第34話
――【ミツキ診療所】。
リントが森へと向かってから結構な時間が経ったが、悲しいことに利用者が誰一人として来ない。
急患が来ないというのは医を志す者にとっては喜ばしいことなのだが、これでは生活資金が調達することができない。
「う~むむむ……」
「そんなに唸ってどうしたのよ、ニュウ?」
待合室の床を一緒にモップ掛けをしてくれているランテが声をかけてきた。
「いえ……暇であります」
「そ、そうね。まあ、一番近い街の【リンドブルム】でも、結構遠いから仕方ないわよ。これでも宣伝したんだけどね」
「それはありがたかったであります。そのお蔭で、ここ最近は、少しばかり利用者が増えていたのでありますが……」
重い症状を患っているモンスターたちは来ていないので、一回での利用で終わるのだ。だから忙しさは継続しない。
「あ、でもでもぉ、クラスメイトの子たちも、ウィングキャットを診てもらって良かったって言ってたよぉ」
テーブルを付近で拭いてくれているリリノールがそう言って続ける。
「ただおっきな病気とかになると、やっぱり国のモンスター医さんに任せちゃうからなぁ」
彼女の言うことも自然の流れだろう。傍にモンスターを診てくれる人がいるのに、わざわざこんな場所まで来ないのが普通である。
「でもあれよね。クローバーキャトルの件を知ってるアタシたちからすれば、国のモンスター医に診せるのって怖いわよね」
「そうだよねぇ。けど大きな病気でも診ることができて、別に問題が起きてないんだから、腕はあるんじゃないのかなぁ」
「だったら何でクローバーキャトルの症状を見抜けなかったのよ?」
「ん~…………分かんなぁい」
「確かにそれは気になるでありますな。大きな病気を治せるくらいの腕を持ちながら、何故小さな症状を誤診したのか……」
ニュウが首を捻ると、他の二人も「「う~ん」」と同じように唸る。
――その時。
「! この音は!?」
ニュウは獣耳をピクリと動かして、窓の外へと視線を向けた。
「どうしたのぉ、ニュウちゃん?」
リリノールに対し返事をせずに、診察室へと駆け込んでいく。
「ちょっ、いきなりどうしたのよ、ニュウ!」
ランテも突然のニュウの変わり様に驚いたようで、少し声を張って尋ねた。
すると診察室の奥から、
「先生が返ってきたのであります! 申し訳ありませんが、出迎えてあげてください!」
ニュウの言葉にハッとなった二人は、一緒に外へと出た。
診療所の外へ出ると、突風が二人を襲う。
思わず吹き飛ばされないように診療所の壁に身を預けながら、その風を生み出している原因に注視する。
するとすぐ上空に、大きく翼をはためかせたセイントホーク――センカが浮かんでいた。
さらにその背にはリントらしき人影が乗っている。
センカがゆっくりと地上に降りてきて、人影が間違いなくリントだということを知った。
「しょ、所長!?」
しかしランテの声に応えることはなく、
「――ニュウッ!」
とリントが慌てたような形相で叫ぶ。
ほぼ同時に「はいでありますっ!」と、診療所からストレッチャーと呼ばれる、動けない怪我人や病人を運ぶ器具を持って現れたニュウ。
リントがセンカの背から担いで下ろした一つの存在。前にランテも見たことがあるエレファントライナーを小さくしたような生物だった。
「……! そっか、ニュウはセンカの羽音に気づいたのね!」
さすがは聴覚の鋭い獣人といったどころだろうか。
ランテたちにはまったく聞き取れなかったというのに。
「……! 酷い……っ」
その呟きはリリノールのもの。彼女の視線はエレファントライナーを捉えていた。
ランテも息を飲んでしまっている。
エレファントライナーの身体は血で真っ赤に染まってしまっていた。
恐らく応急処置なのだろうが、体中にはリントの〝仙気鍼〟が突き刺さっている。
「処置室へ! 外部損傷、内臓破裂に出血多量! 急げっ!」
「はいでありますっ!」
リントが一人で真っ先に診療所の中へと消えていく。恐らく処置の準備に向かったのだろう。
「ランテさんたち、運ぶのを手伝ってください!」
「わ、分かったわ!」
「う、うん!」
先程感じていたのほほんとした空気とは一変して、殺伐とした緊張感が漂う。
三人で一緒にストレッチャーを診察室へと運んでいく。
さらにそのまま奥へと突き進むと、両開きの扉があった。
「この奥に運んでくださいであります!」
扉の奥は、小さな個室になっており、様々な器具が置かれてあった。
ランテたちも初めて見る部屋だ。
ツーンと消毒液のニオイが漂い、空気感もどことなく澄んでいるような気がした。
部屋の中央には診察台があり、ストレッチャーと平行にする。そのまま患者を移動させ台に乗せるのだが、正直に言って大き過ぎて運べないと思った――が、
「よいっしょぉでありますぅぅっ!」
ストレッチャーに敷いているシートを力任せに引っ張って、驚くことにニュウが一人でエレファントライナーをシートごと診察台まで移した。
「す、凄い……!」
「ニュ、ニュウちゃん力持ちだねぇ……!」
「そんなことよりも、これから手術しますので、お二人は外へ!」
ニュウに押される形で扉の外へと出たところで、
「……あ」
そこに現れたのは、綺麗な水色の手術着に着替えたリントだった。
その顔は普段見せるような顔ではなく、まるでこれから戦場へ赴く戦士のように見える。
ランテは、彼のその真剣な表情に思わず見惚れてしまう。
「ニュウ、準備を」
「はいであります!」
ニュウがその場から去る。同じように手術着に着替えに行ったのかもしれない。
「二人も、手伝ってくれてありがとうな。あとはもういいから」
「あ、あの所長、アタシたちにも何か……できない?」
別に存在を否定されたわけではない。わけではないが、ここからはお前たちには関係のない世界で、足を踏み入れるなと言われているような気がして、胸の奥がキリッと何故か痛んだ。
そんなランテの思いを悟ったように、リントはフッと頬を緩めて言う。
「ならあの子が助かるように祈ってやっててくれ。今は……それだけでいい」
「あ……」
リントはそれだけを言うと、処置室へ入って行った。
すぐにニュウもやって来て、「他に患者が来れば、報せてほしいであります」と言ってから中へ入っていく。
その場に取り残されたランテとリリノールは、ただ時間が経つのを黙って見守るしかない。
そこへ二階で休んでいたマリネ教諭もやって来て、リリノールから事情を説明された。
「そっか~。なら三人でお祈りしましょう~」
「先生……」
「そんな顔しちゃダメですよ~、ランテさん。リントくん……ううん、リント先生を信じられませんか~?」
「そんなこと……ないですけど」
信じている。辛いと思うのは、何もできない自分の無力さを感じているから。
いや、分かっている。ただのいち学生なのだから、何もできないのは当然だ。医術の何もかも知らないのだから。
しかしこの胸のモヤモヤは何だろうか。
きっと自分よりも幼いニュウの存在も理由としては……ある。
あんな小さいのに、自分の仕事に誇りを持って前を見据えている姿が、とてもカッコ良いと思えたのだ。
それ故に、歯痒い感じがして。
すると自身の右手に温もりを覚えた。
「……リリノ」
隣で彼女が笑っている。どことなく苦笑の様子だ。
「二人とも、さすがって感じだよねぇ」
「……そうね。負けてられないわね、アタシたちも」
まだ学生。彼らに負けないような夢を描き、叶える力が必要になってくる。
学生でいられる間に、それを見につけようと真に思った。
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