第3話 諦めたもの

 ヴォロネル王国内の領地は、ほとんど貴族に統治を任せているが、王家には、王国内にいくつか王家が直に所有する領地がある。普段は王族ではなく、王家から任された官僚が統治するが、王家に王子や王女が生まれ成長すると、その領地を一時的に王族の子供たちが統治することもある。なぜかといえば、その領地は将来的に国を統治するための練習の土地として、存在しているのだ。


 しかし、いくら練習の土地とはいえ、住民は存在する。生活するものがいるならば、当然、軽い気持ちで治めるわけにはいかない。


 レティツィアも十一歳になったときに、王都の隣の領地チェルニを一時的な領地として預かり受けることになった。次代の王としてすでに王太子のアルノルドがいるから、レティツィアが国を治めるなんてことにはならないが、いずれレティツィアも誰かの妻になる。その時に、夫となる者を支えることができるくらいには知識が欲しいと思っていたのだ。


 領地チェルニは主となる特産品がない。比較的、どこの土地でも採れる農作物なら採れるのだが、それでは特産品とは言えない。十一歳で領主となったレティツィアはすぐに領地を巡り、特産品になりそうなものを探した。そこで目を付けたのは、リリーベリーという、この土地でしか見かけない木の実。ベリーの一種のようで、甘酸っぱくて甘い木の実だが、苦味もあって商品価値はなかろうと、家庭で消費するだけの果実だった。


 リリーベリーの木は、家庭の庭、畑以外の道の脇など、領地内のいたるところにあった。領民のリーダーたちと相談し、リリーベリーでジャム、ジュース、お酒、お菓子などを作り売り出したところ大当たりで、今ではチェルニの立派な収入源として役立っている。


 レティツィアは、その日、チェルニからやってきた官僚の女性ファビオラと話をしていた。ファビオラは王家からチェルニに派遣されている官僚で、普段領地に住んでいないレティツィアから指示を受け、管理を任されている部下でもある。


「――ですので、老朽化の進んでいた橋の工事は、予定通り開始できそうです。工事中は回り道にはなりますが、代わりの道についても住人に通達済みです」

「そう、分かりました」

「では、次の報告ですが、紅茶についてです。以前レティツィア殿下とお話したリリーベリーの風味のする紅茶の試作品ができました」


 ファビオラに渡された紅茶の容器の蓋を開けると、すごく良い匂いがした。


「とても良い香りね。さっそく飲んでみましょう」


 使用人に紅茶を入れてもらい、ファビオラと試飲する。


「うん、とても良いわ、美味しい。リリーベリーのジャムを入れた紅茶も美味しいけれど、あれは甘い物が苦手な人には合わないものね。こっちは甘くないけれど、紅茶の味にリリーベリーの香りがして、すごく落ち着くわ」

「はい、私は甘い物は苦手ですが、これは気に入りました」


 ファビオラも満足そうに笑っている。

 それからも、チェルニの報告を聞き、ファビオラは領地へ帰っていった。レティツィアは、試作品の紅茶を母にも試飲してもらって、感想を聞きたいと部屋を出た。


 レティツィアは、普段、家庭教師から勉学を学び、礼儀作法やマナーなども学び、領地チェルニの領主としての政務も行い、王女としての執務も行う。


 王都には王立学園が存在し、王立学園は十六歳から十八歳の三年間を通うことができる。王立学園の対象者は、寄付のできる王侯貴族か資産のある平民で入学試験に合格したもの、もしくは、寄付はできなくてもある一定の学力がある者である。


 本来であれば、レティツィアも王立学園に通うはずだったので、通っていれば現在二年生であっただろう。実際、レティツィアは入学試験を受け、その年の上位から五番目の成績で合格した。入学式の前日まで行くつもりだったのだが、悩みに悩んだ結果、入学式の前日に入学を辞退した。


 ある不安を抱え、それを抱えたまま学園で勉強できるのか、平穏な毎日が送れるのか、自信がなかったのだ。


 しかし、結果的にそれで良かったと思っている。毎日忙しいし、とても充実している。両親や兄たちは優しく甘やかしてくれるし、毎日が楽しい。


 母の部屋へ向かっている途中、王である父と宰相のギランダ公爵とばったり会う。ギランダ公爵は長兄アルノルドの婚約者マリーナの父でもある。


「お父様、ギランダ公爵、ごきげんよう」

「これはこれは、レティツィア殿下、ご機嫌麗しゅうございます。何をお持ちですか?」

「これは紅茶ですわ。これからお母様のところへ参るところですの。ですが、紅茶の中身については、内緒です」

「ほほぅ。ということは、チェルニ関係ということですな?」

「それも内緒ですわ」


 ギランダ公爵は父と幼馴染で、小さいころからレティツィアは可愛がられている。レティツィアが隠していることなど、だいたいお見通しだ。レティツィアがチェルニを発展させようと頑張っていて、いつもレティツィアが秘密にするのは、チェルニ関係のことばかりなのだから。それは分かっていて、レティツィアも隠すのだ。ここで全て暴露してしまっては、後で披露する楽しみがない。


 ふふふ、と秘密を隠して楽しく笑うレティツィアの頬を、父が撫でる。その視線は慈愛に満ちていた。


「私には、その内緒は後で教えてくれるのだろう?」

「まだ、お父様にも内緒なの! ……後で、お母様に聞いたりしないでね?」

「なんと。王妃に妬いてしまいそうだぞ」


 少し拗ねたような渋い顔をした父は、すぐに笑い、レティツィアの後ろを見た。なんだろう、とレティツィアも後ろを見るが、レティツィアの護衛騎士しかいない。不思議に思いながら父に顔を戻すが、父はいつもの父だった。


 父とギランダ公爵と別れ、レティツィアは母の部屋に向かうのだった。

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