第2話


古谷ふるやくんは本当に絵が上手いわね」



 それは美術の時間だった。



 先生がクラスメートの男子の絵を見て褒める。当の本人は、ぶっきらぼうな、でも少し照れた様子で頭を掻く。



「そうですか?」


「ええ。ほら、ここの線は蛇行しないで綺麗な曲線を描いているし。それに、ここの色使い、とっても素敵よ。見ているこっち側が吸い込まれそう」



 先生があまりにも褒めちぎるものだから、他のクラスメートは興味を惹かれて、各々の筆を持つ手を止める。



「なになにー?見せてよ」


「古谷くん、どんなの描いたの?」



 他のクラスメートが続々と彼の周りに集まる。みんな、彼の絵を見るなり息を呑んだ。



「すっごーい!どうしたらこんな絵が描けるの!?」


「お前、上手すぎだろ。絵画習ってたりすんのか?」



 クラスメートも、先生と同じように褒めちぎる。きっと、みんなの言葉に何一つ偽りや脚色はないのだろう。全ての発言が、彼の絵を表している。そう、私には思えた。



 美術室が騒々しくなる中、一人の女子が、不意に私の方を見た。感嘆の表情を浮かべたまま、私と目を合わせる。


 

 刹那、彼女の顔から表情が抜け落ちた。あ、やっちゃった。そう言いたげに口を歪ませて、だけど言葉にはしない。代わりに、嘲るように口角を上げる。



『あんたの絵とは比べ物にならないね』



 そう言われていた気がして、ドキッと心臓が跳ねた。その子はただ私に嘲笑のような笑みを見せて、また彼の絵に視線を戻した。その後、2度と私の方は振り向かなかった。



 私は人知れず俯く。心臓が皮膚を破ってきそうなほどバクバクと激しく鼓動する。頭も混ぜられているようにクラクラする。それに、息も苦しい。



 しかし、この迫り上がる感覚は、本来感じるべきものではないものだ。



(分かってる。私の絵なんて、下手くそだから。彼の絵なんかと比べられるレベルのものなんかじゃないから)



 多分、彼が描いていた絵は、本当にすごく上手い絵なんだろうな。誰も彼も魅了してしまうような、不思議な力が込められている、そんな気がする。



 きっと、自分なんか一生描くことのできない絵なんだろうな。なんて、私は自分の絵を見つめて思った。



 バランスの悪い構図。上手く混ざり合わない色。リアリティの欠片もない平面。



 自分でも、描いていて嫌になる。私は多分、絵を描くことが楽しいと思うことが出来ないまま生涯を終える人間に分類されるだろう。



(それに引き換え、古谷くんは……)



 彼の絵は、何度か見たことがある。よくコンクールとかに出して賞をもらっているし、学校内にも飾られている。通るだけで、目が惹かれるような絵。それは、彼の才能だった。



 才能。



 その言葉に、ズキッと胸が痛くなる。



 それは、私にはない物。私は持ち合わせていない、天からの贈り物。



 才能なんて無い私は、何にもない空っぽの人間だ。



「どうして、私は……」



 と、呟いてから不意に視線を感じた。誰かに見られている、と思って顔を上げると、案の定、視線があった。それは、古谷くんだった。



 先ほどの女子とは違う、優しげな眼差し。だけど今、私が彼に抱いている感情が自身を苛立たせて、私はそっぽを向いた。



 胸がまた、痛んだ。古谷くんにもだけど、何より、自分自身に。



 それからしばらく、刺される視線は途切れなかった。だが、数刻後に先に戻っていくクラスメートの内、私を嘲笑した女子がやってきた。



 彼女は私を馬鹿にしたように見下ろすと、先生の目を盗んでスケッチブックを破る。居た堪れなくなった私は美術室を飛び出した。



 その時にはもう、古谷くんの視線は感じなかった。彼の視線だけが、他の人とは比べて暖かかったことに、その時初めて気づく。



 廊下で泣きじゃくる記憶を最後に、その走馬灯は失せた。

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