第19話

 リディがラヴァルディ公爵家を出ての逃避行は三日で終了し、リディはパパとラヴァルディ公爵家に戻ってきた。


 三日ぶりに夕食をたくさん食べて、お風呂に入って、パパとベッドに入る。パパにお休みのキスをもらい、速攻うとうとしだしたリディは、パパの腕枕でぐっすりと安心して眠るのだった。


 次の日の朝、パパの首元に顔をうずめるように寝ていたリディは、うっすらと目が覚めると、少し横移動し、さらに少し下がると、パパの心臓の音に耳を澄ます。うん、パパは生きている。安心する音だ。


 今回、回帰したときに最初に目が覚めたのは、リディが五歳の誕生日だった。実の父は前日に病気でベッドの上で眠るように死んでいた。リディは、実父の動かない心臓の上にしばらく耳を付けて、待っていれば動き出すのではないかと期待したが、二日経過しても動かず、ずっと泣いていたのを思い出す。


 でも、パパは生きている。心臓も動いているし、温かいし、大丈夫。生きているのは間違いない。

 いつもの寝起きのようにパパの上でぐだぐだしていると、目が覚めていたパパがリディごと体を起こす。パパを見ると、パパは大きく欠伸をしていた。


「おはよ、パパ」

「おはよう」


 パパはリディの額にキスを落とし、リディを抱えたままベッドを出た。そして、ソファーに移動し、机のベルを鳴らす。いつものように寝起きでソファーにぐだっと行儀悪く座るパパの上に、リディも座る。パパを向いて、またパパの心臓の音を聞いていると、使用人とブリスが部屋にやってきた。


「兄上、リディ、おはようございます」

「ブリス、おはよ」

「おはよう」

「さっそくですが、兄上、少しよろしいですか? ルシアンがバイエン子爵親子を始末していいか聞いてほしいと言っていまして」

「いいよ」

「承知しました。ではそのように」

「……始末ってなぁに?」


 パパの心臓から耳を離して、リディはブリスに言った。すると、パパがリディの耳を触りながら、考える顔をしつつ口を開く。


「そうだな。リディにも見せておくか。害虫の末路を」

「……?」


 何それ? 疑問の顔をしていると、リディは着替えて来い、と使用人に引き渡された。パパの部屋の続き部屋で着替えて戻って来ると、パパも着替えていた。


「パパ、見て。今日は悪魔みたいな角と尻尾が付いているの」


 使用人に可愛いから、と勧められ、リディはしぶしぶそれを着た。全体的に黒色のワンピースでスカートのお尻には尻尾が付いていて、その尻尾の先が三角になっている。そして頭には三角の角が二つ付いたカチューシャをしていた。


「可愛いよ」

「本当? でも、赤ちゃんっぽいでしょ? だから嫌って言ったのに」

「十二歳に見える」

「……そう? でもこの前、ジャンが尻尾と耳は子供だって……」

「あの害虫は嘘つきだから、信じなくていい。可愛いから、そのままでいろ」


 十二歳に見えて、パパに可愛く見えるなら、いいか、とリディは笑う。釣られたように笑みを浮かべたパパが、リディを抱き上げた。


 パパに抱えられたまま、食堂へ移動する。今日はパパとリディとブリスだけだった。ルシアンがいない。


 今日の朝食のメインは、バターとメープルシロップたっぷりのパンケーキだった。生クリームと切った果物も乗せて食べる。甘くて美味しくて幸せ。数種類の果物も美味しい。


 食事が終わると、パパの執務室に行くのかと思いきや、リディはパパに抱えられたまま、屋敷の裏にある黒騎士団の拠点に移動した。


「……パパ、また魔獣討伐?」

「違う。害虫の末路を見せてやるんだよ」


 ブリスと、他にも騎士団の騎士を数名伴い、パパの足元から黒い影が出たと思うと、リディは次の瞬間には地下世界にいた。相変わらず、ここは赤黒い光と岩の気味の悪い世界だ。


「兄上、ルシアンがいるのは、池のほうです」

「分かった」


 パパは頷くと、再びパパから黒い影が出て、移動したと思えば、次の瞬間には広い空間にいた。池というより、海といっていいくらい、広い水たまりの上。水たまりは赤い色をしていている。そして、リディたちは、なぜか空間に浮いていた。


「パ、パパ! 落ちる!」

「落ちない。俺の足元を見て見ろ。空中ではなく、ちゃんと影の上に立っているだろ」


 リディはパパの足元を見た。確かに、範囲は狭いが、空中に浮かぶ黒い靄の上に立っている。ブリスや他の騎士も同じだった。どんな仕組みなのか分からないが、こうしていれば落ちない、ということらしい。でも、リディは怖いので、パパの頬に頬を付けて、ぎゅうぎゅうにパパにくっつく。


 その時、泣き声がどこからか聞こえた。子供の泣き声。どこから聞こえているのだろう、とリディがきょろきょろとしていると、リディから少し離れた所の下にバイエン子爵親子がいた。二人の距離は三メートルくらいは離れているので、互いを触ることはできないだろう。二人とも空中に逆さに足首を縄で吊られていた。縄の上側の根元には、やはり空間に浮く黒い影。そして、ルシアンがペットの魔獣に跨ったまま、バイエン子爵親子の前に浮いている。


「お兄様のペット、空中に浮いているよ」

「地下世界では浮けるんだ」

「そうなんだ。すごいね~」


 パパにくっついているから、あの魔獣を見てもリディは平気でいられる。パパにくっついていないなら、怖くて泣いちゃいそうだけど。


「バイエン子爵たちは、どうして逆さになっているの?」

「リディに嘘をついた罰だ。それと、身の程も弁えずにラヴァルディ公爵家の後継者になろうなどとバカげたことを考えた罰。俺の娘を泣かせた罰。俺の娘を家出に追い込んだ罰。昨日の夜までは牢に入れていたのだが、夜中にこちらに移した。ルシアンに監視させてる」


 逆さになるのが罰なのか。変わった罰だな、と思っていると、池から水が盛り上がっているのに気づいた。


「あれ? 何かいるよ、パパ……みぃあ!」


 リディはパパに抱きつく力を強めた。池から鋭利な牙で恐ろしい顔の巨大な魔魚が飛び上がってきたのである。それがバイエン子爵親子を飲み込もうと口を大きく開けていた。魔魚とバイエン子爵親子の対比が、人間とハエくらいある気がする。その魔魚は、池から飛び上がったものの、バイエン子爵親子にギリギリ届かず、悔しそうに魔魚は池に落ちていく。


 怖い。怖すぎる。バイエン子爵親子は、あの魔魚のエサ?

 バイエン子爵親子から水が滴っている。二人とも魔魚が怖くて泣いているらしい。そりゃそうだ。リディだったとしても泣く。


「バイエン子爵もジャンも泣いてるよ。下ろしてあげなくていいの?」

「ん? ああ、あの害虫どもを吊るしている足の縄を切れということか?」

「違うよ!? それじゃあ、二人とも魔魚に食べられて死んじゃうよ!?」


 リディとパパの会話がバイエン子爵親子に聞こえたらしい。「殺さないでください、許してください」とバイエン子爵が泣きながら言っている。よく見ると、親子は二人とも股まで濡らしていた。


「二人とも、ちびっちゃってるよ」

「どうせ、落ちたら全身濡れる」

「……」


 池に落ちる前に、魔魚に食べられちゃうのでは?


「ラヴァルディの家臣が、主に楯突くとこうなる。どうやら、俺は甘く見られていたようだから、これからは厳しく罰を下していく」


 甘かったのはバイエン子爵親子だけで、パパの家臣はみんなパパを恐れていると思うのだけれど。


「兄上、もういい?」


 ルシアンがパパに言った。手には剣を持っている。バイエン子爵親子の足元の縄を切りたいらしい。


「パ、パパ! 殺しちゃうのは、可哀想なんじゃないかな! もう二度と会いたくはないけれど、でもどこか遠くで見えないところに住んでくれるなら、生きていてもいいんじゃないかな!」

「……俺の娘は優しすぎないか?」

「そ、そうなのかな……」


 リディのせいで死んじゃうのは、やだな、と思っているだけです。回帰のたびに、誰かのせいで死ぬリディは、リディを利用しようとして騙したバイエン子爵親子を許せないとは思うので、リディは決して優しいわけではない。死以外の罰は受けて欲しいとも思うし。


「仕方ない。リディに免じて、害虫どもは釈放。ただし、バイエン子爵の身分は剥奪し、爵位はラヴァルディの従属貴族に戻す。身分は平民に落とし、魔力枯渇の刻印を施し、国外に追放する」


 バイエン子爵の身分は、ラヴァルディ前公爵の弟がラヴァルディ公爵が持つ複数の貴族身分から貰い受けたのだが、それを返してもらう、ということのようだ。


 魔力枯渇の刻印は、その名の通り、魔力を枯渇させるための印であり、心臓の上に魔法でそういう刻印を施すと、魔法が使えなくなるのだ。国民の大半が魔法が使えない人間なので、そこは問題はないだろう。まあ、魔獣などに遭遇しても抵抗もできなくなる、という不便はあるだろうが。


 国外に出てもらうなら、リディは今後関わることもない。もう二度と顔は見なくて済むようなので、そこは嬉しい。


 ルシアンだけが「ちょん切りたかった~」と不満を漏らしていたが、そこは我慢してもらおう。そのようにして、バイエン子爵親子の問題は幕を閉じるのだった。


 リディとしては、末永く、パパがリディを愛してくれるなら、それでいいのだから。

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