第2話 アマゾネスの秘密
アマゾネスが過去をカミングアウトするとは意外だった。
「いい。これからトラウマ級の体験を話すから、あなたには参考にして欲しいの」
私はアマゾネスの眼差しと静かに響く声に倒されて「は、はい」と答え、ごくりと生唾を飲み込んだ。
アマゾネスが語った体験談とそれにまつわる情報は次のよなものだった。
「
1980年代になると女子たちを中心に形を変えて「キューピッドさん」という降霊術が流行った。このような怖さ半分でスリルを楽しむ遊びは形を変えて残り、胸を圧迫して落とすいわゆる「失神ゲーム」は2000年代になっても続き問題視された。
アマゾネスがまだ養護教諭になったばかりの頃、赴任した中学校の保健室に女子生徒たちが駆け込んできた。
「先生、こっくりさんをやっていたら、狐に憑かれたみたいなんです」
皆から囲まれるようにして連れてこられた女生徒は、目がつり上がったような顔つきで「ニワトリ!ニワトリが逃げる」と叫んで何かを捕まえようと狐のように跳び回った。
やがて、ばたりと倒れてしまったのでベッドに寝かせて様子を見ていたところ、今度は連れてきた生徒たちが「ニワトリがいる!」と騒ぎ出した。
次々と床に倒れていったので、手に負えないと判断したアマゾネスは救急車を呼んだという。
アマゾネスは、体験談を明かすと懺悔した。
「保健室の先生が手をこまねいて救急車を呼ぶなんて、情けないと思ったの。まだ赴任したばかりで混乱する生徒たちを落ち着かせることもできず、しばらく落ち込んでいたわ」
「でも、こっくりさんをしたのは生徒たちなんだから、先生のせいじゃないですよ。救急車をすぐ呼んだことも適切な判断だと思うし」
私は何とかいつものアマゾネスに戻ってほしくて励ますつもりで声を掛けた。
「だからね、朱雀坂さん。あなたを何とか救いたいの」
「え?」
どんでん返しにあったようで、言葉が見つからなかった。
□「狐憑き」を疑われた私
アマゾネスが聖ダルム病院の医師から受けた報告によると、私は胃カメラ検査のため麻酔で眠っている間、不可解な言動を繰り返したという。
「うおー」、「ふえー」と意味不明な言葉を発したかと思えば、両手で宙を泳ぐような動きをするので、検査に支障がないよう押さえつけたそうだ。
「いやいやいや。それだけを聞いたら、まるで狐憑きやし」
私は内心焦った。
「朱雀坂さん、狐憑きはこっくりさんやキューピッドさんよりもっと昔からあるのよ」
アマゾネスはそんな私の動揺など意に介さず、狐憑きについて再び語りはじめた。
「平安時代の昔から狐憑きと呼ばれる事象はあったけど、近代におけるこっくりさんやキューピッドさんについては研究もされているわ。狐が憑いたように錯乱状態となるのは、心の病、つまり精神病の一つであるという説が有力なの」
私がその話を聞いて違和感を禁じ得ないことを、顔色で察したのだろう。
「でもね、朱雀坂さん。私はあなたが狐憑きだと断定したくはないの。だからもっと詳しく話してくれないかな」
アマゾネスが核心を突いてきた。
私は戸惑った。アマゾネスがこっくりさんにまつわる自身の体験を明かしてくれたことには誠意を感じる。しかし、狐憑きありきで話を進めようとしているようにしか思えない。ここでもし、ゴイっちのことを話しても、結局狐憑きと結びつけられそうな気がするからだ。
「すみません、ちょっと頭が混乱しちゃって。少し整理してからまた来ていいですか」
私なりに真摯に気持ちを伝えたところ、アマゾネスも信用してくれたようだ。
「わかったわ。焦ることはないから。また何かあったら相談してちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
正直なところ、保健室を出るときは、来たときよりももっとモヤモヤしていた。
私自身が何を信じてよいかわからなくなりそうだったから…。
□ダメ押しの異変。私はいったいどうしたらいいの?
「なつき」
君枝が保健室の外で待っていてくれたので、落ち込んでいた心が救われた。持つべきものは友である。
「アマゾネスに何て言われたの?」
君枝に聞かれたので答えた。
「うん…。実は昨日、胃カメラの検査したんだ。その件でちょっとね」
夏休み明けのさわやかな青空が広がって、中庭は緑色の芝生が輝いていた。
芝生に座って本を読む者、車座になって笑顔でおしゃべりする男女のグループ、楽器を鳴らす吹奏楽部、皆「青春してる」という感じだ。
二人でぶらぶら歩きながら話した。
「検査結果はどうだったの?」
君枝はずっと心配してくれていたのだから、本当はいち早く知らせるべきだった。
「ごめん、黙っていて。胃カメラの結果は異常なかったんだけど…」
私が口ごもったからだろう。君枝が気遣ってくれた。
「あ、無理しなくていいよ。話しにくいことだったら…」
「でもやっぱり、君枝には聞いといてほしい」
「うん」
君枝は何かを感じ取ったようで、真顔でうなずいた。
胃カメラ検査のため麻酔で眠っている間に、奇妙な言動をしたため、病院の医師がアマゾネスに報告したくだりを話した。
「そしたら、アマゾネスは狐憑きの可能性があるっていうの。後から狐憑きと断定したくないってフォローしていたけど、何かショックだった」
しかし君枝にもゴイっちのことまでは明かせなかった。
「うーん。私はさぁ、学食で豹変したなつきを見ているじゃん」
「だよね。何なら、私より私の変身ぶりを知っていることになるね」
そう相づちを打ちながら、君枝が何を言おうとしているのか何となくわかった。
「だから…。友だちとしてこれは言っておくべきだと思うのね」
「うん」
今度は私が真顔でうなずいた。
「アマゾネスが言うことも一理あると思う」
「狐憑きかもしれないってこと?」
わかっていても、言われたらやはり辛い。
「狐憑きっていう表現があっているかはわからないけど、あの瞬間はなつきじゃなかったもん」
君枝が中庭にある池のほとりにしゃがんで本音を明かした。
そこまで本気で心配してくれるのは君枝だけだろう。私も覚悟を決めるときかもしれない。
君枝の隣にしゃがんで、どうするべきか考えを巡らせた。
「鯉」
「え?恋? 何よやぶからぼうに」
「鯉が泳いでる」
「なつき?ちょっと、どうしたの?」
今度は自分でもわかった。
自分の意志とは関係なく得体の知れない力によって体が動くのを感じたのだ。
「バシャーン」
制服のまま池に飛び込んだ私は、靴やスカートが濡れるのもかまわず鯉を追いかけて手づかみすると口に放り込んだ。
30センチはありそうな丸々とした鯉を頭から飲み込もうとしたが、なかなか入っていかない。
「きゃー!なつきーーーやめてーーー」
君枝が池に入ってじゃぶじゃぶやって来る音と、止めようとする叫び声が聞こえた。
その時、何者かが池に飛び込んできて私を羽交い締めにしたのである。
私の口からは錦鯉の白い尾びれだけが飛び出してヒクヒク動いている。
君枝は、錦鯉の尾びれを掴んで引っこ抜くと、私を羽交い締めにしている人に問いかけた。
「あなた名前は?何年何組?」
極めて威圧的だ。
「
男子生徒が事務的に答えた。
「ん~、この状態で保健室はアマゾネスの思う壺になるかも。オダブン!タクシーに乗せるから校門前まで連れて行くわよ」
「は、はい」
私は鯉を咥えていても、意識はちゃんと”朱雀坂七津姫”なので会話の意味もわかるし、状況も理解できる。
1年生で後輩ということもあるだろうが、いきなり「オダブン」呼びされた小田文吾とやらは君枝の迫力に完全に圧倒されていた。
とにかく、私は小田文吾から羽交い締めにされたまま、校門前まで連行されたのである。
我が校はタクシーで通学するお嬢様やお坊ちゃまが少なからずいるので、校門前にはいつも何台か待機している。
君枝は先頭に停まっているタクシーに乗って私を引きずり込むと「荒野川公園前のバス停まで」と行き先を告げた。
二人とも白を基調とした夏用のセーラー服は池の水でびしょびしょになったが、厳しい残暑とほどよい風のおかげでかなり乾いていたようだ。
運転手も「しょうがねえな」という顔をしながら、乗車拒否しては今後の営業に差し障るかもしれないのでしぶしぶ乗せてくれたという感じだった。
「オダブン。ありがとね。事情は今度会った時に話すから。あ、それと2のCの担任にスザクザカとリュウゲジは早退するって言っといて。よろしくね」
立花寺君枝。端から見ているとつくづく「やる奴」だと痛感せざるを得ない。将来はひょっとしてアマゾネスのような女になるのではないだろうか。
そんなのんきなことを考えている場合ではない。これから私はどうずればよいのだろうか?
「とりあえず、なつきんちに連れて行くから。それから今後のことを考えよう」
君枝はこの僅かな時間で、私が学食の時とは違い、自我をしっかり持っていることを見抜いている。やっぱり頼りになるのは友だちだ。
□小6女子と高2女子のぶつかり合い
運転手さんに自宅が知られないよう、少し離れた荒野川公園前でタクシーを停めてもらった君枝は、料金を払い丁寧にお礼を言っていた。人柄も優等生なのだ。
我が家に着くと妹が小学校から帰っていた。
「お姉ちゃんどうしたの? 早いじゃん。あれ、立花寺さんも一緒なんだ」
「パンちゃん、お久しぶりね。なつきがちょっと具合が悪そうだったから送ってきたの」
「お世話かけてすいません。お母さんはまだ帰ってきてないので、二階までお願いできますか」
妹よ。いつもとずいぶん言葉遣いが違うじゃないの。まあ、姉としてはその方が手がかからなくて助かるけどね。
そんなことを考えて余裕をかましていたら、妹がふと何かに気づいたようだ。
「あれ? お姉ちゃん、口の周りがキラキラ光ってるよ。何それ、ラメでもつけているの?」
「え? ラメ? そんなもんつけてるはずないやん」
私が口の周りを手で拭ったところ、たくさんのうろこがべったり貼り付いていた。
そうだ、さっきまで錦鯉を咥えていたのよ。その感触が蘇ってきた途端。
「おえっ、おえっーー」
嘔吐しそうになったが、胃の中には何も残っていなかったようで、苦い味がこみ上げてきた。あわててトイレにかけこむと黄色い胃液のようなものだけが出てきた。
「ヤバッ!お姉ちゃんそんなに具合が悪いの?大丈夫?」
「うん、心配するほどじゃないから。ちょっと二階で寝ていたら直ると思う」
妹よ。そんなに優しい言葉をかけてくれるなんて、姉なのにあなたの性格を誤解していたのかもしれないね。
「そ、じゃあよかった。私、ちょっと公園まで遊びに行ってくるから。お母さんが帰ってきたら言っといてね~」
妹よ、前言撤回だ。やはりお前は超ドライで姉へのリスペクトなどかけらもないことがよーくわかった。と心の中で訴えた。
「ちょっと待って、パンちゃん!いえシャーベットさん」
君枝に呼び止められて、妹は玄関から外に飛び出し損なった。
怪訝な表情で見つめる妹に向かって、君枝の容赦ない言葉の攻撃が始まった。
「なつきは平気そうにしてるけど、高校でアクシデントがあって、大変だったの。私がタクシーに乗せて何とか連れて帰ったんだから。妹のあなたがしれっと遊びに行くのはおかしいんじゃない」
小6女子に言い聞かせるのだから、もう少し手加減してもよさそうなものだが、相手の力量に応じて適度に攻撃する。それが立花寺君枝なのだ。
もっとも、妹は小さな頃から家に遊びに来た君枝に可愛がられていた。小学校高学年になると一緒に遊ぶようなことも少なくなったが、実は気心が知れた仲である。
「だって…君枝さんだったらお姉ちゃんの親友だし、任せていても私なんかよりよっぽど安心だなって思ったんだもん…」
妹が目を潤ませながら、今にも泣き出しそうな声で言い訳するので、さすがの君枝も焦ったようだ。
「ごめんね、パンちゃん。ちょっと言い過ぎちゃったかも。なつきを二階に連れて行って寝かせるまで手伝ってもらえるかしら。後は私が見ておくから」
「うん…」
妹は先に二階に上がると、私の部屋に入って寝やすいようにベッドメイキングしているらしい。やがて降りてくると、君枝を手伝って私を二階まで連れて行ってくれた。
「シャーベット、ありがとう。しばらく寝たら直るから大丈夫よ」
今度は私が、滅多に呼ばない「シャーベット」という本名まで使って礼を言った。
ところが、その言葉が終わらないうちに妹から返ってきた。
「じゃあこれで。公園で友だちが待ってるから、行ってきまーす」
超ドライな妹に戻って、階段をトントントンと軽快に降りていったのである。
妹に一本取られた私と君枝は目を合わせると、腹が立つのを通り越して可笑しさがこみ上げてきた。
「アハハハ」
「やっぱ最高ねパンちゃん」
「憎めないんだよね~」
笑い声が部屋中に響いた。
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