの君枝だけに多くを語る必要はない。それを受けて私が具体的に提案した。
「もちろんよ。『テレビで見たのですが、お参りさせてもらっていいですか』って感じでいいんじゃない」
自転車に乗りながらそんなやりとりをして、初対面のシチュエーションをイメージした。
□憩いの場に変貌
先祖代々住み続けているという古民家だけに、太くて大きな木を使って建てられており重厚感がある。
玄関先に到着すると、ずらりと停められた自転車の数に驚いた。
「あのー、ごめんください」
私は滅多に使わない言葉で挨拶しながら玄関から顔を覗かせた。
玄関から入るとだだっ広い土間があって、子どもたちが賑やかに遊んでいるではないか。
コマ回しやめんこ、ビー玉、羽子板といった昭和時代を振り返る映像で見たことがある風景だ。
コマにひもを巻いて回し方を教えている男性が、こちらに気づいて笑顔で話しかけてきた。
「よおっ、お姉ちゃんたち。あんたらも遊んでみらんね」
私は大声で言われて面食らったが、聞えるように大声で返した。
「草野五郎さんですよねー。テレビで見たのですが…」
「なんてや~。よう聞こえんばってん」
男性はそう言うとニコニコしながらこちらに歩いてきた。
今度は君枝が確認した。
「失礼ですが、草野五郎さんでいらっしゃいますか」
「ああそうたい」
「私たち、テレビでゴイサギ大明神のことを見て来たんです。お参りさせてもらっていいですか」
「そうね。どうぞどうぞ。ちょっと上らないかんけん、案内しちゃろうたい」
草野さんはそういうと、遊んでいた小学生ぐらいの男の子に声を駆けた。
「ケンボウ!じいちゃんはこの姉ちゃんたちを案内してくるけん。みんなばちゃんと見とくとぞ」
「うんっ、わかった」
ケンボウと呼ばれた男の子が元気に返事をしたので、草野さんも安心して山を上りだした。
「お孫さんですか」
私は一緒に歩きながら聞いてみた。
「そうたい。ゴイサギ大明神が有名になったけん、博多で暮らしよる息子やら娘たちが孫を連れてよう遊びに来るようになってからくさ」
「お孫さんも近所の子どもたちと仲良くなって楽しそうでしたね」
君枝が話題を続けたところ、草野さんも嬉しそうに答えた。
「ばあさんが亡くなってから、山を守るつもりで一人寂しく暮らしとったとよ。そしたら神様がゴイサギ大明神ば建ててくれて、今じゃ賑やかなもんたい」
おしゃべりをしながら数分歩くと祠が現れた。
「ゴイサギ大明神だ!」
「ようやく本物を拝めたわね」
木々や草花が茂る森にまだ新しい祠が鎮座する凜とした雰囲気は実際に見ないとわからないだろう。
私も君枝も映像でしか見たことがないだけに、リアルな祠を目の当たりにして感慨もひとしおだ。
すると、先にゴイサギ大明神を参拝していたJKらしき女の子3人が、草野さんを見て歓声を上げた。
もう何度も来ていて、草野さんとは顔なじみらしい。
「あ、草野さーん!一緒に記念写真撮っていいですか~」
というが早いか、草野さんと並んで祠をバックに自撮りをはじめた。
私は我がことのように楽しくなって、気がつくと声をかけていた。
「よかったら、シャッター押しましょうか」
「ありがとうございますー」
祠全体が入るように記念写真に収まって彼女たちも嬉しそうだった。
私と君枝がゴイサギ大明神に二拝二拍手一拝して参拝を済ませると、草野さんが自宅に招いてくれた。
「家で甘酒でも飲んでいかんね」
玄関を入ると土間ではケンボウをはじめ子どもたちがまだ遊んでいる。
草野さんは、土間の一角にあるかまどに火を入れて甘酒を温めてくれた。
ゴイサギ大明神の登場によって草野五郎さんの古民家まで生まれ変わったようで微笑ましい感じだ。
「こういうのを相乗効果っていうのかな」
私が言葉にすると、君枝も頷いていた。
草野さんはゴイサギ大明神を参拝した人たちとの出会いなどを楽しそうに話してくれた。
「たまにしか現れんけど、ゴイサギが飛んできたときの盛り上がりはすごかね」
草野さんから聞いてびっくりした。
「ゴイっちのやつ、打ち合わせもしてないのに来てるんだね」
「味をしめちゃったのかな」
私と君枝はヒソヒソ話して微笑んだ。
□交通事故
その日、草野五郎は日暮れ前に行政区長から呼び出された。電話の内容は愉快な話ではなかった。
長年の相棒、軽トラに乗って数分も走れば行政区長の家に着く。駐車場に来客用の空きスペースがあるのでそこに停めた。
「ピンポーン」
音が響いた。
「はいどうぞ、上がってください」
奥さんがインターホンで対応してくれたので、草野は玄関から入った。
「まあ座らんね」
和室の応接間で行政区長に勧められるまま応接台を挟んで座布団に正座した草野。
「何かあったとですか」
心配なあまり、挨拶もそこそこに切り出した。
「これは正直に伝えとかないかんと思って。来てもらったとです」
「私も草野さんから相談されたときに、ゴイサギ大明神で町内が活気づくと思ってマスコミに知らせた手前、言いにくいとやけど…」
区長はそう前置きすると改まって話し始めた。
「子どもたちの保護者から『草野さんの家で遊んだりお菓子をもらっているので困る』と苦情が出てるんです。私はそうは思わんけど、今の時代は他人の家で遊んだり食べ物をもらうのは教育上よくないという風潮があるらしくて」
「それはおかしい。子どもたちが仲良く遊べるのはよいことでしょうもん」
「草野さん、おっしゃるおとはわかる。けど、行政区長としては町民の声にも耳を傾けんといけないんですよ。ご理解いただけませんか」
草野は納得できなかったが、行政区長の頼みを不承不承受け容れて席を立った。
ゴイサギ大明神で子どもたちが喜んでくれていると思っていた草野五郎にしてみれば青天の霹靂である。
「なんでいかんとや。子どもたちに何て言うたらいいとか…」
日も暮れてしまい家路を急ぎながら憤懣やるかたない気持ちで軽トラを走らせた。
するとあろうことか、前方の車に気づくのが遅れて追突してしまったのだ。
孫がいるとはいえまだ69歳。道交法では70歳以上が高齢者なので、草野は高齢者講習の対象にも入っていない。
毎日のように運転しているから自分でもまさか慣れ親しんだこの道で事故るとは思いもしなかった。精神的に動揺していたのが大きな原因かもしれない。
田舎にありがちな舗装していない砂利道だが、抜け道に使う車がときどき通る。相手は慣れないためのろのろ運転していたのだろう。
「すみませんでした。大丈夫ですか」
軽トラから降りて詫びたところ、女性ドライバーだった。30歳ぐらいで仕事中なのかスーツを着ている。車はよくみるタイプの普通車だ。
「困ったわぁ…急いでるのに」
女性は眉間にシワを寄せながらぼやいた。
「後で連絡しますから、名刺ください」
草野が名詞を持たないことを伝えると自分の名刺を2枚渡してきた。
「1枚は裏にあなたの名前と生年月日、住所と電話番号を書いてください。あ、このボールペン使って」
草野は言われるままに記入して、その名詞を渡した。
後日、警察に現場検証を依頼するので連絡するという。
彼女は事務的に伝えると車を発進させた。
草野が名刺に目を通したところ、福岡市にある会社で働いているようだ。
「堂園朝日か…」
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