第17話
ジャンにショックな話を聞かされてしまったリディだったが、できるだけパパにはいつもどおり接したつもりだ。ただ、何度もショックな話に思考がぐるぐるとめぐる。夜中、なんども目が覚めてしまったため、リディは朝、寝た気がしないでいた。
でも、お陰で考える時間はあった。リディはある計画を立てた。
朝食を食べ、執務室でパパとソファーに並ぶ。次々とやってくるパパの部下も、いつものようにパパが捌いていく。今日もいつもの時間が流れる。
そして、昼食も過ぎ、リディは算数の勉強をしていた。
「どうした? ペンが止まっているぞ」
はっとする。いつのまにか部下の人がいなくなり、パパがリディの頬を触っていた。
「きょ、今日のおやつのこと考えてた!」
「食べ物ばっかりだな、リディは」
ふっと笑うパパに笑みを返す。先ほど昼食を食べたばかりなのに、おやつの話をしてしまったが、何か怪しまれなかっただろうか。
その時、マレ伯爵がやってきた。また仕事の報告だろう。三日に一回は、彼を見る。
リディは何事もなかったかのように立ち上がった。
「今日のおやつ、ジャンと食べてくるね!」
「もうおやつを食べる気か?」
「さ、先に少しだけ遊んでから、おやつを食べるんだ」
「そうか。まあいい、食べる量はほどほどにしておくんだぞ」
「はぁい」
リディは部屋を出ようとパタパタと走ったが、ぴたっと止まる。そしてパパの元に走った。
「……? どうした?」
リディがすぐに戻ってきたために首を傾げるパパ。リディはそんなパパの頬にキスをした。パパは驚きに目を大きく広げ、そんなパパにリディは笑顔を向ける。
「えへへ」
「……リディ」
リディは笑って誤魔化し、再び執務室の扉へ向かう。
「閣下? どうされました?」
「……いや、リディから俺にキスするのは初めてだと思って……」
リディが閉める扉の向こうで、そんなやり取りが最後に聞こえる。
ばいばい、パパ。元気でね――
リディは、閉まった扉でもう見えないパパに向かって、泣きそうな顔で心の中で言った。
リディは廊下を走り、外に出た。外に出ると、こそこそと柱の影や壁に隠れつつ、目的の馬車駐車場へ行く。そこには、ラヴァルディ公爵家の紋章のある馬車が複数台と、他家の紋章のある馬車が数台置いてある。
他家の紋章の馬車は、パパに報告などの用事のあった部下や、お客さんの馬車である。彼らが帰るまで、ここに置いておくのだ。リディは目当ての馬車を見つけた。一人、近くの馬車で御者が何かしていたけれど、待っているとどこかへ行ってしまった。きっと、使用人が休憩する部屋があるので、そちらに行ったのだろう。
人がいないのを確認したリディは、目当ての馬車、マレ伯爵の馬車にこっそりと近づき、馬車の扉を開ける。なにやら、馬がリディを気にしているそぶりをしたが、リディは「しーっ」と言った。
「内緒にしてね」
リディは馬にそう言うと、マレ伯爵の馬車の中に入った。そして収納庫になっているという椅子部分の上の蓋を開ける。そして、リディはコソっとそこに入った。
先日、使用人に屋敷を案内してもらってよかった。マレ伯爵にもたまたま隠れられそうな場所があると聞けていたので、昨日一生懸命ラヴァルディの敷地から抜け出す作戦を考えたのだ。
リディは椅子の下の収納庫で辛抱強く待つ。そうしているうちに、うとっと寝てしまっていたが、馬車が動き出すのに気づいて目が覚めた。馬車が動いてしばらくすると、どこかで馬車が停まる。馬車の扉を開ける音がしたかと思うと、マレ伯爵の声が聞こえた。おそらくだが、玄関口でマレ伯爵を乗せたのだろう。そして再び馬車は動き出す。
何度か動いたり止まったりする馬車は、まあまあの時間が経ったので、間違いなくラヴァルディの敷地からは抜けたに違いない。
それからひたすら走った馬車は、どこかで止まった。
「三十分くらいで戻るから、このあたりで待っていて欲しい」
「承知しました」
マレ伯爵と馬車の御者と思われる声が聞こえ、馬車が少しだけ再び動いたけれど、すぐに止まった。
リディはそっと椅子の下の収納庫の蓋を開ける。収納庫から出て、馬車の中から外を見た。そこは、どこかの街のようだった。きっとラヴァルディ領の街に違いない。リディはそっと馬車を出た。
「あれ、君……あ、ちょっと!?」
御者の声がしたが、リディは無視して走った。ここからは時間が勝負だ。この街は初めてだけれど、回帰の中で帝都の街や他の街はうろうろとしていた。だから、街にどういった店があるかは、なんとなく分かる。
リディは看板を見て、ある店に入った。そして店から出てきた時には、着ていた服と靴が豪華なものからヨレヨレとしたくすんだ色の服と靴に変わっていた。全部売ったのだ。さすが高級な服と靴だったからか、思ったよりも高い値段では売れた。とはいっても、大金ではない。
リディはここから帝都へ行くのを目指していた。本当は列車のほうが安全で帝都まで早いから列車を使いたいが、列車で帝都まで行くお金は、服を売ったお金ではさすがにまったく足りない。だから、安い馬車を乗り継いで行くしかないだろう。
すぐにリディは隣町へ行く馬車を探す。ちょうど、その日の最終の馬車が出ようとしていたので、ほとんど飛び乗る形で馬車に乗った。乗合馬車なので、値段も高くない。貴族の乗るようなふかふかの椅子でもないため、お尻は痛くなるだろうが、仕方あるまい。
リディはゆらゆらと馬車に揺れながら、夜、隣町に到着した。そして、街中で孤児院の場所を教えてもらい、孤児院を訪ねる。一晩だけでいいから、寝床を貸してくださいというと、孤児院で寝床を与えてもらった。小さいパンも一つくれた。お腹が空いていたので、ありがたい。
その日の夜、リディは夢を見た。実の父ではなく、パパの夢。ほんの二ヶ月ほど一緒に過ごしただけなのに、リディは朝に目が覚めると泣いていた。パパに会いたい、と思いながら、口を結ぶ。もうパパには会えない。
リディは朝早くに孤児院を出て、また隣町へ行く馬車を探し、乗合馬車に乗った。大勢の大人が乗る隙間にちょこんと座り、隣町に着くまで目を瞑る。
リディは何回か前の回帰時、少し貧乏な下級貴族に引き取られたことがある。神殿所属ではなかったものの、神聖力を使って軽い病気を治す仕事をしていた時、娘にならないかと親切な貴族が訪ねてきたのだ。
お金持ちではないけれど、その貴族の両親はとても優しかった。リディよりも二つ年上の娘もいて、その子も優しくて、姉妹のように育った。四年くらいはその家で育ったリディは、十一歳のある日、両親に言われた。金持ちの貴族に嫁いでくれと。
リディは姉の代わりに嫁がされるために、その家に引き取られたのだと、その時知った。十三歳の姉もリディと同じで神聖力が使えた。幼い頃に金持ちの貴族に目を付けられたらしく、十三歳になったら、大金と引き換えに娘を嫁がせるように、と約束させられたという。リディが身代わりで嫁に行ったとしても、姉の顔は覚えてはいないだろうし、神聖力も使えるし、身代わりだとバレないと思ったらしい。
リディはショックだった。リディに与えられた優しさは、嫁がされるため。
結婚相手の貴族は、リディより三十歳は年上のぶよぶよと太った脂ぎった男だった。こんな男と結婚なんてしたくない。リディは嫁がされる日、結婚相手の家に向かう馬車の中で、隠し持っていたナイフで自らを傷つけて、その生を終えた。
リディは両親に引き取られたことに理由があったとしても、引き取ってもらったのだから、多少は両親の役に立とうと思っていた。リディに優しくしてくれたから、愛してくれたから。だから、少しの辛いことでも、我慢はできると。
しかし、嫁がされる日、両親と姉の顔には、いびつな笑みが浮かんでいた。実子の姉を嫁がせる必要もなくなり、大金も入るのだと笑っていた。このためにリディを引き取っただけで、本当は愛してなどいなかったのだと。優しさも全て、偽りだったのだと。
もうあんな思いはしたくない。
パパの傍で愛されていると思いながら過ごして、いずれジャンに売られるのだと、本当は愛してなどいなかったのだと、いつか裏切られた気持ちになるのなら。
だから、パパから離れるのだ。今ならまだ、何日か泣けば、パパのことは忘れるだろう。
今ならまだ、傷も浅い。
帝都までの長い道のりの中で、どうにかパパを忘れようと思うのだった。
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