第2話 自由都市 下

「ひゃんっ!」


 空中で少女を抱きかかえ、俺は建物の屋根に着地した。

 目立つのはまずい。騒ぎが大きくなる前に移動しないとな……。

 何が起こったのか理解していないのか、大きな宝玉のような蒼の瞳を瞬かせている少女を屋根に降ろす。

 こうして間近で見ると、画に書いたような美少女だ。頬がほんのりと赤い。

 年齢は俺よりも二つ、三つ程下に見えるから、十五、六といったところか。

 自由都市には観光目的の旅人や、傭兵も訪れる。

 が――目の前の少女は格好からしてどう見てもそうは見えない。

 護身用の短剣すら持っていないようだし、何処ぞの家出でもした御嬢様か?

 思考を止め、確認する。


「大丈夫か?」

「――……え? あ! は、はいっ!!」

「なら良かった。そっちは?」

「問題ない」


 音もなく現れた栗茶髪の英雄様は右手にクッキー、左手に子猫を持っていた。

 周囲に認識阻害の結界を張り巡らし、俺達の姿が下から見えないようにしてくれている。

 金髪の少女が、ぱぁぁぁ、と表情を輝かせ立ち上がった。


「猫さん! 良かったぁ……。ありがとうございますっ!!」

「お、おい。そんなに跳びはねたりしたら」


 心底嬉しそうに少女はその場で跳びはね、


「きゃっ」「――む」


 案の定転びかけ、俺へ倒れ込んで来たので受け止める。

 うん。ミアと違い胸が大変に豊かだ。


「…………」

「な、何も言ってないだろ!?」


 一瞬で背後に回り込んだ、世界屈指の暗殺者様を宥める。

 微笑が怖い。本当に怖い。

 ……そう言えば、師匠も胸のある女性には殊更厳しかったな。

 寂寥感を掻き消し、ミアから子猫を受け取って、金髪の少女へ手渡す。


「ほい。まぁ、落ちなくて良かった」

「は、はい。本当に有難うございました! ……えと、貴方達は」

「見ての通り、観光客だ」「見て分からない? 恋人」


 ほぼ同時に回答。

 すぐさま、俺はミアの言葉を打ち消そうとし――首筋に不可視の『刃』が当てられる。き、汚いっ! 絶ち手、汚いっ!!

 お澄まし顔の暗殺者様が、子猫の頭を指で撫で、わざわざ風魔法で通達してくる。


『聖女を目視するまでの間、表の宿を使いたい。その為には、恋人の方が何かと便利なのは自明。反論は締め切った』

『くっ……! 他の連中には言うなよ?』


 七英雄の連中は常識人である俺を除き、良くも悪くも変人ばかり。

 ミアと『恋人』として行動した、なんてことが知られたら……悪夢だ。俺の尊厳が死んでしまう。

 情報の絶対秘匿を誓っていると、大通りが騒がしくなってきた。

 ――長居は不要だな。


「大丈夫。カフェのお代は置いてきた」


 栗茶髪の英雄様は大変上機嫌な様子で、両腰に手をやり胸を張る。流石だ。

 俺は子猫を抱えた金髪の少女に向き直る。


「じゃあ、俺達はもう行くから――」「あの!」


 突然、剣士服の袖を握り締められた。細く白い指だな。

 少女が俺へにじり寄り、子猫も左肩へ乗ってきた。


「私も連れて行ってくれませんか?」

「……はぁ?」


 思わず声を漏らしてしまう。

 何を言ってるんだ、このお嬢さんは。

 ミアが目を細め、冷徹に指摘してきた。


「急がないと面倒な事になる」

「分かってる。あ~……御嬢さん」


 細い指が鼻先に突き付けられた。

 少女が楽しそうに告げてくる。


「リエルです。私……ちょっとだけ事情があって、今捕まっちゃうと大変なんです。こうして出会ったのも何かの縁ですし、助けてくれませんか? 数日の間で良いので!!」


 両手を合わせ、花が咲いたような満面の笑み。

 ……師匠が俺をからかったり、面倒事を押し付けたりしてきた時に散々みたものと同じだ。経験上、この手の笑顔のお願いは碌なことにならない。

 建物の下に兵士達が到着したようで、喧騒が増した。仕事が早いな。

 俺は嘆息し、左手を軽く振った。


「いや、あんたをこれ以上助ける理由は俺達にないな。他を当たって――」

「んーとぉ……置いて行かれたら、貴方達のこともきっと聞かれますよ? 紅髪の剣士様と、栗茶髪の可愛らしい幼女さんだったって!」

「……む」「……私は幼女じゃない」


 近日中に聖女が自由都市を訪れるのは、王達の情報で確実だ。

 ……その間は。

 むすっとしているミアを視線で宥め、確認。


「あんた」「リエルです」

「……リエル。あんたを連れて行って、俺達が追われるとかは」

「大丈夫です! ……多分」

「多分ってなぁ。――……ああ、もういい。分かった。取り合えず今は移動する」


 俺は紅髪を搔き乱し、決断を下した。

 この謎の少女と行動を共にする気はない。

 ないが――とにかく今は警護の兵達と遭遇しないことを優先するべきだろう。


「……むぅ~」


 未だ不満そうな少女は不承不承ながらも、指を鳴らした 

 魔力がほんの微かに揺らぎ、


「きゃっ! ……え? これ、何処から??」


 金髪少女の頭の上に真新しい外套が降ってきた。

 ミアは闇属性魔法の練達者で、様々な品を空間に収納出来る。

 子猫を懐に入れ、俺はリエルへ勧告。


「そいつを羽織れ。あんたの格好は目立って仕方ない」

「あ、はーい。……えへへ♪」


 いそいそと外套を羽織ると、少女は照れくさそうに袖で唇を覆った。

 ……どうも、調子が狂うな。

 俺が頬を掻いていると、リエルはその場でクルリと一回転。

 キラキラと金髪が陽光を吸い込んだかのように、煌めく。


「では、よろしくお願いしますね☆」

「「…………はぁ」」


 俺とミアは顔を見合わせ――同時に深い溜め息を吐く。

 懐から子猫が顔を出し、慰めるかのように鳴いた。

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