第5話

『……ディ……リディ』


 意識の遠くで、リディを呼ぶ声が聞こえる。うるさい。

 うーん、と寝返りを打ったリディは、再び意識を手放そうとしたが、また声がした。


『リディ!』


 はっとしたリディは、目をパチリと開ける。ここは、どこだっけ?


『リディ、起きた?』

「……ララ」


 リディは大きく欠伸をして、体を起こす。ベッドに座ってから、あたりを見回した。昨日寝る前と同じ、豪華な客室のベッドの上だった。


『リディ、ここはどこ?』

「えっと、ラヴァルディ領の……たぶんラヴァルディ公爵家の屋敷?」


 リディは、ラヴァルディ領とまでは聞いていたが、ここがどこなのかまでは聞いていない。ただ、回帰の何回か前に見た『閣下』が誰なのかは知っている。だから、屋敷に連れてこられた時に、なんとなく、ここがラヴァルディ公爵家の屋敷ではないかと予想していたのだ。


『ラヴァルディ公爵家の屋敷!? 何でそんなところにいるの!?』

「そんなの、私が聞きたいよ。昨日買われちゃったんだけど、仕事内容は今日教えてくれるのかも」


 リディは再びベッドにごろっと寝転がった。最初で最後の豪華なベッドの肌触りだろうから、今の内に堪能しておかなければ損だ。


 リディに話しかけている『ララ』という存在。リディの近くには現在誰の姿もないし、リディ一人しかいない。リディに聞こえる声は、リディにしか聞こえないのだ。リディの頭の中にだけ、話しかけているのだから。


『また買われたの!? 何てうっかり屋さん! しまったわ、私がいなかったからね』

「仕方ないよ。昨日は新月だったもの。ララとの繋がりが弱まってしまうし」


 リディは神聖力【もどき】を使うことができる。もどきとは、正確には神聖力ではないからだ。神聖力っぽい力は、実はこの声の主『ララ』との契約によって借り受けている力である。


「ララ、姿は見せてくれないの?」

『それがね、なんだか姿を現せられなくって。リディとの繋がりが弱まっているのかも。この地がいけないのかもしれないわ』


 本来であれば、新月以外の時は、ララは姿を現すことができる。


『でも、頑張ってみるわ。ちょっと待ってて』


 うーん、うーん、っとリディの頭の中で、ララの奮闘しているような声が聞こえる。


 ――リンッ


 鈴が鳴るような音がしたと思うと、パッとリディの目の前に可愛らしい何かが現れた。

 透明の六枚羽、ニ十センチほどの小さい体、モチモチの頬をした幼児のような顔。それは光の妖精であった。光の精霊が実体化した姿である。パタパタと空中を飛んでいる。


『あ! できた!』

「会いたかったよ、ララ。二日ぶり」

『本当ねー!』


 光の妖精ララは、モチモチのほっぺをリディのほっぺにくっつけた。


『もー、この子ったら、たった一日会わないだけで、買われちゃうなんて! またギーなの?』

「そう、ギーだよ。昨日、力を使って男の子の傷を治してあげたんだけれどね、それを見られていたみたい」

『もう! 私がいないときは、力を使わないようにって言っていたのに!』

「ごめんなさい……」

『あ、ううん! リディが悪いわけではないわ! ギーが悪いのだもの! リディを怒ったんじゃないからね!』

「うん」


 ララは下級精霊で、リディが使う神聖力もどきは、ララの光魔法を使っているのである。リディはララと契約しているため、ララの光魔法を借り受けることができるのだ。


 その時、部屋の扉を小さくノックする音が聞こえた。はっとしたララが消えて見えなくなる。


 部屋に入ってきたのは、二人のメイドだった。


「あら、お目覚めでしたか、お嬢様」


 お嬢様? 誰のことを言っているのか分からず、リディは部屋をキョロキョロとする。その間、メイドはカーテンを開けたり、水を容器に入れたりしている。


「お嬢様、お洋服などの準備をさせていただきたいと思いますが、よろしいですか?」


 ベッドから体を起こしたリディの横に立ち、メイドが笑みを浮かべながら、そう言った。どうやら、お嬢様とはリディのことのようである。リディは困惑しながら頷いた。


 メイドにより、リディは顔を洗ったり、洋服を着替えさせられたり、髪の毛を整えられたりして、鏡の前に立たされた。


「まぁー! お嬢様、とっても可愛いです!」

「……誰?」


 薄汚れた少女はどこにいったのか。リディは自分とは思えない姿の鏡に向かって、怪訝な声を出した。黒髪に青い瞳の可愛いツインテールでひらひらしたワンピースの少女が、どうしても自分には見えない。

 その時、部屋にやってきた人物がいた。ブリスである。


「おはようございます、リディ。起きていたようですね」

「……おはようございます、ブリス」

「うん、すごく可愛いですね。取り急ぎ揃えた服でしたが、すごく似合っていますよ」


 似合っているのかな。リディ自身はよくわからず困惑する。どうしてこんな格好をさせられたのだろう。お仕事の一環だろうか。

 ブリスがリディの傍までやってくると、リディを抱えた。


「お腹は空いていますか? 朝食にしようと思っているのですが」

「……!! うん! 空いてる!」

「良かった。では行きましょうか」


 まさか朝食まで食べさせてもらえるとは。嬉しすぎて、ニコニコが止まらないリディである。

 片腕でリディを抱き上げたまま、ブリスは客間を出た。豪華な廊下を進み、豪華な階段を下り、豪華な部屋にやってきた。

 部屋の中には、すでに人がいた。


「おっ! 来た! リディ!」


 リディを呼んだのは、少年だった。誰かは分からないが、淡い金髪に緑色の瞳の美形で、少しブリスと似ている。昨日、帝都で閣下の傍にいたのを見たような気もする。


 少年はリディのところまで走って来ると、笑った。


「俺はルシアン! リディのお兄様だから!」

「……? お兄様?」

「そう! お兄様! ほら、もう一度言ってみて」


 それは強制ですか。ルシアンからの期待のまなざしに耐えられず、リディは口を開いた。


「お、お兄様」

「よくできました~」


 リディは頭を撫でられ、戸惑う。これは何かの演技の練習か何か?


 長方形の広いテーブルが、朝食の席のようである。ブリスに椅子に座らせてもらったリディは、ブリスが隣、ルシアンが目の前に座るところを見ていた。その時、部屋に閣下が入ってきた。


 ドキッとして、リディは閣下の顔の横を見た。また、もやもやとした『お化け』がいるかと身構えたが、今はいないようだ。その閣下は、あろうことかリディとルシアンの間の席、長方形の短辺にあたる席に座った。リディは少しだけでも閣下から離れたくて、ブリス側に椅子のギリギリまでそっと移動した。


「「おはようございます、レナート兄上」」


 ブリスとルシアンの声が揃う。


「ああ。おはよう」


 閣下はそう言って、リディを見た。ビクっとしたリディは、小さい声で右に倣う。


「お、おはようございます、閣下」

「おはよう」


 次々に朝食が運ばれてくる。リディはブリスを見た。


「これ、食べていいの?」

「もちろん。リディはパンは好きですか? 焼きたてですよ」

「す、好き!」

「バターは好きですか?」

「うん!」

「では、たっぷり塗りますね」


 ブリスはバターをたっぷりパンに塗ってくれた。贅沢だ。焼きたてパンは、すごく美味しい。


 リディは閣下から視線を感じてはいたものの、閣下を見ないようにして、今しか食べられないはずの美味しい朝食をお腹いっぱい食べるのだった。

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