第5話 グッバイノノア





 長い校舎の廊下を走る一人の少女がいた。


「──はァ、はァ………ぉえっ……!」



 彼女の名前はリグ・バレット。

 今朝正門前で入学生の案内をしていた、この由緒あるルフレ魔術学園生徒会の会計を務める赤い髪の少女。

 真面目で優等生で、本人は知る由もないがいずれこの学園の生徒会長になる逸材。


 そんな彼女は本来教室で授業を受けるべきこの時間に、普段あまりしない運動に嘔吐えずきながらも何処かへ一目散に走っていた。

 自分が貼った走るな危険のポスターを無視して時には窓すら飛び越えて、机や備品を倒して塞いで、時々背後に魔法を放つ。

 そうまでしても止まらない彼女を突き動かすのは、生徒会や優等生としての自分が嫌になったから、何て訳では当然ない。


 “悪い事”をしている筈の彼女の顔は、兎に角必死で今にも泣いてしまいそうですらあった。

 まるで、そうしなければ死んでしまうとでも言うかのように、そして彼女は走りながら力の限り叫んでいた。


「──誰かッ! 誰かぁぁっ!!」


 しかし当然の様に返事は何処からも帰って来なかった。

 それでもリグは足を止めずに誰かに向かって叫び続ける。

 否、止める訳には行かなかったのだ。

 背後から聞こえるその足音が、早鐘をうつ彼女の心臓の音と重なってリグは吐き気を必死で堪えた。

 足止めも効かず、魔法も効かないとなれば彼女に残された術はもうそれしか無かったから。

 だから、叫んだ。叫んで走って、段々と意味が無いことを理解してもそれでもそれらを止められなかった。


「誰か──助けてくださいぃぃ!!!」


 その言葉と同時に──ドゴンッ! と音を立てて背後の廊下の壁が音を立てて崩れ去る。

 奴だ。奴がもうすぐそこまで来ているとリグは確信して涙した。

 そして恐怖で振り返る事すら出来ずただ身体を縮こませながらそれでも足だけは止めないよう注意を払う。


 背後に迫り来るのは──魔獣。

 それはこの世界に存在する人間の天敵とも言える存在であり、リグが知る所では無いが“悪魔”が生み出す忠実な配下である。

 動物や植物が、とある悪魔の能力によって変化し“魔獣”となり魔法を使い出す。

 魔獣は、今簡単に目の前の少女を屠れるくらいには強力な力をその身に宿していた。

 そして同時に、明確にリグを襲う意思を見せていた。


「ひぃっ!? 来ないでぇ!」

「グルルル……」


 巨大な、まるで恐竜の様な見た目をしたリグの体躯の五倍はある魔獣。

 走る度に尻尾が揺れて、廊下の壁を破壊しながらリグへと確かに近づいて来ていた。

 圧倒的に異なる歩幅の上、壁だろうか窓だろうが気にせず破壊し追ってくる空腹の獣。

 直に追いつかれる。その恐怖にリグはどうしようもなく悟ってしまった。


 助けは来ない。自分に勝ち目もない。

 故にここが自分の最後で、もう大好きな人達にも会えないのだと。


「……やだ…………っ」

 

 魔獣は人を捕食する。

 種族によっては捕食しなくとも、結果人を殺す事には間違いなかった。

 ルフレ魔術学園に定期的に来る魔獣の討伐依頼も、実力を認められたトップクラスの生徒しか参加出来ない様になっている。

 そして、リグは生徒会所属だからこそそんな魔獣の恐ろしさを正確に理解していた。

 討伐に行ったことは無い。

 けれど、送り出した優秀な生徒が次の日には簡単に帰ってこなくなるから。

 死亡届を出せない本人に変わって今まで何度も書いてきたから、リグはその恐ろしさを夜震えるくらいには知っていた。


「 ……しにだく、ないっ!」


 結論を言うとどう足掻いた所でリグに勝ち目は無い。

 そんな事リグは百も承知だったし、だからこそ戦うことを早々に諦め必死で逃げ回り助けを求めた。

 けれど近くに助けてくれそうな人は誰一人としていなくて、刻一刻と追い詰められる。

 その事に、けれどリグは簡単に諦められる程この世界に未練がない訳では無かった。

 やりたい事があって、また会いたい人がいる。


 その事を思い出して、リグは一度大きく息を吸い込んだ。

 その顔達を思い浮かべれば、少しだけ勇気が湧いたから。

 そして、か弱い少女はひとつの決意を固める。

 勝てなくても、逃げれなくても、何もせずに死ぬのだけは嫌だから。

 せめて天国で皆に顔向けできるように、抵抗だけはして見せようと決意して、遂にリグは後ろへ振り返った。


「フレアバー──っ?」


 振り返り、手を掲げながら詠唱を始めるリグ。

 しかし目の前のその光景を見て彼女は直ぐに動きを止めた。

 彼女が見たものは、何故か自分と同時に魔獣も後ろへ振り返るという姿。

 その事に、僅かな希望を抱いてリグは硬直と共にその腕をゆっくりと下ろし見守った。

 理由も何も分からなかったが、もしかすると助かったのかも知れない、と。



「グル」

「───ぇっ…………」



 そして、やっぱり圧倒的に戦闘のセンスが無いことをすぐに思い知らされる。

 振り返った魔獣はただその場で一回転しただけで、先程から校舎を破壊していた巨大な尻尾が目の前に迫った。

 その光景をスローで見るリグは、しかし幸か不幸か余計な思考を挟む程の余裕を持ち合わせてはいなくて。

 ただ無意識にか細い声を上げ、巨大な肉の塊が自分をしたたかに打ち付ける様を他人事の様に眺めていた。


 結局。


「──ぅご……っ」


 自分の骨がミシリと聞きなれない音を立て、そして廊下の壁と尻尾に挟まれ何かが潰れる音がした。

 しかし潰れ切る前に廊下が先に悲鳴をあげて、ゴロゴロと瓦礫と共にリグは外に放り出される。

 硬い地面に放り出されて、血を吐きながら明滅する視界の中でリグは思う。


 死ぬ。


 寒気がして、息をするだけで全身が傷んだ。

 もう声を出す事も出来なくて、まだ唯一まともに機能していた耳が迫るソイツを認識させた。

 いやだ。怖い。死にたくない。

 血と涙が水溜まりを作って、それでもこれ以上リグはどうする事も出来なかった。

 回復魔法は適性が無くて使えない。

 無詠唱魔法なんていう伝説的な代物が使えるのならリグはとっくにやっていた。

 そもそも彼女は戦いには自信がなくて、生徒会に入れたのもただ座学の才能を会長に買われただけだった。


 背後から響く振動が、死へのカウントダウンみたいで趣味が悪かった。

 そして、リグは結局諦めた。

 諦めて、最後に自分が過ごしたこの学園を目に焼き付けようと思って、うつ伏せに倒れていたその顔を上げた。


「…………ぁ……」


 上げて、しまった。


「きゃあああ!!」

「誰かっ! 誰か来て!!」

「痛い痛い痛いッ……!」


 そこは、既に自分の良く知る学園の姿はすっかり無くなってしまっていた。

 空は魔獣で埋め尽くされて、夜かと思う程に空を光を覆い隠している。

 地上にも大勢の魔獣が溢れかえって、耳を澄まさ無くても誰かの悲鳴と泣き叫ぶ声が聞こえて来た。

 校舎は崩れ、そこで雄叫びをあげる魔獣の口元は赤く汚れていた。


 そして、少し遠くにいる魔獣に襲われている男の子がリグの目に入る。

 知らない子ではあったが、彼は必死に助けを求めながら子供のように逃げ回っていた。


 あれは、ついさっきまでの自分だとリグはすぐに理解した。

 勝てない事をすぐに悟って、逃げて、走って、助けを呼んだ。

 そして、そんな私みたいな彼は私の目の前で、



 結局、何も出来ないまま喰われてしまった。








「──はァ、はァ、はァ、はァっ……!」


 怖い。怖い。怖い。怖い。


「やだ! やだやだやだやだ、やだぁぁぁっ!!」


 魔獣の足音が振動となって、床に転がるリグに聞いてもないのに勝手に距離感を教えて来た。

 肺が痛いのも無視してみっともなく叫んで、ずりずりと魔獣から少しでも離れる為に這い進む。

 こんな事をしても意味が無い事はリグにも分かりきっていた。

 けれど、だからと言って受け入れられる訳も無かった。


 痛いのは怖い。

 死ぬのは怖い。

 皆にもう会えないのは怖い。

 

「ネムぅ……っ! ヨールぅ! 副会長ぉ……ぐ、ぉえっ」


 誰も来ない。誰も来れない。

 この目の前の光景を見ればそんなことすぐにわかって、下手すればもう皆だって死んでるかもしれなかった。

 そう考えると余計に涙が溢れ出て、血の混じった嗚咽も最早止める術を持っていなかった。


 こんな終わりなんて、私は何か悪いことでもしたのだろうかと。

 そう世界を呪わずには居られなくて。


「助げて……かい、ちょぅ……」


 そして、その言葉を最後にしてリグの世界から音が消えた。

 遂に耳も機能しなくなって、足を噛まれて持ち上げられる。

 痛覚もいつの間にか無くなっていて、それだけが唯一の救いだった。

 









 さよなら、皆。大好きだったよ。








 最後に、祈りだけはこの世界に残して逝こうと願った。


















 ──雷が、リグの視界を覆い尽くした。


「……ぁ…………」


 その光を、雷を、リグは良く知っていた。

 私に居場所を作ってくれて、何度も助けてくれた人が持つ太陽よりも眩しい雷の魔法。


 すぐ目の前で肉を焼くほどの電流が迸って、しかし肝心のリグには一切のダメージは無くて。

 それは彼女に痛覚が無いからでは無く、ただその男の実力が計り知れないというだけであった。


 そして、


「か──ぐえっ……」


 リグは女の子とは思えない悲鳴を上げながら、魔獣から解き放たれてそのまま床に叩きつけられた。

 最後の最後まで本当に踏んだり蹴ったりだと思う。

 授業を受けていたら魔獣が教室に攻めてきて、怖くても生徒会だからと囮になって皆を逃がして。

 私、これでも勇気をだして結構頑張ったのに。

 そんな頑張った私に、せっかく助けてくれたのなら華麗に受け止めてくれても良いじゃないかと。

 それでも、涙でぐちゃぐちゃで口の中は血の味しかしないリグの心を埋め尽くすのは──安堵だった。


「──はァ、はァ……っ、間に、合った……!」


 目の前には魔獣に手をかざす、見た事の無いような焦った顔を浮かべる生徒会長の姿があった。

 緑髪のどんなときでもキリッとした、生徒会全員の誇りであり私が最も尊敬する人。

 助かったと言うよりも、また会えたことがただ嬉しくて、リグは怪我を無視して立ち上がった。


「がいぢょぉぉぉおおおっっ!!」

「はァ……、すまん、遅くなった」


 リグは恥も外聞も無く彼に抱きついて、痛覚がないのをいい事に心の底から叫び散らした。

 喋る度に口から血が出て、それでもその名を呼ぶ事を止めようとは思えなかった。


 密着したせいで伝わる彼の鼓動からは、ここまで急いで来てくれた事が分かったから。

 その事が嬉しくて、生きてまた会えた事が夢みたいで、血反吐を吐きながらリグは永遠と泣き叫んだ。


「……傷が酷い。すぐに手当を受けろ」

「……ぅぅ……がいぢょ、がぃぢょおお……」

「耳から、血が……聞こえていないのか」


 ネイルはその想像を絶する重症に、自分を殺してやりたい感情で埋め尽くされた。

 こんなのは全然間に合っていないのと同義であり、目算後一秒遅ければリグは確実に死んでいた。

 血が滲む程キツく歯を食いしばって、それでも今はこんな事をしている場合ではないと強く自分を叱咤する。 


 助けなければならないのは自分の後輩だけでは無い。

 目線をあげれば、そこにはまだまだ地獄は広がっているのだから。


「リグ、一人で……歩ける訳が無いな」

「──会長! ここに居らしたんですか!?」

「わ、リグ大胆……ってその傷……!?」


「二人とも良い所に来た!!」


 遅れて駆けつけたのはミュタ副会長と書記のネム。

 会長は直ぐに動き出し、抱えていたリグをその同期である書記のネムへと丁寧に預ける。

 その際僅かばかりの抵抗をされるが、彼女の傷を考えればそんな場合では無く無理やり解いて一歩離れる。


 耳の聞こえない彼女は縋るように手をのばしていたが、代わりに少しだけ会長はリグの頭を撫でてやった。

 そこでようやく安心した様にリグは眠って、会長はそれを見て一瞬死を幻視して心臓を跳ね上がらせる。

 大丈夫。治療をすればまだ助かる。

 そんな趣味の悪い想像をしてしまったのは、ひとえにあのおかしな“夢”のせいだった。


「……ミュタ、これより生徒会は風紀委員会と連携をとる。地下シェルター及び放送室の確保、避難誘導と人名救助を優先しろ」

「はい!」

「ネム、リグを医務室に連れて行け。一命を取り留めたならそのまま保健委員全員を連れてシェルターに移動。医療体制を整えてからシェルターの保護に移ってくれ」

「了解ーっ」


 ネムは返事してからリグを運びやすい様に抱き直し、少しでも早い方が良いだろうと二人を置いて走っていく。

 普段は面倒くさがりなネムだが、有事の際は頼りになると会長はその後ろ姿を見て安堵した。


「ミュタ、お前が指揮をとれ」

「はい! ……はい!? え、会長は!?」

「俺は一人で動く。任せたぞ“副会長”」


 それだけ言って、背中にミュタの困惑を浴びながらも会長は振り返らず走り去る。

 彼女なら大丈夫だろうという信頼の証でもあり、何よりこれ以上話している時間はなかった。

 ミュタは何処かもどかしく感じながらも、確かにその信頼を感じてすぐに動き始める。


 気を抜く余裕など一秒すらなく、今この瞬間にも誰かの命が失われている。

 それをわかっていたからこそ、責任を負う者たちは解決の為にそれぞれの目的の為に散っていった。















───────────────

────────────





 一番最初に来る悪魔、傲慢のベリアルには明確な“倒し方”というものが存在した。


 まず目覚めてから襲撃までの一ヶ月間に、魔道科の先輩に“連鎖燃焼式殲滅爆弾”なるモノを作ってもらう。

 理由は面白そうだからで何故か通った。

 これは空を覆う魔獣を倒す為のもので、しかしあまりに危険過ぎる為当然生徒会に押収される事になる。

 しかしそこまでが仕込みであり、後の布石であった。


 次は襲撃の日に、ベリアルが現れる場所でそこそこ大きな騒ぎを起こし風紀委員長を呼び寄せる。

 そこそこ、と言うのは委員長が出張る程の、という意味だ。

 ベリアルは中央時計塔前広場に最初現れる為、そこで大きな爆撃を起こす。

 被害さえなければ何でもいい。この辺りは後で全てベリアルのせいに出来るからだ。

 そして襲来したベリアルと二人で戦い、現時点で最大火力の風紀委員長を援護して倒す。

 しかし早すぎてはいけない。

 突き詰めれば六秒あればベリアルは倒せたが、それよりは空の魔獣を殲滅した方がまだ被害は少なかった。

 ベリアルを倒すと空に待機させた魔獣の統率が消える為、故に会長達が爆弾を使った後でとどめを刺す様気を付ける。


 その後に手分けして魔獣を蹴散らし、俺は最大限かつ最短ルートで生徒達を救っていくという流れである。


 これが最も被害が少なく、最も俺が今後動きやすくなる戦い方だった。

 一人で戦うには火力が足りず、協力を仰ぐには信用が足りない。

 あまり未来を知る行動をし過ぎると、勇者としての立場もまだ無いせいで内通者を疑われる事すらある。


 重要なのは四つ。ベリアルを倒す集中火力と、空の魔獣を倒す殲滅力。

 後は被害を抑える速さと、俺の記憶の存在がバレないよう派手な動きを控える事だった。

 しかしこれでも被害をゼロには出来る訳では無い。

 もっと色んな人と関わって多くの可能性を生み出せば他の方法はあるのかも知れない。

 けれど、悪魔はベリアルだけでは無いのだ。

 だから俺は、何かミスして計画が破綻した時だけ新しい事を試して、基本的にはこれがベリアル戦の正解だと思う事にした。


「全員避難してくれ!! ここは戦場になる!!」


 訳も分からず騒ぐ生徒に指示を出しながら、そして考える。

 今この状況で、まだ生きている作戦は有るのだろうかと。


 爆弾は当然用意出来ておらず、つまり空の魔獣を倒す殲滅級の魔法が必要になってくる。

 今の俺は上級魔法二発程度で空になるレベルの魔力量しかなく、やろうと思えば切り札はあるがそれは代償に命を削る。

 そして、生徒会長や風紀委員長は今どこにいるのかも分からなかった。

 会長が記憶持ちである事はひとつの追い風と思えなくはないが、肝心の爆弾は無くベリアルも時計塔前には居ない状態では前回の記憶が邪魔をする可能性すらあった。

 そして、仮に風紀委員長がここに来たとしても今の俺にはベリアルの動き方が分からない。

 つまり全てがアドリブとなり、それは初見で相手にするようなものだった。


 正直、このタイミングで襲撃に来たのは敵ながらあっぱれとしか言えなかった。

 神様が敵に回った訳では無い以上、ベリアルだって立場はノノアやライラ、会長と同じ筈なのだ。

 今ここに来たことが偶然なのか意図してなのかは分からないが、少なくともコチラは後手にまわり、選択肢も大きく削られた。


 こうしている間にも、まさに今人が死んでいるのだ。

 そして、彼らはもう生き返る事が出来ない。

 俺はその事実に歯噛みしつつも、今できる事をする為に勇者として気を引き締め直した。


「ノノア! ライラ! 風紀委員長を呼んできてくれ!! 会長には──」

「──空の魔獣対策、でしょ!チッ、覚えてなさいよアンタ!」


 俺が最後まで言い切る前に、先を理解して動き出すライラ。

 言葉尻だけ聞けば小物の様なセリフではあったが、彼女の対応の速さには感動と懐かしさを覚えていた。

 やはり彼女は頼りになる。少なくとも彼女の記憶はいい様に作用した様に思えた。

 ライラもノノアもこの一次進行は超えている筈で、だからこそ二人の存在がここに来てプラスに作用した。

 けれど、そんなライラを見ても動き出さない子が若干一名。


「ま、待ってユーロッ!! 一緒に逃げよう!?」

「いい加減にしろ! 今はそんな場合じゃないだろ!!」


 そんな気は正直していた。

 ベリアルは直接の恐怖の対象でなくとも、ノノアは俺と離れる事すら今までブレずに拒否し続けていたのだ。

 だから俺は説得もそこそこに、彼女の協力を諦めた。

 せめて戦場からは距離を取って欲しかったが、それも無理な相談だろうと俺は既に歩き出していた。

 そしてベリアルが消えていった窓の外へと足を向ける。

 彼女が逃げないのなら、俺が戦場を変えるだけ。

 だから俺は縋るように近付くノノアを振り切って、


『吹き飛べ』

「ッ──!?」


 横から叩き付けられたような感触と共に玩具みたいに吹き飛ばされた。

 テーブルや椅子を巻き込みながらガンガンと床を跳ね、回る視界が止まったのは壁に激突してようやくの事。

 吐き気と痛みを堪えながら、しかしすぐに次が来ると覚束無い足で立ち上がり魔法を並べる。

 今のでノノアや周りの生徒も吹き飛んだろうが、今は心配している暇もなかった。

 額から血が流れ目に入ったが、今は拭う間すら惜しいと片目で戦場を俯瞰する。


 そして未だに来ない追撃を不審に思いながら、俺はやがてそれを見つけた。


「あ?」


 何故か吹き飛んでおらず、まだ同じ場所にいたノノアを見て無意識に声を上げた。

 そして、何故か彼女の後ろには笑みを浮かべるベリアルの姿があった。


 それを見て、俺は全てを理解した。

 ノノアは、まだそれを理解出来ていなかった。

 何故強襲というアドバンテージを捨ててまで奴は俺を吹き飛ばしたのか。

 何故吹き飛んだのが俺だけで、ノノアの後ろにベリアルが立っているのか。

 俺で無くノノアの後ろに立つのは、もう俺にはとしか思えくて。


「──逃げろノノア!!」

「え……!?」


 やめろ、それはやめてくれ。

 そんな顔を浮かべ最速で魔法を放つ俺に、しかしそんなものが当然間に合うはずもなく。


『死ね』


 ベリアルは、予想通り“ノノア”に対してその言葉を放った。

 俺の叫びも伸ばした手も、放った魔法も全てがそれに間に合わ無くて。

 俺の元へ来ようとしていたノノアは、虚ろな目でその場にしゃがみ込んだ。

 そして、近くに落ちていた箸をその手に掴んで。


「待っ──」


 この最後の世界で、やり直しの効かない世界で。

 自らの喉に深く、深くそれを突き刺した。

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