第2話 休憩係

 扉が閉まるのを確認した王女レティツィアは、王女の仮面を横に追いやった。目に入った人物を見て、満面の笑みを浮かべる。


「あら? ロメオお兄様もいらっしゃったのね!」


 ここは第一王子であり王太子でもある王女レティツィアの長兄アルノルドの執務室。執務机の前にある椅子にはアルノルドが座り、机を挟んで次兄のロメオが直立してアルノルドと対面していた。


 レティツィアは小走りで次兄ロメオのところまで行くと、ロメオに抱き付いた。ロメオは目じりを下げて愛しそうに笑うと、体を離したレティツィアを抱き上げる。


「レティ、兄上とのお茶の時間か」

「そうなの。ロメオお兄様も一緒にいかが? 今日はマカロンなの! 甘さ控えめだから、ロメオお兄様も気に入ると思うのよ」

「それは魅力的な誘いだが、これから会議があるんだ。お茶はまたの機会にしよう」

「まあ、残念……」

「今日の夕食の時に、レティの今日の出来事の話を聞かせてくれ」

「うん」


 ロメオはレティツィアの頬にキスをすると、レティツィアを降ろした。


 ロメオは父王に似た精悍で整った顔立ちで、イケメンである。現在二十四歳で、つい最近婚約者ができたばかりだ。執務といった机に向かう仕事は苦手ではないようだが、本人はどちらかというと剣術や武術といった体を動かすことのほうが好きのようだった。


「では、兄上、俺は会議なので失礼します」

「ああ」


 ロメオはレティツィアの頭に一度手を置き、部屋を出て行った。


 アルノルドが椅子から立ち上がると、レティツィアの腰へ手をやり、レティツィアを促しながら執務室の続き部屋へ歩き出した。この間、アルノルドはずっと無表情。


 アルノルドは鋭い瞳の美貌のイケメンで、『氷の王太子』などと呼ばれている。現在二十五歳で、婚約者がいて、来年結婚する予定だ。頭脳明晰で仕事人間、大変美しいのにめったに笑わないし、いるだけでなぜか周りの空気を冷たいと錯覚させるため、『氷の王太子』などと呼ばれるのだ。


 レティツィアからすれば、アルノルドは確かに表情筋が仕事をしていないが、よく見ると口角を少しだけ上げて笑っているんだぞ、と言いたい。


 レティツィアはそんなアルノルドの『休憩係』に任命されている。放っておくと休憩をしないで働きっぱなしの仕事人間なアルノルドを、無理にでも休憩させようという話である。休憩なんて要らぬというアルノルドを、休憩させることができるのは、妹であるレティツィアだけであった。だから、毎日ではないが、二日に一度ほどアルノルドとお茶をする時間を設けている。


 続き部屋には、先に準備をお願いしていたため、使用人たちがお茶の準備をしてくれていた。丸テーブルに椅子が二つ。しかし、本日の茶菓子のマカロンと二つのティーカップは、テーブルの片方に寄せてあった。


 その茶菓子とティーカップが寄った方の椅子に、アルノルドは座った。


「レティ、おいで」


 呼ばれるがまま、レティツィアは椅子に座ったアルノルドに寄り、アルノルドの膝に横に座る。アルノルドがマカロンを一つ取ると、それをレティツィアの口元へ持ってくるため、レティツィアは口を開けた。


 口いっぱいにイチゴ味が広がる。美味しくて頬が緩みっぱなしのレティツィアを見ながら、アルノルドはわずかに口角を上げた。これでもアルノルドにとって、満面の笑みに近い笑みである。


 アルノルドから三つほどマカロンをもらい、レティツィアは一番甘くなさそうなレモン味のマカロンをアルノルドの口元へ持っていく。するとアルノルドはそのマカロンを口にした。


「そんなに甘くないでしょう?」

「そうだな」


 長兄アルノルドと次兄ロメオは、甘すぎるお菓子を苦手としているのだ。


 ちなみに、今日の茶菓子はマカロンだったが、茶菓子内容はケーキだったりクッキーだったり、日によって違う。ただし、どれも一口サイズで小さく作られている。目的は、アルノルドがレティツィアに食べさせやすくするためだ。一口サイズなら口も汚れないし、食べさせやすいし、一石二鳥。


 昔からアルノルドはレティツィアに自ら食事をさせることが癒しのようで、執務の休憩の癒しにちょうどいいと、こういう形式でお茶をすることになっている。


 レティツィアはこの時間が好きだった。レティツィアはブラコンなので、大好きなアルノルドに構ってもらうのは大好きなのだ。


「ねぇ、お兄様、最近マリーナ様に『あーん』してもらった?」

「やはりレティだったか、マリーナにそれを吹きこんだのは」


 マリーナはギランダ公爵令嬢で、アルノルドの婚約者である。マリーナは未来の王妃として太鼓判を押せるほどの完璧令嬢だ。現在二十歳で、マリーナが十五歳の時にアルノルドと婚約をした。アルノルドとは五歳離れているが、そんな風には見えないほどマリーナは大人びていて落ち着いている。


 アルノルドとマリーナは、並ぶと美男美女でお似合いだ。二人とも落ち着いているせいで甘やかな雰囲気になどならなさそうに見える。しかし、レティツィアはマリーナがアルノルドのことをすごく好きなのを知っている。


 あれはアルノルドとマリーナが婚約して一年ほど経った頃だろうか、アルノルドの執務室に向かっていたレティツィアは、執務室から出てきた完璧な令嬢のマリーナが、執務室の扉が閉まった途端、そこにうずくまったのを見た。体調が悪いのだろうかとレティツィアが慌ててマリーナに近づくと、マリーナは真っ赤になった顔を上げた。


「レ、レティツィア殿下! あ、あの、これは……」

「マリーナ様、落ち着いて下さいませ。少し移動しましょう」


 空き部屋にマリーナを促し、マリーナに話を聞くことにした。


「アルノルド様が、微笑まれたんです……! わたくし、ノックアウト寸前のところを、何とか持ちこたえたのですが、廊下までが精一杯でした!」


 それって、口角が少し上がっただけだよね? とレティツィアは聞きたいところを我慢した。どうやらマリーナはアルノルドにぞっこんのようだ。聞けばアルノルドと一緒の部屋にいるだけで毎度心臓が爆発寸前らしいのだが、普段からマリーナが完璧令嬢過ぎて、そこまでアルノルドが好きなのだとは知らなかった。


 その時はマリーナに王女として対応し、マリーナの現象をアルノルドに話した。その頃から『休憩係』だったレティツィアは、いつものようにアルノルドに『あーん』してもらいながら、口を開く。


「マリーナ様ったら、真っ赤になってとても可愛らしかったの! お兄様が大好きなのが分かったわ。これはお兄様に教えてあげなきゃって思ったの!」

「そうか」


 アルノルドは嬉しそうに口角を上げ、人差し指をレティツィアの唇にそっと添えた。


「教えてくれてありがとう。でも、マリーナが可愛かった話は、レティと俺の秘密だよ。できるかな?」

「分かったわ! お兄様とわたくしの秘密ね! ……マリーナさまにも、お兄様に話したこと、言わないほうがいい?」

「うん。マリーナにも秘密」


 アルノルドはそれはそれは妖艶に微笑む。これはアルノルドもマリーナを好きなのだと思ったと同時に、アルノルドはマリーナの反応を見るのも好きなのだと思うのだった。だから、レティツィアはアルノルドを楽しませることにした。


 レティツィアはマリーナと仲良くなり、少しずつマリーナに吹きこむ。アルベルトをお茶に誘う、手を繋ぐ、アルベルトに『好き』と告げる、などなど。マリーナは憧れのアルベルトに対して何か行動を起こすということを想像だにしていなかったらしく、想像だけで真っ赤になっていたが、勇気を振り絞ってマリーナは行動を起こした。その結果は、アルベルトの満足いくものだったのは間違いない。アルノルドと二人でマリーナの行動の話をすると、アルノルドは楽しそうにしているのだ。


 そして、最近マリーナと話題にしたのは、アルノルドに『あーん』を試してみること。どうやらマリーナは実行に移したようだ。


「ええ、もちろん、マリーナ様に試すように話したのは、わたくしです。どうでした? マリーナ様、可愛らしかったでしょう?」

「うん、可愛かったよ。恥ずかしがっていたけれど、そこがまた可愛い」


 そうでしょう、そうでしょう。アルノルドが嬉しそうで、妹としても嬉しいです。


 わずかに口角を上げながら嬉しそうに笑うアルノルドに、レティツィアも満足げに笑うのだった。

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