第11話
閣下に「しばらく一緒に行動する」と言われて以降、その日は本当にずっと閣下といることになった。
閣下は仕事もあるようで、ただ、私をまだ部下にも知らせたくないようだった。だから、執務室に衝立が用意され、衝立のこちら側で閣下の膝に座らせられたリディがいて、衝立の向こう側に部下の人がいて会話をする、という対策を取られた。何か物を渡す時は、間にブリスが入るのだ。
私はというと、知らない部下の人の声が聞こえても知らない人な上に、難しい話で内容はよく分からない。暇だな、と思っていると、ブリスが本を持ってきてくれた。
「字は読めますか?」
「うん」
「……それはすごいですね。では、これを読んでみてください。有名な本なので、読んだことがあるかもしれませんが」
「ありがとう」
リディは字は読めるし書ける。この国の平民の識字率はおよそ半分くらい、といったところか。回帰の中で記憶はずっと持ち続けるリディだから、一度覚えた字は忘れることはなかった。
その本は、少年少女向けに作られた、世界樹に関する有名な本だった。確かにリディは回帰前に読んだことがある。ただ暇を持て余すよりも読んでみよう、と本を開けた。
世界樹はこの世界の中心にあり、皇帝が守っている。皇帝が世界樹の守り役なのは、皇帝が竜人族の末裔で、竜の力を使えるからだ。
本には、世界樹を守れる皇帝が称えられていた。そして、本には絵も描かれている。丸い球体に大きな木が絡みついた絵。その世界樹が絡みついた球体の絵が何個も描かれている。世界樹は天界、地上、地下世界、冥界などといった世界を守る柱なのだ。
世界樹は帝都の皇宮の中にある。絵の世界樹は大きく描かれているが、皇宮の中の世界樹は、本当にここまで大きいのだろうか。
リディは回帰前も含めて皇宮には入ったことがない。だから世界樹を見たことはないが、それなのに、なぜか世界樹のことを懐かしく思えてしまう。それは、時々リディが木がたくさんある夢を定期的に見ているからかもしれない。
そのようにして、リディは本を見て過ごし、気づいたら夜。閣下とブリスとルシアンと一緒に夕食をし、リディは客室で風呂に入った。そして、寝る準備を進めていたところ、ブリスが迎えに来た。ブリスが白いワンピースの寝間着を着たリディを抱えて、廊下に出た。
「どこにいくの?」
「兄上のところですよ。しばらく兄上と一緒にいていただくので、今日から一緒に寝てください」
「えぇ!? 私、赤ちゃんじゃないし、一人で寝られる!」
「赤ちゃんかどうかは関係ないですよ。兄上に慣れるまで、兄上とずっと一緒です」
「な、慣れるまでって、どのくらい!?」
「うーん、そうですねぇ。リディが自ら兄上に抱きつくようになるまででしょうか」
「……」
そんな日は、一生来ない気がする。
「ここが兄上の部屋ですよ」
閣下の部屋は、壁など全体的に濃い青色に統一されている部屋だった。リディがいる客室より広く、落ち着いた雰囲気だ。
風呂に入った後らしい閣下は、薄手のゆるっとしたシルクのようなズボンを穿いているが、上半身は裸でゆるっと上から高そうなガウンを羽織っているだけだった。ガウンから覗く筋肉質の裸は、普段から鍛えている証であろうか。
気怠げなのに何故か色気を漂わせてソファーに座っていた閣下の元へ、ブリスによりリディが届けられた。閣下の膝の上に降ろされたリディは、なぜいつも膝の上に座らされるのだろう、と思いつつ、閣下のいるここでそれを突っ込む勇気はない。
閣下はワインを飲みつつ、リディをじっと見ている。
「リディ、何か飲みますか? ハチミツミルクを持ってきましょうか」
「ハチミツミルク!? うん! 飲む!」
ブリスの声に嬉しい声を上げる。美味しそうな食べ物や飲み物は、何でも食したい。ブリスと会話する間も、閣下がリディの髪をかき上げたり、長い髪を触って見たりしている。
「ブリス、リディの髪は切ったと言っていなかったか?」
「あ、はい。でも、取り急ぎ、前髪だけですよ。後ろも長さは揃えましょうか?」
「ああ。今はバラバラのようだぞ」
今度は閣下はリディの顎を上向かせた。
「母親のリリアナは、青い瞳だったのか?」
「うん」
リディの父は黒髪に黒い瞳、母は蜂蜜色の髪に青い瞳だった。リディは髪色は父から、目の色は母から受け継いでいる。
「青色の目は変?」
「いや、変じゃない。綺麗だよ」
「……」
貶されるかと思ったけれど、褒められた。なんだか照れてしまって、リディははにかむ。
「そんな風に笑うと、可愛いものだな」
「か、可愛い?」
「ああ」
そうなのかな、可愛いのかな、と思いながら、リディは照れながら両頬をムニムニと手の平で上下に揺する。
「リディ、ハチミツミルクですよ」
「……ありがとう、ブリス」
にこっと笑って、リディはハチミツミルクを受け取る。熱すぎない温度のそれは、甘くてほっとする味だった。
そんなリディを見て、ブリスが笑みを浮かべている。
「では、兄上。私は下がりますので、リディをお任せしますね」
「ああ」
本当に閣下と二人で寝るのか。リディは少し不安を感じながら、去っていくブリスを見る。
ハチミツミルクを飲み終わると、リディは閣下に片手で抱きかかえられてベッドへ向かい、広い豪華なベッドに降ろされた。リディは寝かせられ、その横に閣下がリディに並ぶように寝る。なんだか、緊張しかしない。
閣下はリディの方を向くと、急に顔を近づけてきた。リディの額にキスを落とされ、リディは驚愕の顔で額を押さえた。
「なぜ額を隠す?」
「キ、キスされるとは思っていなかったから……」
「寝る前にはキスするものだと聞いたんだが? 違うのか? セザール兄上はどうしていた?」
「……パパは、寝る前にキスしてた」
「なら、間違っていないではないか」
いや、うん、確かにそうなんだけど。でも、それが閣下だと、かなり驚く。
「寝るときは、セザール兄上はどうしていたんだ」
「寝るとき? パパは寂しがりだから、私を抱きしめないと寝られないー、って言って、抱きしめて寝てた」
「そうか」
リディを抱きしめだした閣下に気づいて、リディは失言をしてしまったことに気づいた。まさか、閣下にも抱きしめられて寝るはめになるとは。絶対に寝れない気がする。
しかし、リディの心配は杞憂だった。回帰の中で、孤児院などたくさん人がいる中で寝ることに慣れてしまっていたリディは、閣下の腕の中だろうと何だろうと、寝つきはいい。あっという間に夢の中に落ちていくのだった。
リディは夢を見た。時々見る、木がたくさんある場所に立っている夢。風がふく芝生の中に、二十本近くの木があり、木の高さはまだ二十センチほど。前は三十本近くあった木は、三分の一は減ってしまった。でも、リディにはどうもできない。ただこれを見ているだけ。
夢の場面は変わり、父が出てきた。久しぶりに見る父。「僕の小さなお姫様」そう言って、リディをぎゅうぎゅうに抱きしめる父が大好きだった。リディも父に抱きつく。温かい。優しさがいっぱい詰まっている温度。
父の首元に顔をうずめ、顔をぐりぐりと押し付ける。あれ、でもいつもの父と何かが違う。何が違う? ……匂いかな? そういえば、父とは少し匂いが違うような、そう思い、リディは目を開けた。
温かい何かの上に、リディは乗っている。うつ伏せになっていたリディは、顔だけ上げた。
「……」
「……」
閣下と視線が合う。当然、今まで抱きしめてくれていたはずの父ではない。だらだらと朝から冷や汗が流れる。
「おはよう」
「……閣下」
「パパだろ」
「パ、パパ、おはよう……ございます」
リディは閣下の上に乗っていた。どうやら夢で父にしていたように、閣下の首元に顔をぐりぐりと押し付けていたに違いない。いくら夢うつつだったとしても、怒られるのでは。
しかし、閣下はリディごと体を起こすと、寝る前にしたように、リディの額にキスを落とした。怒られなかった。
リディを抱えてベッドを抜け出した閣下は、ソファーに座ってリディを膝に乗せると、テーブルに置いてあったベルを鳴らす。使用人がやってきて使用人がてきぱきと動く間、まだ眠たそうな閣下は、気怠げにずっとリディの頬やら耳やらを触っている。
怒られなかったことに戸惑いながら、リディはそんな閣下にされるがままになるのだった。
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