第6話

 朝食を終え、リディは再びブリスに抱えられた。ブリスは閣下の後をついて行き、ルシアンも伴い、どこに行くのかと思えば、閣下の執務室だという。これから、きっとリディに与えられる仕事の話をされるのだろう、とリディは予想した。


 執務室に入り、テーブルとソファーセットのソファーに座らされたリディは、目の前に足を組んで座る閣下の視線をずっと受けている。いたたまれない。そして、ルシアンはリディの隣に座って、興味のある視線でリディを見ているし、なんなんだろう。


 閣下が口を開いた。


「リディ、父の名は言えるか?」

「……パパの名前?」


 何でそんなことを聞くんだ。怪しい。ここは誤魔化そう。


「パ、パパはパパだよ。名前なんてないよ」

「ないわけあるか。セザールではないのか?」


 ぴくっとリディは反応した。セザールは父の名だ。

 ずっと立っていたブリスが、リディに何かを差し出した。それは肖像画だった。


「この方に見覚えはありますか?」

「……パパ!」


 リディの知る父よりは若いが、これはどう見ても父だった。


「やはりセザール兄上がリディの父のようですね」

「……兄上?」


 ブリスの言葉にリディは疑問の声を出した。父の家族はリディと母だけだと聞いていたのだが。

 ブリスが頷く。


「はい。セザール兄上は、我々の兄です。この家にいた時は、セザール・ラヴァルディでした」

「……」


 うそ。まさか父が、ブリスやルシアン、そしてこの威圧感のある閣下の兄? 確かに、父は黒髪に黒い瞳で、外側だけなら閣下に似てはいるが、雰囲気がまったく違う。父はいつも優しい雰囲気で、いつも笑っていて、よく泣いていた。


「リディ、セザール兄上は今どうしているか知っていますか?」

「パパは……死んだの」


 ブリスが眉を寄せた。


「……そうですか。いつ亡くなったのか教えていただけますか?」

「三ヶ月前だよ」


 今回、リディが回帰したのは三ヶ月前だった。いつも父が死ぬのは、リディが四歳の最後の日。つまりリディの五歳の誕生日の前日に父は死に、リディが今回回帰したのは、五歳の誕生日だった。


 回帰というものは、リディはいつも死んでから回帰するので、毎回苦しみしかない。それでも、回帰に耐えられていたのは、優しい父と会えるからだった。それなのに、今回は生きた父とも会えなかった。最初から、リディには幸せなんて用意してもらえなかった。


「リディ、これからお前は、俺の娘として過ごしてもらう」

「……? 閣下の娘? 閣下が私のパパになるってこと?」

「パパ……そうだ」


 ふむ、と若干目を細めた閣下は、大仰にリディに頷いた。


 しかし、リディは『娘』と聞いて、またか、と思っただけだった。閣下の娘になるのは、回帰前も今回も初めてではあるが、他人がリディを娘にする、というのは、今までにも何回かあった。そのすべてで、リディは嫌な目にしかあっていない。


「娘はイヤ。他の仕事をください」

「他の仕事? リディに拒否権はない。リディを娘にすることは決まっている」

「えー……」


 まあ、拒否なんてできないだろうとは思っていた。昨日の夕食も今日の朝食も、食べさせてもらったから、少なくとも、その分の働きはしなくてはならないだろう。それでも。


「娘はイヤ。他の仕事をください」

「リディ、兄上の娘になると、美味しいものが食べられますよ」

「美味しいもの……」


 うぐぐ、とブリスの言葉にリディは言葉が詰まる。昨日も今日も、食事が美味しかった。また食べたいと思う。でも。


「お、美味しいものは、食べられなくてもいいのっ。もう大人だから、時々しか食べられなくても、元気だもん」

「リディはまだ子供でしょう」

「十二歳は大人なの!」

「十二歳……リディは本当は何歳ですか?」

「十二歳だってば!」


 ちっちゃく見えるからいけないんだ、とリディは背筋を伸ばした。

 苦笑したブリスが、使用人を呼んだ。やってきた使用人に、何かを指示している。それから、ブリスは再びリディを向いた。


「リディ、『秋の季節の祓え』というのを知っていますか?」


 急に話が変わったため、リディは困惑しつつ、首を振った。


「ラヴァルディ領は冬は雪深くなりますから、秋口に成る木の実を食べて、食物が少なくなる冬に、住民が食べ物に困らないように、お祈りをするのです。そうすると、冬にたくさん食べることができるという言い伝えがあるのですよ」

「木の実?」

「ええ。ちょうど昨日その木の実を入手したので、今日いただこうと思っていたのです」


 使用人がガラスの皿にたくさん木の実を入れて持ってきた。木の実は赤茶色だった。

 リディ、閣下、ブリス、ルシアンの前に、木の実の皿が置かれた。


「まずはお祈りをする前に、年齢の数だけ木の実を食べてくださいね」


 食べていいのだと思い、勝手にたくさん木の実を取っていたリディは、年齢の数と聞いて、たくさん食べてはいけないのだと、がっかりする。閣下やブリスやルシアンは、たくさん食べられて羨ましい。


 これは祈りの儀式と同じだろう。外れた動きをしてしまい、リディが冬はたくさん食べることができないと困る。残念だが、リディはたくさん取った木の実を戻し、改めて五個、木の実を取った。


 まさか、それがリディの正確な年齢を知ろうとする行為だったとは知らず、リディは五個の木の実を口に入れた。木の実は若干香ばしくて、美味しい。どこに生っている木の実なのだろう。美味しいから、もし腹ペコになったら、この木の実が生っている木を探そう。


 木の実を食べてから、今度はお祈りだ。たくさん食べたい、たくさん食べたい、たくさん食べたい、とリディは心の中でお祈りをする。


「さて、話は終わりだ。ブリス、リディに医師の診察を受けさせるように」

「はい。では、行きましょうか、リディ」

「え、う、うん」


 ブリスに再び抱え上げらえたリディは、ブリスと共に執務室を出ることになった。遠ざかるリディに向かって、ルシアンが手を振っていた。


 執務室を出たリディは、ブリスに口を開いた。


「私、どこも悪くない。医師はいらないよ」

「そうかもしれませんが、一応診てもらいましょう」

「私、神聖力が効かないの」

「分かっていますよ。ラヴァルディ家の直系は神聖力が効かなのです」

「……神聖力が効かないのは、ラヴァルディの血族だからなの?」

「そうですよ。ただ、ただの血族というだけでなく、前公爵の直系だけなのですが」


 リディと亡くなった父は神聖力が効かないため、怪我や病気は神聖力では治せない。ただ、それは単純にリディと父が特異体質なのだと思っていた。


「ブリスは?」

「私には神聖力は効きます。兄上の弟ではありますが、私はラヴァルディではありませんから。兄上と私は父が違うのですよ。ルシアンもね」

「そうなんだ」


 なんだか複雑な家庭なのだろうか。


「閣下に新しい仕事、聞きそびれちゃった」

「新しい仕事ですか?」

「うん。私、娘にはならないって言ったでしょ」

「うーん、それは聞けない相談ですね。兄上はリディを娘にするのは決まっていると言ったでしょう」

「えぇ!? 聞いてくれたのかと思った!」

「兄上は意見は曲げませんから。諦めて、兄上の娘になってください」

「や、やだーーーー!!!」


 リディの絶叫が廊下を木霊した。

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