第12話

 閣下、いや、もうパパと呼ぶことにしたのだが、パパとずっと一緒にいる生活は、三日もすると慣れてきた。


 リディの手首の痛みが治るまでは、ずっとパパに食事を食べされられることになり、十二歳なのに赤ちゃんになった気分で複雑だった。ただブリスが「赤ちゃんでなくとも、子供や、大人でも恋人や友達など仲が良ければ、食事を食べさせることもしますよ」と言っていたので、それを聞いてからは、そういうもの? と思いながら、抵抗なく「あーん」とするようになった。


 夜は夜で、毎日パパに抱きしめられながら眠る。だんだんとパパの息づかいや父とは違う匂いにも慣れて、少し安心するようにもなったかもしれない。寝る前と起きた後は、頬や額にキスをくれる。パパは結構寝起きは気怠げでぼーっとしていることが多く、その間は一番リディに触っている。頬だったり髪の毛だったり首だったり。あとは、パパは寝起きの方がキスが多いかもしれない。


 父も寝起きが一番リディを構い倒していたから、そういうところは兄弟で似ているのかも、と思うのだった。


 パパがブリスにリディの後ろ髪をそろえるように言ってから、リディは髪を切ってもらった。下を揃えるだけだけれど、毎日綺麗に洗ってもらって、何か香油のようなもの? を付けているのか、だんだんとツヤツヤになってきている。髪から良い匂いがして、ちょっと嬉しい。


 パパが仕事の間は、ずっとパパの膝に座らせられているため、ブリスが退屈しのぎにといつも本を持ってきてくれる。パパはずっと仕切りの衝立越しに部下と難しい話をしている。


 リディは本を読みながら、いつの間にかパパに抱かれるように昼寝をしていることがある。はっと目が覚め、起きると、いつもヨダレがパパの胸あたりに付いてしまっていた。怒られるかと、そーっとパパを覗き見ると、パパと目が合うのだ。


「俺の胸におねしょか?」

「これ、よだれー!」

「リディのよだれは、目から出ると言っていなかったか?」

「うぐっ」


 そういえば、初日に泣いてそんなこと言ってしまった、と息が詰まってしまう。パパはくくくっと笑いながら、使用人に替えの上の服を持ってきてもらって、着替えていた。よかった、怒られなかった。


 パパは、殴ったり打ったりしない、と言っていたけれど、本当に今のところそんなことはされていない。蹴ったり噛みついたりつねったりもない。今のところ、怖いことはされていない。雰囲気はいつも怖いけれど。


 そんな平和な日が十日ほど続いた日。

 屋敷内が慌しい日が急にやってきた。いつも通りパパと執務室でパパの膝上で本を読んでいた時のこと。ブリスが部屋に入ってきた。


「兄上、魔獣の大量発生です。場所は、ここから北四十キロ地点」

「分かった」


 え、魔獣? とぞわぞわとしながら話を聞いていたリディは、パパに抱えられる。ブリスがパパの肩に上着をかけ、剣を渡した。そして、パパはリディを抱っこしたまま歩いて移動する。


「黒騎士団は?」

「先ほど伝えましたので、集合していると思われます」


 屋敷の裏手へやってくると、さらに進み、大きな建物の中に入った。さらに進むと、広間に出る。そこには人がたくさんいた。みんな騎士のような服装をしている。


「閣下」


 パパが広間の中央に立つと、騎士の一人がパパに話しかけた。しかし、リディの存在に気づくと、戸惑いの顔をする。


「そのお子様は?」

「俺の娘のリディだ」


 それを聞いて、ざわざわざわと騎士たちがざわつく。ちょっと怖い。みんなに見られている。


「リディの紹介は今度改めてするつもりだ。それより先駆隊はどうした」

「十分ほど前に向かいました」

「そうか。では行くぞ」


 リディに戸惑う騎士たちは、パパの声を聞いて表情を変えた。

 あれ、少し離れたところにルシアンがいる。リディに手を振っていた。リディも手を振り返していると、広間の白っぽい床がパパのところから真っ黒の影のようなものがぶわっと一帯に広がると、リディはパパと共に床に沈む。


「うみゃぁあッ」


 落ちる感覚にぞわっとして、リディは変な声を出した。パパにしがみ付く。ぎゅっと目を瞑ったリディは、何も衝撃がこないと思い、ゆっくりと目を開けると、先ほどとは違う場所にいた。


 岩と赤黒い景色。これは見覚えがある。ラヴァルディ領へ始めてやってきた時に通った道。そして遠くに見えるのは。


「パ、パパ! 魔獣!」

「そうだな」


 緊迫感のあるリディとは違い、パパのは「お腹空いたね」という言葉に返事をするような声音である。


「ここどこ?」

「一般的には地下世界と言われているな」

「地下世界!? ま、魔獣の住処!」

「よく知っているじゃないか」


 私たちの周りには、先ほどいた騎士のみんなもいる。ぞろぞろと歩き、少し離れた所に騎士が数人立っていた。その内の一人が近寄って来る。


「座標を調べたところ、このあたりのようです」


 騎士が地図をパパに渡す。その騎士も、リディを見て、何でここに子供が? と言いたげな顔である。リディも同じことを思っています。


 地図から顔を上げたパパが、口を開いた。


「移動するぞ」


 そうパパが言うと、またパパのところから真っ黒の影のようなものがぶわっと一帯に広がり、またリディはパパと共に床に沈む。


 今度は変な声は出さないように頑張ったものの、ぞわっとする感覚が気持ち悪い。また目を瞑っていると、パパがどこかの地に降り立ったような感覚がして、目を開ける。そこは、先ほどの赤黒い地下世界ではなく、明らかに地上であった。


 周りには、一緒に来たのであろう騎士と、そして魔獣、魔獣、魔獣。


「ぴゃあっ! 魔獣ぅぅぅ」

「リディ。ビビってもいいが、耳元で叫ぶな。煩い」

「だ、だってぇぇっ、怖いもん!」

「俺の傍にいて、何が怖いことがある? 泣いてもいいが、俺の傍が一番安全だと分かるように、目を開けておけ」


 一般民は、魔獣は怖いものなんです。こんなところに放り出されては敵わないと、リディは必死にパパの頬に自身の頬を張り付ける。腕はパパの首に回し、一ミリでも離れるものか、とぎゅうぎゅうに力を入れた。


 パパから黒い線のようなものが、地面を張ってぐねぐねと何本も伸びていく。その先に魔獣が接触すると、黒い線のようなものに引っ張られるように、魔獣が地面に沈んでは消える。何匹もの魔獣が消えていく。


「パパ、魔獣はどこにいったの?」

「地下世界のゴミ箱だ」

「ゴミ箱……」


 一方、他の騎士たちは、剣で魔獣と戦っていた。騎士たちの扱う剣は、黒っぽいもやが張り付いていて、騎士たちもあっさりと魔獣を倒していく。


 あれ? 魔獣って、あんなに弱いんだっけ? リディには何が何だか分からない。


 また、ルシアンは以前見た魔獣のペットを連れていた。ルシアンは剣で戦い、ペットも魔獣を食い散らかしている。見たくないものを見てしまった。リディは青い顔でブリスを探した。ブリスは双剣でバッタバッタと魔獣を倒していた。なんだか、みんなすごい。


 怖いことには変わりはないのだが、パパやみんながいれば、魔獣を怖がる必要はないのかも、そんな風に思って感覚が麻痺してきたころ、魔獣は全て一掃されてしまった。


 後処理のために数名の騎士を残し、リディとパパやブリス、騎士の半分ほどが屋敷に戻ってきた。


 その後のリディといえば、執務室でパパの太ももを枕にして、ぐだっと横になっていた。落ち着いてきたら色々と衝撃的過ぎて、かなり疲れてしまったのだ。リディは何もしていないはずなのに。


 闇の魔法一族ラヴァルディ公爵家、恐るべし。すごい家の娘になってしまった、とリディは改めて思うのだった。

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