第8話

 リディは医師の診察を受け、しばらくするとやってきたブリスと一緒に美味しい昼食をした。今日は朝も昼もたくさん食べられて嬉しい。それに、昼食のデザートはチョコレートケーキだった。ほっぺが落ちそうなくらい美味しかった。お腹は大変満足だった。


 それから、昼食後は自由にしていいと聞いて、リディにあてがわれている客室でゴロゴロとする。これが閣下の娘になった仕事というなら、贅沢過ぎる。


 しかし。


「娘は嫌だなぁ」


 部屋に誰もいないため、思っていることを呟く。


『まさか、リディがラヴァルディの娘だったなんてね……。どうりで、セザールもリディも、癒しの力が効かないわけね』


 ララの声が頭の中でする。今は誰が部屋に来るか分からないから、妖精の姿を表さないのだ。


「どうして、ラヴァルディは癒しの力が効かないの?」


 癒しの力とは、光の精霊が使える力の一つで、神聖力に近い力のことである。人間の病気や怪我を治すことができるのだ。


『それは……ラヴァルディが悪魔と契約するからでしょうね』

「悪魔と!?」

『ラヴァルディはそういう一族だから。ただ、セザールが闇魔法を使っているのは見たことがないし、悪魔と契約しているのも感じたことがないから、まさかラヴァルディだとは思っていなかったの』

「パパは、魔獣とか魔物とか苦手だものね」


 何度も回帰しているのに、リディは初めて父がラヴァルディだということを知った。


『でも、だからだったのね。納得いったわ』

「なにが?」

『リディが私との契約が弱いのは、ラヴァルディの血族だからってこと。リリアナよりセザールの血のほうが、濃く出ちゃったのね』


 リリアナはリディの母の名だ。母はリディが二歳の時に死んでしまった。回帰を繰り返す中で、母に会えたのは、最初の五回だけだった。


 ララこと光の精霊は、現在はリディと契約しているが、元は母が契約する下級精霊だった。母は昔、ララとは違う光の精霊と契約していたらしいが、父と結婚する前にその精霊とは契約を解除したと父に聞いていた。そして、父と結婚した後に、光の精霊ララと契約したらしい。だから、きっとララはすでにラヴァルディではなくなっていた父のことを、ラヴァルディだとは知らなかったのだろう。


 そして、母がなぜ、前の精霊と契約を解除したのかだが、母が家出をしないと父とは結婚できなかったかららしい。そして、母は光の精霊を先祖代々的に契約する特殊な一族で、前の光の精霊を通じて、実家に居場所がバレるとまずかったから、と父は言っていた。


 母も父も生きている内は、リディに実家のことを詳しくは話してくれなかったが、母の実家のことは、回帰の中で知ることとなった。


 母はラヴァルディ公爵家とは別の意味で国の権力者の一族である、ベルリエ公爵家の娘だったのだ。我が国で光の精霊と契約できるのは、ベルリエ公爵家の一族だけだという。


 ずっと母が高位貴族の娘だったから父と結婚できないという意味だと、今までは思っていたけれど、本当はベルリエ公爵家の娘と、ラヴァルディ公爵家の息子が一緒になることは許されないからだったのかもしれない。この二つの家門は、対極にあるから。


 母は自分が死ぬと、娘のリディに光の精霊の契約を継承できるようララと契約していた。だから、リディはララと契約できているわけだが、リディはララとは相性が良くないらしく、ララから受け取れる力が弱いので、本来の力は発揮できていない。ずっとララは首を傾げていたが、父がラヴァルディの一族だったからということで、やっと納得した。


 だからといって、リディが閣下の娘になって、ラヴァルディの力がリディに使えるとは思えない。なんせ、『お化け』が怖いし、魔獣や魔物も怖い。


「やっぱり、娘になるのは無理。帝都に帰ろう」

『……いいの? パパができるんでしょう?』

「あの人がパパだと怖いもん。それに、もう家族はいらない。ララがいるし、私は大丈夫」


 家族になろう、と言って近寄って来る人は信用ならない。これまで散々、嫌な目にあってきたのだから。今回もきっと騙されるに違いない。もう二度と家族には希望を抱かない。


 そうと決まれば、ここから抜け出す作戦を立てる。昼間は明るいから、いくら小さな子供とはいえ、明るい内は見つかるだろうから抜け出せない。やはり抜け出すなら、夜だろう。……それに、もう一度だけ、ご飯をいっぱい食べてから抜け出したい。


 リディはゴロゴロしていたベッドから起き上がると、窓辺に近づいた。窓を開けると、そこはバルコニーだった。バルコニーの柵から外の様子を見る。


「二階かぁ……」


 この屋敷は、一般的な家屋よりも二階の高さが高い。ちょっとジャンプしてみよう、という高さではない。


 部屋に戻り、今度は室内の廊下に出てみた。昼間だからか使用人が行き来している。夜はもう少し減るだろうが、廊下は灯りがあるだろうから、リディは見つかる可能性が高いだろう。


 再び部屋に戻り、またバルコニーに出てみる。


「廊下より、バルコニーのほうが逃げるなら現実的?」

『結構高いわよ? ロープか何かがないと、降りられないと思うわ』


 いつの間にか、ララの妖精姿が顔の横にいた。


「ロープかぁ。部屋を探してみる」


 ララは、リディが二階から飛び降りて、無事で済ませられる魔法は持っていないのだ。


 部屋や続き部屋の引き出しやワードローブなんかを探すが、ロープはなかった。ベッドの横に立ち、シーツを触る。


「やっぱり、長さ的にはシーツしかないかな? 一番長いよね?」

『そうねぇ……、一番長いとは思うけれど、きっと地面までは足りないわよ』

「いいよ。ちょっと足りない部分くらい、なんとか跳ぶから」


 一応、屋敷を抜け出す方向性は立てた。再びバルコニーに出る。

 この屋敷の敷地はどれだけ広いのか。敷地の柵や塀がここからは見えない。とはいえ、下見はできないし、見つかりにくそうな正門以外の場所から外へ出よう。


 部屋に戻り、何か持っていけそうなものを物色するが、服くらいしかなかったので諦めた。非常食とかあったら助かるのだが、今日の夕食時にこっそり食事を持っていくことは可能だろうか。


 その日、夕食の時間になり、迎えに来たブリスと一緒に部屋を出ると、夕食は閣下も一緒に食べることになった。じっとリディを見る閣下にいたたまれないが、リディはブリスとだけ話をして、夕食を終える。


 夕食も美味しくてお腹いっぱいで大満足だったが、やはりこっそり食事を持ち出すのは難しかった。その後、部屋で風呂に入り、ブリスがやってきて寝る前にまたお腹をトントンしだしたが、リディは焦った。ここで寝てしまえば、夜に抜け出そう作戦が失敗する。


「赤ちゃんじゃないから! トントンしないで! 私、大人だから、ちゃんと寝れる!」

「そうですか?」


 残念そうにするブリスにお休みを言い、リディは目を瞑って寝る真似をした。そうやって、部屋に誰もいなくなるのを待ち、さらにしばらく時間が経ってから、リディはベッドから起き上がった。


 少し暗い部屋をキョロキョロと見回す。うん、誰もいない。


 リディはさっそくベッドから出て、シーツを引っ張った。そして、音を立てないように窓を開け、バルコニーに出る。外は暗い。庭を歩いている人もいなさそうだ。


 バルコニーの柵にシーツを結ぶ。そして、バルコニーの外側にシーツを垂らした。


「……」


 思ったよりも、シーツが短い。全然地面には届いていない上に、シーツの一番下から地面までの距離が遠そうだ。


 しかし、ここで躊躇しても前進しない。女は根性だ。


 リディは気合を入れて、シーツに手を伸ばした。それから、シーツを伝うように地面へ降りていく。


「……」


 シーツの一番下まで来たが、思っていた以上に地面が遠い。でも、もうここまで来てしまったのだ。あとは飛び降りるだけ。


 意を決して、リディはシーツから手を離した。


 シュタッ、とかっこよく地面に降りたつもりだったが、地面に手を突いたときに、右の手首を捻ってしまったらしい。痛い。


『リディ! 怪我をしたの?』

「……大丈夫。平気よ」


 リディは痛くて涙を浮かべながら、小さくそう呟いた。

 こんなところで、じっとしていては見つかってしまう。リディは痛みを我慢しながら、こっそりと動き出した。

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