第1話 自由都市 上

「おい、話はもう聞いたか?」「ああ!」「教皇庁がよく許可を出したもんだ」「聖女様が私達の街に来られる……嬉しいねぇ」「戦傷で歩けなかった兵士を癒されたとか」「寝たきりの病人じゃなかった?」「龍を言葉で退かせたとも聞いた」「目出度い話だ。飾り付けを急がないと!」


 穏やかな春の日差しが降り注ぐ大通り。

 古いカフェ前を行き交う人々の多くは、上気した口調で同じ話題に花を咲かせている。その表情は明るく、他地域で見たような陰は感じ取れない。

 ――此処は自由都市スルフト。

 大帝国時代から中立を旨とし『五重城壁内では皇帝と教皇の権威すらも及ばぬ』と、謳われた誇り高き古都市だ。

 大陸全土を巻き込んだ大戦においても、中立を貫き通し、今では大陸東方で最も栄えている。

 色とりどりに塗られた屋根や、美しい石畳の道路、頭上に張られた太い縄に吊るされた歓迎用の飾りや無数の小旗、精霊教の紋章を他国の人々が見たら、絶句してしまいそうだ。

 とは言っても……俺の目の前の席に、待ち人である小柄な少女が腰かけた。

 耳が隠れる程度の栗茶髪で人形にように整った容姿。春だというのに首には灰色のマフラーをし、外套姿だ。

 髪と同じ色の瞳で俺を見つめ、淡々と言葉を発する。


「『精霊教の本山である教皇庁と隣接しているから、その影響下からは逃れられない。聖女が来るとなれば警備体制は恐ろしく厳重になるだろう。厄介だな』――合ってる? レオ」

「…………」


 俺は平静を装い、珈琲のカップへ砂糖を足した。

 七国同盟や教皇領と接する自由都市では、嗜好品も潤沢だ。

 こう見えて一つ年上の少女に抗議する。

 

「……ミア、性格最悪の大賢者あるまいし、いきなり現れて、俺の考えていること全部当てるのは止めてください」

「駄目」


 少女は小さく頬を膨らませ、不満気にじーっと見つめてきた。

 ……ああ、そうか。

 城壁型クッキーが載っている小皿を差し出す。


「敬語は禁止、だったな。悪い」

「逢引十回で手を打ってあげる。ん、甘くて美味しい」


 微かに表情を緩め、少女――『七英雄』の一人、絶ち手のミアは小さな口でクッキーを齧った。小動物っぽくて可愛らしい。

 世界でも屈指の暗殺者には到底見えないものの、その実力は折り紙付き。

 大戦中は、敵対する側の王、貴族、英雄、名将、勇士を数多討ち……俺と師匠相手の二人がかりでも、結局は倒せなかった程の猛者だ。

 初老の男性店員にミア用の紅茶と菓子を頼み、頭を軽く下げる。


「取りあえず……来てくれたことに感謝を。無理を言ってすまない」

「私も連絡を取ろうとしていた。久しぶりに、顔を見られて嬉しい」


 七英雄の連中とは大戦中、時に味方、時に敵、という複雑な関係性でこそあったものの、私怨があったわけじゃない。最終決戦時には命を預けあった戦友でもある。 

 特にミアは俺と組むことも多かった。

 クッキーを摘み、頷く。


「元気そうで何より。俺の手紙、届いてたか?」

「うん。冒険者ギルドが大戦で止めを刺されて、遅れがちだったけど」


 師匠曰く――『貴方が生まれるずっと前は、冒険者の時代だったのよ』。

 冒険者ギルドは、帝国が世界に覇を唱えていく過程で隆盛を極め、そこに集まった権力故に皇帝家が弾圧。

 先の大戦前には、その残り香ともいえる大陸全土を覆う伝達網だけが辛うじて形を留めていたらしい。……もう二度と復旧は出来ないだろう。

 店員が持って来てくれた紅茶を白磁のカップへ注いでいると、ミアが指を鳴らした。テーブルと椅子の周りに重厚な探知、静音の複合結界が張り巡らされる。


「本題――レオ、私はとても厄介な依頼を押し付けられた」

「奇遇だな、俺もだ」


 紅茶に上質なミルクと砂糖を多めに入れ、差し出す。

 ――聖女を抹殺せよ。世界を救う為に。

 両手でカップを手にし、ミアが不快そうに零した。


「『星詠み』が神の残滓であることは理解している。だけど」

「聖女には悪評がない。聴こえて来るのは『困っている人々を助けた』。……これだけだ」


 普通、どんな名君、英雄、聖人でも、何かしらの悪評は持っているものだ。

 ――だが、それが一切見当たらない相手。

 俺は片肘をつき、左手を振った


「だからな、獅子王には条件をつけた。『依頼は請ける。が――』」

「『実行するかは自分の目で聖女を見て決める。無害な者を手にかける為、大戦終結に命を懸けたわけじゃない』。私も王にそう答えた」

「…………」


 やけに嬉しそうなミアがふんわりと微笑んだ。

 ……師匠もだったけど、俺はそんなに分かり易いんだろうか。

 そっぽを向くと、何やら大通りの人々が頭上を見上げている。


「まぁ……俺達の意見は一致しているみたいだな」

「うん。力ずくで説得する手間が省けた」

「絶ち手の力ずく、か。心臓に悪い――」

「レオ?」


 不思議そうなミアに答えず、俺は結界を飛び出し、ざわめく人々の中に突入した。


「おいっ!」「あの子……落ちるぞ?」「警備の兵士さんはまだなの!?」


 大通り沿いの中でも一際高い煉瓦造りの建物。

 その屋上から長い金髪を靡かせ、白服の少女が細い手を伸ばしている。

 その先の縄上で震えて居るのは――子猫だ。降りられなくなったのだろう。

 少女は必死に手を伸ばし、ようやく子猫を抱きかかえ、ホッとした表情を浮かべ


「――!」

『っ!?』


 体勢を大きく崩し、少女は建物から空中に転がり落ちた。咄嗟に目を瞑って子猫を抱きかかえ、人々が息を呑む。

 ……自分よりも子猫が優先かよ。

 俺は若干呆れつつ、その場で跳躍した。

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