第4話~橘絢とスクランブルケータイ2 ―酒場に私がいるときにゃ―

 二十二時半、平日。

 クルミ材の凝った内装のバーは柔らかいオレンジ色の間接照明がメインで薄暗く、それがいかにもバーという印象だった。年代物のレコード式ジュークボックスがムードを盛り上げている。カウンターの向こうで銀色のシェイカーを振る口髭の男性、こちらもバーテンダーの正装でショットバー、チェリービーンズの雰囲気にピッタリだった。

 バーテンダーの背後の壁は大きな木製ラックでアルコール各種が丁寧に並べてあり、店内で唯一の場違いは速河久作と須賀恭介の桜桃ブレザーくらいだった。

「なんや? 速河。ウチの顔にご飯粒でもついとるんか? さっきも言ったけどや、怪我は大したことないで? 夏でもパット入りの革ジャンやし。メットが傷だらけでラベルダちゃんは入院やけど、たぶんフレームまではいってないと思うしや。相手の正体は知り合いに調べてもらっててな、えーと、なんやったかな?」

「葵、そうじゃあなくって、こちらの、速河くん? この子は困ってるのよ、ねえ?」

 ねえ、と首を傾げたのが天海真実(あまみ・まなみ)という女性だと聞いたが、初めて見る顔だった。肩書きが久作らの通う私立桜桃学園の理事長だとも聞いたのだが、学園内で見た覚えはない。

「ラベルダちゃんのテールつついたんは……エボ、エビ、エバ? そないな名前の車やて。四駆でえらい速い奴で、ウチは車は解らんけど、四駆のエバやって。んで、別にやー、バーやからってお酒頼まなアカンてこともないやろ。ここ、喫茶店もやってるんやし、速河がおっても別に不思議でもないで? 須賀のほうは、ほれ、のんびりくつろいどるやん」

 露草の言う通り、須賀恭介は実に落ち着いていて、しわくちゃの桜桃ブレザーでなければ飲んでいるのがバーボンやスコッチウイスキーでも全く不思議でもない。久作はバイクにはまあまあ詳しいが車の知識は殆どなく、アヤから見せてもらった大きなリアスポイラーで四駆の、エバだかは知らなかった。そんな名前のロボットがいたような気もしたが、タイヤは付いていなかったし四駆ではなく二足歩行だった。そのエバが蘆野山の峠で露草のラベルダをあおって、接触したらしい。

「ここには何度か来たことはあるんですけど、こんな遅くにってのは初めてで、少し緊張しますね」

「ほー。仙人な速河でも緊張することとか、あるんやな?」

 喜怒哀楽を余り表に出さない久作を露草は仙人、そう呼ぶことがあるが、別に緊張しているのでもない。久作はどうにも落ち着かない気分を、緊張という言葉で表してみただけだった。天海真実と、バーカウンターに座る黒いスーツ姿の年配、この二人が久作を落ち着かない気分にさせていた。

「改めて自己紹介しておくと、私は真実、天海真実で、あっちに座ってるのは月詠六郎さん。色々と私の面倒を見てくれてる人で、肩書きは執事ってことになってるけど、まあ、ボディーガードみたいな人よ。桜桃の理事長をやってる私がアナタ、速河くんを知らないのは、私の仕事が経営方面だからで、学園のことは教頭の金山(かなやま)さんに全部お任せだからよ」

 流暢に喋る天海真実に対して久作は、はあ、とだけ返した。初対面であれこれ説明されたところで今後どうなるでもないので、それ以外に返す言葉が思い付かない。

 優しく喋る天海真実が理事長でも床屋でも久作にはどうでも良く、とりあえずチェリービーンズというバーのムードにはお似合いなクールな美人だ、というくらいだった。そこでクラスメイトの加嶋玲子と天海真実を比べると、天海真実はどちらかと言えば橋井利佳子に近い雰囲気ではあったが、二人ともファッションモデルかグラビアアイドルで通用する美人ではあるが、女性にあまり興味のない久作なので、こちらも、だからどうという話でもない。

「速河、久作くん、だったわよね? 珍しい名前ね? 嫌味じゃあなくて。珍しいけど素敵だしお似合いよ?」

「珍しいとは良く言われます。自分の名前なんで違和感はありませんけど、両親のネーミングセンスには感謝してます」

 露草がお喋りながら聞き役なのに対して、天海真実は率先して口を開くタイプのようだったが、やかましいというほどでもない。名前のことを訊かれるのはこれで百回目くらいだが、真実に説明した通りで不満もない。

「お隣は、須賀くん、だったかしら?」

「ええ。須賀恭介です。速河と同じクラスで、露草先生には何度かお世話になっています。天海さんのお名前は聞いていますが、あちらの月詠という方は知りません。情報の価値は質で、知識が多ければ全て良いというものでもありませんから」

 若干早口で須賀は言い、視線を文庫本に戻した。

「アナタの話は少し聞いたことがあるわよ? 高等部一年に風変わりな男子生徒がいるって。中等部ではずっと学年成績が五十位で、高等部に上がってからはずっと一位で、たぶん卒業までその位置だろうって。五月と六月の事件の時に隣の速河くんと一緒にあれこれ動いて、お友達も大活躍で事件を片付けてくれたとか、そういう話」

 天海の口調は、どこかからかうようでもあったが、須賀は全く気にせずに応える。

「そこに方城と、リカくんらの名前も入るんでしょうが、学園史に残すのはお勧め出来ませんね。過去の積み重ねが現在だとしても、忘れたほうが良い思い出というものもありますから」

「へえ。噂通りの変わり者ね? アナタ、まるで辻さんみたい」

 言いつつ天海は、バーカウンター向こうでシェイカーを振るバーテンダーを見た。月詠と談笑していたバーテンダー、辻という名前らしい年配はその視線に気付いたらしく、軽く会釈をした。

「俺はカクテルなんかには詳しくないですし、アルコールの類に興味もありませんが、あちらの、辻という方、名前は今知りましたけど、あの方とは何度か顔を合わせたことがあります。会話らしい会話はないですがね。バーテンダーを相手に、アルコールは脳細胞を破壊する、なんて科白は無意味でしょうし」

 須賀は普段、久作らと喋るときは本を見つつだが、天海に対してはきっちり目を合わせていた。橋井利佳子、リカが須賀のそんな態度を何度か注意することもあったが、結局はリカが折れて、須賀は誰かと喋る際にも小説片手で、興味のない話題だと面倒そうにぶつぶつと呟くばかりだった。そして、天海の持ち出した話題はどうやら須賀の興味対象ではないらしく、視線こそ合わせているが、口調はいかにも退屈だ、と言わんばかりだった。ジンジャーエールを含み、視線はミステリ小説を追っている。

「……アナタ、きっと辻さんや月詠さんと話が合うでしょうね。私って退屈?」

「天海さん、真実さんでしたか。アナタは退屈ではないですが、話題は変えて欲しいですね、正直なところ。鏡でもあるまいし、俺は俺のことに興味はありませんし、学園の経営状況なんかにも興味はないです。あちらの月詠さんだかにも、今のところ興味はありません。変人だと思ってくれて結構ですよ。他人からどう見られるか、こちらにも興味はないので」

 久作もだが、須賀には建前や裏表という概念がない。思ったことを思ったまま言い、その意見はほぼ変えない。それでいて方城やリカちゃん軍団と親しいのは周囲がそういう須賀を許容しているからで、別のクラスメイトは須賀に話しかけるどころか近寄りもしない。

「ねえ、須賀くん? だったらアナタ、どんなお話だったら私に興味を抱くのかしら? 大人の女性はお嫌い? クラスメイトと比べて見れば私なんてオバサン? アナタ、とても十六歳には見えないわね。私より年上みたいに落ち着いてて、モテるんでしょう?」

 天海真実の前には小さなグラスがあり、中身はウォッカで、入店してまだ三十分ほどだが天海は少し酔っているように見えた。隣に座る露草は煙草片手にピーナッツをこりこり噛みつつビールをぱかぱか飲んでおり、久作と同じく沈黙しつつ二人を眺めていた。露草は学園内では常に白衣だが、今は白い半袖ブラウスと黒のマイクロスカート、同じく黒いピンヒールで、シルバーのメタルフレームとお揃いの十字架ペンダントが大きく開いた胸元にある。控え目な色使いのブラウスと小さなイヤリングの天海真実が露草に負けないほど色っぽく見えるのはウォッカの影響なのだろうが、どうやら天海は須賀がお気に入りのご様子だった。対する須賀は、天海と読みかけのミステリ小説を天秤にかけて、今のところ両者は同じ程度の価値らしい。

「女性に関する考察はともかくとして、これ、今、俺が読んでいるのは日本人作家のミステリなんですけど、なかなかに面白いんです。探偵がトリックを見破るという典型ですけど、犯罪者の描写がリアルでいて、どうにも日本人らしくない。アメリカ型の凶悪犯罪者で、殺害の手口はシリアルキラー。探偵が、女性ですが、彼女がこの犯罪者に対してプロファイリングを行う辺りがこの小説の見せ場なんですが、俺が興味があるのはそういう話ですね。犯罪者行動心理学という奴ですよ」

 最初は面倒そうに、途中から若干感情を乗せて、須賀は天海に説明した。

「プロファイリング? それって葵のやってるやつ?」

「あー、近いけど、ちゃうわ。ウチのんは一般的な心理学、臨床心理学とユング心理学で、精神科医とかカウンセラーとかそっち方面やねん。須賀の言うんは相模(さがみ)センセとか勇(ゆう)がやっとる行動心理学とかそっち方面やな」

 露草葵が心理学全般に詳しいのはスクールカウンセラーという肩書きからも解り、露草は外科も内科もこなす医師だが本業は臨床心理士で、須賀の言う犯罪者行動心理学とは違うものである。

「相模という方は知りませんが、勇というのは、加納勇(かのう・ゆう)さんですよね? 速河、お前の知り合いにギタリストがいるだろう? 彼の姉だ」

 プロファイリングからどうしてギタリストに繋がるのかは不明だったが、加納という名前には覚えがある。

「ギタリストって、もしかして加納先輩? ラプターズの?」

「ああ、二年の加納勇介先輩だ。彼の姉がどうやら勇という人らしく、そちらは音楽ではなくプロファイリングをしているらしいな。名前が手抜きのようだが、まあ、そういうのもアリだろう。プロファイラーのほうとは面識はないが、機会があれば会って話でも聞きたいところだ。日本警察はまだプロファイリングを導入して間もないし、プロファイラーの数も極端に少ないからな」

「あれ? アナタ、須賀くん。私には全く興味がないのに、どうしてだか勇とは近いみたいね? ラプターズって、確か高等部のロックバンドよね? それくらいは知ってるわよ? 演奏は一度だけ聴いたかな? かなりの腕前よね?」

 語尾は久作に向けてだった。久作は頷いて返した。

「ええ。加納先輩のギターはセミプロですよ。真樹先輩のベースも大道先輩のドラムもですけど。リン……奈々岡さんも、そのうちプロデビューするんじゃないかって。僕もそう思います」

「そうだな。俺は楽器はサッパリだが、聴く分には彼らはかなりだと解るつもりだ。日本よりもイギリス辺りでウケそうだが、加納先輩は九十年代の正統派アメリカンロックがどうこうと言っていたかな?」

「つまり、須賀くんはプロファイリングと音楽の話題なら、少しは興味を抱くって、そういうことよね?」

 グラスに残ったウォッカをあおり、天海真実はにやにやしつつ須賀を見た。

「別に俺に気を使わず、好きに話して下さい。そもそも俺は、どうして自分がここにいるのかすら知りませんが、特に不愉快でもないですから」

 須賀がアヤやレイコのようにご機嫌ではしゃぐ姿など想像すら出来ないが、知らないといえば久作も似たようなものだった。

「ウチと真実と神和のアホやと色気ないやん。せやから須賀と速河やねん。全部、真実のおごりやから、遠慮せずに飲んだらええわ」

「おごり? 私の? 誘ったのは私だし、ジュースくらいまあいいんだけど。辻さん? お代わりお願いします」

 須賀が黙り、天海が次の話題を探しているところに外からの爆音が重なった。しばらく続いたそれが収まり、直後、チェリービーンズのドアが勢いよく開いて小柄な女性が駆け足で入ってきた。

「ヤーホー! お待たせー! ちょいと道を間違えて遅れたけど、その辺はノープロブレム! マスター、お久しぶりー! 月詠さんも、おひさー!」

 深夜だというのに、まるでレイコのような登場の仕方で、ベースボールキャップを被った女性がバーテンダーに手を振り、テーブルに寄ってきた。

「せやから、やかましいねん、お前は。ここはのーんびり飲むお店やで?」

「細かいことは気にすんな……って、なんでガキが座ってんの? 未成年者はベッドですやすやな時間帯だろう?」

 真夏の熱帯夜ながら店内はエアコンで涼しいが、赤いウインドブレイカーを着た小柄な女性は、大袈裟なゼスチャーとやたらとデカい声で久作と須賀を睨み、露草と天海も睨んだ。

「ミコ、久しぶりね。とりあえず座ったら?」

 天海真実が言うと、キャップとウインドブレイカーの女性は椅子をがりがりと引きずって腰掛け、バーテンダー、辻だとか言う名前の年配にペプシを注文して、再び久作と須賀を睨んだ。

「ガキ、かと思ったら、イケメンのナイスガイじゃん! これ、葵の息子?」

 イケメンは死語だろうが、ガキだの、これ、だの、アヤを三倍くらいにした彼女はどうやら口が悪いらしい。注文したペプシは月詠という年配執事がテーブルに運んできた。

「神和さまもお元気なようで」

 まるでウェイターのように月詠が言い、カンナギと呼ばれた女性はそれに手を振って応えた。

「月詠さんは相変わらず渋いねー。薫子ちゃんがストーカーライクなのも納得だよ」

 知らない名前が続けて出て来て、何故だか須賀がジンジャーエールを吹き出した。

「なんだ? ナイスガイ? あたしに一目惚れってか? 恋はいつでもハリケーンだからな。現在彼氏募集中だしアンタはハンサムだけど、さすがに未成年はなー。って、未成年だよな? それ、桜桃のブレザーっしょ? 葵の息子は桜桃か。でもアンタ、賢太くんにも葵にも似てないね? 突然変異か?」

 久作は、アヤが少し年を重ねるとこういう人物が出来上がるだろう、そんなことを思っていた。マシンガントークを上回るアサルトライフルトークの内容は意味不明で、それが通じているかどうかも無視して喋る様子は、アヤそのものだ。

「せやからお前はアホやねん。ウチの旦那は須賀ほど二枚目やないし、こいつみたく賢くもないわ」

「だから、突然変異のミュータントタートルズ亀忍者のもみあげウルヴァリンってことじゃん?」

「ミコ? お願いだから私でも解るように喋ってくれない? 須賀くんも久作くんもビックリしてるし、須賀くん、大丈夫?」

 ミコ、カンナギ、と呼ばれているのでどうやらフルネームはカンナギ・ミコというらしいが、初対面から三十分ほどの天海真実が親しく思えるほど、神和は意味不明だった。

「速河、一つだけ言っておくとな、薫子というのは俺の姉貴だ。そちらのどなたかからいきなり姉貴の名前が出て驚いたんだが、確か初対面だ。もう一つ補足しておくと、俺の親は露草先生ではない、全くの別人だ。速河の母親が露草先生かどうかは俺は知らん」

 読みかけの小説を閉じて須賀が言うが、久作にはサッパリだった。

「ミュータントB、サイクロップスライクなこっちもハンサムガイだけど、やっぱ賢太くんとは違う感じだな。アンタ、目からビームとか出る? 破壊光線オプティック・ブラスト」

「もう、わやくちゃやな。速河? どっから説明したらええと思う?」

 露草の問いに、久作は少し考えて答えた。

「ゼロから説明してくれると助かります。出来れば相関図付きで。ちなみにビームは出ませんし、そういう知り合いもいませんよ」

「イケイケの最新高校生ならグラサン外してビームくらい出せよー。腕から超合金の爪が飛び出すとかさー」

「須賀の腕から爪が出てくるかどうかは知りませんが、高校生にそんな機能はありませんよ、古今東西」

 真顔で言う久作に対して、天海がウォッカを吹き出した。神和は何故か不満そうだった。


 ――チェリービーンズで天海真実がウォッカを吹きだす同刻、蘆野アクロス。

 ぷつっ、という無機質な音でケータイは沈黙し、早足で歩く奈々岡鈴は茫然自失で立ち止まった。動悸が加速し血液が逆流するような気がして、脂汗で青冷める。

 どこで判断を間違えたかを考えるより状況に対応するのが先だと頭を切り替えて、ケータイのアドレス帳を見た。

「……この電話は、現在使われておりまーす! ってリンリンか? スクランブルケータイ・セカンドにって、どしたのよ? こんな時間――」

「アヤちゃん! お願い聞いて! えっと、どこから説明したらいいのか……」

 電話の相手は高等部1‐Cリカちゃん軍団の一人、橘絢だった。アヤとは普段はEメールで連絡を取っていて、ケータイで喋ることもあったが、今使っているのはアヤが「超緊急事態の場合に」と奈々岡に伝えた番号だった。

「リンリン、落ち着け。まずは場所だ。えっと、アクロス? GPSで拾った。んで、頭数が必要か?」

 通話から二十秒でアヤは奈々岡の居場所を言い当て、ケータイからはキーボードを叩く音が聞こえた。ちなみにリンリンとは奈々岡鈴の、アヤ限定のニックネームである。

「タクミがリトルトーキョーの手前で……状況は不明なの!」

「タクミ? リスト表示……タクミ・ハヅキ、リンリンのクラスメイトね? リトルトーキョー手前にこの時間て、そのタクミの番号は?」

 深呼吸を一つ、奈々岡はアヤに葉月巧美のケータイ番号を伝えた。

「了解、十秒待って……出た。リトルトーキョーの東入り口? いや、この時間帯でそりゃーマズいな。リンリンはホンダのハミングだったよな? タクミって人は?」

「タクミは久作くんが選んでくれたシャリィだけど、さっきまでケータイで――」

「オーケーオーケー。そこから神部市だとハミングは遅いし、リンリンが行っても意味ないし、とりあえずあたしも出るよ。葵ちゃんと速河久作にもヘルプ出しとく。今が二十二時五十五分だから、二十三時十分までにアクロスに集合だな」

「アヤちゃん! 歩(あゆむ)とタクミが!」

 ケータイからきびきびと指示を出すアヤだが、聞いている奈々岡は少しパニックになっていた。

「リンリン? 落ち着け、大丈夫だ。アユムって? リスト表示……アユム・マエムラ、こっちもリンリンのクラスメイトね? まあ、速川久作が出たら無敵だし、あたしも出るから。駅前ロータリーで待機だ。一旦通信終わるけど、冷静にな?」

 再びケータイが沈黙し、奈々岡は蘆野アクロスで呆然としていた。

 六月の騒動ではアヤたちに助けられたが、今は奈々岡のクラスメイト、葉月巧美と前村歩、二人の女子高生に何事かが起きている。とりあえず自分は危険ではないが、二人のクラスメイトが相当に危険であるらしいことだけは解った。

 前回の教訓から非常事態時に自分の判断力は頼れないことを痛感している奈々岡は、アヤに任せると決めて駐輪場のハミングに急いだ……。


 ――奈々岡が全力疾走でホンダ・ハミングに急ぐ頃、方城護は自室のベッドの上でバスケ雑誌を眺めていた。

 方城護の人生の大半はバスケットボールと一緒にコートの上だったが、さすがの方城でも自宅の部屋でドリブルなどはしない。

 普段は午前一時には就寝し、それまでの時間は雑誌を読んだりテレビを観たり、音楽を聴いたりゲームをしたりと息抜きをしている。パソコンもあるが、ネットなどに疎いので使う頻度は少なく、ケータイで誰かと長話するような習慣もないので、黄色い、実はアヤとお揃いのスライドケータイはクレイドル(充電器)にマウントされている。

 暇潰しにアヤにメールでも送ろうか、そう考えてケータイを取ろうとして、クレイドルのケータイが鳴り響いて震えた。

「うおっと! メール? って、アヤじゃねーか。ん? ……ホークアイってのは、こないだの時の、えっと、コールサイン? 渾名みたいな奴だったよな? 駅前ロータリーにって、この時間にかよ。まあ、無視したら後がメンドーだし、シャレだの冗談だのじゃあないんだろうな。えっと、こういう場合の俺って、ボギーツーだったっけ? ボギーツー、了解、っと。須賀と速河も、なんだろうな。ま、行けば解るか」

 コールサイン・ホークアイことアヤに「ボギーツー、了解」と返信した方城は、素早く身支度を整えて家族に出掛けると告げてジェットヘルを抱え、外履き用のバッシュで久作に選んでもらったバイク、スズキ・ホッパーにまたがった。

「パワーフォワードでバイクの名前がホッパーってのは、さすがは速河って感じだよなー。さて……桜桃のスコアリングマシーン、エースの俺、方城護さま、出撃!」


 ――方城護がスズキ・ホッパーで出撃した頃、同じく三輪スクータ、ホンダJOYに乗った橋井利佳子は、アヤからのメールの文面を復唱していた。

「リンリンにエマージェンシー、駅前ロータリーでランデブー、ホークアイ……って、肝心の用件がないじゃないのよ。急いでるにしても、何が何なのかくらい説明して欲しいわよ。それで、アヤがホークアイの時は私、えっと、グレイハウンド? そうそう、グレイハウンド。もうすぐ二十三時って、夜中じゃないの」

 リンリン、奈々岡鈴がどうこうらしいが事情がサッパリ不明なリカは、とりあえず集まれというアヤに従ってJOYを若干飛ばして駅前ロータリーに向かっていた。アヤが自分をホークアイと名乗るのはこれで二度目で、それが戦闘機の名前だと久作が説明していたが、グレイハウンドというのが何なのか、リカは知らなかった。

 深夜に奈々岡がどうこうだとしても、自分が行ったところで何の役にも立たないだろうとも思ったが、アヤの瞬間的な判断力は須賀恭介に匹敵するので、事情はともかく急いだ。また騒動になるのか、と少し不安もあったが、須賀恭介や方城護、速河久作が一緒ならばまず危険はないと半ば確信しているので、何をどうするのかはひとまず置いて、アヤの指示通りにホンダJOYを走らせていた。


 ――リカのJOYが駅前ロータリーに到着する少し前、自室で少年コミック片手に呆けていた加嶋玲子は、真っ赤なケータイに届いたアヤからのメール、リカへのそれと同じものを読んで、また呆けた。

「アヤちゃんがホークアイって……何だっけ? リンリンってリンちゃん? エマージェンシーって、えっと、急ぎだっけ? うん? ……ああ! プラウラーな私、出発ー!」

 プラウラー(うろつくもの)とは大型の電子戦用戦闘機の名称で、リカのグレイハウンド(大型貨物輸送機)、アヤのホークアイ(鷹の目、電子戦指揮機)と同じく久作がレイコに与えたコールサインである。

 駅前ロータリーまでは距離があったので、若干興奮気味のレイコを落ち着かせた。リカはもうロータリーに到着しているかもしれず、アヤは当然で、そこに久作や方城、須賀も合流しているだろうと少し慌てたが、フルスロットルでもランブレッタ48は相変わらずのんびりだった。元陸上部の脚力を生かしてモペッド・ペダルモードで走ろうかとも思ったが、体力は温存しておいたほうがいいだろうとレイコなりに判断した。

 慌てていたので財布を持ってくるのを忘れたが、スニーカにジーンズで上はタンクトップと動きやすいようにして、ランブレッタ48とお揃いの真っ赤なケータイはジーンズのポケットにねじ込んだ。

「とことこと、のんびりモードの、プラウラー」

 元気と能天気が自慢のレイコは、何となく詠(よ)んでみた。


「――だからよぅ、俺らがチンピラにでも見えるか? お壌ちゃんよぅ」

 深夜にレイコが一句詠んでいる頃、神部市のグルメ繁華街、通称リトルトーキョーの入り口で、私立桜桃学園高等部1‐Aの葉月巧美は、三人に囲まれていた。葉月より年上の男が二人と女が一人で、どこからどう見てもチンピラにしか見えない。

「お金は殆ど持ってないんです。でも、あげますから……」

 葉月は顎が震えるのを我慢して、自慢のAMAMIブランドの財布を差し出した。

「金は貰うけどさ、ついでに一緒に遊ぼうじゃねーか。寝るには早いし、俺らは暇だし、お前もこんなところをブラついてるんだから、暇なんだろ?」

 ケータイ片手の平田賢治は、スキンヘッドに迷彩カーゴパンツ、チンピラのお手本のようだった。葉月の財布を取り上げたのは平田と一緒に煙草を咥えている細身の女性、ロングヘアの八木由紀(やぎ・ゆき)だった。

「ドライブなんてどーよ? 蘆野山の峠を飛ばして、星空眺めてのナイトクルーズなんて、イカすだろ?」

「バーカ。テメーよか、俺のほうが速いっつんだ。なあ? ユキネエ?」

 ワインレッドのスーツを着た唐沢直樹が割り込み、ユキネエこと八木由紀がケタケタと笑った。

「峠でも環状線でも、私が一番だよ。なあ、ガキ。何で五千円しか入ってないんだよ。AMAMIの財布、こっちのほうが高いじゃんか。ったく、シケたガキだね。最近の女子高生ってのは、もっとたんまり持ってるもんだよ? 勉強とかしてないで、もっと稼げよ。いいバイトがあるから、私が紹介してあげようか?」

 ユキの言葉に、ケンジとナオキがげらげらと笑った。

「そうそう、体力勝負だけどスゲー稼げる美味しいバイト、あるぜー? ドライブの後で早速だな。80スープラなんぞチギってやるさ」

「だから、テメーなんぞにチギられねーよ。美人のお壌ちゃん? こっちに乗れよ。峠ならユキネエの400Rも置いてきぼりさ」

 葉月巧美は車には疎いのでケンジとナオキが何を言っているのかは解らず、ただ、身の危険にどう対処したらいいのかだが、完全にパニックで放心状態だった。後ろ手でケータイを操作するが、それが誰に繋がっているのかも解らない。

「金かけてチューンするにしたって、ベースカーが安物じゃあ無意味だよ。だからお前らは毎回、私に負けるんだよ。ま、今回も私の独走だね。ここから中央道経由で蘆野山に入って、展望公園がゴール。最後尾が飯をおごる、いいかい?」

「よっしゃ! 今度こそ負けねー! タイヤ替えたばっかだしな!」

「だからさー、テメーが最後だって。お壌ちゃんは俺の助手席な?」

 ナオキが葉月巧美の肩を鷲掴みにして、前後に揺すった。頭が真っ白になっている葉月は、震える膝で今にも崩れ落ちそうだった。ユキのケータイが鳴っていたが、葉月はそれに気付いていない。

「レージかい? 今? リトルトーキョーでこれから蘆野の峠だけど、来る? ケンジとナオキと、メスガキがオマケだけど? ……ああ、じゃあ蘆野駅前に集合ね。で、今日はどっち? ……エボ? 解った、じゃあ後でね」

 ケータイをカバンに戻したユキが、パンパンと手を叩いた。

「レージがエボで来るってさ。これでもう、二人のどっちかがおごり決定だね、ははは!」

「ちぇっ、ベンツで来ればいいのに、ボンボンはイヤだねー」

 スキンヘッドのケンジがぼやき、オールバックのナオキが笑った。

「どっちにしてもテメーは負け決定なんだよ。なあ?」

 ナオキが胸元をどん、と押すと、葉月はそのまま崩れ落ちた。

「何だ? 既にヘバってますってか? ったく、最近の女子高生はこんなのばっかしだね。ドライブ中に気絶でもするんじゃないのかい?」

 くくく、とユキは笑い、咥えた煙草を放り投げた。


 ――ロングヘアの八木由紀が投げ捨てた煙草が飲食店の看板に当たり、同じくロングヘアの露草葵のカバンから着信音が響いた。

「はいはい、今出ます、て、こっちちゃうやん」

 空になったビールの瓶と青いスライドケータイをテーブルに置き、露草葵はカバンから黒いタッチパネル式ケータイを取り出した。同時に、久作、須賀のケータイも鳴った。

「うん? みんなお揃いで、何?」

 三杯目のウォッカでぐだぐだになった天海真実が尋ねて、久作と同じくペプシを飲んでいた神和彌子も首を傾げた。チェリービーンズに設置された年代物のジュークボックスからは古いジャズが流れている。天海の執事、月詠のセレクトだった。ウッドベースに低いヴォーカルが重なるスローテンポのメロディがチェリービーンズに響いているが、三台のケータイ着信音がムードを台無しにしている。

「メールはアヤくんから、ホークアイ? ……速河?」

「ああ、こっちにもだよ。場所は蘆野アクロス前のロータリーで、リンさん? こんな時間に取材、ってことはないね。リトルトーキョーって、神部の繁華街だったっけ?」

「どうやら方城も出たらしい。詳細不明というのはつまり、緊急事態なんだろうな。さて、ボギーワン、どうする?」

 ボギーワンは久作のコールサインで、須賀はボギースリー。方城のボギーツーと合わせた三人編隊は、私立桜桃学園で発生した事件を収束させた精鋭分隊でもある。

「……んで? リンと、ああ、葉月巧美な? 何回か貧血でウチの部屋に来た、えらいひょろひょろのんやろ? もっとお肉食べろて言うてて、まあええわ。そんで、リトルトーキョーて、今からかいな。ウチ、ラベルダちゃん入院中で……あ、ええわ。駅前のロータリーやろ? 丁度ええ面子やから、とりあえず行くわ。アヤ? 急ぎやからて飛ばして事故とかアカンで? そういうのをミイラ取りがミイラ言うんや。リンに動くなてもう一回言うといてや、ほな、後でな」

 普段使うものより大振りなタッチパネルケータイをカバンに戻した露草は、久作と須賀を見てから、神和に告げた。

「おーい、神和のアホ。アンタのお仕事や。それ、ペプシやろ? さすがはお巡りさんやな。アンタとアンタの車、あのやかましい奴の出番や。ウチと真実はアルコール入っとるけど、月詠さんは?」

「ご覧の通り、ウーロン茶です。露草さまは何やらお急ぎのようですが、お手伝いしましょうか?」

 黒スーツを着た月詠六郎が店主との談笑を中断し、露草に返した。

「ヘイヘイ、やかましいって、グリフィス500はちょっとした財産だぜ? んで、一仕事終えて久々に飲もうって思ってて、こっからテキーラタイムのつもりだったんだけど、あたしの仕事って?」

 黒いベースボールキャップには「SWAT」と青い刺繍ロゴがあるが、神和はSWATではなく県警九課の巡査部長で、SWATほどの武装もない。どうして真夏の夜に真っ赤なウインドブレイカーなのかと久作に尋ねられた神和は、ホリゾンタルタイプのカイデックス製ダブルショルダーホルスターと、そこに収まる拳銃、ハーフステンのガバメント9ミリカスタムをちらりと見せて、ペプシをあおった。

 バイクや戦闘機に詳しい久作は、拳銃の知識も豊富だった。主に映画とゲーム、専門雑誌からの知識だが、銃撃戦が派手なアクション映画はかなり観ていたし、そこで登場する拳銃の名前や性能も頭に入れていた。

 方城や須賀はその辺りに興味がないようだったが、アメリカで生まれ育ったアヤと拳銃がどうのこうのと雑談することはあった。神和が見せた拳銃のグリップがガバメントだとは解ったが、スライドがスチールでフレームがステンレスの9ミリカスタムというのは初耳だった。

 神和彌子と露草葵と、ウォッカでぐでぐでになっている理事長・天海真実が大学時代の友人で、神和が県警九課という初耳の部署の巡査部長だとは聞いた。須賀の姉、須賀薫子が刑事部鑑識課の警部補で、神和の県警九課と連携しているとも聞いた。薫子との面識はないが、彼女が天海真実の執事、月詠六郎のファンだとも聞いたし、高等部二年バンド、ラプターズのギタリスト、加納勇介の姉、加納勇が科捜研のプロファイリングチームの一員で、露草と交流があるとも聞いたが、露草葵の旦那、露草賢太なる人物がどうだとか、神和の上司の乾(いぬい)という刑事がこうだとかは、それこそ人物相関図がなければ解らないほど複雑だったので、聞き流した。

「速河はXLやったっけ? 須賀もバイクやろ? ウチは神和のアホの隣に乗って、真実は月詠さんの隣や。真実は全く使えんけどや、月詠さんはあれこれ頼りになるからな。アヤも出てるみたいやし、加嶋やら橋井やらもで、たぶん方城もやろ。よう解らんけど、リンのお友達が危ないみたいやから、神和のアホ連れてたら役に立つやろしな」

「うーん? もうお開きなの? まだ飲みたいんだけど?」

 すっかり出来上がっている天海が空のグラスをふらふらとさせていたが、露草は無視して月詠に任せた。

「って、おいおい! 今からリトルトーキョー入りってか? 何であたしはUターンなんだよー! ってか、この時間帯のあそこはヤバいぜ? いや、マヂで。葵はまあいいけど、そこの二人はダーメ。未成年はジュース飲んで寝てろってば」

 ペプシのグラスを持って抗議する神和に、須賀がゆっくりと口を開く。

「県警九課の神和さん、でしたよね? 俺らは知り合いが危険なのを見過ごすような、そんな中途半端な付き合いはしてないんです」

 ジンジャーエールを飲み干した須賀が、読みかけの文庫本をブレザーポケットに押し込んで神和に言った。

「いやいや! 薫子ちゃんの弟くん? 今が何時で自分がどこに行こうとしてるのか、解ってるか?」

 特徴的な大きな瞳で須賀を睨んで、神和はペプシを一口含んだ。

「時刻は二十三時で場所は蘆野駅前経由で神部市の繁華街。素行の悪い連中が集まる、通称リトルトーキョーで、そこに鈴(すず)くんの知り合いがいる。名前は葉月巧美で面識は殆どないが、その彼女ともう一人、前村歩という人物の身に何かが起きていて、それを知った鈴くんはアヤくんに連絡した。どうしてアヤくんに連絡したかと言うと、彼女はとても優秀な指揮官で、速河並の戦術を一気に組み上げて状況に対処することが可能だからです」

 神和は入店してから一番の真顔で黙っていた。口を閉じていればどうにか警察官に見えなくもないが、どうして黒キャップのロゴがSWATなのかは久作には解らなかった。須賀が続ける。

「こうして話している時間も惜しいが、アナタの協力が不可欠だとは俺の判断です。アヤくんが事態を把握しているかは不明だが、この時間で場所が神部市繁華街で、そこに鈴くんの友人が一人ならば予想は出来る。仮に鈴くんが警察に通報したとして、どう説明を? 友達が何やら危険なようだが詳しくは解らない。そんな通報で動けるのは所轄の警ら警官くらいでしょう? 速河から聞いたが、警ら中の警察官も拳銃を携行しているらしいが、二人くらいの制服警察官が現場に到着するのに、まず何分かかります?」

 立ったまま言う須賀に、真顔の神和がゆっくりと噛み締めるように、言い聞かせるように応える。

「……よーく訊けよ? 弟くん? そのリンだかスズだかってのは今は蘆野アクロスだろ? そこから百十番なら、電話に出るのは県警地域課の通信司令室のオペレータで、ケータイからの通報なら居場所をGPS探知する。未成年女子がリトルトーキョーでヤバそうって状況なら、まず動くのは神部署の地域警らやってる制服組か、自動車警らやってる私服組で、現場到着までに五分以内だよ。場所がリトルトーキョーなら県警地域課の地域警らの私服組も出て、同じく五分以内に現着。所轄だって県警だってみんな拳銃を携行してるし、常にツーマンセル、二人組だから、所轄と県警地域課からで合計四人の武装警官が急行……文句ないだろ? 薫子ちゃんの弟くん?」

 神和のきつく諭すような口調は先ほどまでとは全くの別人にも見えたが、須賀は変わらずで返す。

「武装した警察官が四人、五分以内で葉月だかのところへ。文句はありませんが、おそらく方城、俺の知り合いですが、奴はもう駅前ロータリーでアヤくんと合流している。今、メールが入った。そこにリカくんとレイコくん、そして鈴くんも一緒で、ロータリーから出発するつもりらしい。鈴くんがアヤくんに連絡してざっと三分といったところで、もう二分もあれば葉月という人物のところに方城は辿り着くし、既に到着しているかもしれない。方城は拳銃なんて持っていませんが、相手が武装したチンピラで数人でも、方城なら一人でどうにでもなる。そして、もしかすると事態は既に収束しているかもしれないし、悪化しているかもしれない。通報するのは構わないですが、どちらにしろ方城とアヤくんの機動性のほうが上なのは確かだ。方城の手に余る場合を想定して、アヤくんは俺や速河、露草先生に連絡してきた。アヤくんは最悪を想定して人選しているし、俺も楽観視はしていない。警察が空振りならそれが一番だし、方城の出番がなければ尚更だが、少なくともそれを確認する必要がある。通報するかどうかの判断は任せますが、俺は行きます。速河がどうするかは任せる。神和さん、出来ればアナタにも出て欲しいが強制はしません。俺からは以上です、時間が惜しい」

 言い残し、テーブルから立ち去ろうとした須賀のブレザーの裾を、神和ががっちりと掴んだ。

「薫子ちゃんの弟くん? アンタ、頭良さそうだから付け加えると、仮にだ、仮にチンピラなんかがいて刃物の一つでも持ってれば、そこに県警刑事部捜査第一課、いわゆる捜査一課の捜査官が急行だよ。現場入りした所轄警官の判断で、通信司令室経由で出てくるんだ。チンピラが拳銃なんかを持っててもな、捜査一課はそもそもそーいうアホを想定してる部署だから問題ナッシング。つまり、そこに弟くんとかその友達とかが行くと逆にメーワクなの。あたしは行くよ? リトルトーキョーは九課の管轄だからね。葵が着いてくるのも、まあいい。真実ちゃんには月詠さんがいるからこっちもオーケー。でも、解るっしょ? お巡りさんは冗談とか飾りじゃないんだよ。危ないと思ったら百十番通報で実は何もなかった、でもいいの。ってか、何かあってから通報じゃあ遅いのよ。とりあえず通報しなさい。捜査一課が動くかうちの九課が動くか、そーいう判断はこっちでやるから。あたしだって拳銃持ってるし、相手がチンピラだろうがゴロツキだろうが、んなもん素手で吹っ飛ばすさ。知ってるだろうけど、逮捕術っていう警察官が使う武術があるんだよ。そんなあたしが行くんだから、弟くんはみんなの無事を祈ってくれてりゃいいの。アンタの正義感とかそーいうのはきっちり受け取ったから、そっから先は本業に任せとけって、な?」

「当然、任せますが、今はとにかく急ぎたい。アナタと口論するつもりもないが、やるなら続きはケータイでお願いしたい。俺らのケータイはグループチャットのように使えるから、番号は速河に聞いてください。お互いが空振りなのが一番だが、最悪を想定するのもお互いだ。速河、繰り返しだが、俺は行くが強要はしない。残って後方支援というのもアリだろうし、判断は任せる」

 神和が握った手をそっとどけて、須賀はとうとうチェリービーンズを出た。それを見送って、久作が次ぐ。

「神和さん? 迷惑かもしれませんが僕も行きます。須賀の言った通りで神和さんにも協力して欲しいですけど、判断はお任せします。アヤちゃんと連絡出来るようにケータイの番号を交換しておきましょう。それで須賀とも話せますし」

 折りたたみ式の古いケータイを持ち出した久作は、神和が渋々出したタッチパネルケータイに空メールを送信した。

「えっと、サイクロップスくん? アンタも行くってか? ……あのさー、あたし、こんなだから警察官には見えないだろうけど、実は警察官なのよ? しかも県警九課の。さっき見せたガバがフォーティーファイブじゃなくて9ミリカスタムな理由、アンタなら解るっしょ? いや、あたしは行くよ? 高校生の、葵と真実ちゃんとこの生徒が山ほどでリトルトーキョーにこの時間にとか、メチャクチャだ。あたし泣くぞ?」

 出て行った須賀につられるように立ち上がった神和は、ペプシの入ったグラスをあおり、同じく立ち上がった久作を睨んだ。

「9ミリカスタムは複数を想定したチョイスでしょうね。ガバメントなのは豊富なパーツ類と信頼性があるからで、FNのハイパワーとかベレッタM92Fなんかでも良さそうに思えますけど、僕の知識はあくまでフィクションですから他に理由があるんでしょう。須賀が空振りだったり僕がそうだったりが一番ですけど、須賀じゃあないですがそれを確認しておきたいんです。アヤちゃんからの最初のメールからもう五分以上だ。方城はもう葉月さんのところに向かっているかもしれないし、状況がどうあれ、そこに僕も合流しておきたい。神和さん? 実は僕、目から破壊光線が出るんですよ。相手がミュータントでも平気ですから」

 会釈を一つ、久作も須賀に続いてチェリービーンズを出た。

「……何だソレ! 葵の息子は実はサイクロップスで、さっきの奴はもみあげウルヴァリンってか? ホージョーとかってのは何? サイクロンジョーカーでライダーキックでもかますのかよ! 葵! いや、真実ちゃん? あんたらんところの生徒はデタラメだ!」

 空になったグラスをテーブルに叩き付けて、神和は露草と真実に向けて怒鳴った。

「アホの神和やー、まあ落ち着けて。あの二人な? 見た目は高校生なんやけど、中身はちょいと違うねん。方城いうんもや。文句は山ほどやろうけど、とりあえず行こうや? なーんもなかったらそれでええやん」

「だーかーら! 何かあったらどーすんだよ! 始末書とかそういうレベルじゃねーし! いや、あたしがどうとかはいいの! 怪我でもされたら誰が責任取るって、どう考えてもあたしじゃん! 始末書、減俸、謹慎、降格、サイアク、停職、いや、クビ? いやいや、あたしがムショ行きとか? いいよ! それでもいいけど、とにかくあいつらに何かあったら大変だってば!」

「ミコー、だからアナタが行けばいいんじゃないかしら? 月詠さーん、アキュラの運転、お願いねー。これでも私、理事長だから、生徒を危険な目に合わせるのはどうにもね」

 椅子から立った天海は頭をふらふらさせつつバーカウンターの月詠に寄り、肩を借りて出口に歩いた。

「んで! 真実ちゃんも? 全部合わせて何人だよ! あたしら九課は群れるの苦手だし、単独捜査が基本なのにー!」

 露草は既にチェリービーンズのドアに向かっていて、神和彌子だけが取り残されている格好だった。

「神和さん。人事を尽くして天命を待つという格言は、やれることは全てやっておけと、そういう意味ですよ?」

 チェリービーンズのマスター、口髭の辻公平が笑顔でカクテルグラスを滑らせた 。

「ムーンドロップ、私のオリジナルでノンアルコールのジュースです。月が落ちてくるくらいに思いも寄らぬことが起きる、そんなネーミングです、どうぞ」

「はいはい! 解りましたよ。ビックリしすぎて疲れた。ウルヴァリンだかサイクロンジョーカーだか知らないけど、あたしが先回りして全部片付ければそれでノープロブレムってことっしょ? こうなりゃマヂの本気モードだ、コノヤロー! さ迷える紅い弾丸が本気出したらスゲーってんだ!」

 ノンアルコールのムーンドロップを一気飲みした神和は、ケータイを握りつつ駆け足でチェリービーンズを出た。

「あ、リーさん? 九課の神和です。夜遅くにすんませーん。ちょいとお手伝いをお願いしたいんですけど、動けます? ええ、今、蘆野市のバーなんすけど、説明するのもイヤになるくらいややこしい状況で、スネークテイルとは全く関係ないんですけど……オッケー? さすがリーさん! 近いうちに何かおごりますから、ヨロシクハオニー!」

 本気モードにスイッチを切り替えた、さ迷える紅い弾丸こと神和彌子は、橘絢、何ともややこしい状況を生み出した張本人に会ったら一喝してやろうと思いつつ、露草と一緒にツードアオープンに乗り込んだ。

 ステアリングを握った神和彌子はしかし、露草葵と橘絢の持つケータイが自分の最新ケータイよりも高性能な、スクランブルケータイ2だということはまだ知らないでいた。

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