第10話

 次の日にリディの目が覚めたのは昼前だった。朝方に寝たこともあり、寝坊してしまった。メイドに手伝ってもらったリディは、今日も可愛いワンピースにお団子頭で、自分とは思えない姿である。


 ブリスが迎えに来たため、ブリスと手を繋いで昼食に向かうと、そこにはまた閣下がいた。ルシアンもいて、全員で昼食をする。昨日のことを怒られるのが怖くて、リディは黙ったまま食事をしようとしたが、スプーンを落としてしまい、大きい音がした。


「ご、ごめんなさい……」


 昨日、二階からの着地が失敗し、ひねった右手首が痛い。仕方ないので、新しく取り替えられたスプーンで左手で食べようとしたが、ブリスが声をかけた。


「リディ? どうしたのですか。手首が痛いのですか?」

「……っううん! 痛くないよ」


 やはり左手で食べるのはやめよう。痛くないことをアピールしようと、リディは右手でスプーンを持つ。痛いと思うから痛いんだ。痛くない痛くない。


「止めろ」


 閣下の声に、リディはビクっとした。


「痛い方の手で、なぜ食べようとする?」

「い、痛くない……」

「なぜ嘘を吐く?」


 昨日抜け出したのをまた怒られたくないからです。そうは言えず、痛いのがバレてしまっているので、仕方なくスプーンを左手に持つ。これなら怒られないだろうと、ちらっと閣下を見たのだが、閣下はすごく怖い顔をしていて、リディは再びビクっとした。


「ブリス、医師を呼べ」

「はい」


 えー、そんな大事にしないでほしい、と思っていると、閣下が立ち上がってリディの傍に来ると、リディのスプーンを取り上げた。そして急にリディを抱き上げたものだから、リディは体を固くし、ギュッと目を瞑った。嘘を吐いたから、殴られるのだろう。しかし、衝撃は来ない。


 そろっと目を開けると、閣下がじっとリディを見ていた。


「なぜ目を瞑る?」

「な、殴られるから?」

「殴るわけないだろう。俺を何だと思っているんだ?」

「……じゃ、じゃあ、太もも?」

「……? 太ももがなんだ」

「太ももを鞭で打つ?」

「……これは、しっかりと話し合いをする必要がありそうだな?」

「え゛」


 リディを抱き上げたまま歩き出した閣下に、リディは慌てた。


「ご飯ー!」


 ピタッと止まった閣下はリディを見た。


「あ、あの、罰はご飯を食べてからじゃ駄目?」

「……」


 罰は諦められても、食事は逃したくない。

 短い息を吐きだした閣下は、リディを抱き上げたまま再び自席に座り、リディを膝に座らせた。


「私、一人で座れる」

「その怪我した手を使うつもりか? 俺が食べさせてやる」

「え、いい! いらない! 私、一人で食べられる! 赤ちゃんじゃないから!」

「五歳は赤ちゃんだろう」

「ち、違うよ!? 私、五歳じゃない! 十二歳!」

「十二歳なら、怪我した手で食べるなという大人の言いつけを守れるはずだがな」


 うぐぐ、とリディは息がつまり、仕方なく閣下に食べさせられる。なんだか、緊張して味がしないんですけれど。


 しかし、いつものようにお腹いっぱい食べさせてもらうと、今度は閣下に連れられ、医師に手首を診せることになった。ここでも閣下の膝上に座らされて、居心地が悪い。


「この手首はどこで怪我をしたんだ」

「あ、あの……二階から下りるときに、着地に失敗して……」

「お前は……! いいか、もう二度と二階のバルコニーから一人で下りようとするな」


 リディは顔をこくこくと縦に振る。閣下が怖くて逆らえない。きっと、ベッドのシーツを垂らしたままだったから、バルコニーから下りたのはバレていたんだ。


 それから、閣下の執務室に場所を移動し、またもや閣下の膝の上に座らされ、しかも閣下へ体ごと向けさせられた。これは、拷問ですか? ブリスとルシアンも一緒の部屋にはいるが、リディ達の様子を見ているだけである。


「しばらく、リディは俺と行動してもらう」

「えぇ!? 嫌!」

「リディに拒否権はない。これは命令だ」


 リディはショックで、ブリスを見てぶんぶんと顔を振った。ブリスなら助けてくれるだろう、と期待したが、ブリスは苦笑するだけで、何も言ってくれない。裏切られた。


「昨日、光の妖精を出したらしいな。本当か?」

「う、ううん! ううん! 光の妖精なんていないよ!」

「リディ」


 リディは閣下の視線にだらだらと冷や汗をかく。どうしよう、と思っていると、リンッと音がして、ララが現れた。


『ふん! ラヴァルディめ! リディをいじめようったって、そうはいかないんだからねッ』


 何か魔法を使おうとしたのか、ララが両手を前に出したところで、ララの後ろからルシアンがララを片手で捕まえた。


『なっ!? 離しなさい! コノヤロッ!』


 ララが体を捻るものの、ルシアンの力が強いのか、ララは捕まったままでびくともしない。


「へぇ。本当に光の妖精だな」


 リディはララを助けようと、閣下の膝から下りようとしても、閣下の手がリディを掴んだままで動けない。


「お、お兄様! ララを離して!」

「ララっていう名前なんだ? 兄上がいいなら、離してあげるけど」

「閣下、ララを離して!」

「閣下? パパと呼べ」


 えぇぇぇ。何でだ。


「パ、パパ」

「何だ」

「ララを離して」

「俺の質問に答えたらな」

「ず、ずるい!」

「どこがだ」


 ぐぬぬ、と閣下を睨んでも、閣下は痛くも痒くもなさそうだ。


「リディ、素直に正直に答えるんだ。リディの母親は、ベルリエ公爵家の人間だな?」


 光の精霊と契約できている、すなわち、そういうことだ。リディはしぶしぶ頷いた。


「母の名は?」

「……リリアナ」

「……ベルリエ前公爵に、そんな名前の娘がいたな。まさか、ラヴァルディとベルリエの血筋が結ばれるとは」


 じわじわとリディは涙を浮かべた。


「ママを悪く言わないで!」

「別に悪くは言っていないだろう。意外な組み合わせに驚いただけだ。ラヴァルディはベルリエと関係は良くはないが、一個人を憎んでもいない」

「……ママが嫌いじゃない?」

「別に嫌うほど知らないしな」


 閣下は本当に母を悪くは思っていないようで、リディの心は少しだけ落ち着いた。


「……パパも嫌いじゃない?」

「……セザール兄上のことか?」


 リディは頷く。


「……セザール兄上は、心が弱い人だと思っていたが、嫌ってはいない」


 リディの知る父も、心の弱い人だった。リディに優しい父だったが、母が死んでからいつも泣いていた。でも弱い父だけれど、リディは大好きだった。そんな父を嫌いではない、という閣下の表情は、嘘を言っているようには見えなかった。


「セザール兄上のことは嫌っていないし、だからリディのことも嫌うことはない。リディを殴ったり打ったりもしない。普通の親子になりたいと思っているだけだ」

「……」


 閣下は嘘を言っているようには見えなかった。閣下を信じてもいいのだろうか。


「とはいえ、俺は今まで子供と接することはなかったし、リディも急に俺をパパ扱いは難しいだろう。だから、しばらくは俺とリディは一緒に行動する」

「……いつまで?」

「慣れるまで」


 結局そうなるのか。しかし、リディは頷く以外の選択が、今はできないだろう。


「分かった」


 閣下はリディの頭を撫でた。ぎこちないそれだが、なぜか心地いい。


「光の妖精は、しばらくラヴァルディでは話す以外の魔法は禁止だ。それを守れるなら、離してやる」

「分かった」


 閣下の視線に頷き、ルシアンがララを離すと、慌ててララはリディのところにやってきて、ほっぺをほっぺにくっつけた。


『やっぱりラヴァルディは悪魔よー!』


 ララの絶叫が部屋中に響くのだった。

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