第5話 血飛沫

 私の妹は、小さく生まれた赤ちゃん「早産児」だったから、産婦人科にある新生児集中治療室(NICU)に入ってしばらく育った。母がお乳を冷凍して、病院まで持って行ってたのを覚えている。


 私は当時6歳頃で、幼稚園に通っていた。楽しみにしていた赤ちゃんをなかなか抱っこできないことも残念だったが、それよりも母や父が妹のことばかり心配するので寂しかった。


 でも、やっとNICUから出て家に帰ってきた妹を見た時は、これからうんと可愛がって、何かあれば私が守らなきゃと姉の自覚がめばえた。


 そんな妹も今や小6とは思えない成長ぶりで、身長は150センチぐらいあって、私でさえ近いうちにに越されそうだ。


 帰ってこない妹を探して公園まで駆ける道すがら、頭の中でそんなことがグルグルと巡り「お願いだから無事でいてよ!お姉ちゃんがすぐ助けに行くから!」と念じていた。


 □怪しい男の目撃情報


 公園に着く頃には日が落ち始めて薄暗くなっていた。いつもならば見とれるほどキレイな夕焼けの空も今は不安を抱かせる。


 公園の駐車場にはミニパトが停まっていた。あの婦警さんたちが聞き込みをしているのだろう。


 こうなったら、背に腹はかえられぬ。私は妹を探してほしいと頼むために、婦警さんたちを探した。


 公園前の通りにある住宅地から話し声がしたので、私は気づかれないように距離をとって聞き耳を立てた。ゴイっちにリンクして盗聴したことで、ちょっと慣れてしまったらしい。


「突然に申し訳ありません。不審者の目撃情報があったもので…」


 ラリホらしき声が切り出したところ、その家の奥さんなのだろう、女性の困惑したような声が返ってきた。


「それが、公園でうちの子どもを遊ばせていたら、見知らぬ男の人が話しかけてきたんです」


「詳しくお聞かせ願えますか」


 ラリホが柔らかい声で丁寧に問いかけた。


 女性の話によると、夕方5時過ぎに小学生になったばかりの女の子を連れて公園に行き、自転車の練習をしていたという。


「カワイイ自転車だねぇ。お母さんに買ってもらったの~」


 どこからか現れた若い男性が話しかけてきたのでびっくりしたそうだ。


 娘はきょとんとしているので、母親として「お父さんが買ってくれたのよね」ととりあえず答えた。


「そうですか~。お兄ちゃんも自転車が大好きなんだ。お嬢ちゃん、いくつになるのかな」


 妙に馴れ馴れしいので、警戒して娘が乗っている自転車のハンドルを握った。


「そろそろ夕飯のしたくをしなくちゃ」


 とっとと、その場を離れたが、男はまだでも話しかけてきた。


「じゃあまたね~、今度はゆっくり遊ぼうね~」


 明らかに娘にしか興味がない声色だったので、女性は背筋がゾッとしたという。


「変質者」


 という言葉が浮かんだからだ。


「背格好とか服装とか特徴はありましたか」


 ラリホが聞いたところ、白っぽいシャツにジーンズをはいており、年齢は大学生ぐらいかもう少し上に見えたという。


「それが、とにかくニヤニヤしていたから、気味が悪くって。ヘアスタイルは短めで清潔そうだったけど、他の印象が薄いっていうか…」


 つまり、これといった特徴はないが、ニヤニヤしている感じの表情は忘れられないようだ。


「もしかして、シャーベットはその男に・・・」


 私が頭の中でそう考えて、不安を募らせていたそのとき。


「何やってんの」


 後ろから肩を叩かれて心臓が飛び出しそうになった。


「立ち聞きは感心しないわね」


「ビンちゃん!」


 心の中で叫んだ私は、たじろぐどころか前のめりで訴えた。


「お願いです!妹を探して!」


 妹が公園に遊びにいったまま帰ってこないことを手短に話した。


「わかったわ!とにかくパトカーで詳しく聞かせてちょうだい」


 外がざわついているのに気づいて、ラリホも聞き込みを終えて出てきた。


「あら、あの時のJKじゃない」


 ミニパトで、ビンちゃんから話を聞いた私は、体が震えそうになった。


「聞き込みしたら、おばさんが話してくれたんだけど、1時間ぐらい前に、不審な男がぐったりした女の子を車に乗せて走り去るのを見たというの」


「車の特徴は」


 ラリホが聞いた。


「黒い軽のワンボックスカーだったらしいわ」


 ビンちゃんはそう答えると、次は私に聞いてきた。


「妹さんの名前と年齢は」


「シャーベット、11歳で小6です」


「本名を教えてちょうだい」


朱雀坂氷菓子すざくざかシャーベットが本名です。ニックネームはパンちゃん」


「そう。ツッコむのは我慢しといて、あなたの名前は」


朱雀坂七津姫すざくざかなつき、高2です。苗字は言いにくいでしょうから、なつきと呼んでください」


「わかった。なつき、私のことはビンちゃんと呼んでちょうだい」


「私のことはラリホと呼んでね」


「こちとら、ビンちゃんもラリホも把握済みだけど・・・」とは口が裂けても言えなかった。


 しかし、こんなことをしている間にも犯人はシャーベットをどこかに連れて行って、何をするかわからない。


 私はゴイっちに頼るしかないと判断した。


「あの…ちょっと、気持ちを落ち着けたいので、数分だけ外の空気を吸わせたください」


「ええ、妹さんのことが心配でしょうけど、気をしっかりね。私たちは署に連絡をとって情報を確認するから…」


「よろしくお願いします」


 私はミニパトから降りると、公園のベンチに腰掛けて深呼吸した。


「ゴイっち」

「ゴイっち!」


 脳波にリンクを試みた。


「ゴイっち!!」


「ちぇっ」


 なに今の!もしかして舌打ちの音?


「くそっ!もう少しだったのに」


「ゴイっち、どうしたの」


「美味しそうなハヤを逃しちまったじゃん」


 これまで、何度か脳内リンクで会話するうちに、私の語彙力を学んで言葉遣いが荒くなったようだ。


「ゴイっち!忙しいところ呼びかけたのは悪かったわ。とにかく今は急ぎのお願いがあるの」


「妹が誘拐されたんだろう。それで僕に探せというんだろう」


「察しが速くて助かる。どうしたらいい?」


「僕の脳にリンクして、空を飛んで探すといいさ。君にしか妹のことは分らないんだから」


「ありがとう。じゃあいくわよ」」


「どうぞ。それに、ゴイサギは夜行性だからね、これからの時間帯は体力も視力もバリバリだぜ」


 ゴイっちの脳にリンクして大空に飛び立つと、私の本体の方は、残った脳の思考力で婦警さんたちに話しかけた。


「あの、もしかしたらの話になりますが、いくつか不審者が隠れそうなところがあるので、連れて行ってもらえますか」


「わかったわ。妹さんとこの辺りの状況に一番詳しいのは、なつき、あなたなんだから。頼むわよ」


「はい」


 □噂の“幽霊”アパートへ


 僕、ゴイっち。ゴイサギの仲間は世界中にいて、中には時速55kmで飛んだという記録もあるんだ。飛行距離も普段は近辺しか移動しないけど、日本でも50km以上移動したケースは複数あり、中には500km以上移動したゴイサギも確認されているんだよ。


 今回は、命の恩人であるなつきが、妹を探すために必死なので、僕も何とか役立ちたいと思う。本来のスペックは高いんだから、やるときはやるよ!


 私、なつき。ゴイっちの脳にリンクして空から犯人の車を探しているのだけど、ゴイっちがそんなに心配してくれていることが手に取るように分るからなんだかジンときちゃった。


 警察は、婦警さんコンビが聞き込みで得た情報以外には手がかりを掴んでいないみたい。結局、私の勘とゴイっちの“鳥の目”で探すしかないようね。


 道明寺町の外れに心霊スポットと噂されている、廃墟寸前のアパートがあるわ。犯人は誰も近寄らないようなところに隠れるのではないかしら。


 そう推察した私は、リンクしたゴイっちをそっちの方面に向かわせた。


 まだ、完全に日が沈んでいないので空から地上の景色が見て取れるが、夜行性のゴイっちの目にはより鮮やかに映る。


 しかし、例の“幽霊”アパートはかなりヘンピなところにあって、周辺を木々がおおっているので、なかなか見つからない。


 それとおぼしき辺りを旋回していると、木々の間から黒っぽい車が見えた。降下して確かめると、黒い軽のワンボックスカーに間違いない。


“幽霊”アパートは廃墟寸前ながら、誰かが住んでいる生活感は残っている。二階の部屋のひとつに灯りがともっていた。まだ暑いので窓を開けているため、カーテンの隙間から明かりが漏れていたのだ。


 ゴイっちは外の物干しに気づかれないようにとまり、カーテンの隙間から様子をうかがった。


 すると、妹がお気に入りのピンク色のスニーカーが見えた。それに、足のスネにはリバテープが貼ってある。昨日、妹が家の階段でスネをぶつけて「すりむいた」と言ってたのを思い出した。


「シャーベット!」

「待て!早まるな!」


 私の心が衝動的に飛び出しそうになるのを、ゴイっちが制した。


「だって、妹が、妹が…」

「気持ちは分る。でも、今、僕の体で飛び込んでも犯人をどうすることもできない。逆に犯人が興奮して妹に危害を加えるかもしれない」


「じゃあ、どうしたらいいの!?」

「待つんだ。君の本体が婦警さんたちとこっちに向かっているんだろう!」


 ゴイっちの脳内でそんなやりとちりをしていたら、犯人が何か話しているのが聞えた。


「君が…君が悪いんだよ。僕のことをキモいなんていうからさ。僕は、ただ女の子と話したかっただけなのに」


「うーー、うーーー」


 妹の呻き声が聞えた。どうやら口にガムテープか何かを貼られて声が出せないらしい。


「へへへ、大丈夫だよ、殺したりはしないから。せっかく二人きりになれたんだから、一緒に遊んでくれればそれだけでいいんだよ。へへへ」


「うーー、うーーー、うーーーー」


 妹の呻き声は恐怖におののいているようだった。


「急いで!シャーベットが!シャーベットが!!」


 ミニパトに乗っている私の本体が婦警さんに訴えた。


「この先です!あの木が茂っている辺りに廃墟のようなアパートがあるはずです!」


「わかった。急ぐからグリップをしっかり掴んでてよ!」


 ビンちゃんの声が車内に響いた。助手席のラリホも 凛とした顔つきをしていた。


「おや、スネに絆創膏を貼ってるんだね。ケガをしたのかい…」


 アパートでは男が妹にじわじわと近づいていく。


「へへへ、ちょっとはがしてみようかな、へへへ」


 男は妹のスニーカーを脱がして、さらにリバテープを剥がそうとしている。


「うーーーーーー」


「シャーベットーーー!」


 思わず窓から部屋の中に飛び込んだ。


「え、ゴイっち?なんで?」


 私ではない。ゴイっちが自分で飛び込んだのだ。


「バサバサバサーーー」


「うわ!なんだこの鳥!」


 ゴイっちが男に嘴で襲いかかった。


「やめろ!この野郎!」


「グワッ」


 男がゴイっちを床に叩きつけたため、叫び声を上げた。


 その瞬間、床に血飛沫が飛ぶのが見えた。


「ゴイっち?大丈夫なの?」


 脳内にリンクした状態で呼びかけるが答えがない。


「ゴイっち!ゴイっち!ゴイ・・・」


 リンクが切れるのを感じた。

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