第9話~阿久津零次とフェラーリ・デイトナ ―愛しい、愛しい貴方―
十六時半。
授業と雑務を終えた阿久津零次は、私立桜桃学園からSLRマクラーレンで自宅、蘆野市の海沿いにあるマンションへ向かい駐車場でランサー・エボリューションに乗り換えて中央道に入った。神部市にある高級ホテル、スカイスクレイパーへの道中に何度かケータイに連絡が入った。ハンズフリーのヘッドセットの向こうはアンディ・パートリッジという留学生で、公立神部工科大学の情報工学部情報処理科と、リトルトーキョーのノワールに籍を置いている。
「ミスター・レイジ。アマミジャパンはプラン通りに動いているよ。この調子だと金は夜中には揃いそうだ。ミス・マコト・アマミ、彼女は大したものだね」
「アンディ、僕は天海真琴、彼女とはパーティーで話したことがあるのさ。若いが切れ者で本音を見せず、先の先を読む。それに美人だ。だが、先手を打とうとするそのもう一手先に駒を置けばいい、簡単な話だよ」
通勤の足にど派手なスーパーカー、ベンツ・マクラーレンを選んだのは純粋に見栄えだけで、阿久津零次は車にはかなり執着はあるが、運転の技量は素人より少し、その程度だった。国産車にはない鋭い面構えとバタフライドア(上に開く)は桜桃学園でも強烈な異彩を放っていた。
桜桃学園の駐車場に国産車は少なく、中年の数学教師、仲迫秀吉氏のニッサン・ラティオ15M・FOUR4WDと、日本史担当の野中志津子女史のトヨタ・アリオン1.5・A15、この二台くらいだった。教頭の金山善治はメルセデスベンツ・E250CGIブルエフ、これは桜桃学園のカラーに合っていたが、他はモーターショーのようだった。
桜桃学園に赴任した初日、黒いランサーで駐車場に向かって、そこに真っ赤なデイトナを見て、榊三郎という高等部化学教師、阿久津より少し年上の彼のものだと聞いて、阿久津は翌日にメルセデスベンツのディーラーに出向き、SLRを注文した。ただの化学教師のデイトナへの対抗心からだった。
理事長、天海真実のアキュラZDX、近未来的なデザインの高級SUV、これはいい。その彼女に付きまとう月詠だかのシトロエン・ベルランゴ、フランス製の単なる商用バンなのでこれもまあいい。仲迫教師と野中女史は眼中になく、金山教頭のベンツ・ブルエフ、これもまあ年齢と肩書きから相応だろう。
しかし、渡瀬徹也という三十代の英語教師はランボルギーニ・イオタ、二十代後半で現代国語の屋久利明がベントレー・コンチネンタル・フライングスパー・スピードで、トドメは榊教師のフェラーリ・365GTB‐4デイトナ。車雑誌や映画でも観る機会の少ないデイトナが私立学園の駐車場に当たり前のように駐車してあり、持ち主は三十代半ばの白衣で無愛想な化学教師。
阿久津はその真っ赤なフェラーリ・デイトナと自分のランサーを見比べて敗北感に似たものを感じ、スーパーチャージャー付きV8エンジンで六千万円もする、国内に三十台とない六百三十馬力の文字通り「スーパーカー」、SLRマクラーレン・ブラックを注文したのだった。それを乗りこなせるか、走る場所があるのか、という事情は一切無視して。
「そのミス・マコトの仕業かどうが、アマミLAのほうで動きがあるよ。アクツ・ボリビアに共同経営を持ちかける算段のようだけど」
「ボリビア? アマミが?」
ハンドルを握ったまま、阿久津零次は渋い表情で考えた。南米ボリビアはアクツエージェンスがレアメタル市場に参入した最初で、基盤でもある。天海グループは飲食と服飾を扱う企業で土地資源の分野には無縁だった。北アフリカに小さなマーケットを持っていて、アクツエージェンスは、いや、阿久津零次はここを基盤にヨーロッパ方面へ進出するという展開を描いていた。
「それともう一つ。県警から警視庁にスペシャルチームの出動要請が出てるよ」
「それは予定通りで問題ない。安部さんは何か?」
「特には何も。ミスター・レイジ、アマミLAはボクで抑えようか?」
アクツエージェンスは担当地域や部門ごとに細分化はしているが、経営権、指示系統は単純で、未だに南米支部がその中心だった。ここに天海LAから横槍を入れらると、小回りの効かないアクツは身動きが取れなくなる。北アフリカ新規開拓どころの騒ぎではない。
「出来るのか? アンディ?」
「ボクに出来ないことはないさ。そんなボクだからミスター・アベのサポートをやっているし、相応のギャラも貰ってる。アマミLAに揺さぶりをかければ、足止めくらいは簡単だよ」
「だったらお願いしよう。他には?」
「全てプラン通り、そうミスター・アベは言っていたよ。ギャラガー氏やレッドスターも、他も。警察の動きは手に取るようにだけど、スペシャルチーム要請以外に目立った動きもない」
「解った。天海LAはアンディに任せる。今、そちらに向かってるが、何かあったら連絡してくれ」
「ラージャ」
アンディ・パートリッジとの会話を終えて、阿久津零次はランサーのアクセルを踏んだ。十六時過ぎの中央道は交通量が多く、阿久津のランサーはパイロン(一般車両)を縫うように追い越して神部市のグランドホテルに向かった。
「――通話終了。阿久津零次の相手はアンディ。照会……アンディ・パートリッジ、国籍はアメリカ。公立神部工科大学の情報工学部情報処理科の学生です。一年前に留学目的で入国。以前の経歴は不明です」
羽生美香(はにゅう・みか)の声が県警九課、永山警部の事務机にあるスピーカから流れた。
「安部、阿久津、ノエル、レッドスター。天海LAの北アフリカとアクツエージェンス……マナミレポートの裏付けはこれで充分でしょう」
永山が告げると、乾警部補、公安のサミー山田は頷いた。しかし、橘絢の表情は何とも難しいものだった。
「速河久作の作戦はまあいいとして、やっぱし相手がデカいよ。アンディ・パートリッジって、あのクラッカー・パートリッジ?」
「初耳だが、有名なのかい?」
ラッキーストライクを咥えた乾が尋ねた。
「アメリカ国防総省、ペンタゴンの防壁を抜けるハックマクロを組んだウルトラハッカー、っていう噂。これはこの筋じゃあ超有名で、逮捕されずにペンタゴンの諜報関係にスカウトされたって噂もあったんだけど、日本でテロリストと組んでるって予想外だなー。警察の動きは全部お見通しだし、SATもバレてる。それよかさ、さっきの声の人は?」
アヤが指差したのは永山警部の机の小型スピーカだった。
「羽生のお嬢? 第二通信司令室のオペレータだが、知り合いかい?」
「第二? 通信司令室に一だの二だのあったっけ? 通信司令室って百十番とか受けるとこでしょ?」
「第二司令室は……」
答えたのは永山警部だった。
「我が県警九課専用の通信司令室で、羽生巡査はそこの室長です。といっても第二には彼女しかいないんですがね。県警九課でCARASを試験的に運用して、これを利用した諜報活動も羽生巡査の担当なんです」
「カラス? カラスってあのフランスとかイギリスとかにある監視カメラ使った、クリミナル・アクティブ・レコグネーション・アドバンスド・システム? 日本じゃ警視庁だけだと思ってた」
アヤの口から出る横文字に、煙草を咥えた乾は険しい表情だった。それを引き継いだのはサミー山田だった。
「橘さんは随分と詳しいようだが、本庁でようやく実用段階になったCARASは、その性質から常駐の専属オペレータが必要で、県警レベルでそれを導入するには完全に独立した専門部門が必要なんです。刑事部の独立組織的位置にあるここ、組織犯罪対策室はそんなCARASの試験運用組織でもあるんですよ。ともかくこれで安部、阿久津、ノエル・ギャラガーにレッドスターは繋がった。影山警視監のSATは見透かされており、天海LAの動きも然り。癪(しゃく)だが、安部の計画はかなりの完成度だ。組織としてのノワールのレベルも極めて高い。更にアンディなる人物。現状、かろうじて第二司令室が上回っているが、もう諜報戦の次の段階だろう。そして、有効と思われる作戦は一つ。オペレーション……」
サミー山田は語尾を濁し、アヤがそれを次いだ。
「オーマイガッ!」
サミー山田に説明しているのか本音なのか、アヤはそう叫んでソファに転げた。
――ふわ、と大きな欠伸で方城護は瞼(まぶた)をしごいた。
「方城くん? 緊張とかしてないの?」
そう訊くリカの表情は、若干固かった。空調で涼しい道場の壁に背を預けている方城は、もう一度欠伸をして返す。
「試合前と同じだよ。相手がどんななのかは頭に入ってるし、やることも大体。チームのみんなは一番緊張する時間帯らしいけど、俺はコートに立つまではいつもこんなだよ。肩の力抜いてリラックス。余計なことは考えず体をほぐす。須賀が言ってただろ? 九十分プラスロスタイムを同じテンションで維持するのに分散させるとか。まあそんなかな?」
欠伸の次はストレッチだった。首をゴキリ、指をバキバキと鳴らし、腿の辺りをほぐしている方城の隣、須賀は普段通り読書中だった。
「須賀くん?」
「……」
珍しく返事がないのでリカが覗き込むと、須賀恭介は眠っていた。ミステリ小説を握ったまま。寝息はとても静かで、空調の音、壁越しで聞こえる外部の喧騒で殆ど聞こえない。一方、こちらは一見して寝ていると解るレイコ。道場の隅で横になって、口を半開きにして眠っている。笑顔なのでどうやら夢の内容は楽しいもののようだった。
「二人とも、図太いんだか無神経なんだか」
言いつつリカは立ち上がり、須賀の隣に座り直して、少しだけ躊躇ってから須賀の肩に体重を預けて目を閉じた。ストレッチを終えた方城は大きなスポーツタオルを取り、それを寝ているレイコにかけ、レイコの隣に座って腕を組み、リカと同じく両目を閉じる。
「なあ、リカ?」
方城は小さく呟き、リカが生返事をした。
「俺とアヤって、どう見える?」
「うーん。お似合いだけど、アヤはまだまだ遊びたい。方城くんはバスケに集中したい、そんな感じ?」
「速河たちは?」
「どうかしら。お似合いには違いないんだけど、レイコって子供っぽいし、久作くんは良い人だけど、レイコや私を女性じゃなくてお友達って見てるみたい。ある意味、アヤに似てるわよね」
そっか、と特に意味を込めず方城は相槌を打って、黙った。
「――ミスター・アベ? アクツボーイからの指示でアマミLAを黙らせるけど、何か問題はあるかい?」
キーボードを叩きつつアンディ・パートリッジが尋ねると、安部祐二は一つ頷いた。
「彼には好きにしてもらえばいいさ。前村歩さん。少し話を、いいか?」
紺スーツにサングラスの安部が尋ねると、前村は頷いた。神部市のグランドホテル、スカイスクレイパーの最上階にあるロイヤルスイート。アルーヌーヴォー様式で若干派手な内装の室内に、パソコンを睨む白人学生、アンディ・パートリッジと大柄の黒人、理知的な若い女性、他に数名がそれぞれソファや椅子にかけていて、前村歩も大きくてふかふかのソファに座っていた。
前の小さなテーブルにはサーモンのサンドイッチとサラダが乗っていた皿と、コーンスープが少し残っている。相変わらず縛られるでも脅されるでもなく、須賀恭介から状況は聞いたが、説明と周囲の状況が合わないので、緊張感や危機感は薄かった。
「きみから見れば俺は犯罪者、悪党だろう。きみを誘拐するという計画は俺からだからな。不本意だろうがまだ一緒に居てもらうんだが、須賀恭介とか言うきみの同級生、彼との約束できみに危害を加えることはしない。俺個人と彼個人との約束で、俺はリーダーだから、誰もきみに危害を加えることはない。身代金を受け取り、然るべき場所とタイミングできみは解放される。それほど先でもない。その間も食事から何からは手配する。
俺がこう言うのも妙だが、いくらか緊張はしても、安心してていい。この部屋から出ないなら行動は自由だし、連絡も自由だ。着替えが必要なら手配するが、そういったことはあちらの女に言ってくれ」
安部祐二、紺のスーツを着たサングラス中年はずっと暗い、険しい表情のまま、淡々と言った。
「あのー、安部さん、でしたっけ? アナタはお幾つなんですか?」
前村歩の声に疲労はなく、緊張も殆どなく、ただ、ちょっとした疑念のようなものがあった。
「歳? 三十五だが?」
「三十五歳、私よりずっと年上。渡瀬先生と同い年、って渡瀬先生というのは私のクラスの担任なんですけど、同い年には見えないですね? もっと上に見えます。渡瀬先生って英語の先生なんですけど、童顔だからもっとずっと若く見えて、でも安部さんはもっと年上に見えます。……私、テロとかって難しい話は解らないですけど、あの、止めませんか?」
何となくテーブルにあったグラスを握り、前村歩は言った。グラスの中は普通の水。
「余計な御世話でしょうけど、誘拐って逮捕されたら重い罪でしょう? でも、安部さんは私に何もしてないんだから、逮捕されても罪は軽くなるんじゃないかなって。私は少し怖いけど、でも食事も貰ってシャワーやベッドも。須賀くんは危ないって言ってたけど、全然そんなことないし、その、安部さん……辛そうに見えるんです」
「俺はこういう顔なのさ。女子高生を誘拐するような非道な犯罪者で、逮捕されるくらいなら抵抗して射殺されたほうがマシ、そんなイカれた奴だ。きみが自分可愛さで言っているんじゃないことは解るが、その担任と俺は同じ時代を生きていても違うものを見てきた。物の見方、価値観、考え方、何もかもが違う。何より教師とテロリスト、そもそも違う人種だ。
その渡瀬という担任がきみに英語を教えるように、俺は俺の知っていることを出来るだけ多くに教える。別に説教するつもりでもない、ただ教えるだけだ。そこで俺と同じように考えろというつもりもない。そんな都合に巻き込んだことは申し訳ないが、これだって俺の教えたい、伝えたいことの一つなのさ。今はその意味は解らなくてもいい。いずれ解るかもしれないし、そうでなくても何か思うことがあるだろう」
そこで言葉を切り、安部はサングラス越しにしばらく前村を見詰めて、部屋の向こうに消えた。
――県警本部の一階。須賀恭介らが眠る道場と同じフロアにある医務室に久作は戻っていた。
本来の住人である県警医師ではなく、監察医の鳳蘭子が白衣でメンソール煙草を咥えて、同じく煙草を、マルボロマイルドを咥えた露草葵と談笑している。二人は同じ大学の医学部同士で、年齢は違うが交流があるらしかった。
「いい歳してバイクなんて乗ってるから、危ない目に合うのよ、アナタは」
「いい歳て、蘭子先輩のほうが上やん。タイヤなんて二つもあったら足りるねん。四個もいらへん。パンダやったら二本足で歩けばええねん」
「パンダ?」
パイプ椅子に座ってどうともなく二人の会話を聞いていた久作は尋ねた。
「ああ、パンダって私の車。フィアット・パンダ初代モデルのAセグメント。可愛いのよ?」
鳳蘭子が笑顔で返した。
「車やのにパンダやて、白黒パンダやて。熊の親戚やろ? 笹の葉っぱで動くんやろ?」
「パンダは二種類よ。ジャイアントパンダはクマ科、レッサーパンダはレッサーパンダ科。私のパンダは車類、フィアット目(もく)パンダ科のAセグメント。笹じゃなくてガソリン。葵は派手で古いバイクだったわよね?」
「カフェレーサーのラベルダちゃん。入院中やけど。バイク類ラベルダ目SFC科の750や」
正午過ぎの日差しは強く、医務室の窓のブラインドは真っ白に輝いている。外は猛暑のようだが室内は涼しいものだった。
「賢太くんとは上手くやってるの?」
「美味いも不味いもあらへん、普通や。先輩はどないですん? あの渋っぶいオッサン、榊センセ」
「オッサンって、彼、まだ三十六よ? お互いに多忙でね、最近は電話だけ」
久作も授業で何度か目にしている化学の榊教師は学者然としていて三十六歳と言われればそうとも見えるし、五十歳と言われてもそう見えそうだった。フルネームは確か榊三郎(さかき・さぶろう)。古風な名前なので覚えていた。教師と言うよりも講師、そんな雰囲気で、生徒からの反応は特にない。須賀恭介に似た孤独なイメージで、鳳蘭子と付き合いがあるようだがどうやら疎遠らしい。
「榊センセの車はウチでも解る奴、フェラーリやろ? 日本でフェラーリとか走れる場所あらへんやん」
「デイトナ、だったかしら? あれね、彼のお父様の宝物で形見なのよ。彼は車には殆ど興味なくて、あのデイトナって随分と高級らしくてね、お父様からの遺産みたいなものなの。私も詳しくないけど、ちょっとした資産になるくらいのものなんだって」
「デイトナか何か知らんけど、あないなんが駐車場におったら客が引いてまうわ。なあ?」
なあ、と言われた久作は、露草の言う客が生徒やその家族なのだろうと想像して、気付かれないように溜息を一つ。駐輪場と駐車場は別位置でレイアウトされているので、久作は桜桃学園の駐車場を殆ど見た事はない。フェラーリだかデイトナだかの赤いスポーツカーはあったようななかったような、曖昧だった。露草ではないが、車よりもバイクに興味があるのでそもそも区別が付かない。フェラーリくらいは知っているが、ポルシェではない、その程度だったし、フェラーリのナントカと言われるともう解らない。高いのだろう、そんな印象だった。
ケータイを見ると時刻は十六時手前。アヤが作戦、オペレーション・オーマイガッ! の開始を十六時五十分にしているので、県警本部から神部市スカイスクレイパー・グランドホテルまでの移動時間を考えてもまだ余裕があった。道場でそれぞれ準備などを、と一旦解散したが、久作は特に準備するものもなかったのでこの医務室にやって来た。一眠りしようか、そんなつもりだったが先客、露草葵と、今日も大学ではなく県警にいた鳳蘭子と雑談していた。
葉月巧美は一旦家に、警察の護衛付きで戻り、奈々岡も同じく。露草がどうしてここにいるのかは不明だが、露草は医務室や保健室といった場所にいるのが自然に見えるし、白衣でないことは逆に違和感があった。鳳蘭子と共に煙草をひたすらに燃やして、医務室の空調機能の限界を越えた煙で視界が若干白い。この二人には煙草とコーヒーがあれば他には何もいらないようだった。鳳蘭子が露草に似ているという印象は、二人を並べてみてより一層だった。違いは白衣と眼鏡とネックレスくらいで、二人揃ってロングヘアでボディラインも殆ど同じ。冷たく鋭い顔付きも同じで、鏡でもあるようだった。
露草がスクールカウンセラーで鳳は監察医、つまり二人とも医者で、心理学と法医学と違いはあるが同類で、ついでに仲も良いらしい。
「それで、その久作くんの作戦、と呼べるかどうかのそれに、葵も一緒に行くって?」
「エバに文句の一つも言わな、気が済まんしな」
「エバ? どういう人なのかしら?」
「四駆でな、黒やねん。阿久津て、蘭子先輩は知らんやろうけど、それがエバやねん」
「四駆って、4WD? つまり、阿久津っていう人は四本足なの? おまけに黒い?」
久作は、一度だけ授業で見た阿久津教師のそういう姿を浮かべたが、ハイハイをする赤ん坊か絶望した宗教家か、そんな風だった。
「何でもええねん。文句言ってパチキ一発かまして、ついでに修理代の明細叩き付けて、そんだけや」
「そんだけって、前村さんっていう子は?」
「そっちは速河やら神和のアホやらにお任せや。ウチの仕事とちゃうし」
言い出していてなんだが、そもそも久作の仕事でもない。当然、須賀や方城も違うのだが、違うといえば前村歩。彼女が大袈裟で面倒で危険な目に合う、これがそもそも間違いだというのは久作と須賀の共通見解でもある。
「まあ、好きにすればいいわ。くれぐれも私の仕事にならないように、それだけ。葵や久作くんにメスを入れるのは抵抗あるしね」
そう言う鳳蘭子は随分と奇妙な人物だった。監察医だから、というにはドライで、久作の案……思い付きに限りなく近いそれを聞いても、ふーん、と頷くだけで、文句も異論も出ずだった。かといって無関心で冷たいというのとは少し違う。要するに彼女は、出来ることしかやらないし、出来ないことは考えもしない、そんなタイプなのだろう。須賀恭介や久作と近いが微妙にズレている、そんな立ち位置からの俯瞰、傍観者で、良くも悪くも自己中心的。化学の榊教師、フェラーリ・デイトナの彼と疎遠なのは仕事だけが原因でないようにも思えた。
「――あと、ハイドラのAPIとブレンガン。バレットライフルと回転式グレネードランチャーにスティンガーと……」
「神和さん? ここが軍隊の武器庫に見えますか? 警備部ですよ? 警備部第一課、アナタと同じ県警の」
県警本部別棟で若い制服警官が溜息を漏らした。
「ほんじゃあ、機動隊が使うMP5は?」
「神和巡査部長? 警備部機動隊だからマシンピストルを使うこともあって、アナタは刑事部です」
「だったらMSR。スコープとバイポッド付きで」
「巡査部長、警備部は軍隊じゃあないんです。狙撃銃はありますけど、M24は銃器対策部隊、特殊急襲部隊、海上保安庁や陸上自衛隊。つまり、刑事部の扱うものじゃあありません」
若い制服警官、警備部の彼に言われて、神和は唸った。
「ガバのマグとバックアップ銃、ハンドグレネードが何個か、こんだけ? 緊急事態でついでに超法規的措置な状況だぜ?」
「だったらせめて、本部長からの意見書の一つでも持参して下さい」
「いやー、それは無理っしょ? 影山さんともカチョーとも別で動くんだから。……あ! だったらさ、薫子ちゃんが押収してるはずの銃があるっしょ? レイジングブルにレッドホーク、あとハイパワー、それ出して」
「鑑識課が押収した銃火器を横流ししろと? だったらまだ、マシンピストルを出すほうがマトモですよ?」
「んじゃ出してよ、MP5。それとMSR」
はあ、と何度目かの溜息は制服警官からだった。
「神和巡査部長? アナタの銃の予備弾薬と手榴弾を五つ、これだけでも完全に規約違反ですよ? それでも、そちらの事情を聞いて課長が黙認したんです」
「ヤーヤー、嬉しいねー、はい、投げキッス。んで、乾のオッサン用の弾丸も貰って、相手は元軍人が一分隊なんだから、こっちは総力戦なのよ。文字通りの総力、ありったけ。別にアンタに出ろとか機動隊動かせとか難しいこと言ってるんじゃないのよ。ここにハイドラとMSRがあるのは知ってんの。ブレンガンとバレットライフルは、あったらいいなー、って。グレネードはまあ、ランチャーなくてもハンドグレネードで我慢すっからさ。出してくれたらデートしてやってもいいぜ?」
体をくねらせて無い色気を振り撒く神和に、制服警官は、なんてこったい、と大袈裟にゼスチャーした。と、スーツ姿の中年がのんびり歩いてきて、ぼやいた。
「おっと、しまった。倉庫の鍵を落としちまった。あそこには機動隊の装備やら、押収した物騒なモンが山ほどなのに、参ったなー」
ガチャン、と音がして、神和の足元に鍵の束が放られた。
「おや? 誰かと思えば刑事部の問題児、さ迷える紅い弾丸じゃねーか? 噂のトリガーバカが警備部に何の用だ? 俺は忙しいんだよ。くれぐれもウチの倉庫に近寄るなよ? おい、俺は今から拾得物係に行って来る。神和、無茶するんじゃねーぞ」
「……課長! アンタ最高! イカすねー!」
投げキッスの連射を背中に浴びた警備部一課課長は、片手をひらひらさせつつ本部棟へ続く廊下へとゆっくりと消えた。
――ランチ、白身魚のフライ定食とインスタントコーヒーで満腹になった天海真実は、食堂で生徒や教師をしばらく見物してから、理事長室に戻っていた。金山善治教頭の教頭室には賞状やトロフィーが沢山だが、理事長室には簡単な応接セットとミニキッチン、他は本棚くらいで、大振りの事務机とそこに乗るデスクトップパソコンと、観葉植物が二鉢、執事である月詠六郎用の机とパソコンと簡素だった。
「天海LAの帳簿にアクセスしてるって?」
「はい。こちらでも確認しました。ハッキング、とは少し違いますが」
事務椅子に座った真実は、月詠が出した湯飲み、麦茶をすすった。
「別に裏金があるでもないから帳簿を観られても平気でしょうけど、LAは対応出来てるのかしら」
「真琴さまは、対応しない、という対応だそうです」
「うん? つまりハッキングは……陽動? LAはもうアクツの南米支部、アクツ・ボリビアに何か?」
「提携、もしくは合併の提案、という建前で交渉を開始したのが日本時間十六時半。その五分後にLAの帳簿に不正アクセスだそうです」
普段通りの定規のような背筋で、月詠は言った。
「それをあえて無視、まあ、姉さんらしいわね。私でも同じでしょうけど。ミコや勇から何かあった? あの、オーガイガッ作戦、とかってのの詳細とか」
「真実さま、オーマイガッ! です」
真顔の月詠に、真実は首を傾げた。
「ああ、語尾が違うって? まあいいわ。速河久作くん、やっぱり変な子よね。大胆と言うよりも無謀。それなのにどこか納得出来て、他に有効な手はない。こっちから何かお手伝いできればいいんだけど、天海グループに鉄砲や傭兵はないしね」
「一つ、宜しいですか?」
「どうぞ?」
「速河さまの作戦が十七時〇五分からだそうですが、ここからホテルまでは車で三十分ほどで、空路だと十分といったところです」
月詠の科白はそこで止まった。真実はそれを吟味して、眼鏡のブリッヂをくいと上げた。
「真琴姉さんって、今、どこだっけ?」
「日本です」
「……月詠さん。真琴姉さんの様子を見て来て貰える?」
湯飲みを片手の真実に、月詠六郎は、はい、と短く返した。それを聞いた真実は椅子から立ち、ブラインドを覗いた。
外は晴天の猛暑で、眼下に教員用駐車場があった。真実のアキュラSUVと月詠のシトロエン・ベルランゴ。他に教員の車が並んでいる。特に目立つのは高等部化学の教師、榊三郎の真っ赤なスポーツカー、フェラーリ・365GTB‐4デイトナだった。榊教員とは会話らしい会話はないが、監察医の鳳蘭子の口からその名前が出たことが何度かあって、風変わりな、変人とも呼べる鳳と付き合っているのだから変人なのだろうと想像していた。私立学園にフェラーリ・デイトナで通勤している時点でもう相当な変人だと真実には思えるが、通勤でフェラーリを使おうが戦車を使おうが、真実には関係ない。
月詠六郎が理事長室から消えて、真実は久しぶりに一人になったような気がした。月詠が嫌いだとかうっとおしいだとか思ったことは微塵もないが、いるのが当たり前の月詠がいないことに少し違和感を感じた。
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