第5話~方城護とラピッドファイヤー ―もし若者が乙女と一緒に―
「よーし、だいたい揃ったな? あたしが把握してる状況を説明するよ。まず――」
「おい、アヤ。何もごもご言ってんだ? ヘルメット取れよ、聞こえねーって」
深夜、JR蘆野駅前のバス・タクシーロータリーに、私立桜桃学園高等部一年、通称リカちゃん軍団の大半が集結していた。
方城護に言われて黄色いフルフェイスを取って、普段はツインテールの、今はストレートの金髪を揺らす橘絢はチェック柄の長袖コットンシャツで、RG50ガンマ・ウォルターウルフに体重をかけている。ガンマの隣にはスズキ・ホッパーにまたがったままの方城護、その隣にホンダ・ハミングのシートに座った桜桃ブレザーの奈々岡鈴が沈黙している。
オレンジのハーフフレームの奈々岡の表情は周囲と同じで暗く、彼女の真向かいに立つ橋井利佳子はその表情から、やはり只ならぬ事態なのだろうと想像して掌に汗を感じた。そんなリカとは正反対で普段通りの笑顔の加嶋玲子は、ランブレッタ48とお揃いの真っ赤なジェットヘルのままリカと奈々岡と、アヤと方城を順番に見てから、奈々岡鈴に視線を戻してにっこりと微笑んだ。
「みんな、あの……」
レイコの笑顔に応えるように奈々岡が口ごもって、それをアヤが次いだ。
「リンリンはちょこっとパニクってるから、あたしからだ。葉月巧美ってリンリンのクラスメイト、知ってる? 知らない? まあいいや。その人がリトルトーキョーで音信不通、それが二十二時五十五分頃、つまり五分前。何でその葉月って人がそこで、リンリンがここかってのは、もう一人の前村歩って、こっちもリンリンのクラスメイトが同じく音信普通になったのを二人が探してたかららしくって、そっちは十七時過ぎの下校以降の足取りが不明になってるんだって。葉月巧美のほうは最初のリンリンの緊急連絡からずっとGPSで追尾してる、今もね。何でかケータイがずっとオンになっててリンリンのケータイと繋がってんのよ。ざっとこんなところ」
説明しながらアヤはずっと、降ろした金髪を握ったり離したり、撫でたりつまんだりしていた。人前でツインテールではないことがどうやら自分でも違和感があるらしい。アヤの簡単な説明が終わる頃、奈々岡鈴の顔からかろうじて残っていた表情が消えていた。オレンジのハーフフレームは暗い地面を向き、桜桃ブレザーのミニスカートの端を握ったまま微動だにしない。
「奈々岡さん? 大丈夫?」
リカが奈々岡の焦燥感だかを読み取って声をかけたが、奈々岡は小さく一つ頷くだけだった。
「単なる人探しって訳じゃねーんだろ? でなきゃ俺が呼ばれることもないだろうし、リンだってアヤに連絡したりしねーだろ」
方城はポケットからスライドケータイを取り出して時刻を確認した。二十三時二分、バスの最終便は過ぎ去り、個人タクシーが一台だけのロータリーは普段通り閑散としていた。
「方城護の言う通りだ。人探しなら警察でオーケーだし、この人数でローラー作戦ってのもアリなんだけど、リンリンと葉月って人の最後の会話から、どうも葉月の巧美ちゃんは誰かと一緒らしくて、場所がリトルトーキョーの東入り口でこの時間なら相手は方城護が必要な類が複数だ。リンリン、落ち着けよ? あたしが通報してないのはその巧美ちゃんもだけど、前村の歩って人が気になるから。前村財閥って蘆野市じゃあ有名な地主の長女が歩ちゃんで、部外者が動くにしてもかなりデリケートにしとく必要がありそうだから、通報は状況が進展するまでは控えておこうって判断ね?」
アヤに返したのはリカだった。
「アヤ、逆じゃない? デリケートなんだと思うんだったら警察に任せるのが賢いと私は思うけど? それに、葉月さん? そちらはその、危ないかもしれないんでしょ? 尚更じゃないの?」
アヤよりも長く腰まであるロングヘアを掻き揚げて、リカは言った。チノパンとTシャツとローファーの色が合っていないことは、JOYでロータリーに到着して奈々岡の表情を見た直後から忘れていた。
「つまり、あれか? リンの友達二人は誘――」
「リカちゃん! その通りで言ってることももっともなんだけどね!」
方城護の科白を遮るようにアヤが声を大きくした。同時にアヤは方城をきっと睨んだ。アヤのカッターナイフのような鋭い目付きが方城を捉えて、方城は黙って頷き、今は発してはいけない単語、奈々岡が動揺するそれを飲み込む。
「巧美ちゃんの反応が移動してんの。速度は時速六十キロくらいで場所は中央道からこっちに。たぶん車だ」
アヤは手にしたスクランブルケータイ2のモニターをリカ、方城、レイコに見せて自分でも確認した。GPSを利用した航空写真地図の中心はアヤで、幹線道路である中央道を赤い表示が移動している。アヤは指の出るハーフグローブで、リカや方城もポケットにグローブを入れていた。
「最初は神部のリトルトーキョーで、今は中央道からこっち、蘆野市に車で移動してるって、アヤ? その葉月さんのご両親が迎えに行ったとかそういうことじゃないのかしら?」
リカが自分なりに状況を整頓して尋ねた。
「リカちゃんの言うのがベストだけど、巧美ちゃんの家にはあたしから連絡入れてみたの。前村の歩ちゃんと同じ状況だったよ。あたしと一緒に遊んでるって伝えておいたけど、午前二時までにもう一度連絡を入れないと自動的に葉月家に連絡が入るようにPCをセットしといた。ここから設定は変更も解除も出来るけどね。家族じゃない人と車でこの時間なら、最初がリトルトーキョーなら想定する状況はかなりヤバいのにしといたほうがいい、ってのがあたしの判断。同じく午前二時リミットで警察に通報するようにも設定してあんの。つまり、こういうこと」
アヤはベストとベターとバッドのシチュエーションを既に想定しているらしく、同時に制限時間も設けているらしい。それは葉月巧美と前村歩に対してで、二人のクラスメイトの奈々岡鈴やリカやレイコ、そして自分に対する保険でもあるようだった。
「葉月巧美ちゃんはリトルトーキョーで誰かに会って、そのまま車に乗って移動中。場所と時刻からその相手ってのは見知らぬ他人で、以後の連絡が取れないことからかなり危ないシチュエーションだけど、ケータイが移動中ってことは現時点ではまだ無事、これはほぼ間違いないと思う。前村の歩って人のほうは情報がないから最悪を想定しつつ、安全の範囲内でローラー作戦を想定で、最終的には通報。こっちは状況が進展しなかったり情報がない場合は正直お手上げなんだけど、明日まで引き伸ばして聞き込みなんかをやるか、警察に任せるかは後で判断して、まずは葉月巧美のほうに対応しよう。須賀恭介と速河久作がまだいないから、あたしと方城護が主力のプランだ」
「須賀くんと久作くんを待つってのは?」
リカは方城をちらりと見てからアヤに尋ねた。方城を信頼はしているが、想像する相手は複数で少なくとも車を所有している。つまりリカたちよりは年上で、葉月巧美という奈々岡のクラスメイトとリトルトーキョーから一緒にいる。リトルトーキョーの治安の悪さは報道で有名なのでリカも知っていた。特に週末夜が酷く、暴力や窃盗は当然で警察の出動も頻繁で、週に一度は何事かが報じられていた。
「最初はリトルトーキョー入りも想定してたんだけど、あっちのほうが向かってるから、速河久作とかを待ちながら葉月の巧美ちゃんを待ち構えて、二人が来るまで粘るか、相手によってはあたしと方城護だけで対応しようって、二段構えにしてんのよ。それにリミットの通報だから三段構えだ……反応が近くなった! 中央道を外れてそのまんまこっちに向かってる。このルートってことは蘆野山が目的地かな? そろそろ接触だから作戦スタートだ。みんな、バイクの用意だ」
黄色いフルフェイスを被ろうとしたアヤに、再度リカが尋ねた。
「作戦って? 具体的には何をするの?」
「ああ、言ってなかったっけ? ソーリー。作戦の最初は移動目標の足止めだ、リカちゃん」
言いつつアヤは、自分のガンマのステアリングをぽんぽんと叩いた。
「足止めって、バイクで? つまり?」
「予測進路はそこの目の前の道路を抜けて蘆野山だから、ここにバリケードを作るんだよ、みんなのバイクで。その後があたしと方城護の出番だ、いいか?」
「はぁ? アヤと俺? バリケードは、まあいいよ。んで、相手ってのはどうせチンピラとかなんだろ? それはいいんだけどよ、俺、その葉月って奴の顔、知らねーぞ?」
スズキ・ホッパーにまたがってずっとアヤとリカの会話を聞いていた方城は、何とも難しい顔だった。
「だから、あたしと、なんだよ。葉月巧美ちゃんは桜桃のブレザーだから見れば一発で解るよ。んで、方城護はあたしのガードで、あたしはネゴシエーターってところ。もしかしたらあたしだけで片が付くかもしれない。つまり、あたし、方城護、須賀恭介と久作に、通報の四段構えだな」
再びステアを叩いて、アヤは方城とリカと、ずっと無言で頷いているジェットヘルのレイコに説明したが、沈黙していた奈々岡が声を上げた。
「アヤちゃん! あの、お願いをしておいてなんだけど、やっぱり危ないと思う。タクミは心配だけど、ネゴシエーターって交渉人でしょ? つまり、アヤちゃんがその、方城くんの言うようなチンピラと顔を合わせるって、無理……とは言わないけど危ないわ」
「だから方城護がガードじゃん。リンリン? 前もだったけどさ、あたしは自分に護衛付けずに動くようなマヌケな指揮官じゃあないの。当然、楽観もしてない。あたしだって最悪の場合は逃げるし、それは方城護も同じくで……時間だ。みんな、バイクでバリケード。この時間なら一般車両はほぼいないから、大丈夫。その後みんなはそこの植え込みにでも隠れて、そっちから危ないって見えたら通報とかの判断は任せるけど、逃げる場合は井上文具店の前を抜けてナントカって古本屋あるじゃん? あそこの辺りだ。土地勘がなけりゃ絶対に追いつかれないし見付からないルートだし、そうなった場合は相手をまいてからトワイライトに集合ってことで。トワイライトは自宅兼用だから何時でも店長いるし、他の細かいことはケータイのチャットモードをオンライン。以後、対象コールはパッケージ・リーフ。作戦スタート!」
「ラジャー!」
一人、加嶋玲子だけが元気に返事をしたが、他は無言でバイクを移動させた。トワイライトというのは蘆野アクロスにある、リカ、アヤ、レイコがよく利用している喫茶店で、今は閉店しているが自宅兼用で時間帯を問わず店主夫婦がいる。
――夜のリトルトーキョーから出た三台のスポーツカーは中央道では周囲の流れに合わせてゆっくりと走っていた。400Rの八木由紀が先頭で、唐沢直樹のスープラが続き、平田賢治のシルビアが最後尾だった。
ナオキとケンジの車はあれこれと改造されているが、ユキの400Rはそもそもが高性能の限定車なので、内装が派手になってオーディオが追加されているだけで、走行性能に関する改造はなかった。ユキはMP3プレイヤーからヘビーメタルを大音量で流していて、ケンジはヒップホップを、ナオキはハイスピードのユーロビートを聴きながら、助手席に座った桜桃ブレザーの葉月巧美に大声で話しかけていた。
「よお! お壌ちゃん! ずーっと黙ってるが、まあ気楽に行こうぜ? 別に取って喰おうってんじゃーねー、ってことはあるけど、そのうち慣れるし、慣れちまえば案外と楽しいもんだぜ? たんまりと儲かるし、そうすりゃ、そんなチンケな制服なんざ脱いで、大好きなAMAMIブランドで頭からつま先まで揃えりゃいいさ!」
唐沢直樹は自慢の、とても趣味が良いとは言えないワインレッドのスーツで、ユーロビートのリズムにヘッドシェイクしつつ、真っ青で固まったままの葉月巧美に怒鳴った。
ナオキのスーツはかなり値の張る一品だが、チェーンネックレスに白い革靴、腕には高級アナログ時計で髪はオールバックで、二枚目の出来損ない、三流のホスト崩れ、そんな風に見えた。高等部一年の葉月よりは随分と年上だが、生まれ育ちどころか、国籍さえ違うのではないかと葉月には思えた。ナオキがご機嫌なユーロビートはひたすらにやかましく、葉月はずっと奥歯を噛み締めてケータイを握り締めていた。音楽もやかましいし車もやかましく、運転するナオキもやかましく、葉月の頭の中はずっと真っ白なままかき回されていた。
クラスメイト、1‐Aの奈々岡鈴は葉月に比べて物静かでいて頭が良く切れるリーダー気質でありながら、親しくなれば何でも話せる器の大きい友達だった。
報道部に所属して、ジャーナリズムを口癖にデジタル一眼レフとルーズリーフを振り回し、テレビ報道を自分なりに分析して必要ならば追跡調査もして、葉月が知らないあれこれを教えてくれた。群れることを余り好まずクラス行事の類は殆どをパスして報道部の活動を優先して、授業以外の時間は姿を消すことが多かった。そんな奈々岡が1‐Cのリカちゃん軍団の、須賀恭介と橘絢のことを話すようになったのは七月に入ってからで、葉月が奈々岡と親しくなったのもその頃だった。
葉月巧美も同学年の須賀恭介の噂は聞いていた。頭が良くてハンサムだが変人、そんな内容は、おおむね奈々岡が言う通りだったが違う部分もあった。頭が良くてハンサム、は見た目と学年成績一位ということで明らかだが、奈々岡は須賀を哲学者、そう表現していた。時には学者とも。葉月は知り合いに哲学者も学者もいないのでぼんやりと想像したが、奈々岡が自分に似ていると付け加えたので、ならば変人なのだろうと噂と同じところに着地した。
葉月は体は若干弱いが活発な性格で、小柄だがまあ美人の部類に入るらしく、男子に声をかけられることは多かったが、テレビアイドルを追いかけていた中等部時代の名残りで年上に興味が向いて、1‐Aの担任である渡瀬徹也が葉月の好みだった。渡瀬教師に恋人がいることは知っていたが葉月は落胆はせず、そんなものだ、と割り切ってテレビを観て音楽を聴いて、少しゲームをやって、女友達とわいわい騒ぐほうに夢中だった。
前村歩はその中でも割と仲の良い友達で、歩は葉月に比べると随分と地味な女性だった。
無口で、しかしどこか品のあるお嬢様のような歩はお喋りな葉月の聞き役で、高等部に上がって最初に出来た友達だった。葉月と前村と奈々岡は三人で遊ぶこともあり、噂のリカちゃん軍団ほどではないが、桜桃学園では少し目立つグループでもあった。三人で集まると口を開くのは葉月で、奈々岡も前村も相槌だけだが、奈々岡からはピンポイントでリアクションが出ることもあり、その内容はいつも的確でいてどこか風変わりだった。
リカちゃん軍団のように仮にナントカ軍団とネーミングするならリーダーは奈々岡鈴で、ナナオカ軍団とでもなりそうだが、三人はごく普通に「葉月たち」と呼ばれていた……。
「――なあ! オートーってのは金持ちのガキが集まるんだろ?」
大声が葉月巧美の思考を遮った。車のハンドルを握るオールバックの男が、大音量のユーロビートの後ろから怒鳴っていた。この男は一体何者なのか、葉月は我に帰って隣を見たが、人間の男、単にそれだけだった。葉月巧美の知る範囲、テレビドラマを含めてもこんな男は……いた。刑事ドラマに出てくる、登場して三分で拳銃で撃たれて死ぬチンピラA、それが葉月の隣で車を運転していた。ニヤニヤした顔と似合わないオールバックと、品のないスーツで、腕には三十万円くらいしそうなブランドの腕時計。似合う人間が身に付ければ値段に見合う高級腕時計が、三分で撃たれて死ぬチンピラAの腕にある。その意味不明な組み合わせは葉月を混乱させた。
チンピラAが言うように私立桜桃学園は裕福な家庭からの生徒が多かったが、葉月家はごく普通だった。奈々岡家も同じらしく、唯一、前村歩だけが蘆野市の地主の長女だったが、地味なお嬢様風ではあるが歩は葉月らと変わらない、ごく普通の女子高生だった。
「こーいうBGMでテンション上げてっとな、コーナーに思いっきり突っ込んで、テールスライドさせて一気に抜ける、なーんてのもやれんだぜ? ケンジのはドリフト専用にチューンしてっけど、あいつ下手くそだからいっつもガードレールにぶつけるんだよ、ははは! 前のユキネエのは、あれは反則だよ。ただのR33でもうっとおしいのに、400Rだぜ? 千二百万円くらいするR33ベースの限定車で、RB26ターボのデジタル四駆で名前の通りの四百馬力! シャシダイだと五百馬力くらいらしくってな、ユキネエのは環状線仕様だよ。あんなゲテモノで峠走るんだから、ったく勘弁しろよってな、なあ?」
チンピラA、ナオキとか呼ばれていた三流ホスト崩れがあれこれ言っていた。車の知識のない葉月は七月からバイク通学で、ホンダ・シャリィという原付をリカちゃん軍団と仲良しの男子、速河という人物に選んでもらった。
奈々岡鈴が仲介してくれた速河という男子は、見た目はまあハンサムと呼べそうだし話しやすいタイプだったが、常にニヤニヤしているので随分と軽薄に見えた。ひたすらに呆けているようでいて、バイクの話をする時は大袈裟なゼスチャーで知らない単語を並べてあれこれと熱心に説明していた。葉月巧美にシャリィという少し古いスクータ、エンジンを四十九ccに載せ変えた面白い見栄えのバイクを選んでくれた。
飛ばせば時速八十キロくらいは出るがのんびりツーリングをするのが似合っている、そう速河久作は説明していた。奈々岡鈴にはハミングという、シャリィを伸ばしたような随分と妙なスタイルの原付を薦めて、同じくバイク通学にした前村歩にはスズキ・レッツ4パレットを選んでいた。
「葉月さん、でしたっけ? 奈々岡さんのクラスメイトですよね? 僕の選んだのはちょっとだけマニアックで古いのがメインだから故障なんかもあるかもしれないけど、買うかどうかは任せますよ。中央道沿いにノナカモータースってあるでしょ? あるんですけど、そこが国産バイクならメインテナンスを一通りやれるショップだから、具合が悪くなったらあそこに持っていくといいですよ? 僕が選んだバイクは全部あそこの在庫にありますしね。ノナカさんのところは腕のいいメカニックが沢山だし料金も相場より少し安いし、修理中は代車も出してくれますから。メットとかグローブもあそこに一通り揃ってるんで、好きな色とかで揃えるといいですよ。僕も多少はイジれるんですけど、自分のバイク以外だと解らないこともあるんで、まずは僕が診て、解らない場合はノナカさんのショップで。まあ、ノナカモータースのことだから一通りのメンテをやってから出すと思うんで、しばらくはトラブルとは無縁だと思いますし、それなりに希少で珍しいバイクなんで、大事にしてやってください。ノナカモータースからの見積もりと料金明細、これは渡しておきます。いちおうキープってことにしてるんで、XL50Sの速河久作から聞いたって言えばそれで通じますよ」
1‐Cの速河久作の隣にはバスケ部エースとして有名な方城護と、須賀恭介がいた。他に、橋井利佳子、橘絢、そしてミス桜桃で学園中の話題を集めた加嶋玲子。それぞれがバイクに乗っているらしいが、奈々岡はこの六人とは随分と親しいようだった。葉月巧美は速河久作のことは殆ど知らないが、とりあえずバイクが大好きらしいことは充分過ぎるほど解った。
橋井利佳子、リカさん。リカちゃん軍団と呼ばれているのでリーダーなのだろうが、ロングヘアで大学生くらいに見えるクールな彼女は1‐Cに奈々岡とやってきた葉月に挨拶をした後は、ずっとショートボブでモデル体型の、笑顔が印象的な加嶋玲子と喋っていた。久作が一通りの説明を終えてから改めてリカは葉月に声をかけた。
「葉月さん、だったかしら? 久作くんってバイクのことになると人が変わるの。同じ値段で最新の原付が買えそうなのに、やたらと古いのを薦めるの。まあ、見栄えもいいし私は好きなんだけど、だからって葉月さんは好きに選んでいいと思うわよ? 原付でもちょっとこだわると大した出費だしね?」
そんな風に久作の専門的な説明をリカがフォローしてくれた。リカの隣で黙って洋書らしきを読んでいた須賀恭介が、目も合わさずに次いだ。
「原付一台は確かに俺らにはちょっとした出費だ。だが、バイクには俺らより詳しい速河が選ぶんだから、買う買わないはともかく、一度現物を見るくらいの価値はあると思う。鈴(すず)くんのバイクは随分と面白くて、鈴くんに似合っていると俺は思うしな。免許を取るまでは心臓破りの坂以外では走れないが、二年になったら揃ってツーリングというのも悪くない」
後日、葉月は奈々岡と前村と一緒にノナカモータースに行き、速河久作の名前を出した。すぐにメカニックらしきツナギの男性が二台のバイクを出してきた。他のショップで二十万くらいのところを、フルメンテをした上で十五万で譲ってくれたので、ヘルメットやグローブはそこで揃えた。ガソリンが殆ど入っていないと聞いたのでノナカモータースから少し行ったところのGSでチャージしていると、GS店員から「変わったバイクですね?」と言われて、葉月は満足した。
バイクに熱心な速河久作の噂は須賀恭介ほどではなかった。空手部主将を倒して教師一人もついでに病院送りにし、元ヘヴィー級ボクサーの教師をも倒した、普段は呆けているそこそこ二枚目の、正体不明の男子、そんな噂だった。成績は学年で四位辺りで、中等部の頃の話は一切聞かない。奈々岡に尋ねると「久作くんは、どう言ったらいいのか、良い人なんだけど変な人」そんなだった。方城護はバスケ部のエースなので葉月も大体は知っていたが、その隣の橘絢、こちらは殆ど正体不明だった。
金髪ツインテールの小柄で3D格闘ゲーム「ミラージュファイト」シリーズで無敵で、成績は須賀恭介の次。高等部から編入してきたアメリカ国籍の女子で、加嶋玲子と廊下で大声で踊っている姿を何度か見たことがある。小柄だがアイシャドウと切れ長の目で化粧も少し派手で、ネックレスやブレスレッド、葉月のものとは形が違うミニスカート姿でやたらと目立って、学年を問わず男子に人気らしいが、お喋りな葉月の三倍くらいの速度のトーク内容は意味不明で、良い人なのだろうが遊んだりダベったりする相手には向いていないように思えた。奈々岡鈴とは真逆に見えたが、奈々岡はそんな橘絢とも親しいらしい。
「そろそろ蘆野駅前だな……って、何だ? ユキネエが止まってやがる。……ユキネエ? 真後ろのナオキだよ。どうしたの? ここらでレイジのエボと合流だっけ?」
ナオキはケータイを握ってオーディオのボリュームを下げた。
「……え? 障害物って? ああ、見えた。何だありゃ? 道路のど真ん中に、バイク? ユキネエ。蘆野にバイクチームなんていねーよな? ってか、あれ、全部原付じゃねーか。ガキの悪戯か? 蘆野山に入るにゃここを抜けるしかねーが、とっととどけて、レイジと合流しよーぜ? ……ケンジ? あそこのバイク、どかせ。ああ? 傷くらいいいじゃねーか。さっさとしろ。もうすぐレイジが来るぜ?」
車は停止していて、窓の外はどうやらJR蘆野駅の傍らしかった。前にシルバーの車が見えるが、真っ赤に光るテールライト、あちらも停止しているようで、その先の道路に何かがあった。
「ユキネエ? ケンジにあれ、片付けさせて……何だ? 誰かいるぜ? ケーサツ、じゃねーな。……俺? 俺とケンジってか? あいよ、どいつだか知らねーけど、こんな真似するってことは俺らと同類か? ったく、メンドーだな。お壌ちゃん? ちょっくら出るが、間違っても逃げようなんて思うなよ? そん時は、マジで恐ろしい目にあうぜ? そこでじっとしてろ」
ユーロビートをオフにして、ナオキは車から出た。エンジンはかかったままだがチンピラAは消えた。外は見慣れた蘆野駅前。葉月は、ドアを開いて全速力なら逃げ出せるかもと考えたが、肝心の両足はずっと震えたままで、ついでにナオキから警告もされている。黙ってこれに乗っていれば想像もしたくない末路だろうが、逃げ出そうとしてそれに失敗すれば、もっと悲惨かもしれない。
どうにか両足に頑張ってもらって蘆野署辺りに逃げ込めばどうにかなりそうだが、葉月は蘆野署の場所を知らない。隣のスーツ男が消えたので若干頭が回るようになったが、ここに留まるのは得策ではなく、逃げるにしても一分程度で相手が解らない場所に身を潜めつつ警察に通報、これがベストのように思ったが、通報して警察官が来てくれるまでの何分間かを無事でいられる自信が葉月にはなかった……。
「ったく、何だってんだ? 公道を封鎖しやが……おい! お前! 何やってやがんだ!」
ヘッドライトに浮かぶ一人に、ナオキは怒鳴った。遅れて車から降りたケンジも並んだ。八木由紀は車の中で、エンジンもかけたままだった。ナオキとケンジはケータイを持ち、それはユキと繋がっている。
「テメ! どこのヤローだ! 俺らにチャチャ入れるって、テメ、俺らが誰か解ってんのか?」
平田賢治が怒鳴った相手は、黄色いフルフェイスを被った小柄だった。
「相談があります。あと、取引もです」
フルフェイスからの声は、まるでドナルドダックのようだった。チェック柄のコットンシャツとジーンズで、声はフルフェイスからだが、三台の車のエンジン音でも聞こえるくらい大きく、そして妙だった。
「はあ? つーか、誰だよ、テメ!」
ケンジがカーゴパンツから刃物を持ち出した。鈍く光るバリソンナイフで、風貌も含めて文字通りチンピラといった様子だった。
「ホークアイから状況をアップデート。チャンネル2をオープン。パッケージ・リーフを確認。赤いツーシーターの助手席、プラウラーで奪還を試みる。ボギーツーは待機。プラウラー、奇襲準備。パッケージ・リーフを保護だ。現在、ドライバーは外。裏から回って車を奪取。内側からロックをかけてパッケージ・リーフの安全確保。チャンネル1をオープン、情報を。シルバーのツードアは女。赤いほうはスーツの男。黒い車からはスキンヘッド。尚、スキンヘッドは武装」
「おい! お前、何ぶつぶつ言ってんだ? ノワールの俺らとやりあうってんなら受けてやってもいいけどよ、今日は忙しいんだよ。とっととそこのバイクどけろよ!」
バリソンナイフをカチャカチャと振る平田賢治の隣から、唐沢直樹が怒鳴った。
「わたくしは、そこにいる桜桃女子の知り合いです。彼女を渡して欲しい。無論、タダでとは言いません。ここにお金があります。とりあえず十万円。足りない分は後日で、総額はそちらにお任せします。彼女を渡して貰えればバリケードは解きますが、そちらがノーと言うのなら、しかるべき処置を取らせてもらいます」
「……ぷっ! ははは! おい、お前。誰だか知らねーが言い分は解った。だが、答えはノーだ。あのお壌ちゃんは最低でも二百万は稼ぐし、お前がケーサツを呼んでも俺らは一向に構わん。俺らをただのチンピラだと思うのは勝手だが、死ぬほど痛い目に合いたいのなら手伝ってやってもいいし、十万? それは貰うさ」
ズボンのポケットに両手を突っ込んだナオキが、ぺっ、と唾を吐いてフルフェイスに言い、ゆっくりと歩いてきた。
「ホークアイからリンリン。シャッターチャンス。チャンネル1に映像を送信しつつその場を退避。プラウラーは突入準備。ボギーツーはプラウラーの護衛。グレイハウンドは全情報をチャンネル1へ」
「でよ、お前はさっきから何をぶつぶつ言ってんだ? とりあえずよ、そのヘルメット取れ。あと、ふざけた声も止めろ。ぶち殺すぞ?」
「まあまあ、ご両人。熱くならずに。二百万、いいでしょう。二十四時間いただければ用意しますから、彼女を解放してください。わたくしたちはこの街に来て間もない弱小組織ですが、本土から応援と、資金が届く予定になっています。神部市に拠点を持ちたいと思っている組織は多い。かといって新参者が現れれば、あなたのような方には面白くないでしょう? ですから、まずはあなた方と共闘、そんなところです。女子高生一人で二百万。そこにプラス五十万を上乗せしましょう。いかがです?」
バリソンナイフのカチャカチャという音が深夜の蘆野駅前に響いているが、黄色いフルフェイスはお構いなしで続ける。
「……二百五十万? そりゃあ悪くない話だ。小娘を始末するのは案外と面倒だし、他所(よそ)に売るのにもあれこれと根回しがいる。たまたま見つけたあのお嬢ちゃんでそんだけ貰えるってのは悪くない話だが、お前がそこまでする理由は?」
ナオキは返し、オールバックを軽く撫で、煙草を出して咥えて火を点けてフルフェイスを睨む。
「ホークアイよりプラウラー。スニーキングでパッケージ・リーフの確保準備、配置につけ。ボギーツーは護衛のまま、こっちはいいからプラウラーをフルカバー。グレイハウンド、チャンネル1への送信を継続しつつ、チャンネル2にてボギーワン、ボギースリーに状況報告。リンリンは退避準備、ルートはレクイエム方面」
フルフェイスの小柄は目の前のナオキ、ケンジと喋るときはボイスチェンジャーのドナルドダックだが、チャンネル1と2は相手に聞こえない音量で、それを手にしたケータイで切り替えていた。
「あなた方と一緒のあの女性は、わたくしたちにとって重要な人物なんです。詳しくは後日説明しますが、まずはこちらに引き渡して頂きたい。無論、相応の代金は渡しますが、今は現金で十万円で、手付けだと思って貰えれば結構です。尚、この提案にノーの場合は、わたくしの組織が動きます。これは脅しと受け取って貰って結構ですが、わたくしの組織は加減を知らない。何せ大陸出身ですから。わたくしに何かあった場合も同じくです」
ケンジは煙草を投げ捨て、二歩、フルフェイスに近寄った。
「大陸の組織……蛇尾(じゃび)の連中か? まあ、確かにあいつらはエグいし真正面からってのは賢くないが、おい、ヘルメット。俺らノワールは蛇尾とは仲良くやってるし、それなりのルートもあってだな、あそこのガキを連中に渡せば、もうちっとばかし値段は上乗せされるんだが? 蛇尾の奴らにデカいバックがいるのは知ってるが、内部分裂でもしてるってか?」
ケンジが次の煙草を咥えてフルフェイスを睨んだ。
「プラウラーからホークアイ、パッケージ・リーフを保護ー! えーと、車は内側からロックしたよー」
「こちらホークアイ、了解。気取られてない、さすがだね。状況をアップデート、外から見えないように姿勢を低く。ボギーツーはこちらに戻れ。グレイハウンド、状況を報告せよ」
「こちらグレイハウンド。ナナ……リンリンの写真は相手との会話と一緒に指示通り、チャネル1に送信。ボギーワンとボギースリーはあと二分以内だって。リンリンは後方へ退避中」
「ホークアイからオール、状況をアップデート。プラウラー及びパッケージ・リーフの安全を最優先。グレイハウンドから増援まで二分。プラス、五分。敵は目の前に二人と車に一人で合計三人。ボギーツー、やれそうか?」
と、シルバーの車から女性が降りてきた。ロングヘアで冷たい印象の、頭の切れそうな女性だった。煙草を咥えて鋭い視線を向けている。
「そこのヘルメット! 大したモンだね。警察無線を傍受したよ。お巡りがこっちに向かってる。お前が何者かは興味があるが、どうやらお前の仕業らしいな? 蛇尾を出すってのもまあ、ハッタリにしちゃ中々だ。頭の良い奴ってのは嫌いじゃないが、お前は生かしておくと面倒だってのが私の勘だ。何者かは後で調べる。ナオキ……やれ」
ユキに言われたナオキは、バリソンナイフを握ったままフルフェイスに歩いた。
「フザけた格好でフザけたこと言いやがる、クソ生意気な野郎だな? 死ねよ!」
ナオキは右で握ったバリソンナイフを後ろに振り、突き出した。と同時にバン、と音がしてナイフが飛んだ。
「……あん? 何だテメー!」
ナオキが右を向いたのと同時に、再びバン、と鈍い音がした。
「何だって聞かれたら、答えんのか? えーと、俺はボギーツー。アーリー・オフェンスで顔面を蹴ってやったが、バッシュだから大したダメージでもないだろ? 丸坊主のチンピラよぅ」
暗がりから出てきたのはボギーツー、ジャージとバッシュの方城護だった。二発の蹴りでナオキの武器と顔を蹴り付け、ナオキの鼻から血が吹き出していた。
「クソっ! オイオイ、闇討ちかよ。それにしたって丸腰じゃねーか。テメ、蛇尾の連中じゃあねーな? あいつらはデカい刃物使うのが好きなイカれた連中だし、一人二人で動いたりもしねー。ったく、何モンだ?」
唐沢直樹は言いつつ、素手のまま構えた。鼻血を流す平田賢治は頭を何度か振ってから、同じく方城に対して構えた。
「二人か。もっと大勢だと思ってたんだけど、まあ少ないならそのほうが楽だよな。スーツ男は空手で、坊主のほうは、何だ? 知らねーが、まあいいや。ディレイド・オフェンス、須賀とかが来るまで粘るんだっけ? そんな堪え性があるようには見えねー……」
ナオキが右ストレートを出した。かなり速いが方城はそれをスウェイでかわして、続くケンジからのローキックはバッシュの底で受け止めた。
「やっぱしスーツのほうは空手か。んで、坊主のほうはただの喧嘩慣れ、まあその辺か? ステイ・ロー」
言いつつ方城はバッシュで止めたローキックを押し返して一歩前に出て、重心を落としてから猛速度の回し蹴り、地面すれすれから上方に踵(かかと)を出し、ケンジの顎を捉えた。ゴリッ、と鈍い音がして、ケンジの頭が激しく縦に揺れた。
「お前、何だ! そんな蹴り、見たこともねぇ! ケンジ! 一発KOじゃねーよな? 立てよ!」
ナオキの構えは空手に見えるが、蹴りを出すために腰を落とすでもない。方城の低軌道からの回し蹴りを顎に喰らったケンジは血の混じった唾を吐いて、方城と距離を取って再び構えた。
「スーツのほうはあれだな。空手崩れとか、ケンカ空手とか、そーいう類か。実戦慣れしててちょっと面倒だが、所詮はそんなもんだ。なあ、オッサン? 白旗揚げるんなら俺はここで止めてもいいけど?」
暗くて二人には見えないが、方城はニヤリと不敵の笑みだった。
「おい、ナオキ、ケンジ。ガキ相手に遊んでんじゃないよ。始末しろ、そう言ったよな?」
シルバーの車の隣から、ロングヘアの女性が冷たく言い放った。
「いけねぇ。ユキネエがお冠だ。ケンジ、獲物持ってこい。このクソ生意気は蜂の巣にしてやる! そこのヘルメット野郎もな!」
方城から一歩引いたナオキは、ワインレッドのスーツに両手を入れ、そこで黄色いヘルメット、橘絢から声が出た。
「ヤバい! よけろ!」
アヤに言われた方城は素早く左に飛び、遅れて、ババン! と派手な音が夜の駅前ロータリーに響いた。方城は姿勢を低くしたままバリケード代わりにしたバイクの一台の反対に回り、再び、ババン! と破裂音。フルフェイスのアヤも走ってバイクの陰に隠れた。
「おいおいおい! まさかとは思うけど、あれって――」
「拳銃だよ! リトルトーキョーの連中なら別に珍しくもないけどさ」
スモークバイザーを上げたアヤが、三台先の方城に説明する。
「あれ、俺が相手すんのか? いやー、さすがにアレは難しいぜ?」
バン! 更にもう一発。リカのホンダJOYのシートに弾丸が当たったらしく、JOYが揺れた。
「こちらグレイハウンド! ア……ホークアイ! 無茶よ! 相手は鉄砲なんでしょ!」
グレイハウンド、リカがチャンネル2、リカや方城たちだけとの通信に怒鳴った。リカは今、植え込みに隠れていて相手には悟られていない。
「ホークアイ! 危ないどころじゃない! もうみんなで逃げて警察に!」
同じく身を潜めている奈々岡が言ったが、アヤはうーん、と顎を摘んでいる。
「そりゃ駄目だ。プラウラーとパッケージ・リーフが危なくなる。グレイハウンドからの通信で警察がそろそろだろうけど、それまでは粘らないと二人が危険なんだよ。状況をアップデート。ボギーツー?」
「俺、拳銃持った相手と戦うとか、ゲーム以外でやったことねーけど、レイ……プラウラーを置いてきぼりにしたら、俺がボギーワンに殺されちまうな。何か役に立つ戦術とか情報は?」
ジャージのポケットからバイク用グローブを取り出してはめた方城は、耳に付けたイヤーピースでホークアイ、アヤに指示を仰いだ。
「気休めだろうけど、ここらは見ての通りで暗い。照明はあそこの街灯だけで、拳銃の精度は低いはずだ。動き回ればまず当たらないだろうし、弾が切れれば拳銃なんて役に立たないよ。このままで撃たせるってのもアリだけど――」
ズバン! 今度は先ほどよりも大きな音で、アヤが身を潜めるスズキ・ホッパーが派手に揺れた。
「うわ! ショットガン! なんでチンピラ風情がそんなもん持ってるんだよ! ショットガンはヤバい! 拳銃と違って着弾範囲が広いし、一発貰ったら身動き取れなくなる!」
「スーツ野郎が拳銃だから、ショットガンはスキンヘッドか? まあ、どっちも暗がりで動いてりゃどうにかなるんだろ? 須賀なんかが来ても状況は同じなんだから、このままディレイド・オフェンス続行、俺でどうにかするさ」
ステイ・ロー、姿勢を低くしたまま方城はバイクから出て、ファスト・ブレイク、地面を蹴ってダッシュ。両手に銃を構えるナオキの目の前で右に飛び、そこにナオキから二発。二挺のオートマチック拳銃、ハードボーラーが吼えた。が、方城はそこから更に右に二歩の位置で、そのまま姿勢を低くして前に飛び、ショットガンを構えるケンジにくるりと背中を向けて更に腰を落とす。
バン! ケンジのショットガン、モスバーグM500が火を噴いた。だが、散弾は方城の頭上を過ぎて、方城はそのまま両手を地面に当てて、再び低い回し蹴りを放った。ショットガンを構えたケンジの右膝を横から踵で蹴り付け、方城は低い姿勢のまま左に飛ぶ。デジタル一眼レフでその様子を遠くの植え込みの影から見ていた奈々岡は、フラッシュをオフにして夜間暗視モードでシャッターを切ったが、方城の動きは速すぎて追えなかった。
「クソっ! 足を蹴られた! どこ行きやがった!」
右膝関節を横から蹴られて姿勢を崩したケンジは、バランスを失ってフラつきつつ怒鳴った。バイクのバリケードから飛び出した方城は両手に拳銃を持つナオキの前を掠めてケンジに近寄って、低姿勢から渾身の回し蹴り、必殺のスピンムーブを炸裂させて二人の視界から消えた。右手、顔面、右膝に強烈な打撃を受けたケンジはショットガンをポンプして周囲を見渡しつつ、再び怒鳴った。
「出て来い! クソ野郎! 蜂の巣にしてやんぞ!」
「なんだそれ? ザコの科白じゃねーか」
ズバン! ズバン! 真後ろの声に向けてケンジはショットガンを二連射したが、三回目のポンプの直前に脇腹を蹴られて、リロードのポンプは止まった。モスバーグM500を持ったままケンジは口から唾を吐き出し、ゴン、その顔に強烈な蹴りが入った。
「そこか!」
ナオキが頭の跳ね上がったケンジの右辺りに拳銃を連射し、マズルフラッシュでケンジのスキンヘッド後頭部が見えたが、それ以外に姿はなかった。
「待て! 撃つな! 俺に当たっちまう!」
鼻から血を吹き出しつつ、ショットガンを握ったケンジが叫んだ。
「くっ! あの野郎は? どこだ!」
もう一発、左のハードボーラーをケンジの足元に撃ち込んでナオキが怒鳴った。
「野郎! 俺の鼻を折りやがった! ゼッテーに殺す! 出て来い!」
鼻血はそのままでショットガンをポンプして、ケンジは周囲を見つつ叫び続ける。
「……こ、こちらグレイ……ホークアイ! 大丈夫なの? ほう……ボギーツーは?」
植え込みに隠れたリカがピンマイクに小さく叫ぶ。拳銃やショットガンの発砲音はアクション映画ほど派手ではないが、それが逆にリアルで、リカは少しパニックになっていた。神部市リトルトーキョーでは発砲事件もあるとニュースで見たことはあるが、世界でも日本は安全で治安の良い国だと聞かされているので、すぐ傍から聞こえる音はリカにはとても現実とは思えなかった。
「こちらホークアイ。グレイハウンド、あたしもビックリなんだけど、ボギーツーってスゲーよ! あんだけ撃たれてるのに一発も受けてないって、まるでボギーワンだ! でも、油断は禁物だし、パッケージ・リーフとプラウラーの安全が第一!」
アヤがずっと言っているパッケージ・リーフは葉月巧美のことで(葉=リーフという安直)、プラウラー(うろつくもの)は加嶋玲子である。アヤの戦術、ネゴシエイト中の最初の奇襲は、レイコが葉月巧美の座る車に乗り込んで中から鍵をかけて、とりあえずの安全を確保するもので、ボギーツー、方城護は銃を持った二人をレイコらの車から遠ざけるように動きつつ、ダメージを与えている。
スーツのナオキは両手に拳銃で、迷彩カーゴパンツのケンジはショットガンで武装しているが、方城はあえて接近することで銃弾を受けないようにしつつ、ショットガンのケンジに集中的に強烈な蹴りを入れていた。
スピンムーブ、本来それはバスケットでローポジションからクイックターンするドリブルのことだが、その動きから出す回し蹴り、これを方城護はスピンムーブと名付けていた。バスケ部エース、桜桃のスコアリングマシーンの身体能力は素早い動きと強力な打撃を可能にしていて、それはどうやら拳銃を持ったチンピラ相手でも効果的なようだった。
「さて……インターバルだが、こっからどうすっかなー。そろそろ須賀なんかが来る頃だろうが、さすがに須賀でも、いきなり拳銃ってのはな。やっぱ俺が始末しとくのがいいのか? スーツのほうはまあどうにかなるとして、坊主のショットガン、あれ喰らったら……いてーだろうな」
ショットガンを持ったケンジの顔面に蹴りを入れた方城は、そのまま走って車の後ろに身を潜めていた。須賀や久作は方城よりも場慣れしていて頼もしいが、さすがに拳銃を持った相手と対面したことはないだろう。久作ならそんな相手でも吹き飛ばすかもしれないが、いきなり出会いがしらで撃たれれば大怪我は必至だろう。方城は一連の流れからだったので対応出来たが、やはり久作や須賀が来る前に始末しておいたほうがいいように思えた。
アヤが、暗いので拳銃の精度は低い、そう言っていたのであえて接近した。拳銃やショットガンの知識はないが、バスケで敵陣に一人で切り込むのと同じ要領でフェイクを幾つも入れて、ステイ・ロー、低く構えた姿勢からスピンターンで方向を変えつつ前に前にと進み、相手が整う前の速攻、アーリー・オフェンス。途中でスキンヘッドを集中的に蹴り付けた。二人同時に相手をするよりもアイソレーション、一人ずつ潰すほうがいいだろうと方城なりに考えてだった。
「ケンジ! ナオキ! 素人相手に何やってんだい! お前らのそれは飾りかい?」
女の声が聞こえた。二人よりは頭の良さそうな、どうやらリーダー格らしい、シルバーの車の横にいた女の声だ。司令塔を潰す、バスケでの常套手段だが、スーツと坊主が銃を持っているので、あちらも銃を持っているだろう。女だからと甘く見ると痛い目に合いそうだ、そう方城は考えた。聞こえた声から位置は解った。スーツも坊主も怒鳴っているのでこちらの位置も把握している。レイコが乗り込んだ、葉月巧美だかが一緒の車からは引き離したし、バリケード向こうのアヤやリカ、奈々岡からも距離がある。
須賀と久作を一旦待機にしてグレイハウンド、リカがチャンネル1で通報している警察を待つのが得策だろうか、そう方城が考えていると、ロータリーに一台の車が入ってきた。地味な白いセダンで、警察には見えなかった。一般車両はこの時間帯には殆ど通らないがゼロではないだろう。殆ど戦場のようなここに民間人、方城らもそうだが、無関係な車が入ってくるのは危険だ。激怒したスーツと坊主頭が拳銃を向ければ即、大事件である。
「こちらボギーツー。車が来たぜ? 警察じゃなさそうだし、このままだと巻き添えだ。俺は止めたほうがいいと思うが、どうする?」
アヤから渡された小型イヤーピースに指を当てて方城はアヤに助言を求めた。自分の判断はあるが決定権、司令官は常にアヤ、これを忘れては組織戦で勝負にならない。バスケだろうと戦争の如くの小競り合いだろうと同じだ。
「……ホークアイ、了解。状況をアップデート。対象はこっちからはまだ遠いから、そっちでどうにかなるか?」
「なるもならないも、やるっきゃねーんだろ? 十秒だけ奴らの気を引いてくれ。車は俺が止める。無茶はすんなよ?」
幸い、ロータリーに入ってきた車はゆっくりと、歩く程度の速度だった。バイクのバリケード側で音でも出してくれれば、方城の位置から車に近寄れそうだった。
「了解。プラウラー、車のロックを再確認しつつ、気取られないように。パッケージ・リーフは流れ弾に当たらないように姿勢を低くだ。返事はいらないよ。リンリン、そこからフラッシュを二回だ。出来るか?」
「は、はい! ア……ホークアイ! ほう……ボギーツーさんは平気なの?」
「あたしもボギーツーも無傷だ。一般車両が入ってきたからそれを止める……今だ!」
アヤからの合図と同時に、奈々岡は建物の影から一眼レフを突き出し、シャッターを二回切った。バッ! バッ! と強烈な光がバイクバリケードの後ろからで、ケンジ、ナオキ、ユキが銃を向けた。
「そっちか!」
ズバン! ケンジがショットガンを撃ち、散弾がバリケードに着弾してバイクが揺れた。ナオキがそれに続いて奈々岡のハミングのシートが弾けた。更に、ユキがショルダーホルスターからロングバレルリボルバーを抜いて片手で構えた。ゴン! 耳を打つ咆哮と同時に方城のスズキ・ホッパーのタンクに巨大な穴が空いて、アヤは慌てて飛びのいた。
ドン! 方城のホッパーのタンクが爆発し、深夜の駅前ロータリーに黄色い炎が鉄片と共に飛び散った。まるで戦争だ、と愚痴りつつ方城は白いセダンの助手席のドアを開き、飛び乗って早口で説明した。
「いきなり入ってきてすいません! 怪しい者じゃねーっす! 強盗でもない! ここは危ない! 下がってくれ! じきに警察が来るから!」
セダンを運転していたのは三十歳くらいの短髪の男性だった。方城よりも随分と小柄で、目の前の大爆発に少し驚いているようだったが、突然入ってきた方城には全く警戒していないようだった。
「……少年は、オートースチューデントですか?」
車を止めて男性は方城に尋ねた。表情はにこやかで、大爆発も方城も殆ど気にしていないように見える。
「え? えっと、スチューデントって、ああ! そう! 俺は桜桃学園の生徒で、方城護って……いやいや! それはどうでもよくて! ここは危ないから早く車をバックさせてくれ!」
状況を知らないのは当然だろうが、目の前で爆発があれば少しくらいは驚くだろうに、黒スーツの男性は笑顔のまま方城を見ていた。方城の科白にも笑顔で頷くだけだった。
「ひょっとして、外人? 中国とか韓国とかか? アンタ、いや、年上相手でアンタは失礼だろうけど、って、そーいう場合でもないんだ! とにかく――」
「ガイジン? ガイジンは良くないですよ、少年。僕から見れば少年のほうがガイジンです。中国から来ましたが、日本の人はガイジンを良く口にするです。とても良くないです」
「え? ああ、すいません……って! 説教は後で聞くから! えっと、あっちで銃持った奴がいて、ここは危ないから下がってくれ!」
とりあえず中国人らしい男性に方城は必死に説明するが、相手はそれをにこにこ顔で聞きつつ、ゆっくりと車を降りた。
「え? いや! 待て! アンタ! そっちは本気でヤバいんだ! チクショー! どうする俺? こうするっきゃねー!」
慌てて車を降りた方城は、のんびりと歩く黒スーツ、小柄な中国人を先回りしようとダッシュしつつ、イヤーピースでアヤに連絡した。
「アヤ! 部外者がそっちに向かってる! 理由はサッパリだが、俺が先回りして連中をぶっ飛ばす!」
「は? 方城護! 何だそれ! その人止めろよ! 拳銃持った奴が三人だぞ? 無茶すんな!」
状況が状況なのでコールサインを使う暇も惜しい。黒スーツの歩幅で十歩ほどでショットガンを持ったスキンヘッドが見えた。背後で原付のホッパーが燃えているので大柄なシルエットだと解る。方城は駆け足で黒スーツを追い越した。
「何だぁ? 増えやがった! 俺の鼻を折ったのはテメーか! 死ね!」
ケンジがショットガンを構えたので、方城は黒スーツの反対側の車に一旦飛んで隠れて、遅れて車から火花が散った。ケンジのポンプアクションの隙を狙って方城は全速力で飛び出して、左手でショットガンの先端を払い、そのまま体をくねらせて、最速の回し蹴りをスキンヘッドの側頭部に叩き付けた。渾身のバッシュの踵がこめかみを捕らえ、鈍い音でケンジは頭を揺らして左に飛ばされて、手にしたショットガンは地面に落ちた。
「何が死ねだ、このクソ坊主が。この、ショットガン? これが連射出来ないってのは解ってるんだよ。あんだけバンバン撃たれればな」
方城は一撃で気絶したケンジを持ち上げて、慣れない手付きでショットガンも持ち、ケンジを盾代わりにスーツのナオキに備えた。
「ほう。少年はなかなかですね。銃を持った相手に薙(な)ぎ蹴りを一撃。日本のスチューデントは素晴らしいです」
小柄な黒スーツの男性が、小さく頷きつつ方城に言った。
「え? ああ、どうも……って、アンタ! まだいたのか? 見ただろ? こんな物騒なモン持ったのがまだ二人いやがる! 頼むから引っ込んでくれよ。誰だか知らないけどアンタに何かあったら、俺の今までの努力がパーになっちまう。っつーか、警察まだかよ!」
「五分前に交通事故がありましたから、警察は皆さんそっちに向かってます。こちらには遅れてますが、問題ないです」
靴も黒い小柄が世間話をするような調子で言った。
「はぁ? 交通事故って、こっちは拳銃で爆発だぞ! しかも女子高生誘拐! どう考えてもこっちが優先だろ! 何だよそれ!」
「少年は怒らないがいいです。警察はいつも忙しいで人数はいつも足りないです。それに、ここには少年がいるですから、問題ないです」
黒スーツが言うのはつまり、方城一人でどうにかしろと、そういう意味に聞こえた。
とりあえず一人は片付けたが、まだあのオールバックと偉そうな女がいる。しかも、二人とも銃を持っているらしい。方城の体力はまだまだ充分だが、手にしたショットガンは使い方が解らないし、棒のように振り回すには危ないように思える。威嚇くらいにはなるだろうが、バイクを爆発させるほどの相手に半端な威嚇など通用しないだろうし、両手に拳銃を持っていたオールバックはキレているようだった。真正面から向かえば相手の科白ではないが蜂の巣にされても不思議ではない。
どう攻略するか、戦略を組み立てようかと考えていた方城を置いて、黒スーツはてくてくと歩き出した。
「っておいおい! 待てって! ヤバいのが残ってるんだよ!」
盾代わりにしようと持ち上げたスキンヘッドを放り出し、方城は黒スーツの隣に慌てた。
「やっと出てきやがっ……あん? 何だテメー?」
数歩でオールバックの男が見えた。燃えたガソリン臭が辺りに漂い、オールバックの後ろでまだ燃えている。方城はそれが自分のバイクだとはまだ知らないが、ショットガンを向けてみた。
「誰でもいいんだよ。ほら、お前の相手は俺だろ? こっちも銃だが、実は使い方知らねーんだよ」
方城はとにかくオールバックの注意を自分に向けようと、口を開いた。先刻まで不意打ちでどうにか対応していたが、拳銃を両手の相手に真正面からというのは、どう考えても賢くない。これで撃たれたらちょっとしたギャグだ、とも思った。
「少年はとても良く頑張ってくれました。ですから僕も頑張りましょう。きみ? 日本は民間人が拳銃を持ってはいけない国です」
「……何だ? おい、このトンチキはテメーの身内か?」
オールバックが吐き捨てるように言った。と、黒スーツがいきなり駆け出した。両手に拳銃を持ったナオキが慌てて右のトリガーを引いた。パン! と乾いた音がしたが、黒スーツは……。
「よけた!」
方城とナオキがほぼ同時に叫んだ。ナオキのオートマチック拳銃、ハードボーラーの銃口は黒スーツの額をきっちり捉えていたのだが、走る男は首を少し傾けてその弾丸を、かわした。ナオキは慌てて左のハードボーラーを向けるが、黒スーツの男は走る速度のまま、右の蹴りで拳銃を上に弾き、その蹴りの勢いのまま体を浮かしつつ左足でもう一方の拳銃も弾き、そのままぐるりとバック転して着地した。
二挺の拳銃を飛ばされたナオキが空手風に構えようとするが、黒スーツの男は着地した位置から左足をナオキの右膝関節に入れてゴキリ、と蹴り折り、ボクシングのストレートよりもコンパクトな軌道の右の拳でナオキの喉を殴りつけた。殆ど一瞬で四つの打撃を受けたナオキは、口を大きく開いて目を剥いて仰向けに倒れた。三秒かそこらで二挺の拳銃を持ったチンピラを気絶させた黒スーツに、方城は口をあんぐりと開けたままだった。
「拳銃に頼るはよろしくないですね。どんなに強力でも弾が切れれば役に立ちません。ですね、少年?」
黒スーツの襟をビッと正した小柄な男は方城に言ったが、方城は、はあ、と首を傾げるので精一杯だった。
「何だ? お前らは? ケンジとナオキは?」
女の声がした。シルバーの車から離れた八木由紀の手には、やたらと大きな銃があった。大口径で熊撃ちなどに使われる、レイジングブルに続く大口径リボルバー、スーパーレッドホークである。一発で方城のホッパーを爆発させ、人間に向けて撃てばトンネルが出来るほどの大型リボルバーだ。それを細身の女、ユキが片手で構えている。拳銃の知識のない方城でも、それが強力だろうとすぐに解る。まるで大砲だ。
「あー、名前は知らねーけど、坊主頭はあっちでノビてるし、スーツ野郎はそこで同じくだよ。あのさ、俺が言うのもなんだけど、もう止めとこうぜ? 逃げるんだったら俺はそれでいいし、追いかけるのは警察にでも任せるし、撃たれるのもゴメンだし、なんつーか、疲れた」
二人を気絶させておいてどうかと思うが、方城の科白は本音そのものだった。体力はまだ残っているが、方城は若干ウンザリしていた。拳銃を向けられるのにはもう慣れたが、怪我をすれば試合どころではなくなるし、口は悪いがほどほどの見栄えの女性を殴ったり蹴ったりするのも出来れば避けたい。が、ユキはこう返す。
「ノワールがガキにナメられるのは癪(しゃく)だし、二人はまあいいが、お巡りと追いかけっこってのも面倒だ。とっとと逃げたいがレージへの建前、落とし前はつけておかなきゃね」
「まあ言いたいことは解るけど、止めといたほうがいいぜ? この人、ハンパなく強いし、拳銃なんて通用しないみたいだしな。ま、好きにすりゃいいよ。いちおう忠告はしたってことで、誰だか知らないけど任せるよ」
「少年は話の解る、賢い人です。女の人、拳銃を捨てて投降すれば僕は手を出しません――」
ガン! 前置きもナシでいきなりユキは発砲した。
まさしく大砲のようだったが、黒スーツは少し体をひねっただけでその銃弾をかわした。二人の距離は十五メートルほどだが、方城は驚きを越えて呆れていた。須賀ではないが、まるでSFだ。黒スーツは早足でユキに近付き、ガン! 二発目も体をひねってかわした。ユキの表情がさっと青くなり、三回目のトリガーより速い蹴りがリボルバーを弾き飛ばし、その左足が地面に付く前に男は体を空中でひねって、弾丸のような右足でユキの頭を捉えた。鈍い音がして、ユキはロングヘアを揺らしつつ白目を剥いて地面に倒れた。大型リボルバーと咥えていた煙草が遅れて落ちる。
「……胴回し回転二段蹴り! なんだアイツー!」
声は炎上するバイクバリケード向こうのアヤからだった。黄色いフルフェイス姿だったので黒スーツが構えたが、アヤがすぐにフルフェイスを取ったので男はスーツの襟をビッと引いて、笑顔を向けた。
「オートースチューデントのタクミ・ハヅキは無事ですか?」
てくてくとアヤに近付いた小柄な黒スーツ男は、優しく尋ねた。
「ん? ……ああ! レーコ! 葉月の巧美ちゃんは?」
イヤーピースに指を当ててアヤが言うと、車のドアが勢い良く開き、桜桃ブレザーの女子とタンクトップに真っ赤なジェットヘルのレイコが出てきた。レイコは炎上しているバイクに驚いていたが、すぐにアヤを向いて強く頷いた。
「パッケージ・リーフは無事でーす! プラウラー! 任務完了?」
「アヤ! 方城くん! 平気なの?」
植え込みからリカが飛んできて、遅れて奈々岡も駆けて来た。
「タクミ!」
奈々岡は炎上するバイクからの煙ですこしむせつつ、レイコに肩を支えられた葉月巧美に近寄った。
「リンちゃん! 巧美ちゃんは平気だけど、ちょっと疲れてるみたいだよー」
レイコがにっこりと微笑んで奈々岡に言った。葉月巧美は忙しく瞬きをしつつ青ざめているが、見たところ怪我はないようだった。
「リカ、俺もアヤも無事だよ。そこの、えっと、名前知らないけど、その人が助けてくれたんだ。なあ、アンタ、どちらさん?」
葉月巧美とレイコの様子を見てから、方城は黒スーツの男に改めて声をかけた。
「少年とその仲間は素晴らしいです。僕はミコさんの友達のリー・リィンチェです」
黒スーツの、リー・リィンチェと名乗った男が方城に握手を求めたので方城はその手を握ったが、事情はサッパリだった。
「ミコ? えっと、そっちもどちらさん? アヤ、知ってるか?」
「いんや、知らないなー。それよりミスター・リー! さっきのアレ! 胴回し回転二段蹴り! もしかしてミスター・リーってマーシャルアーツ使い?」
3D格闘ゲーム、ミラージュファイトシリーズで中国拳法のエディ・アレックスを使っているアヤは、先ほどのミスター・リーがユキに放った二連続の蹴りに驚いているようだった。ゲーム中で同じ技が使えるので尚更らしい。
「はい、小さいお嬢さん。柔は八卦掌(はっけしょう)、剛は形意拳(けいいけん)。中国武術は僕の得意です」
「け、形意拳! な! なんてマニアックな! 方城護! あのスキンヘッドとオールバックは、ひょっとしてこの人が倒したのか?」
この状況ならまず葉月巧美の無事を確認するのが先だろうに、いかにもアヤらしい。方城は少し頭を傾げて思い返した。
「坊主頭は俺だけど、スーツ野郎はこの、リーさん? この人だよ。えっとな、まず拳銃をよけてその拳銃をバック転で蹴って……あれだ、サマーソルトキックって奴だ。そこから膝を蹴り折ってからグーで喉んところを殴ってた、かな? スーツ野郎はそれでノビちまったぜ?」
「サマーから喉にグー! ホンキで形意拳じゃん! スゲー!」
アヤが目をキラキラさせながらミスター・リーを見詰めていた。その前にショットガンを持った相手を始末した方城など全くの無視だった。
「それよか、そっちが葉月巧美って人かい? しつこいようだけど大丈夫か? その、精神的なのは置いといて、怪我とかは?」
「……え?」
ずっとレイコに支えられている葉月が、近付いて声をかけた方城に返した。ショートボブのレイコよりもう少し短い髪で小柄で細く、顔色は真っ青だが桜桃ブレザーの葉月巧美に怪我はないようだった。方城は葉月と面識がなく、先方もリアルな方城を詳しく知らないので戸惑っているようだった。
「ああ、自己紹介な? 俺はバスケ部の方城護だ。リンの友達だよ。アヤとかレイコとかリカは知ってるよな? まあ知らなくてもいいんだけど、なんつーか……もう安心していいぜ? うっとおしい連中は俺とそこの、リーさんが片付けたよ。こういう場合、怪我とかなくても病院に行くのがいいのかな? リカ?」
「そうね。でも露草先生に連絡してあるから、そちらに任せるのがいいんじゃないかしら? こんな怖い目にあった後にまた知らない人のところってのはどうもね。それと、リーさん? ありがとうございます。方城くんやみんなが無事なのはアナタのお陰です」
リカがペコリと頭を下げると、ミスター・リーは、ははは、と晴れやかに笑った。
「黒髪の少女さん、お礼はいらないです。僕は僕の仕事をしました。少年がとても素晴らしいでしたし、皆さんの活躍も素晴らしいです。タクミ・ハヅキの無事は皆さんの活躍です」
「ねえねえ、その人、誰ー?」
葉月巧美と一緒で車の中だったレイコは状況を通信でしか聞いていないので、どうして黒スーツのミスター・リーがいるのか理解していなかった。
「レーコ! この人は超マーシャルアーツ使いのミスター・リーで……って、誰?」
レイコ、アヤ、リカの視線がミスター・リーに集まったが、ミスター・リーはにこにこと微笑んでいるだけだった。
「リン!」
突然、葉月巧美が叫んだ。周りが見知った人物で自分が危機から脱したことにようやく気付いたらしく、奈々岡にしがみついてしばらく震え、そのまま泣き出した。
「怖かった! 凄く怖かったの! もう死ぬより怖かったし頭が真っ白だったし! リンとか歩と一緒に速河くんにバイク選んで貰うことなんかを思い出してて、走馬灯? 絶対に殺されるって!」
「タクミ? うん、もう大丈夫よ。みんなが助けてくれた。怖い人は方城くんが全員やっつけたし、平気だから」
恐怖を振り払うように叫ぶ葉月を抱き、奈々岡も一緒で二人はへたり込んだ。葉月の次に緊張状態だったらしい奈々岡も目に涙を浮かべていた。方城は二人に柔らかく言う。
「まあ、それが普通だよ。拳銃持ったチンピラに車で連れまわされりゃ、誰だってそうなるさ。だがよ、リンも巧美さんも、もう安心していいよ。チンピラは全員ノビちまってるし、後は警察が来れば、って、そういや須賀とかは?」
思い出したように方城はアヤに尋ねた。
「うん? ああ、さっきメールが入った。リカちゃん経由で状況は伝わってて、須賀恭介なんかはあえて遅れて到着するように待機してたんだって。葵ちゃんも。ここに大勢だからこれ以上だと混乱するだろうから、だって。警察はもうすぐ到着らしいけど、こっちもナントカって人の判断であえて遅れてで、理由は、えーと、うん? ラピッドファイヤーを投入したから、だって。なんだコレ? ま、葉月の巧美ちゃんは無事確保だしチンピラはノビてるから、詳しくは後でいいか。いちおー確認だけど、みんな怪我とかないかー?」
アヤが全員に言った。
「私は平気。ずっと隠れてたし」とリカ。
「私もずーっと車だったから同じくー」とレイコ。
「怪我はないけど、疲れたよ」と方城。
「こっちも平気よ。本当に、みんな、ありがとう」と奈々岡。
葉月巧美は声が出ないようだったが、アヤに向けて小さく頷いた。
「それでは皆さん、ミコさんが来たら一緒に署で一休みして下さい」
続けてミスター・リーが言い、葉月以外の全員がミスター・リーを見た。
「ショって?」
首を傾げた方城が返した。
「署は警察署の署です。ミコさんは県警九課ですから僕も県警九課です。書類は明日でいいですけど、念の為に今夜は僕とミコさんと一緒に署に行きましょう。それとバイクは移動させておきましょう。拳銃はもう奪ってますし、車の鍵もですし、手錠もです。ああ、警察が来ました。後は引き継ぎましょう」
相変わらずにこにことミスター・リーは言い、そこにパトカーのサイレンが重なった。須賀か誰かがあえて遅らせて到着したのは蘆野署の自動車警らのパトカーだった。二台が甲高いサイレンを鳴らしつつ赤色等を光らせている。
「……つまり、アンタ、警察か?」
方城が少し呆れた風に尋ねた。
「少年、少し違いますです。僕は中華人民共和国公安部の一級警司、リー・リィンチェです。蛇尾の日本支部の内偵のためにミコさんの県警九課と共同捜査してます。ミコさんは僕をラピッドファイヤーと呼びます。ミコさんからタクミ・ハヅキをお願いと言われたのでここにいます。よろしくお願いします」
両手を合わせてペコペコとお辞儀をして、ミスター・リーはまた微笑んだ。それを聞いたアヤが首を捻った。
「あれ? あたし、リンリンから緊急連絡あってから、葵ちゃんにも連絡したんだけど、なんでそれでミスター・ラピッドファイヤーが出てくるんだ? 中国公安部って中国警察だよね? 一級警司ってそれの警視とかだっけ? 通報は後回しにしてたのに、所轄どころかなんで中国警察の超マーシャルアーツ使い? いや、お陰で誰も怪我せずに無事解決だからいいんだけど、作戦とちょっと違う決着で、あれー?」
「あれー? あはは!」
何故かレイコが真似て、ミスター・リーも笑った。
――県警九課・組織犯罪対策室は、神部市リトルトーキョーに支部を置く、中国福建省を拠点とする密入国斡旋ブローカー犯罪組織・蛇尾、通称スネークテイルの内偵を進めていた。その捜査協力のために中華人民共和国公安部から派遣されたのは、マーシャルアーツを初めとする各種中国拳法の使い手、拳銃の弾丸をもかわすラピッドファイヤーことリー・リィンチェ一級警司、ダットサン・ブルーバード1800SSSを足にする彼であった。
県警九課の神和彌子と親しく、彌子とは正反対で拳銃を一切使わないミスター・リーは、「さ迷える赤い弾丸」の彌子と同じく「ラピッドファイヤー(速射)」という二つ名で呼ばれる、犯罪者から恐れられる一人であった。
性格は極めて温厚だが犯罪に対する正義感は神和彌子にも劣らない優秀な警官で、日本に知り合いは少ないが、この一件で私立桜桃学園高等部バスケ部エース、方城護という、若いながら勇敢に戦う青年と出会い、以後、方城と親交を深めることになる。
方城護のスピンムーブが炸裂し、ラピッドファイヤーの拳が唸る時、犯罪者が一人、また一人と姿を消す。
「って! おいおい! 俺のホッパーが燃えてるじゃねーか!」
飛べ! 方城護! 戦え! ラピッドファイヤー! アチョー!
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