第18話 ※前半、レナート視点

 ラヴァルディ公爵家の屋敷では、リディがいなくなった日の夕方、屋敷中が大騒ぎになっていた。ジャンとおやつを食べると言って執務室を出たリディが、夕方になっても執務室のところに戻ってこない。レナートの元に戻るよう、使用人にリディを呼びに行かせると、リディがどこにもいない、と戻ってきたのだ。


 すぐに使用人を総動員して捜させ、ブリスやルシアンにも捜させているが、まだ見つからない。


 バイエン子爵を呼び出したレナートは、バイエン子爵の話を聞いていた。


「本日はリディ嬢は私共とは会っていません。昨日はジャンとお茶をしておりますが、それ以降は見ておりません」

「リディはお前の息子とおやつを食べると、言っていたんだぞ」

「私を呼びに来た使用人にそう聞きましたので、先ほどジャンにも確かめましたが、今日はリディ嬢とはお茶をしていないと言っておりました」


 若干、緊張の面持ちで話すバイエン子爵は、嘘をついているようには見えない。しかし。


「……分かった、もう戻っていい。ただ、部屋に帰ったら、リディについて何か知っていないか、もう一度息子に聞くように」

「承知しました」


 一礼をして去っていくバイエン子爵と入れ違いに、ブリスが執務室に戻って来る。


「兄上、ルシアンのペットにも捜させていますが、どうやら敷地の中にリディはいないのは確実のようです」


 レナートは眉を寄せた。ルシアンの魔獣のペットは、リディの匂いを覚えたというから、ペットが屋敷と敷地のすべてを回ってリディがいないというなら確実だろう。


「……ブリス、部屋を出て行ったバイエン子爵をつけろ」

「何か怪しい点がありましたか?」

「話す内容にはないが、若干焦りがあった。何かあるかもしれない」

「承知しました。すぐに追います」


 ブリスが部屋を出ていくと、別の使用人に黒騎士団の副団長アランを呼ぶように伝える。それから、自らもリディを捜しに外へ出ようと用意していると、使用人がマレ伯爵が会いたいと言っていると伝えに来た。


「マレ伯爵が? 昼過ぎに帰っただろう。今は時間がない。後にしろと伝えてくれ」

「それが……お嬢様の話で、急ぎ伝えたいことがあると」

「……リディの? 分かった、連れて来い」


 執務室にやってきたマレ伯爵は、困惑の顔をしていた。


「リディお嬢様がいなくなったと、先ほど聞いたのですが本当ですか?」

「ああ」

「そうであれば、やはりあれはお嬢様だったのやもしれません。今日、ここでの帰りに街に寄ったのですが、御者が変なことを言うのです。私が街で用事を済ませている間に、馬車の中から子供が出て行ったと。スカートをはいていたので女の子だと言っていました。まさかお嬢様ではないだろうと思いつつ、念のためお伝えしに参ったのですが……」

「……リディだろうな」


 レナートを見ていたマレ伯爵が、一歩後ろへ下がった。顔が青い。レナートから不機嫌な気配が出ているのを察したのだろう。


 マレ伯爵の馬車に隠れて乗っていたのなら、リディは自ら屋敷を出て行った、ということになる。なぜ出て行った? 最初はともかく、最近はレナートとの関係も良好だったはずだ。


 リディが最後に執務室を出ていく時を思い出す。初めてレナートに自らキスをした。まさか、あれは最後の挨拶のつもりだったのか?


 黒騎士団の副団長のアランが執務室にやってきた。リディ捜索のため、指示を伝えていると、ブリスとルシアンも執務室に入ってきた。ルシアンはバイエン子爵親子の髪の毛を、右手と左手で引っ張り、廊下を引きずって来たらしい。


 バイエン子爵は「誤解だ!」と叫び、息子は髪を引っ張られることの痛みになのか泣いている。

 ブリスが口を開く。


「バイエン子爵が息子を叱っていました。息子をラヴァルディ公爵にするには、リディが必要なのに、リディに結婚後に捨てると言ったなんて、馬鹿かと。結婚するまでは可愛がれと言ったのにと。どうやら、バイエン子爵親子は、ラヴァルディの次期公爵になるつもりでいたようです。リディを散々馬鹿にして、悲しませたようですね」


 レナートの怒りが、部屋中を充満する。


「誤解です、閣下! ただジャンと冗談を言っていただけです! 本当にそのようなことをリディ嬢に言ったわけでは、決してなく!」

「兄上、こいつ、殺していい?」


 ルシアンがバイエン子爵の腹に蹴りを入れ、レナートにそう告げた。


「……殺すのは後だ。まずはリディを捜しに行く。そいつらは、牢に入れておけ」


 レナートは青い顔で叫ぶバイエン子爵親子を無視して、屋敷を出た。


◆ ◆ ◆


 ラヴァルディ公爵家を出て三日目。

 リディの帝都行きは、順調、とは言えなかった。


 どうして私って、いつもこうなの。山賊に囲まれたリディは、半泣きで彼らを見ていた。


 二日目までは順調だった。一日目と同じで、街に着くと、次の街へ行く乗合馬車を探し、見つけた馬車にて次の街へ行く。夜になると孤児院を探し、寝床を借りる。そうやっていけば、四十日もすれば帝都へ到着するはずだった。それなのに。


 三日目の夕方、山の下が次の街で馬車が山を下りている途中、山賊がリディの乗った乗合馬車を襲った。乗合馬車には二十人近くの客が乗っていた。客と御者は全員馬車の外に出され、一人一人金品を持っているか、山賊に確認されているところだった。金品は全て山賊に奪われるのである。


 リディが確認される番になった。おじさんの山賊がリディの服を触り、ポケットに入れていた、服と靴を売ったお金が出てくる。リディはそれを無抵抗で青い顔で見ていた。


「なんだぁ? こいつ、ガキのくせに、こんなに金を持ってやがる」

「……」

「お前、親はどこだ? 他の客の中にいるか?」


 リディは首を振った。


「じゃあ、この金はどうしたんだ?」

「……」

「言いたくないのか? それとも言えないのか? ナイフでその閉じた口をこじ開ければ、話すか?」

「……っ、売ったの!」

「売った? 何を?」

「服と靴」

「服と靴を売っただけで、この金になるか? ……もしかして、お前、金持ちの娘か?」


 リディはぶんぶんと顔を振る。

 おじさん山賊の横に、少し若い山賊が近寄ってきた。


「お頭、どうしますか? 他の奴らからは、金品は全て奪いました」

「この娘は連れて来い。親が誰かを聞きだせ。娘を人質にして、親から金を取れるだけ、むしり取ってやろう」


 ニヤッと山賊たちは笑い、若い方の山賊がリディの手を引っ張った。


「来い」

「やだぁ! 親なんていない! いないから!」

「うるせぇ。泣き喚いたら殺すぞ。さっさと、親の名を……ひぃっ」


 抵抗するリディを引っ張っていた山賊が、悲鳴を上げた。なんだろう、とその山賊の視線の先を見たリディは、ビクっとした。


「ひぁっ! 魔獣!」


 もうほとんど泣きべそかいていたリディは、さらに涙が出るのを感じていた。それと同時に、どこかで見た魔獣な気がするとも思った。確か、ルシアンのペット? それとも、他人(他魔獣)のそら似?


 その時、他にも魔獣が現れた。またルシアンのペットに似ている。二匹の魔獣が犬のように遠吠えを上げた。リディだけでなく、山賊や、乗合馬車の客たちが恐怖の顔をしていた。


 その時、夕焼け色に染まっていた地面に、ところどころ黒のシミのようなものが広がり、その黒のシミから人がにゅっと生え、声なき悲鳴が複数発生した。その人物とは。


「っパパ!」


 リディの声に反応したパパは、リディを見てほっとしたような顔をした。その途端、リディからだーっと涙が滝のように流れ、パパに抱きつきたい衝動にかられる。


「その汚い手を離せ。俺の娘に触るな」


 そう言うと、パパの足元からにゅっと黒い影が山賊に伸び、ぎょっとした山賊が、それを避けようとリディの手を離した。すると、影が地面を広がり、その山賊は、地面の黒い影に引っ張られるように、地面に沈んで消えた。


 驚いていると、いつの間にかパパが目の前に立っていた。それを見て、リディはビクっとする。先ほどまで抱きつきたかったはずなのに、今更思い出す。リディがラヴァルディを去った理由を。きっと、勝手なことをしたリディは、何か罰を受けるに違いない。

 ぷるぷる震えながら、リディは口を開いた。


「パパ、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさ――」


 パパはリディを抱き上げると、抱きしめた。


「リディがなぜ謝る? 俺が悪かったから、戻ってこい」

「……パパこそ、どうして謝るの?」

「リディの傍を、あんな害虫にウロウロさせるのを許してしまったからだ」

「……害虫?」


 パパは抱きしめていたリディの体を離すと、片手で抱き上げたままのリディの顔を見た。そして、リディの涙を指で拭う。


「バイエン子爵とその息子だ。あの害虫どもが言ったことなど、信じなくていい。あれは嘘で、ただの奴らの願望にすぎない。なぜ俺があの息子を後継者になどしなくてはならない」

「嘘? ……じゃあ、ジャンと私の結婚は?」

「あんなゴミに、リディをやるか。金を積まれても、拝み倒されても、絶対に結婚などさせない」


 結婚しなくていい? あれは嘘だった? では、リディは何のためにパパの娘になった?


「じゃあ、私は何をすればいい? パパは何を望んでいるの? どうすれば……ずっと、パパの娘でいられる? パパに捨てられないようにするには、どうすればいい? もういらないって言われるのは嫌なの。本当は愛していないって、もう言われたくな――」

「リディを捨てるなんてするわけがない。いらないなんて言わない。リディのことは、本当の娘以上に愛している。なぜ、こんな可愛い娘を捨てるんだ? 俺はリディが可愛いからずっと傍に置くし、リディが望まないことはしない。リディはただ、俺の娘として傍にいればいい」


 パパはリディの瞼にキスを落とす。


「愛しているよ、リディ。リディは俺の娘だ。どこにも行かないでくれ」

「……本当? ずっとパパの傍にいていいの? 嫌いにならない?」

「嫌いになんてなるわけない。ずっとリディが好きだよ」

「……っ、私も、パパが好き!」


 パパに抱きつく。涙が止まらない。

 今回だけ、今回だけは、もう一度信じてみよう。パパなら、ずっとリディを愛してくれる。そう信じたい。


 リディが泣く後ろでは、後からやってきた黒騎士団により山賊が掃討されていたが、リディとパパだけは二人の世界なのだった。

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