第10話~安部祐次とパッケージ・ホップ ―この上なく姿美しい女―
十六時五十九分五十八秒、五十九秒……。
「もしもし、前村さんのケータイでしょうか? こちらはボギーワン、速河久作。前村歩さん、今から五分後にお迎えに上がります。詳細はメールで送ります、以上」
短い通話を終えた久作は前村のケータイに県警科捜研、相模京子の報告書と、マナミレポートを添付したEメールを送信した。右腕のデジタル時計、タフソーラーは十七時〇〇分〇七秒と表示されている。
「あれ? サイクロップスくん? 宣戦布告とか言ってなかったっけ? もっとこう、バシッとキマる科白とかあるんじゃねーの?」
久作は原付オフロードバイク、ホンダXL50Sにまたがって、隣の黒いスポーツカーから言う神和彌子に返した。
「まあ、色々と考えてみたんですけど、今更挑発だの駆け引きだのも不要でしょうから、こちらの意図とそれに至った経緯、これだけ伝えれば足りるだろうと思いまして」
それだけ言うと久作は、オフロードタイプのフルフェイスを被って、XLのキックペダルを蹴った。
神部市の高級ホテル、スカイスクレイパーの車寄せを駐車場と緑地で挟んだ位置に久作たちは待機していた。久作は愛車のXL50S、神和彌子はグリフィス500。ブルーバード1800SSSのハンドルを握るリー・リィンチェの助手席には方城護で、サミー山田のアルピーヌ・ルノーA310のナビシートに橘絢が座り、リアシートに加嶋玲子がいる。ジャガーXJ40ソブリンに乗る乾源一警部補の隣には須賀恭介、後ろに橋井利佳子。そして、大きなネイキッドバイクにまたがって煙草を咥えている露草葵。いつものラベルダではなく神和彌子のものらしいバイク、ドゥカティ・ストリートファイター1099のシートに座って、腕時計とホテルを交互に眺めて、煙を吹いている。
「ボギーワンからホークアイ、通信状況は?」
久作の耳には小型でイヤーピースタイプの通信機がセットされてあり、同じものが全員を繋いでいる。無線ではなく携帯電話回線を利用したものでボイスチャットのようになっている。別で警察用無線機もあり、右にアヤからのイヤーピース、左に無線のマイクをつけている。
「ホークアイよりボギーワン、通信はクリア、予想通りにね。ケータイの逆探知を殺すジャミングなら自分の通信もダメにしちゃうから常時展開ってことはないだろうし、さっきの通話はジャミングなしでGPSでバッチシ拾えたよ。科捜研の分析通り、場所はここの最上階。つまりだ――」
警視庁公安のサミー山田という巡査部長の隣に座っているアヤの通話にはキーボードを叩く音が混じっている。
「――身代金要求段階では居場所を知られたくなかったけど、その段取りが終わった今はもうバレてもいいって、そういうことでだろうね。クラッカー・パートリッジがいるんだから通信の類は全部拾われてて、SATもバレてる。この会話だって聴かれてるだろうし、騙まし討ちは無意味ってこと……出てきた! 四人、五人、もっとだな。さすがに対応が早い」
久作の位置からではホテルロビーの様子は解らないが、どうやらアヤは双眼鏡か何かを使っているらしい。もしくは、カラスだとか言う県警第二通信司令室の防犯管理システムを利用しているのか。
「なあ? 速河くん?」
通話に乾警部補が入ってきた。
「残り二分ほどだが、この時間差には何か意味でもあるのかい? 敵さんに準備する暇を与えるってのは賢くないと思うんだがなぁ」
ぼやくように、ボソボソと乾が尋ねた。
「作戦詳細はアヤちゃんですけど、五分前にホテル側に退避勧告で、まずこれに気付けばトータルで十分、相手に迷わせる時間を与えるんです。その五分後に、SATを用意しているこちら側から連絡が入れば判断に悩む。ここで安部が素人なら相手陣営はパニックでしょうが、即座に応戦体制。そこに真正面から突入する人間なんてまずいませんが……」
「要するに、真正面からと言っておいて、それが本当かどうかを吟味する時間をあえて与える、ってところかい? 真正面からなのにちょっとした奇襲になるってのは妙な話だな」
ふー、と煙草を吹く音が通信に乗る。乾警部補と露草葵、この二人のヘビースモークはもう重症のようだった。
「策士、策に溺れるなかれ、ですね」
中国公安のリーが次いで、アヤが続いた。
「ゼロカウントまでもうちょい。確認だ。フロントマンはラピッドファイヤーと速河久作で、ポイントマンはカリ使い。オッサンは公安とでセカンドアタッカー。SAWは方城護でLAWは須賀恭介。あたしはテールガン位置からの作戦指揮。リカちゃんはレーコと二人でラジオマンで葵ちゃんはメディック」
アヤがポジションを再確認するが、軍隊などに疎い方城やリカにはサッパリ意味不明だろう。だが、ここで重要なのはポイントマンの神和彌子と、フロントマンの自分とリーだ。神和彌子のポイントマンは斥候(せっこう)。前方全域警戒とトラップの有無の確認とルート確保がポイントマンの役目で、それにフロントマン、前方下方警戒の二人が続き、統制役のセカンドアタッカーが更に続く。
本来ならこのセカンドアタッカー位置に作戦指揮をする役、アヤが配置されるところだが、アヤはテールガン、いわゆる、しんがり、にいて、後方警戒となっている。方城護のSAWと須賀恭介のLAWは側面警戒で、軍隊ならSAWは支援射撃などもするのだが、今回は左右側面を二人が警戒するという配置になっている。
ラジオマンは通信兵、メディックは衛生兵で、テールガンは指揮官、通常はセカンドアタッカーと行動するので、リカとレイコは通信状況を維持しつつ乾警部補とサミー山田巡査部長に張り付いて動く。メディックも同じくだが、セカンドアタッカー位置から全配置に動けるように、今回ならアヤのテールガンとセカンドアタッカー、どちらかと行動する。
場所が屋内、民間ホテルでロビーから上に向かうというルートから、ポイントマン神和と続くフロントマンの久作とリーが目標、パッケージ・ホップこと前村歩を保護するという想定なので、フォーメーションは敵支配地域警戒前進の屋内版といったところだ。
相手が元軍人で、その後にテロ活動などで軍隊や兵士の定石を頭に入れているなら篭城を含めて防戦対応してくるだろうから、このフォーメーションはあくまで基本で、ポイントマン神和とフロントマン久作とリー、この三人で突破させるという配置にしている。軍人としてはセカンドアタッカーを潰したいところだろうが、こちらの頭脳・命令指揮はさらに後方のテールガンにいて、側面警戒の方城と須賀がテールガン・アヤをカヴァーしている。
普段ならアヤはどこか遠くから通信で指令を出す、コールサイン・ホークアイ(鷹の目)が示すように電子戦指揮の安全圏配置だが、ケータイ逆探知を殺す装備を持つ相手なのでこの即席部隊に同行で、しかしテールガン位置。これは錬度の高い兵士や組織戦闘に慣れている相手からすれば盲点だろう。
「神和ぃ。お前がポイントマンってのは毎度だが、今日はお前の背中はミスター・リーと速河くんだ。俺じゃなくて不安だろう?」
県警九課の二人、神和と乾が普段の捜査でツーマンセルのコンビだというのはアヤも久作も聞いている。小柄で機敏な神和と大柄の乾なので、神和彌子がポイントマンというのは当然だろう。
「全然。無敵のリーさんにだったら背中もお腹も預けて全く安心っすよー。テンセカンド」
神和が応え、久作も腕時計を見た。十七時〇四分五〇秒。神和がアクセルを踏んだらしく、V8の咆哮で揺さぶられた。更に後ろからの爆音は、露草のバイクだった。
「よーし! オペレーション・オーマイガッ! スター――」
バン! アヤの科白を派手な音が掻き消し、神和彌子が叫んだ。
「ふ……ふざけんなぁ! グリフィスの外装はフルFRPだぞ! それにNATO弾撃ち込みやがったぁ!」
ギャギャ! とホイルスピンを数秒で、神和のV8オープンカーが弾丸のように発進し、露草のドゥカティが続く。乾、リー、サミーも車をホテルの車寄せに向けて、久作のXLもフルスロットルで走り出した。
「須賀、ナトー弾って何だ?」
緊張の針が振り切れているのは神和とアヤだけらしく、方城が通信で須賀に尋ねた。
「北大西洋条約機構の頭文字を並べるとNATOだ。軍事同盟の一つで、ここでの銃弾の統一規格みたいなものだったかな。場末のチンピラ如きには似合わない、そういう代物だ」
全員が待機していた路肩から緑地と広い駐車場をまっすぐに進むとホテル・スカイスクレイパーのロビーに続く車寄せで、今は一般車両はなく、ドアマンもボーイもいない。アヤが事前に退避勧告を出していて、しかし完全退去する時間はないというタイミングなので、宿泊客は自室に、従業員はスタッフルームにでも避難しているのだろう。グリフィス500がフルスロットルからフルブレーキ。白煙を上げつつテールスライドさせて車寄せに滑り込む。と同時にバン! 再び神和の車が撃たれた。一発目はフロントグリルで二発目はドア。
SWATロゴのキャップと赤いウインドブレイカーを着た神和が運転席から飛び出して、そのままホテル入り口に走るが、その真横を大型ネイキッド、露草葵のドゥカティ・ストリートファイター1099が猛速度で抜けて、そのまま入り口の自動ドアを突き破った。ガラス枠を綺麗に抜けた露草のバイクは飛び散る破片を纏ってホテルロビーに着地して、それを神和が走って追う。
「ヘイヘイヘイ! 葵! ポイントマンを追い越すとかヤメレ!」
パパパン! 神和が走りつつ両手のサブマシンガンを左右に向けて撃ち、二人が倒れた。一人はハンドガンでもう一人は大きなライフルを持っていたが、二人とも肩と膝を撃ち抜かれて血まみれで転がっている。アサルトライフルを持とうとした男に神和が再びサブマシンガン、MP5を向けた。両手と腿から血を吹き出して、スーツ姿の男が吹き飛んだ。遅れて、といっても二秒かそこらだが、リー・リィンチェと方城護がブルーバード1800SSSから出て露草が砕いた入り口を抜けてロビーに入り、久作もXL50Sでロビーに突撃した。ガラス片でダートのような状態だったのでリアタイヤをロックさせてテールを滑らせ、柱の影から出てきた男をXLで弾き飛ばした。パン、と拳銃の音がしたが、男が持っていた拳銃は天井を向いていた。XLのテールで膝を折られた男は武器を落として床に転げる。
「しかしまぁ、派手なこった」
XJ40ソブリンから降りた乾が、煙草を咥えたまま中折れ帽子を被りなおした。パパパ! と神和のMP5の射撃音がホテルロビーに響いている。
「乾警部補? 神和さんが使っているあれは、機動隊が使うマシンピストルのように見えるんですが?」
大柄なグレースーツの隣にしわくちゃの桜桃ブレザーの須賀恭介が並んで、呆れ半分といった風に尋ねた。
「須賀の恭介くんにもそう見えるかい? 奇遇だな、俺にもそう見えるよ。あのアホは、どうしてもこのホテルを戦場にしちまいたいらしい。で? お嬢さん、橋井さんだったかな? その荷物はひょっとして、あのアホのかな?」
はい、と返したリカはスポーツバッグとギターケースのようなものを担いで、既に汗まみれだった。リカの眼前、スカイスクレイパーグランドホテルの一階ロビーで、露草のネイキッドバイクと久作のXL、神和彌子が走り回っていて、汗の半分はその光景が故だった。
神部市のスカイスクレイパーは県内最大規模の高級ホテルで、このご時勢で一泊二十万円といった価格帯なので、主に企業の接待などに使われている。外装はマンハッタン島のアールデコ様式を真似たシンプルな線だが、内装は昨年に改装され、モダンの手前のアールヌーヴォーテイストとアールデコが混在している。ティーラウンジには絵画や猫足のテーブルが並ぶが、受付周辺は外観の雰囲気のままで、ロビーは多様式が入り混じっており、今、そこをバイクが二台走り回り、キャップ姿の女性がサブマシンガンを撃ちまくっている。
名前だけ知っているホテルに入ったリカは建築様式の知識はなく、噂通りのゴージャスで広いホテルのロビーと、そこが既に戦場のようになっていることに驚きつつ、乾警部補の大きな背中に隠れつつ重い荷物を運んでいた。スポーツバッグの中身が物騒なものであろうことは承知しているし、ギターケースに見えるその中身も同じくなのも承知しているが、露草と久作のバイクの音と神和からの怒号と射撃音、それに混じる別の発砲音や呻き声に冷や汗ものだった。ルノーA310を飛び出してホテルに入ったサミー山田と橘絢、加嶋玲子はホテルの受付に取り付いたらしい。
先行した露草と神和、久作は早速暴れだしている。後続のリーと方城はただ歩くだけ。乾警部補と須賀恭介の後ろのリカがそれに続いて、アヤとレイコはサミー山田の護衛で受付へ。アヤはどうやら受付からホテルの防犯システムの類を奪うつもりらしい。
「ホークアイより各機! 第二司令室のCARASとリンク! 防犯監視システムは占拠した! 敵がもう五人来る! エレベーターホール側だ!」
「あいよっ!」
パパパ! 神和が返事と銃声を返して、敵が三人に減った。パパパ! 更なる射撃音で残る三人も沈黙。ゴン! と大きな音は露草のバイクが男を吹き飛ばした音だった。最後にアクセルを吹かす爆音がして、ロビーは静かになった。天井のスピーカからは南国リゾート風のBGMが流れているが、光景は戦場さながらである。
「ホークアイより各機。一階はほぼ制圧だな。パッケージ・ホップは二十二階、最上階のロイヤルスイート。こっちの損耗は?」
「ガッデムン! あたしのグリフィスにライフル弾を二発も入れやがった! マグ四本使い切ったけど、ダメージはないよん」
カシャン! 金属音は神和彌子がサブマシンガン、MP5のマガジンを抜いた音で、走り回っていたが声色に疲労はない。
「ふー。やっぱウチ、ドカはイマイチやわー。嫌いやないんやけど、デカすぎるで、これ」
フルフェイスを脱いだ露草が、早速煙草を咥えて応えた。
「こちらボギーワン、損耗ナシ」
「ボギーツーとリーさんは何もしてねーよ」
「ボギースリー、同じくだ。ロビーの敵勢力は無力化しているようだな」
「了解。ミッションプランをアップデート。まず――」
アヤが作戦開始を合図した直後に銃撃され、そこから神和を先頭に発進して、何故か露草がバイクでホテルロビーに突撃。それに久作も続いてロビーを走り回りつつ、安部か阿久津の部下らしき数人にXLをぶつけた。拳銃だかライフルだかを持っている相手もいたが、露草はお構いなしでドゥカティを滑らせて敵を弾き飛ばしていた。屋内と呼ぶには広いロビーなので遮蔽物は少なく、そこをバイクで走っていれば移動目標に拳銃を当てるのは相当に難しいだろう。当然、露草がそんなことを考えて突入したとは思えないが、少なくとも久作はそういったことを考えた。全部で二十人はいた相手は殆どが神和が撃ち抜いた。それも愛用のハンドガンではなく、MP5サブマシンガンで。
発砲音からスリーバースト射撃だと解ったが、そもそもサブマシンガンは近距離鎮圧用の武器で、スリーバースト・三発連射もそういった目的のものだが、神和はこれで精密射撃をやっていたらしい。屋内の混戦で、近距離でも遠距離でも敵が一人として死んでいない、久作はこれに驚いた。
「――速河久作、それとカリ使い。相手はどんなだ?」
アヤが訊いて来た。久作や神和彌子が拳銃や軍隊の知識を持っているので、安部や阿久津の部下がどういう人種なのか、それを確認しているらしい。神和が応えた。
「うーん、まあチンピラじゃあないな。ギャングとも違う。長物はカービンとかSPASとかの東側だし、ハンドガンもグロック、SIG系列。割と最近の、性能のいい火器でブラックマーケットではあんまり見ないんじゃねーかな? 動きはかなり慣れてる風だったけど、屋内戦闘に手間取ってるようにも見えたかな? 至近距離で撃てないようだったし、良くてゲリラ崩れとかそっち系だろうね。特殊部隊って線はあるけど、諜報系だとしても使い捨ての末端じゃねーかな」
「僕からも似たようなイメージかな。装備は最新に近くて戦い慣れてるけどステージが違う、そんな印象だよ。工作員とかシークレットサービスなんて種類じゃあないけど、無駄に撃つようなことも少なかったから、前線帰りが指揮してるってイメージかな」
少なくとも素人ではないが、かといって歴戦の戦士と呼ぶほどでもない。素直な感想にアヤが相槌を打った。
「了解。テロリストってんじゃあ漠然としてて戦術組めないんだけど、何となく解ったよ。防犯システムは掌握したけど、早速取り返しに来てる。展開した防壁の半分がもう破られてる。クラッカー・パートリッジが相手なら防戦で一杯だけど三十分は大丈夫。状況をアップデート。ルートは三つ。エレベータ、屋内階段、非常階段。どれも待ち伏せ、トラップが予想されるけど、全ルートを潰しながら進もう。残したルートから後ろ取られるのは賢くないからね。非常階段は公安とオッサンとレーコ。屋内階段はラピッドファイヤーと速河久作。メインのエレベータにカリ使い、須賀恭介、リカちゃん。あたしはここから全体の指揮で方城護がガード。葵ちゃんはメインのエレベータルートに同行。階段組はそれぞれにカヴァーしあって屋上を占拠。そこから下ってメインと合流、パッケージ・ホップを保護だ。オーマイガッ! 第二段階、スタート!」
――非常階段ルート。サミー山田巡査部長、乾源一警部補、加嶋玲子。
「しっかし、階段ってのは中年にゃ堪えるよ」
十七時を過ぎてまだ明るい市街地を眺めつつ、三人は早足で外付け階段を登っている。乾が先頭でレイコを挟んでサミー山田が拳銃を構えている。
「お壌ちゃん、加嶋さんは元気だね?」
ふっ、ふっ、と息遣いは荒いが、レイコはきびきびと手足を動かしていた。
「私は無限スタミナの元気マンなのでーす」
「乾警部補? マナミレポート、あれをどう思います?」
ブラウンのショートボブの向こうからサミー山田が訊いて来た。サミーも若干息が荒いが、乾ほどではない。サミー山田は乾より若いのだが、黒いスーツや険しい表情、低い声色から乾に似た貫禄がある。
「さて、どうだろうな。安部の野郎の素性だの性格だのは旦那のほうが詳しいだろうが、陸自でPKOなんぞをやって、ベルギーの米大使館爆破未遂の間の空白期間、ここいらに野郎を動かしてるモンがあるんじゃねーかな」
「レッドスターはセルビアのテロ組織で、あの辺りは日本人への心象は悪くない。元自衛官という肩書きと実際の能力をレッドスターが拾い上げたというのは、なくはない。解らないのは、活動範囲を黒海沿岸にしていた阿部が日本に戻ったことと、身代金誘拐なんて陳腐なことをやった、ここです」
うーん、と乾は不精ヒゲの顎を握って唸った。
「ノワール、リトルトーキョーを拠点のあのチンピラ集団だが、安部と阿久津がいなけりゃ文字通りのチンピラだ。奴らが厄介なのは他所の組織とのパイプだが、そのパイプの殆どは安部が持ってたモンだ。レポートにあった阿久津と麻薬王ノエルはまあ在り得るが、阿久津零次が持ってるのはノエル・ギャラガーだのマイヤー・フランスキーだののヤク関連。資金源にするにゃ美味い話だが、ノワールや阿久津にノエルと対等に交渉するだけの力はない。逆にノエルがアジアマーケットを拡大しようとして、それに阿久津を利用してると考えるのが自然だろう。サミーの旦那が気になるのは、そこに安部の野郎が絡むってのと、誘拐だろう?」
咥えた煙草のフィルターを噛んで煙を吹き、乾が前を向いたまま尋ねた。
「結果的に四百億になるにしても、誘拐というのは資金稼ぎには向いていない。それこそ薬物マーケットだけで回収出来る。ノエルはユーロ圏を拠点にしていて、アジアマーケットの拠点として日本を選ぶにしても、そこに安部の事情が重ならないんです。レッドスターはセルビアからキプロス、シリア、ヨルダン辺りが活動範囲で安部はこれに同行していたと考えられる」
「ふーん。つまり、ユーロのノエル・ギャラガーやNYのマイヤー・フランスキーとも、南米の阿久津零次とも重ならないと。ノワールは所詮はチンピラ集団だが、本来肩を並べないであろう安部と阿久津が何故か日本で共同戦線……繋いだ奴が?」
「そう考えるのが自然でしょう。安部に思想的なバックボーンがあるなら女子高生誘拐ではなく本業の爆弾テロ、こちらでしょう。つまり、日本での今回の動きは――」
ババン! 金属の手摺から火花が散って、サミー山田は前にいたレイコの頭を押さえて拳銃を構えた。建物から拳銃を持った二人が出てきた。が、乾は手前の男の手首を握って捻り上げ、左掌でもう一人の鼻柱を砕いた。握った手首はそのまま折って膝をみぞおちに入れて、二人はあっという間に気絶した。
「加嶋さん、怪我はないかい?」
新しい煙草に火を点けつつ乾が尋ねる。突然の銃声に驚いていたレイコだが、中折れ帽子をくいと上げる乾に一泊置いて返した。
「……凄い! オッサン強い!」
「いや、こちらさんからもオッサン呼ばわりか。まあいいが、サミーの旦那?」
「問題ない」
「安部と阿久津を繋ぐ奴、ね。ここらは当人に訊くのが一番だろう。しかし、こっちは手薄だな。その分、別が厄介かもしれんが俺らは取りあえず上まで押さえて、そこから下るしかないか。しかしなぁ」
足は止めずに乾がぼやく。
「この人選はどういう考えなんだ? 俺かサミーの旦那、一人で足りるだろうに」
――エレベータルート。神和彌子巡査部長、須賀恭介、橋井利佳子、露草葵。
「二十二階ビルの最上階が目標の敵陣でエレベータで移動するとか、屋内戦闘の定石を無視しまくりだな」
二挺のサブマシンガンをスリングで首から吊った神和が、リカが運んでいた荷物を漁りながらぶつぶつ言っていた。エレベータは大型でちょっとした部屋ほどの広さがあった。
「速河の戦術はつまり、そういった定石で動く相手の虚を付く、そういうことでしょう。アヤくんがルートを三つに分けたのも同じくで」
須賀恭介の説明に、神和は適当に頷く。
「まあ、そうだろうね。エレベータなんて、常識で考えたら棺桶だぜ? ドアが開いた瞬間に撃たれるとか、エレベータシャフトにグレネード放り込むとか、始末の仕方はいくらでもある。だから軍人どころか警察官だってこんなルートは使わない。ところが、このルートが一番早い。突撃のタイミングはトラップを設置するには少なくて、人員配置にはギリギリ。別に階段なんかがあって戦力を集中ってのは無理だから、待ち伏せされるにしても数は知れてる。向こうにしたってこのルートは撤退用に残しておきたいだろうから、物理的に潰すってのはまずしない。ってのは、屋上からの空路がなければの話だけ、ど?」
ポーンと軽快な音がして、次の階、十九階でエレベータが止まると表示された。
「早速だな。先行はあたしで、薫子ちゃんの弟くんは待機、って、こんな状況でどうもこうもないか。五秒で終わりだ」
ガコンとエレベータが鈍く揺れて止まり、扉がゆっくりと開く、と同時に、神和はトリガーを引いた。
ドドドドド!
エレベータ内に破裂音と火薬の匂いが充満し、リカは両耳を押さえて悲鳴を上げて座り込んだ。小柄な神和を包むような巨大なマズルブラストに露草は顔をしかめて、須賀も眉をひそめる。ドン! と最後の一発を撃ち終えた神和がブレン軽機関銃を構えたままエレベータホールを眺める。ホールには八人、太股から下辺りを機関銃で蜂の巣にされた男が倒れて呻いていて、背後の壁がボロボロになっていた。
「エニー、ミニー、マニー……八人? 三十連発マグ一本で八人、ま、そんなところか。全員生きてるよな? うん、オーライ。では、上に参りまーす。シーユーアゲン、バイバーイ」
彌子はブレンガンのバレルでエレベータボタンを押して、ほぼ一瞬で蜂の巣になった八人に別れを告げた。
――屋内階段ルート。リー・リィンチェ一級警司、速河久作。
ゴッ、と鈍い音がして、男の顔が壁に激突した。続く二人目は拳銃を持っていたが、リーは男を壁に埋めた左足をそのまま振って拳銃を弾き飛ばし、その反動のように飛ぶ左足で顎を砕いた。リーが先を歩き久作が続いていたが、二人が出て来て一人目を左の蹴りで始末したリーは、上げた左足をそのまま左右に振って、二人目も始末した。あまりの速さに久作は、気絶した二人の顔や表情さえ捉える暇がなかった。
「至近距離では拳銃よりもナイフが早い、なんてことを訊いたことがあるんですけど、リーさんの蹴りはナイフですね」
「はい。僕は拳銃は嫌いですし苦手ですから」
ビッとスーツの襟を正して、リーは久作に笑顔を向けた。ラピッドファイヤー、速射、それがリーという警察官の渾名だと聞いたが、リーの蹴りはまさしく速射だった。出てきた二人とも拳銃を既に構えていたが、リーの蹴りはトリガーよりも早かった。それでいて威力は一撃で相手を気絶させるほど。このルートはリー一人で充分だと思ったが、アヤは気まぐれで人選などしないので何か考えがあるのだろう。階数表示は十八階、そろそろ目的地だが、予想したよりも妨害は少ない。一階ロビーでかなりの数を相手にしたことと、ルートを分散していることでこちらに戦力を割けないのだろう。
「速河さんはアユム・マエムラのお友達ですか?」
階段を登りつつ、リーが尋ねた。
「いや、クラスは違いますし、リンさんという友達の同級生で、喋ったのは一回か二回、そんなです。そんな薄い関係なのにこんな危ないことを考えるというのは、やっぱり奇妙に見えますか?」
「速河さんは蛇尾(じゃび)を知っていますか?」
いいえ、と久作は返した。そういう組織があると県警本部で聞いたが、実際どうなのかは知らない。
「蛇尾は密入国斡旋組織で、売春や人身売買もやります。大きな組織で政治家とも関係があるので、拠点に踏み込めません。市場を世界に広げるために日本にも拠点を作ろうとして、アクツに協力しています。これは阻止したい、だから僕はここにいます」
売春は日本でもある。人身売買も実際にあるが、報じたり調査したりする動きは殆どない。久作はテレビを観ない。ニュースソースには利害関係による操作がされており、真相よりも利益が優先されるからだった。テレビに限らずあらゆる情報に対して久作はそういったスタンスを取っている。
蛇尾が行う人身売買は、リーにとっては撲滅すべき犯罪で悪だが、久作にはそれに巻き込まれた前村歩を救い出す、だけ、の行為でしかない。ノワールというチンピラだかに対しても、安部祐次というテロリストにも、阿久津零次という教師にも、久作は同じ態度しか取れない。自分の範囲内ならば相手をする、全力で。しかし見えない所でなら無関係、そう割り切る。万能ではないからこそ限りある正義を範囲内でのみ使う、こんなものは正義でも何でもないと頭に刻んで。
バン、と派手な音で扉が開き、男が出てきた。リーの後ろで久作の目の前。その右手に拳銃が見えた。リーが振り返ると同時に久作は右足を一歩踏み出して、左足で拳銃を真横に蹴り飛ばし、振り抜かずに踵を左に向けて男の顎を狙った。ゴリッ、と鈍い音がして顎が見て解るほどずれて、男はその場に崩れた。
「……速河さん、見事です。とても素晴らしいです」
リーの科白に久作は首を傾げて足を下ろした。
「え? ああ、いえ。さっきのリーさんの蹴り、あれを真似ただけですよ?」
そう説明するが、実際は体が勝手に動いただけだった。久作の使える格闘技は我流の八極拳で、これには基本的にハイキックはない。その八極拳にしたところで、アヤが夢中な3D格闘ゲーム「ミラージュファイト」シリーズでキャラクターがする動きをトレースしているだけで、方城のように日々トレーニングといったことも全くない。須賀よりはマシ、その程度の身体能力と膨大な知識、そして桁外れの集中力、オーバーコンセントレーションを組み合わせた結果が速河流八極拳で、今の二段蹴りも、リーの動きをトレースしただけである。
それでも、目の前に顎が外れて失神した男が転がっているのは事実だった。
―― 一階ロビー。橘綾、方城護。
「よっし! やっぱし速河久作はラピッドファイヤーと一緒で正解だ!」
監視モニターに映る久作を見ていたアヤは、ぐっと拳を作って満悦だった。ロビーには二十人ほどが呻いているが、拳銃を使うどころか立ち上がることも出来ずなので、護衛役の方城護は退屈だった。
「速河? アヤ、今度は何を仕込んだんだ?」
椅子に座って腕を組んでいる方城に、アヤはガッツポーズ。
「速河久作の強さの秘密がさ、トレース能力だってのに気付いてるの、あたしだけだろうねー」
「トレース? 追跡とかそんな意味だっけ?」
英語にめっぽう弱い方城が尋ねる。
「そう。速河久作って、見た動きをそのまま完璧にリプレイ出来るのよ。八極拳だってミラージュ1のカラミティの動きで、ミラージュ2で追加された技はまだ使えないんだけど、もしかしてラピッドファイヤーの技をコピーできるかもって、そういう配置」
「ってことは……」
方城は昨晩、リーがノワールのチンピラに繰り出した技を思い出した。
「速河はサマーソルトキックとかやれるって?」
「方城護が見た奴ね? まだ無理だろうけど、ラピッドファイヤーが速河久作の前で一回でもそれやれば、出来るようになるんだよ」
「そりゃまぁ、実際そうなんだから驚くでもないけどよ、速河は基礎トレとかやってないんだから、そんな大技使ったら体が持たねーだろ? リーさんの技ってのはさ、俺は素人だけど訓練の賜物だろ? やれるにしたって体がついていかねーよ」
超高校生級バスケットプレイヤーの方城だが、才能と呼べるものはきっちりと支えるトレーニングあってこそだと自分が一番理解している。NBA選手の華麗な動きを見て、それが才能ではなく練習の成果だと理解できるからこそ、方城は日々のトレーニングを欠かさない。観て真似る、そんな簡単な話ではないが、速河久作にそういった能力があることは知っているが、トレースだかで再現するにしても身体能力が必要なことに違いはない。
「だからさー。あたしは速河久作に格闘家として本気でやって欲しいなって思うんだけど、本人にそのつもりがないんだから仕方ないじゃん?」
「それは大事だぜ? やる気がない奴は伸びないし、本気じゃない奴は強くはなれない。速河はさ、こう、何か一つに本気になるとか、そういうタイプじゃねーよ。良くも悪くも万能のオールラウンダー。しかもリミット付き。控えのベンチにいれば使える要員だけど、スタメンでは出せないって感じだな」
何もかもをバスケットボールに例える方城だが、言いたいことは伝わったらしくアヤが唸っている。
「そうなんだよなー。速河久作ってトランプで言うところのジョーカーなのよ。使えるのは一回だけど無敵。しかも自分で判断して動くジョーカー。文字通りの切り札なんだけど、オート発動するジョーカーってのは手札としてはどうにもね……レーコルートはもうすぐクリアだな。リカちゃんのほうが本命に近いけど、速河久作はちょっと遅れてるか」
監視モニターとは別の持ち込んだノートPCに、上下に揺れる中折れ帽子、乾警部補が映っている。レイコの胸にあるCCDカメラからの映像で避難階段組の状況が解る。エレベータ組はリカが持つCCDで、もうすぐパッケージ・ホップ、前村歩のいる二十二階に到着しそうだった。
「須賀はどうしてる?」
「葵ちゃんとリカちゃんと一緒でカリ使いの後ろだよ。あのミコって人は最大戦力だな。サブマシンガンだの機関銃だの、スゲーよ。日本の警察も大したモンだね。一人じゃあ、と思って須賀恭介を一緒にしたんだけど、出番ないし」
「俺もだよ」
それが不満ということもない。テロリスト軍団を相手に出番がないのは実に良いことだが、前村だか歩だかの救出に助力出来ないことに方城は、若干燻っていた。そんな方城の気分を察したのか、アヤが口を開いた。
「方城護はさ、葉月巧美の時に活躍したからいいんだよ。須賀恭介はテロリスト安部とネゴシエイトやったし、二人とももう活躍してんの。方城護も言ってたろ? ベンチ要員がいるからスタメンが戦えるって。今回のは警察の仕事に速河久作が無理矢理頭突っ込んでるんだから、出番がないってのはいいことじゃん」
そりゃそうだ、と頷いて、方城はアヤの手元を見た。喋っている最中もずっとキーボードを叩いているアヤがアンディ・パートリッジと攻防していることは、パソコンの類に疎い方城には解らない。パートリッジがホテルの監視システムに侵入を仕掛けて、それにアヤが防壁を展開したり別のところに誘導したりを、県警第二通信司令室のオペレータ、羽生巡査と一緒に行っている。
方城から見ると、どうしてマウスを使っていないのか、そんな程度だが、このネットワーク上の攻防がホテル内では一番激しい。
――避難階段ルート。乾源一、サミー山田、加嶋玲子。
「公安の旦那、こっちは無人だ。そっちは?」
「こちらもです。ひとまず屋上は占拠ですね」
「……高ーい! アクロスが観える! あれ! ロータリー?」
スカイスクレイパー・グランドホテル屋上からの景色に、レイコは大喜びだった。そろそろ日が落ちる時間だが、二十二階に吹き抜ける風は冷たく、地上の熱帯夜とは無縁のように感じた。蘆野市の市街地と神部市の市街地はこの高さからだと同じように綺麗に輝いて見えるが、蘆野アクロスとリトルトーキョー、そこの実際の様子は正反対である。それも、ホテル屋上からだと区別はなく、両市街地とその先の住宅街、港、海はくるくると回る万華鏡のようなきらびやかさだった。スカイスクレイパーの宿泊費用はべらぼうだが、カフェラウンジと屋上はデートスポットでもあり、週末になれば遠征してきたカップルで賑わう。
「加嶋さん、俺とサミーの旦那は下に向かうが、きみはここで待っていてくれ。戻るルートは危険だし、俺らと一緒でもだから、ひとまずはここにいるのがいいだろうよ」
煙草を吹きながら乾が言うが、レイコは景色のほうに夢中だった。
「アイアイサー!」
返事は元気なレイコだが、すぐに海のほうに視線を移し、きゃーきゃーと騒ぎ出す。
「影山本部長がSATを動かせば、おそらくここのヘリポートを利用するでしょう。私と乾警部補は屋上へのルートを塞ぎつつ、神和巡査部長らと合流し、安部、阿久津らを確保、前村歩を救出です。加嶋さん、ヘリコプターが来たらそれは仲間ですから、慌てないように」
「アイサー!」
びしっ、と敬礼するレイコだが、くるりと反転して今度は蘆野市方面を眺めて足をバタバタさせる。
「乾警部補、行きましょうか」
「ああ、そうだな。全く……」
若い奴はわからん、そんな愚痴が出そうになりつつ乾は煙草を継ぎ足し、屋内階段に通じるドアをくぐった。
――エレベータルート。神和彌子、須賀恭介、橋井利佳子、露草葵。
ドドドドド!
二十二階フロアで神和のブレンガンが吼える。バラバラと飛ぶ薬きょうで足元は一杯で、視界は巨大なマズルフラッシュで真っ白、硝煙が廊下に充満している。
「シェット! 敵が無限増殖じゃん! 一分隊三十人ってとっくにオーバーしてるって! 橋井さん! マガジン!」
「はい!」
リカはスポーツバッグから重たい予備弾装を取り出し神和に渡す。ブレンガンのマグチェンジの合間は二挺のサブマシンガンの発砲音が続く。リカが持たされたスポーツバッグにはブレン軽機関銃の予備弾装が山ほどあったが、既に半分以上を消費していた。目的のロイヤルスイートは眼前だが、そこから武装した敵がぞろぞろと出てくるので、神和はエレベーターホールでブレンガンを撃ち続けていた。相手も拳銃やライフルを持っているが、ブレンガンの連射が続くのでそれをこちらに向ける隙がないようだった。神和が致命傷を避けるように照準しているので、負傷した仲間を部屋に連れ戻す様子も見える。神和とリカは忙しいが、須賀と露草は持て余していた。エレベータが停止してブレンガン掃射が始まってしばらくして、露草はとうとう煙草に火を点けた。
「こら葵! エレベータは禁煙! んがー!」
ドドドドド!
神和の腕でもさすがにブレンガンで精密射撃は難しく、目的のロイヤルスイートのドアや通路壁はボロボロになっている。
「そんだけ鉄砲撃ってて、禁煙もへったくれもあるかいな」
「ガッデムン! ブレンガンが警備部に予備マグ満載であったのは嬉しいけどぉ! これ使わないとダメなシチュエーションってのはぁ! シェット! 勘弁してくれー! 橋井さん!」
「はい!」
リカが巨大な弾装を神和に手渡す様子を見る須賀は、わんこそばのようだ、そんなことを思っていた。マグチェンジの数秒はMP5サブマシンガンで埋めて、再びブレンガンが吠え出す。前村歩、安部祐次、阿久津零次らがいるであろう部屋の前は血の海だが、奇跡的に死体はない。
ドアや壁の破片で散らかっているが、敵が落とした拳銃などはあっても、死体も手足の一本もない。銃火器の知識はあまりないが、そんな須賀でも神和の腕前がかなりだろうとは解った。
それにしても、神和ではないが、敵が際限なく出てくることに須賀は険しい表情だった。このフロアにはロイヤルスイートが二つだけだが、どうやら片方に山ほど潜んでいたらしい。全ルートを合わせるとロビーからここまでで既に五十は相手にしているが、それとは別でこのフロアだけで二分隊六十人規模の兵力を温存していたようだ。別ルートの様子はアヤから簡単に聞いたが、やはりここに戦力が集中しているようだった。
須賀が気にするのは前村歩の状態だが、警告もナシでいきなり軽機関銃を向けてくる相手に、人質は全く無意味だろう。安部からすれば、貴重な人質である前村を神和のブレンガンから守る、そう考える筈だ。屋上からヘリなどで離脱するというルートは乾警部補らが潰しているし、ブレンガンで部屋の前を塞がれているので動けない。
ホテル外からの増援がないことから、安部の戦力はここにある分が全てで、ノワールのチンピラが来る様子もないことから、ノワールの一部、幹部のような人間だけが安部や阿久津と連携していて、それはロビーから途中ルートで使い果たしたのだろう。テールガンの方城護が交戦状態にないことも、増援による挟み撃ちの恐れがない証だ。
「神和さん! これで最後です!」
リカの大声に神和が舌打ちした。
「了解! 白兵準備!」
やれやれ、と須賀は大袈裟にゼスチャーしてエレベータからフロアに歩いた。
「リカくん、ご苦労様。そろそろ交代だ。その物騒なバッグは彼女に託して、一休みしてくれ。向こうの階段、あそこから速河たちが出てくるだろうから合流するといい」
「残り十秒で入り口前を占拠するぞ!」
フロアに据えたブレンガンを持ち上げつつ、神和が怒鳴った。
ドドドン! 最後の一発を撃ち終えたブレンガンを床に放り投げ、神和は両手にサブマシガンを握った。
「部屋にどれだけ残ってるか不明だけど、突撃……」
神和の科白が止まり、フロアがいきなり静かになった。キチキチ、とブレンガンのマズルが熱で伸縮する音が大きく聞こえる。
「へ……変なのが出た!」
サブマシンガンを構えたまま神和が叫んだ。どうやら耳が麻痺しているらしい。変、とまでは言わないが、確かに奇妙だった。大柄の黒人でアロハシャツを着ているが、武器らしい武器はない。その隣にこちらも黒人。太めで脇に拳銃があるが、両手にはなにもない。
「さすがに、丸腰相手に発砲ってのは抵抗あるなー。いや、撃っちゃうほうが早いのかな? えーと、フリーズ!」
神和が警告しつつサブマシンガンを向けるが、大柄は無表情で、太めはニタニタしつつこちらを見ている。
「神和さんも一休みして下さい。最終決戦はもう少し先でしょうから、ようやく俺の出番といったところだ」
薬きょうを踏み、焼けたブレンガンをまたいで須賀はロイヤルスイート入り口に歩きつつ、両手をブンと振り下ろした。ジャカッ! 金属が摺れる音と同時に須賀の両腕から銀色の突起が伸びた。
「うわ! もみあげウルヴァリンが爪出した! やっぱし葵の息子はミュータントか!」
「アホは黙っとけ。橋井、一服せい。ほれ、コーヒーや」
ポットを持った露草とリカはエレベータで休憩し、両手に伸縮警棒を握った須賀が、ゆっくりと黒人二人に向かう。
ドン、と音を立てて扉が開き、リーと久作が二十二階の通路に出た。角を一つ曲がると、火薬と血、埃が充満していた。煙る中に二人が見えて、その向こうに桜桃ブレザー姿の須賀恭介があり、すぐ後ろに赤いウインドブレイカーの神和がいた。
「ミコさんはまだ部屋に入っていませんですね」
リーが言うと太めの黒人が振り返った。脇に拳銃を下げているがそれを抜くでもなく、ガムでも噛んでいるのか、ニタニタした面構えが動いている。
「須賀? 状況は?」
リーに並ぶように慎重に歩きつつ、久作は尋ねた。
「見ての通りだ。神和さんが相当数を始末したんだが、弾切れ直後にそこのご両人が出てきた。用心棒だとかそんなだろう。射殺してしまってもいいと俺は思うんだが、まあいい。神和さんにばかり任せていたし、遅ればせで俺の出番、そんなところだ」
伸縮警棒を両手の須賀が入り口前の二人と距離を詰める。神和はいつでも発砲できるようにMP5を構えているが、射線がリーや久作に重なるので撃ち辛いだろうとも解る。更に距離を詰めた須賀に対して、大柄の黒人が大きな拳を二つ作って構え、須賀を睨み付けた。
身長は二メートルを越えて、アロハシャツの下は筋肉の塊で手足は長くて太い。ボクサーかプロレスラーか、そんな雰囲気だ。須賀からは見えない背部、腰にヒップホルスターがあり、大型リボルバーが収まってもいる。一方の小柄で太めの黒人はリーに向かって散歩でもするような様子で歩いてきた。脇のホルスター以外に武器はなく、構えるでもない。前に出ようとした久作をリーが制して、リーも同じく歩き出した。
ブン、と風を切る音がする強烈な右ストレートを右の警棒でさばいた須賀は、すり足と同時に左を撃ち込む。ストレートで空いた脇腹を狙った警棒がドンと鈍い音でヒットする。が、大柄の黒人はその打撃を無視して左拳を放った。こちらも強烈に早い。須賀は右の警棒で拳を受け流し、左で脇腹を狙う。再びクリーンヒットだが黒人は顔色も変えずに、今度は右足を振り上げた。ストレートと同じ速度の重たい蹴りを須賀は二刀でさばき、右の脇腹に二撃、ドドンと警棒を叩き込む。だが、ハイキックを降ろした黒人は殴られた場所をちらりと見ただけで、また構えた。
「これはまた、厄介だな」
ふう、と小さく深呼吸した須賀が呟いた。須賀は剣道の有段者だが、二刀流なので部活動には参加していない。腕前は剣道部主将を秒殺し、大学大会入賞者も同じく秒殺するほどだが、おそらくキックボクサーであろう大柄の黒人は、そんな須賀の二刀を脇腹に受けて、それを筋肉でガードした。竹刀ではなく金属製の警棒の打撃を。つまり、この黒人に打撃は通用しない。神和の持つマシンピストルでも致命傷を与えるのは難しいかもしれない。須賀の一撃は9ミリ銃弾より破壊力があるが、それをこのキックボクサーはガードするでもなく筋肉だけで跳ね返した。須賀よりも二周りほど大柄な相手なので頭部を狙うのは難しく、重くて速い両方のストレートとハイキックをさばいた動きから打撃に繋ぐ須賀の動きは本気だが、体でそれを受けるというのはまるでプロレスラーだ。須賀が試合ではなく実戦寄りの剣道を扱うにしても、これは面倒で厄介だろう。
普段なら須賀の一撃がヒットすればそれで終わりだが、今は相手の一撃を貰えばそれで終わりだ。須賀が苦戦する姿は初めてだが、そんなことを考えているうちにもう一人の、キックボクサーに比べると小柄にも見える黒人がリーに寄った。
バン! リーの右足が地面からニヤけた黒人に飛んだが、ジャックナイフのようなリーの蹴りを黒人は左手で弾いた。見た目からは想像出来ない機敏な反応に、久作は驚いた。右足を浮かせたままリーは止まり、とん、と右足を下ろし直線の左足を突き出す。バン! 相手はこれも弾いた。いや、正確には受け流した。回し蹴りの動きからの直線の蹴りをニヤけた黒人は両手でさばいて、裏拳を放った。まるでリーの蹴りの勢いをそのまま返すようなカウンターの裏拳は、リーの両肘でブロックされる。バン! とこちらも派手な音がして、リーはブロックした体勢から左拳を突き出すが、またしても受け流し、ヒットしない。太めでニヤけた黒人はリーを嘲(あざけ)るようにガムをくちゃくちゃと噛み、しかし無言。対するリーも無言で、普段の笑顔は険しい表情に変わっていた。
―― 一階ロビー。橘綾、方城護。
「何だこいつら! 須賀恭介とラピッドファイヤーが苦戦って! データ検索!」
二十二階の様子を監視モニターとリカのCCDカメラで観ていたアヤが慌ててデータベースを閲覧した。ノワールの帳簿やメンバーリストといった、警察捜査の決定的証拠になりそうなもので、これは後日、警察に提出するつもりだった。
「……出た! こいつか! チェット・アトキンス、アメリカ国籍。入国記録は削除されてるけど、阿久津の南米時代からのボディガードってところか? んで、もう一人は……クリス・インペリテリ。フランス国籍だけど、年齢なんかは偽造だろうね。こっちはノエル・ギャラガーと安部との連絡係兼用心棒か。アトキンスのほうはキックボクシングで、クリス・インペリテリってのはマーシャル……いや、コマンドサンボ?」
「サンボってあの踊りの?」
方城護が訊いて、アヤが口をぱかん、と開けた。
「そりゃサンバだ! コマンドサンボ! ロシア、旧ソ連の軍隊格闘だよ! あんな体でラピッドファイヤーと互角って本物だな。いや、あんな見た目ってのはそれ自体がフェイクで、拳銃を使わないってことは……諜報系? チェーカーか?」
ノートPCをばたばたと叩きつつ、アヤは独り言に熱心だった。
「チェーカーってのは元KGBとかKGB崩れとか、そんなだよ」
方城から質問が来るより先にアヤは説明し、続ける。
「KGBってのは旧ソ連の諜報機関、ソ連国家保安委員会。通称がケージービー、もしくはカーゲーベー。崩壊と同時になくなったってことになってるけど、工作員は世界各地に分散してて、その一部をマフィアなんかが拾い上げてるって噂。要するにCIAとかロシア版のダブルオーセブンだな。直系で現存してるのはロシア連邦保安庁。麻薬王ノエルくらいになったら側近にチェーカーがいても不思議じゃないけど、恐ろしく現場慣れしてるこの手合いは面倒だぞー」
「橘さん――」
通信は屋上を占拠して下っている公安のサミー山田だった。
「――クリス・インペリテリは我々公安がマークしている一人だが、安部祐次とノエル・ギャラガーの麻薬の線で浮かんだ一人だ。年齢と国籍はダミーだろうし、経歴は抹消されている。ノエルの隣にちらちらと姿を見せる奴だが、そいつが元KGB?」
「あくまであたしの想像だけど、軍人、元軍人なら格闘戦なんてしないっしょ。しかも使ってるのがコマンドサンボなら西側ってのは確定で、フランス辺りならサバット。拳銃を使わないのは痕跡を残さない隠密行動が原則で地味で目立たないように動くから。その上でユーロ圏の麻薬王ノエルと同行してるんなら、バックの組織を持たないフリーランス。単独でラピッドファイヤーと互角に戦える腕前ならチェーカーって線は強いと思うよ」
「だとすると……」
通信の向こうでサミー山田が考え込んでいた。
「黒海沿岸のテロリスト安部祐次と南米から力押し企業の幹部の阿久津零次。この二人が日本で共闘する理由が見当たらず、また、二人の活動範囲も重ならずで、二人を繋ぐ人物を探していたんだが、ノエルの側近に元KGBがいるのなら構図はぼんやりと見えてくる。ノエルの市場はユーロ圏で日本を拠点にアジアマーケットを開拓、これがノエル・ギャラガーの狙いでそれに阿久津零次が乗った。安部祐次とレッドスターはトルコ、シリア、ヨルダンで活動するための資金を阿久津とノエルから得る。見返りは……アラビア半島の麻薬市場といったところだろう。だが、やはり日本で、誘拐という動機にするには弱い。資金源なら他でいくらもあるだろう。仮に安部に日本に対する思想的背景があれば別だが」
うーん、とアヤは唸って、返した。
「安部祐次が日本とか自衛隊とかに何かってのはないんじゃないかな? PKOとかセルビアでの戦争体験なんかで思想掛かった風になってるなら、真っ先に狙うのは政府関係者とかの要人でしょ。大使館、領事館、それか自衛隊駐屯地、この辺りを狙って声明を出す。そんなならチンピラのノワールと一緒ってこともないだろうし、同志と行動するでしょ。単なる資金集めで誘拐だとして、それがビジネスライクなものだとしたら、警察にマークされてる阿久津零次、ノワールと一緒ってのは賢くない。リトルトーキョーに潜伏するにしてももっと目立たない組織はいくらもある。ノワールはスネークテイル絡みで中国公安にもマークされてるんだから大袈裟なことやるには向いてないしさ。ただ……」
「ただ?」
「そもそも速河久作が今回の作戦を思い付いたきっかけ、あれをどう解釈するかで話は全く変わってくるね」
「合衆国に対する……挑戦?」
「それをそのまんま鵜呑みにするのはどうかと思うって、そんだけ。パートリッジからのアクセスがうっとおしい! 伝説のクラッカーだか何だか知らないけど、ウルトラアヤちゃんナメんなー!」
――二十二階、ロイヤルスイート前の廊下。
ブンと風を切るチェット・アトキンスの右ストレートはまるで大砲のようだが、須賀恭介はそれを二本の警棒でさばいて、ぐるり、警棒で脇腹を再び殴り付けつつ、すり足で移動する。続く左ストレートもさばいて空いた左脇腹に二発の打撃を入れるが、アトキンスにダメージはないように見える。
脇腹を狙える距離に入ると膝が飛んでくるが、須賀はそれを紙一重でかわしつつ、真横から背中を警棒で叩く。須賀に向けてタックルを仕掛けてきたアトキンスがそのまま壁に埋まり、それをよけた須賀は更に二発、脇腹を打つ。肩を壁に埋めたアトキンスがゆっくりと出て来て須賀を睨み、構えた直後にローキックを放つ。須賀はそれを左の警棒で叩いて流しつつ移動し、距離をとる。
「全く、不愉快な奴だな、この大男は」
下段に構えた須賀が珍しくぼやいた。
「有効、一本を二桁で入れていて涼しい顔とは。竹刀では不足だろうと警棒を持参したが、こんなことなら日本刀でも持ってくれば良かった。それにだ。俺は短期決戦が基本で、この無神経な鈍感男などと遊ぶ趣味もない」
「須賀くんが、苦戦してる?」
エレベータから恐る恐る顔を出すリカが不安一杯の表情で呟く。リカが知る須賀恭介は高等部からだが、須賀が竹刀や木刀を握った場合、相手がナイフを持とうが凶暴な大人だろうが、たいていは三十秒以内で勝負が決まっていた。それが二刀の場合はその半分、十五秒といったところ。普段は本を片手に嫌味を撒き散らす変人だが、いざ武器を持てばまさしくサムライで、速河久作にも負けない無敵ぶりだった。そんな須賀の必殺を目一杯喰らっているはずの大柄の黒人、アロハシャツを着た男は、気絶どころかよろめきもしていない。アロハシャツのパンチやキックは強烈で、空振りに終わっているが唸りはリカの位置でも聞こえる。タックルは壁に大穴を作り、力任せの大技でも相当な威力だと解る。
ドッ! と鈍い音で須賀の警棒が大柄の膝、ジーンズを横から打つが、こちらも筋肉で跳ね返した。
「神和さん!」
「援護射撃ってか? あんだけ密接してて、しかも後ろにリーさんとかいるから、それはちょいと難しいぜ?」
両手にサブマシンガンを構えてはいるが、言ったように撃てる状況でもないので神和はロイヤルスイート入り口をちらちら見ている。
「あたしが警棒で加勢って手もあるんだけど、観てる限り薫子ちゃんの弟くんはソロファイトタイプで、あたしも同じく。呼吸合わせてなんて器用な真似を、あんな大物相手に即席でやるってのはどうもねー。おっ? リーさん、まだ苦戦してる。あっちも大変だなー」
チェット・アトキンスと須賀恭介の攻防に比べて、リーとクリス・インペリテリは三倍ほどの速度だった。リーがパンチの距離に寄ってコンパクトな動きから鋭い拳を突き出す。中国拳法の形意拳(けいいけん)は点と点を最短距離で繋ぐ剛拳で、一撃の破壊力に重点を置いている。太極拳などに比べると地味に見えるしマーシャルアーツというイメージにも遠いが、強力である。左右の拳にローキックを交えて繰り出すリーだが、全ての打撃を太めの黒人は受け流して、ショートレンジから肘などを出しつつリーの関節を取ろうと手を伸ばす。
インペリテリはリーの打撃を受け流しつつショートレンジの打撃をカウンタータイミングで出す。裏拳や平手打ちに見えるそれはリーの関節を狙うもので、リーはこれを二つの拳で迎撃している。剛拳打撃の形意拳と関節を狙うコマンドサンボは相性が悪いらしく、どちらも決定打に欠ける。
アヤがカメラ越しでコマンドサンボだと気付いたのは、クリス・インペリテリの動きが格闘ゲーム「ミラージュファイト2」でこれを使うキャラクターがいたからだった。その特徴的な動きと常に関節を狙う辺りからアヤはコマンドサンボだと気付くのだが、ゲームでもあるまいし、中国拳法とコマンドサンボが激突するとは思ってもおらず、また、アヤが中国拳法ファンということからリーなら勝てると確信していたので、コマンドサンボ使いは須賀恭介が苦戦しているキックボクサーよりもインパクトがあった。
「神和さん」
「速河さん」
須賀とリーがほぼ同時に言った。
「こいつは俺が抑えておきますから、前村歩くんの所へ向かってください」
「この人は僕が止めます。速河さんはアベとアクツからアユム・マエムラを救出して下さい」
須賀もリーも、相手をすぐに行動不能に出来ないと判断したらしく、それぞれの後続に本命に進むように指示した。
「ホークアイより各機。突入からかなり時間が経過してる。そこは二人に任せてパッケージ・ホップを救出だ。オッサンと公安はそのままルート確保。残りは目標へ」
須賀とリーは苦戦しつつも、二人の黒人を入り口から引き離しにかかった。
「了解。橋井さんと葵はあたしの後ろだ。あんだけ撃って増援が出ないってことは打ち止めってことだろうから、残すは本命だ」
言いつつ神和はスポーツバッグを漁って、目当てのものを取り出した。
「合図と同時に突撃。あのアロハの横を一気に抜けて部屋に入るぞ、さん、にぃ……」
キン、神和はグレネードのピンを抜き、振りかぶる。
「いち! 八秒後にスタン! ゴーゴー!」
須賀とリーの中間辺りに放物線でグレネードが落下し、神和、リカ、露草がダッシュした。反対から久作も走り、ブレンガンで蜂の巣になったドアを突き破った。
ドン! スタングレネードが爆発して、フロア全体が揺れた。
ロイヤルスイートに飛び込んだ神和は前転しつつ左右にサブマシンガンを向けて、アールヌーヴォー様式の箪笥を蹴って止まり部屋を見渡した。神和から見て右手に衝立とバスルーム、キッチンスペースで、左は大型モニター完備の応接スペースとトイレ。ブレンガンで下半身を撃ち抜かれた兵隊がダースで入り口傍で呻いていて、応接スペースの壁には大穴が空いていた。その穴で二つのロイヤルスイートを繋いでいるようだった。最上階だからか天井がやたらと高く、窓も大きい作りになっていて、浅くて鮮やかなペルシャ絨毯や猫足の椅子、絵画などの間に最新オーディオ機器があった。
行動不能にした兵隊を除いて見える範囲に五人いた。アルマーニのダブルスーツは阿久津零次。一度の授業、科捜研からの資料とマナミレポートにあった通りの、理知的な風貌だった。隣に座るのは、大柄だが細身の紺スーツにレイバンタイプのサングラス、国際指名手配の安部祐次。資料よりも老けて見える。ソファに座る小柄な桜桃ブレザーは前村歩、パッケージ・ホップだ。残り二人に見覚えはない。
一人は女性。OLかキャリアウーマンのように見える赤いフレームの眼鏡で服装はチノパンにブラウスと軽装で、見た限りでは武器はない。もう一人は初老の小柄な男性。薄い頭髪の代わりに黒いヒゲがどっさりとあり、目付きがやたらと鋭い。こちらも銃やナイフを持たず険しい表情だった。神和は入り口ドアや隣のロイヤルスイートと繋がる壁にMP5を向けて警戒するが、伏兵も増援もない。
「こちら神和! 現場確保! パッケージ・ホップを肉眼で確認! 敵は四! 但し、抵抗の様子はなし! オーバ!」
「ホークアイ、こちらも確認した。無用の交戦は避けられたし。予想通りでパートリッジは別だな。状況をアップデート。パッケージ・ホップの保護が最優先。退避ルートは確保済み。そちらの様子はグレイハウンドから把握してる。パートリッジはシステム掌握を放棄したらしい。ホテルのシステムはこっちで完全に押さえた。県警のCARASとリンク、室内カメラの映像が復活した。パッケージ・ホップ、マーク。安部! 聞いてるか? こちらはホークアイ、本作戦の指揮官。チェックメイトだぞ!」
ロイヤルスイートの天井スピーカからアヤが宣言し、応接スペースに腰掛けていた安部祐次が、くくく、と笑った。
「成る程。いや、しかし、実際驚いたさ。これほど単純で、それでいて効果的な作戦行動を日本警察がやれるとは思っていなかった。俺や俺の部下の技量はまあ、自慢するくらいのものだが、ことごとく裏目に出た。陽動と奇襲と特攻をセットにした作戦なんてものを軍人はやらないし、立案したところで実行できる兵は少ないからな。しかし、ホークアイさん? チェックメイトには程遠いぞ?」
安部祐次はケータイと無線機を応接テーブルに置いていて、アヤの声は天井と合わせて三つから響いている。返す安部の声もアヤに伝わっていた。
「脅しても無意味だよ。増援も補給も撤退ルートもない兵士なんて、もう兵士じゃない。ただのチンピラだ。スタンドアローンの軍隊なんてナンセンス。そこで人質なんて考えても無駄だぞ? ウチのポイントマンが銃を向けてるんだから、それくらい解るだろう?」
「そこに異論はないさ。ここまでされたら人質なんて無意味だし、須賀恭介くんとの約束で、前村嬢は危険に晒さないことになっている。だが、こちらの要求した二つのどちらも出てこないというのは、どうかと思うが?」
「セルゲイ・ナジッチはともかく、身代金を渡したところで、それ持った当人が逮捕されるんだから渡すだけ無意味じゃん。それでもいちおう現金の準備はしてるけど、受け取ってどうすんの?」
くくく、と再び安部は笑った。
「ミス・ホークアイ。そちらの作戦は完璧だが、その目的が前村嬢の奪還である以上、そこまでなんだよ。解るかい? 俺が彼女を解放すれば、そちらはそれ以上俺に何も出来ない。そもそも俺をどうこうするというのは作戦に組み込まれていないだろう? つまりだ。チェックメイトには違いないが、チェックされているクイーンはこちらにとってポーン程度の価値しかないと、そういう意味だよ。奪いたければそうすればいいが、だからといって俺の予定が少し狂う、その程度で、ゲームはまだまだ続くんだよ」
「ホークアイより各機、状況をアップデート。ボギーワン、パッケージ・ホップを保護だ」
指示された久作は応接スペースの隣にある大きなソファ、前村歩に向かってゆっくりと歩く。敵らしきが四人だが神和がカヴァーアップしているし、安部や阿久津も動かなかったので前村歩に辿り着いた。
「初めまして、じゃないけど、速河です。前村さん、怪我はないですか?」
優しく言う久作だが、前村は呆然自失といった様子だった。部屋の前で機関銃掃射が続いて、グレネードが爆発すればこうもなるだろう。久作が差し出した手を前村が握るが、前村の手は冷たく汗まみれだった。少し力を入れて引き起こすと、前村は随分と軽かった。体格はアヤと同じくらいで、髪はレイコより少し長いショートボブ。表情に感情こそないが、可愛らしい印象だった。ソファから立ち上がり、久作が腰に手を回して支えると前村はそこに体重を乗せて、久作と並んで歩いた。足取りはまだしっかりとしていた。安部か阿久津かの視線を感じつつ歩き、神和の横を通ってリカと露草のところまで進み、二人に前村歩を預けた。
「こちらボギーワン、パッケージ・ホップを保護。外傷ナシ。疲労が若干――」
「ボギーワン? 速河久作というのは、きみか?」
背後から安部に言われて、久作は振り返った。そういえば最初、自分の名前で突入予告を出した。安部祐次が自分の名前を知っているのは当然だろう。
「そうですが、安部さんでしたっけ? アナタと僕はもう無関係だ」
「この作戦の立案は、きみなんだろう?」
「だとしたらどうなんです? 悔しいから報復とか、そんな話ですか?」
くくく、と再び安部は笑った。アヤとの会話から感じているかすかな違和感、正体不明のそれが増す。
「いやいや。これでも俺は軍人で、そんな下品な真似はしないさ。いち指揮官として、こんな大胆で効果的な作戦を考えた相手に敬意と拍手、そんなところさ。パートリッジが前村歩の周辺は洗っていたが、きみの名前はなかった。俺と交渉した須賀くん、外の彼の周囲も少し探ったが、学校の成績以外に大した情報もなかった。つまり、文字通り俺ときみは初対面で、まあそちらが俺のことを詳しくても、俺はきみのことは知らず、調べても情報が出てこないというのはそんなものがないからだと、そうだろう?」
「それはそうでしょう。僕はどこにでもいる高校生で、学園でも地味なほうだし、隠しておく素性だのもない。そんな相手にしてやられたと思うのは勝手ですけど、別に僕でなくてもこれくらいはやりますよ」
「要するに、きみやきみの仲間にとってこの作戦は成功してもう終了間近だと、そう言いたいんだろう?」
「……安部さん? 腹の探りあいみたいなこと、止めませんか? アナタが言った通りでこっちは目的を達した。そちらに何か思惑があったとしても、それが前村さんや僕らに無関係なら、僕はもうアナタと関わりを持たない。ここから先は警察なんかの仕事で、僕は警察でも軍人でも政治家でもない。夏休みを待ち遠しく思う高校生で、テロリズムなんかとも無縁だ」
「速河くんは俺を見逃してくれると?」
そんなことは微塵も考えていないであろう安部の口調に、久作は溜息を吐いた。
「僕がどうこうなんて、どうでもいいでしょう? アナタの目の前に警察官がいて、この建物にも何人か警察官がいる。誘拐犯であるアナタは逮捕されて、それが報道されるかどうかはともかく僕とアナタは以降、無関係になる。アナタが脱走してどこかでテロを起こそうが、もう僕には無関係なんですよ」
安部祐次という男と喋っていると疲れる、そう感じた久作は再び溜息で振り返り、露草を見た。簡単な診察で前村はどうやら問題ないらしく、煙草を咥えて黙っている。リカは露草の後ろにピタリと張り付いて、通路の須賀をちらちら見ている。鈍い音の応酬で、まだリーと須賀は戦っているようだった。入り口傍で呻いている人だかりは血まみれだが、致命傷ではないようだった。屋内階段からでも神和のブレンガンの音は聞こえていたが、戦意と戦闘力を削ぐだけで命を奪わないというのは大した腕前だった。機関銃では精密射撃など無理だろうが、それに近いことを神和はやったらしい。今もハンドガンではなくサブマシンガンを両手に構えている。スタングレネードまで使って、とても警察官には見えない。
ともかく前村歩は無事に保護した。須賀とリーの決着はまだだが時間の問題だろうし、退路は乾警部補とサミー山田巡査部長が確保している。みんなを連れて県警本部に戻り、医務室と仮眠室で一眠りしてから事情聴取を受けて、学園に顔を出してそのまま夏休みに突入。海か山へツーリングでもいいし、リカちゃん軍団と一緒にどこかに旅行でもいいし、チェリービーンズでのんびりするのもいい。チンピラに連れ回された葉月巧美も少し気になるので、奈々岡鈴らと一緒に食事なんてのもいいだろう。裏で活躍してくれた理事長、天海真実にお礼の一つもしておきたいし、警察関係にも同じく。
高校生が扱うには大きすぎる事件ではあったが、どうにか思った通りに終幕となった。自慢のGショック、タフソーラーを見ると十七時二十分。突入からもう十五分以上経過していた。安部の言動に気になる点は幾つもあったが、その隣に西洋史の阿久津零次がいようが何だろうが、事件とは無関係に夏休みになれば顔を合わせることもなく、その人物が逮捕されようが送検されようが久作にはどうでもよかった。面倒ではあったが前村歩は無事で、事態は収束しつつある。後は他に任せればいい。
「これがゲームや映画だとして、もしも二つか三つのシナリオが同時進行していたとしたら、その一つを潰したきみはどう思うのかな?」
安部祐次が低く通る声で言った。それも久作個人に向けて。
「ミス・ホークアイとやらのチェックメイトは、俺に対するものじゃあない、そんなシナリオさ。速河くんとは無関係に見える、しばらくは実際に無関係なそのシナリオは、誰に知られるともなく進行中、といった具合だ。無縁だから傍観を決め込む、観客に徹する、それもアリだろう。だが、いずれ遠くない先できみやお友達はそのシナリオのキャストになる。そのときにきみは、また今回みたいな作戦で俺に向かってくるのかな?」
「……何が言いたいのか解りませんが?」
「俺が気になるのは一つだけさ。速河くん、きみは自分のコールサインをボギーワン、そうしていた。だが本来、ボギーワンというのはアンノウン、未確認の敵勢力に対するコールサインだ。ホークアイ、グレイハウンド、プラウラー、これはいい。しかし自分をボギーワンと呼ばせる、ここが俺には引っかかるのさ」
「意味なんてありませんよ、思い付きです。以前にそんなものが必要だったから適当に決めて、それをそのまま流用してる、それだけです」
「今回の俺の敗因は、ホークアイなるチャーミングな指揮官を押さえられなかったことなのか、はたまた、こんな作戦を立案した本当の指揮官を潰せなかったことなのか、それを想定していなかったからなのか、どうだろう?」
「解ってるんでしょう? 安部さんは。そして今は悩んでいる。今のうちに僕を潰しておくべきなのか、ただの高校生だから無視しておけばいいのか。つまり、安部さんからは僕はボギーワン、正体不明の勢力だと。作戦が成功したのは必然ですが、二度とアナタと関わることはないでしょう。別のシナリオというのが僕の周囲と関係があったとしても、アナタも僕も同じことを繰り返すようなタイプじゃあない。失敗も成功も」
投げやりに言う久作に対して、安部は再び笑った。含むようにではなく、大声で。
「ははは! 速河、久作くんだったか、きみは須賀恭介くんとは全く違うようだ。俺はきみという人格がどういうものなのか、サッパリ意味不明だが、そんな相手にしてやられたのは紛れもない事実でもある。ボギーワン、速河久作くんか。またきみと関わる機会はあるさ、きっとな」
「ヘイヘイヘイ、もういいだろ? 仕事させろよ」
二人の会話を黙って聞いていた神和がぼやいた。
「安部祐次、阿久津零次。県警九課だ。誘拐、銃刀法違反、偽計業務妨害、器物破損、公務執行妨害、その他モロモロの現行犯で逮捕だ。バッヂはここだよ」
赤いウインドブレイカーを開いて、神和はジーンズのベルト部分にぶら下げたバッヂを見せた。
「九課? 刑事部捜査第九課、組織犯罪対策室とかいう奴か。お前、階級は?」
「はぁ? 巡査部長だよ。下っ端で悪かったな。っつーか、可憐な女子に対してオマエは失礼だろが、このクソテロリストが。司法解剖に回されたいってか?」
ははは、と大声は安部からだった。
「お前が巡査部長だろうが警部だろうが、逮捕なんてのは無意味だ。今回のことが正式な捜査なはずもないし、お前が持っている武器は警察が使うには物騒で、後ろには高校生。こんなことをお前の上の連中が見過ごすか?」
「ヘイ、チキン、がちゃがちゃうるせーよ。失業したら学校の先生でもやるし、上の連中のご機嫌伺いはあたしの仕事じゃねーんだよ。エクスミリタリー風情が偉そうに喋ってんじゃねー。行政解剖がご希望か?」
「巡査部長? お前も、別のシナリオにキャスティングされてる一人で、ボギーワンと似たようなものなのさ。逮捕したけりゃしてもいいが、九課だかのお仲間が吹っ飛ぶ姿なんぞ、見たくはないだろう?」
「はい、恐喝。ついでに警官侮辱罪も追加。ヘイ、ミスター・テロリスト、お前、喋れば喋るほど服役期間が長くなるぞ?」
「巡査部長、それにボギーワン。ホークアイもだが、前村嬢奪還はフィナーレには違いないが、それも数あるシナリオの一つに過ぎない、ここを忘れるな」
「はいはい。シナリオだ何だって含みのある科白、あー、怖い怖い。サイクロップスくんが言ってただろ? そん時はそん時。所詮は下っ端のあたしは、やれることをやっとくって、そんだけだよ。もっと喋りたいんだろうけど、続きは日雇い弁護士とでもやってろ。お前にだけ構ってるほど警察は暇じゃねーんだよ」
吐き捨てるような神和に対して、ソファに座るサングラスの安部祐次は紺スーツを折って、くくく、と笑った。
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