第10話 葛藤「あんな思いはもうまっぴら」
高良山でゴイっちと再会したその夜、私はなかなか寝付けなかった。
エアコンを自動運転にした過しやすい部屋で、自分専用のベッドにゆったりと寝ることができる…。
そのことが心に引っかかり、かえって眠りを妨げるのだ。
私は茂みをかきわけながら分け入った山の中で、ようやくゴイっちに会うことができたとき熱いものが込み上げた。
ところが、ゴイっちの様子はどこかよそよそしい感じがしたのである。
自然の中で生まれ育ったゴイサギは、雛のときから外敵に襲われる危険にさらされている。ゴイっちがタカに狙われたように成鳥になっても何が起きるかわからない。
しかも生き延びるために魚やザリガニ、昆虫まで探して食べねばならない。ゴイっちによるとゴイサギもカルガモの雛を丸呑みするというのだから、自然界は命がけだ。
私のように豊かな文明社会で暮らす人間は、雨風を心配する必要がない家に住み、買ってきた材料を料理して食べればよい。野生のゴイサギとはしょせん相容れない関係なのかもしれない。
そんなことばかり頭をかすめてモヤモヤしてしまう。
山に登った疲れもあって10時にはベッドに入ったのだが、どんどん目が冴えて何度寝返りを打ったことやら。目覚まし時計を見たら深夜2時を過ぎていた。
悪いように考えはじめると、ますますゴイっちに対して苛立ちが募る。
タカから襲われそうになったところを救ってくれた礼を言うために、私の前に現れて脳にリンクしてきたのではないか。
しかし振り返ると、脳内交信は平等に行われているとは思えない。主導権を握っているのはゴイっちなのだ。場合によっては私が呼びかけても反応がないのに、ゴイっちは夢の中まで入ってこれるのだから。
ゴイサギと心が通じ合うことに舞い上がって、まるで親友のように錯覚していたが、冷静に考えたら私はゴイっちに操られているだけかもしれない。
真夜中に悶々としていると、トラウマになったある出来事が蘇った。
□あんな思いはもうまっぴら
小学6年生の頃、ローカルアイドルグループ[この景色]のファンだった。特にメンバーの大浜カノンを推しており、色紙に書いてもらったサインは宝物だ。握手会にもよく行っていたので顔と名前を覚えてくれ「なっちゃん」と呼んでもらえるまでになった。
大浜カノン。黒髪のロングヘアーがさらさらして美しく、なによりパッチリして透明感のある瞳は見つめられると吸い込まれそう。歌もダンスも一生懸命で、キレキレに振り付けを踊る姿から影で相当努力していることがわかる。小柄なのにグループのなかで一番目立つほどオーラがあるのは、持って生まれた資質もあるのだろう。
やがてSNSにファンが投稿した1枚の写真がきっかけとなり大ブレイク。アイドル時代から映画にも出演していた経験を活かし、現在は女優に転身して活躍中だ。
私は中学2年生のときに、その大浜カノンに似ていると噂されたことがある。自分でも目は大きいと思っていたが、推しに似ていると言われて悪い気はしない。推しのヘアスタイルを真似たり、私服のコーディネートを意識して楽しんでいた。
周囲からも大浜カノンっぽくてカワイイと囁くのが聞こえてきて、まんざらでもなかった。今思えば、クラスメイトが悪ノリしてわざと噂を広げたのだろう。しかし当時の私は慢心していた。
その頃、写真集を出した大浜カノンが福岡で凱旋イベントを行うことがわかった。私は久しぶりに彼女に会いたくてイベント当日、JRに乗って博多までいそいそと出かけたのである。
会場の書店では大浜カノンの写真集を手にしたファンがサインをもらうため長蛇の列を作っていた。女性も男性も同じほどの割合で年齢層は幅広い。小学生高学年と思われる女の子を見て、アイドル時代の大浜カノンを追っかけた頃の自分にダブらせた。
私の順番になると、彼女の方から「なっちゃん、来てくれたんだ。ありがとう」と言ってくれた。覚えてくれていたことが嬉しくなって「私、中学校ではカノンさんに似ているって言われるんです。ヘアスタイルもカノンさん風にしてみました」とアピールした。褒めてくれると思ったからだ。
「なっちゃんはカワイイけれど、私とは違うんだよなぁ~。私には似てないよ」
彼女は限られた時間の中、言葉を選んで答えてくれた。
そう言われた私は頭の中が真っ白になって、返す言葉も無く列から離れた。
私は勘違いしていたのだ。クラスメイトたちの噂話を真に受けて自分は大浜カノンに似ていると思い込んでしまっていた。しかもそのことを嬉々として本人に話して否定されるという最悪の結末を迎えたのである。
それ以来、私は「推しに似た顔なんて精神的にムリ」と自ら作った理由をつけて大浜カノンの思い出に蓋をすることにした。クラスメイトたちは相変わらず大浜カノンの話題を口にするが、私が全く反応しないので次第に距離をとるようになった。私もどのように接してよいかわからなくて、とうとう“陰キャ”のできあがりというわけだ。
ベッドの中でゴイっちとの関係について考えを巡らせるうちに、過去のトラウマを思い出した私は、なおさらゴイっちへの不信感を募らせた。
もしゴイっちから「君とボクはしょせん住む世界が違うんだよ。脳内交信できるからといってそれ以上の関係ではないんだ」と言われたらどうしよう。
もうあんな苦しみはまっぴら。私は葛藤した。
□ピンク色への挑戦
「なつきっ、もしかすると行けるかもよ!」
君枝が日曜日の朝だというのに早くから家までやって来た。
結局ほとんど眠れなかった私は、寝ぼけ眼で玄関に顔を出した。
「行けるって、また高良山に登る気なの?」
「違うわよ!ピンクよ、ピンク色の向こうに行けるかも知れないの!」
私は興奮気味にまくしたてる君枝の言葉にドキッとした。
一晩中あれほど葛藤したゴイっちとの関係が、ピンク色を超えることによって動く予感がしたからだ。
家族に聞えたら、変なことを相談しているのではないかと勘ぐられそうなので取りあえず私の部屋へ移動した。
君枝は高良山からゴイっちを連れ帰れなかったことに責任を感じて、私が明かした「ピンク色」について調べたらしい。もしかすると彼女も寝ていないのではないだろうか。
ゴイっちが妹を誘拐した男の部屋から姿を消したあと、私は久々に交信しながらゴイっちの脳内がピンク色になる現象に気づいた。そうなるとスムーズにリンクできなくなってしまうのだ。
「私はピンク色と聞いたとき、なつきがまた突飛なことを言い出したぐらいに思ってたの」
君枝が私の目を見ながら打ち明けた。きっと学者がとんでもないことを発見したときはこんな顔になるのだろう。
「関係があるのよ。脳というか精神とピンク色って」
君枝によると、座禅やヨガをするときにピンク色をイメージしながら行うと幸せな気持ちになるという説があるらしい。「ピンク色の呼吸法」まで提唱されているそうだ。
「論より証拠と思って、私もやってみたの。呼吸法はいつもやっているし、それにピンク色が入ってくる感じをイメージするだけだからすぐできたわ」
秀才だけに何でも知っているとは思っていたがいつも呼吸法をやっているなんて、もはや『鬼滅の刃』で全集中の呼吸を続ける「全集中常中」だなっ!
私は君枝のポテンシャルに感心しながら、まずは指導を受けて呼吸法を行った。座り方はあぐらでよいそうだ。漫画を読むときは寝転がるかあぐらをかいているので、これはすぐにクリアできた。
肝心な呼吸は、背筋を伸ばしてうっすらと目を開ける半眼になり、腹式呼吸を意識して鼻から4秒かけてゆっくり息を吸い、口から8秒かけて細く長く吐き出す(※他にも呼吸法はさまざまなやり方がある)。
腹式呼吸とはお腹に空気が入るわけではなく、横隔膜が下がることによってお腹がふくらみ、それに伴って肺に空気が入るのだという。
君枝のいうとおりに呼吸法を続けていると、体がポカポカしてきた。意識せずとも姿勢がよくなり、集中力が増したように感じる。
ほどよい頃だと判断したのか、君枝が次の段階について優しく説明してくれた。
「目を閉じて太陽の方を向いたときに赤色に包まれたように見えるでしょう。それに似た感じで、呼吸法をしながら集中していると青色だった脳内がピンク色に変わる瞬間があるはずよ」
私は先ほどから瞼なのか脳内なのか知る由もないが、確かに青色が見えていた。
心を穏やかにしてさらに呼吸法を続けていると、青色だった世界がピンク色に変わったのだ。太陽の方を向いたときのように強烈な赤ではない。癒やしてくれるようなピンク色だった。
「ピンク色になったわ」
私が君枝に伝えた瞬間、青色に戻った。ピンク色を保つには呼吸法を練習して集中力を持続できるようになる必要がありそうだ。
「頑張ったね、なつき。その調子で続けたらゴイっちと交信するときにピンク色の向こうに行けるかもよ」
「うん。ありがとう。君枝のおかげだよ」
私は心から君枝に感謝した。ただ彼女にさえ、中学時代に「推しに似た顔なんて精神的にムリ」という理由で“陰キャ”になったと言ってごまかしたままだ。いつかトラウマの真相を明かさねばならないだろう。
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