第3話~速河久作とギリギリチョップ ―ここで輪を描いて回るもの―
中等部時代は人間嫌いで通していた速河久作(はやかわ・きゅうさく)は、高等部に上がってからその態度を変えた。友達と呼べそうな人物が山ほど登場して、平凡を愛する久作の学園生活が相当に非凡なものになったからだ。
クラスメイトの方城護(ほうじょう・まもる)と彼の小学生時代からの友人、須賀恭介(すが・きょうすけ)は、私立桜桃学園高等部1‐Cの中でも特殊なタイプだった。
方城はバスケ部のエース、通称「桜桃のスコアリングマシーン」と呼ばれるパワーフォワードで、学生バスケ雑誌に方城の写真が掲載されることも多かった。近隣学校のバスケ部全部からマークされていて、学園内では女子連中からマークされている。
長身で引き締まった筋肉と尖った風貌は中等部と高等部の女子を騒がせて、スコアリングマシーンを阻止しようとするディフェンスプレイヤーも騒がせていた。方城はチームスポーツをするからかフレンドリーで親しみやすく、超高校級スタープレイヤーながら気取ることもなく、ひたすらに良い人である。
須賀恭介はそんな方城護の対極のような人物だった。大柄だが痩せていて、桜桃ブレザーはいつもしわくちゃ。大人びた風貌は人を寄せ付けず、教員からも一目置かれていた。頭脳に関しては大学院レベルで、どうして高等部にいるのかと尋ねると、暇潰し、そんな答えだった。
読書家で洋書を片手が須賀の普段の姿で、やたらと難しい会話をするが、ハイレベル過ぎてそれが皮肉だと気付かないということも多々あった。民俗学だの言語学だのを趣味で学び、今は犯罪者行動心理学とプロファイリングに夢中らしく、洋書に日本のミステリ小説も追加されていた。「ハードボイルド探偵」と久作は内心で呼んでいるが、実際にそうだとしても驚くでもない。方城とは違うタイプながらこちらも女子を騒がせるに充分で、須賀恭介ファンクラブなるものがあるという噂まであった。
こういった二人を見ると、久作は自分が実に平凡な高等部一年生である、と確信出来るのだが、二人からは違う意見が毎回出る。
「空手部主将とヘビー級ボクサーをぶっ飛ばす奴が平凡なら、格闘技やってる連中は全員、平凡だよ」
スコアリングマシーン・方城護の科白である。
「速河、お前みたいな奴はな、SF小説にでも登場するのが一番だ。お前のそれは一種の超能力だしな」
須賀恭介がSFを読んでいるらしいことが解る科白だが、久作がどうなのかを説明するには足りない。
とりあえず久作が自覚しているのは、自分がある種の格闘技を我流で少し使えることと、ホンダXL50Sという古いオフロードバイクに夢中なこと、そして、安物のデジタル腕時計から念願のGショック・タフソーラーに買い換えて満足している、これくらいだった。
他は、クラスメイトの加嶋玲子(かしま・れいこ)と親しくなったこと、レイコの友達とも親しくなったこと、別クラスにも友人が出来たこと、そんなもので、空手部だボクサーだはどうでもよかった。
「グーテンダーシュ! 速河久作! 葵ちゃんがバイクで事故ったって、知ってるか?」
真夏の化身のような、朝一番から無駄に元気な橘絢(たちばな・あや)、彼女も相当に変わった人物だ。女性にしては小柄だが胸と長い脚のラインが魅力的な金髪ツインテールで、カッターナイフのような鋭い目付きにブラックシャドウが獰猛な猫のように見える。大きなカバンにはノートパソコンとモバイル端末、ケータイなどの電子機器とモバイルゲーム機とソフトを詰め込んで、教科書やノートはオマケのようだった。
四月、高等部からの編入組で、それ以前はアメリカ西海岸に住んでいたらしい。
熱狂的なゲーマーで、3D格闘ゲーム「ミラージュファイト2」を熱心にやっており、オンライン対戦だのゲームセンター対戦だので負け知らずで、「エディ・アレックス使いのアヤ」として蘆野市と桜桃学園では有名だと聞いた。
「って、話聞けよー、速河久作」
「ああ、ごめん。露草先生が事故? ラベルダで?」
保健教師でスクールカウンセラーでもある露草葵は車を運転しないので、事故ならラベルダだろう。イタリアンカフェレーサー・ラベルダ750SFCが露草の愛車で、腕前はかなりのはずだが、どうやら事故らしい。
「昨日の夜にさ、葵ちゃん、山で車にあおられて結構派手に事故ったらしいぜ?」
桜桃学園と市街地を結ぶ、通称「心臓破りの坂」を更に上ると、標高八百メートルほどの頂上展望スペースまで、ずっと峠道になっている。バイクで流したり車で走ったりすると爽快で、久作もたまにXL50Sで走る。
露草はバイクこそラベルダだが無意味に飛ばすタイプではなく、峠を走るにしても景色を眺めつつのツーリングのはずだが、アヤが車にあおられた、そう言っている。
「どうりで、駐輪場にラベルダがない訳だ。で? 露草先生の具合は?」
アヤと露草は親しく、主にネットを介してでプライベートでも付き合いがあり、露草がアヤに知らせたのかアヤが嗅ぎ付けたのかは知らないが、事故とやらの概要を知っているようだった。
「事故は派手だけど怪我は軽くで済んだって。今日も保健室にいるし、バイクは修理に出してるとか、そんならしいよ? でさ、問題はその相手!」
「相手? ああ、車であおられたって、中央道……じゃなくて蘆野の峠道だっけ?」
「昨日の夜、蘆野山の峠だってさ。葵ちゃんのあのオレンジのバイクって結構速いじゃん? それで頂上から下ってたところを車であおられて、ガードレールにドカン、だってさ」
「下りでガードレール? 無事なのが不思議な話だけど? バイクをあおる車って、ラベルダクラスのバイクなら、まず車で追いかけるのは無理だろうに、妙な話だね?」
「だよな? あたしもそう思う。車とかバイクのことは知らないけど、何度か後ろに乗せて貰った葵ちゃんのライディングは上手だし、夜の峠で下りでも、普通の車なんか相手にならない筈でしょ? ねえ、リカちゃん?」
アヤが振ると、クラス委員の雑務を終えた橋井利佳子(はしい・りかこ)が加わった。艶のある黒いストレートヘアを掻き揚げつつ、アヤに並んだ。長身のリカと並ぶとアヤの小柄さが目立った。アヤが金髪ツインテールで自分を大きく見せているのか、とも思えるがその辺りに触れたことはまだない。
「気になったから朝一番で保健室に顔を出してみて、幸い大事には至らなかったみたいだけど、だからバイクって怖いのよね。でも、久作くんに選んでもらったあのバイクはお気に入りよ?」
1‐Cクラス委員の橋井利佳子、通称リカちゃんは六月までバス通学だったが、バイク通学に切り替えた。その際、久作はバイク選びを頼まれて、リカにはホンダJOYという、古い三輪スクータをチョイスした。ピザ配達バイクのような三輪だがコンパクトで可愛らしく、リカの好みにもはまったらしい。
同じくのアヤには、スズキのRG50ガンマ・ウォルターウルフ。レイコがイノチェンティのランブレッタ48と個性的なモペッドなので、古くても国産でパーツなどが入手できそうな範囲内で少しマニアックなバイクを探し出してみた。
「おはよう、リカさん。ホンダ車はパーツなんかも手に入りやすいし、似合ってるかなって。ファンファンとかポップギャルなんてのも考えたんだけど、あんまりマニアックで古いのはメンテが大変だしね」
まだ登校していない須賀恭介はスズキ・ミニタン50で、1‐C前方で眠っている方城護はスズキ・ホッパー、共に久作がチョイスした。須賀はずっとバス通学で、方城はトレーニングを兼ねてマウンテンバイク通学だったのだが、二人からバイクにとリクエストがあったので、スズキ車で揃えてみた。
「それで、アヤから少し聞いたんだけど、露草先生は車にぶつけられたんだとか。物騒な話よね?」
「平凡であることが平穏であるとは限らないという教訓だな。おはよう、諸君」
リカの隣から須賀恭介が、難解な科白と共に現れた。相変わらず桜桃ブレザーはしわくちゃで、既に文庫本が手にある。表題から国産ミステリの類らしい。
「おはよう、須賀。峠なんかでバイクを飛ばしてると、あおってくる車もたまにいるんだけど、原付ならまだしもラベルダ相手に、よくやるよ」
「露草先生のバイクの腕前は俺も知っているが、ガードレールに追突とは穏やかじゃあないな。相手の正体は?」
椅子を手繰り寄せて文庫本片手で、須賀はアヤに尋ねた。
「ケータイで撮影した画像が葵ちゃんからのメールに添付されてたけど、真っ黒の車で、えーと、これこれ」
アヤが黄色いケータイを出して、久作、須賀、リカが覗き込む。最新のタッチパネルケータイでネットに強い独自OSを搭載している、いかにもアヤが好みそうなスペックのケータイである。
「大きなリアスポイラーで、ラリーカーみたいだね。僕は車関係は詳しくないんだけど、多分有名だと思うよ」
「ラリーカー? WRCだとかのあれか? そんなものが蘆野山の峠を走るのか?」
須賀が文庫本に視線を落としたまま訊いた。
「4WDでラリーカーのベース車両なら、少しチューニングすれば峠でも走れるんじゃないかな? 七百五十CCのラベルダに追いつけるかどうかは知らないけど、露草先生が事故るくらいだから、幾らか改造してるんだろうね」
「そのまま崖の下でもおかしくない状況らしいが、その辺りが露草先生の腕なんだろうな。警察へは?」
須賀がケータイ片手のアヤに尋ねた。
「被害届はまだ出してないらしいけど、葵ちゃんて警察に知り合いがいるらしくて、その人に相談するんだってさ」
スクールカウンセラーの露草葵は桜桃学園では浮いた存在だが、教員、生徒を問わずで人望があり、プライベートでも特殊な人脈があるらしい。そういった話はしたことはないが、露草の人柄は人を寄せ付けるので不思議でもない。
「警察が動くんなら問題はないね。怪我も軽いみたいだし、ラベルダは保険修理だろうし。昼休みにでもみんなでお見舞いに、どうかな?」
「まあ、当然だろう。俺は構わんし、方城も問題ないだろう」
「私も気になるから。レイコは、まだ来てないの?」
「レーコ? もうすぐホームルームなのに、遅いなー」
久作の右腕のタフソーラーは八時五十五分と表示されている。ホームルーム開始まで五分ほどしかない。
「またガス欠で立ち往生とかしてんじゃねーの?」
アヤが、どうでもいい、という風に言った。レイコのランブレッタ48はタンク容量が三リットルと少ないので、何度か心臓破りの坂で止まったことがあった。その一回が速河久作と加嶋玲子(かしま・れいこ)の出会いでもあるのだが、普段なら登校しているレイコの姿がまだない。
と思った矢先、1‐Cにレイコが文字通り飛び込んできた。
「セーフ! アウト? ギリギリチョーップ! おはよー!」
アヤと同じかそれ以上の元気は毎朝で、若干息を切らせたレイコが満面の笑顔で駆けて来た。ブラウンのショートボブがあちこち跳ねていて、手には真っ赤なジェットヘルが握られている。
「坂の途中で鉤(かぎ)尻尾のオッサン猫がいてね? 喋って遊んでたら遅れたニャー!」
橘絢、橋井利佳子、年配猫と世間話だかをしていた加嶋玲子。高等部1‐Cの仲良し三人組は「リカちゃん軍団」と呼ばれている。
アヤがそう名乗りだしたからで、リーダーはどうやらリカらしいが、どの辺りが軍団なのかは未だに不明である。リカちゃん軍団は私立桜桃学園では有名で、それぞれにファンクラブがあるという噂は報道部の奈々岡(ななおか)からだが、久作は自分のファンクラブを想像してみたが、実態は良く解らなかった。
方城ほどたくましくもなく、須賀ほどクールでもないが、運動関係は一通りこなして学力も問題なく、ヘルメットを被るので適当な髪型だが見栄えもそこそこ。中等部時代の名残りで人と関わるのは相変わらず苦手だが、作り笑いのアルカイックスマイルでそこをカヴァーして、とりあえず1‐Cでは不自由なく過ごしている。自由と平和と平凡を愛して、ついでに世界平和を祈り、リカちゃん軍団や奈々岡鈴(ななおか・すず)という友達もいて、いかにも高校生らしい。
窓の外は快晴。夏休み直前で随分と暑いが、露草葵の事故は別にして、とりあえず久作の周りは平和ではあった。午前九時ジャストに担任が入室し、十五分のホームルームを終えてから、西洋史の阿久津零次(あくつ・れいじ)教師と入れ替わった。メタルフレーム眼鏡に高そうなダブルスーツの阿久津教師は、夏休み前の七月頭に桜桃学園高等部に赴任してきたばかりだった。
「おはよう、皆さん。初めましてだね? 僕は世界史、西洋史の阿久津、阿久津零次。二十八歳とみんなよりは年上だが、先生の中では若いし、自分でもまだ若いつもりだよ。阿久津先生、零次先生、好きに呼んでくれていいよ。君たちに西洋史を教えるのが僕の役目だけど、実際のところ、ヨーロッパ辺りの歴史なんてものは何の役にも立たない、単なる試験用の雑学さ。作家か映画の脚本家にでもなりたいのなら別だが、ローマ帝国の繁栄と崩壊、ナチスのアドルフ・ヒトラーの生涯とユダヤ人迫害なんてものは、将来の仕事や生活には全く役に立たない単なる雑談のネタさ。それでも先生風に言うと、西洋であれ東洋であれ、歴史から学べることというものは多いんだよ。例えばヒトラーにしても、戦争を起こすほどの熱狂的な信奉者を集めたカリスマ性というのは、ある種の人間関係を理解する際の材料になるし、繁栄を極めたローマ帝国の崩壊までの過程は、ある組織の成り立ちを説明する助けになる。つまり、表面上は全く役に立たないように見えるこの教科書も、きっちり内容と背景を理解して読めば、経営学やビジネス会話のマニュアル本よりは実用的だと、そういうことさ。授業としては当然でテストと試験を想定した進め方をするけど、折角だから色々なことを教えてあげたいと思ってるよ。それをどう解釈するかはみんなに任せるが、歴史なんて実際には役に立たない、なんてことはない、これだけ覚えておいてくれれば僕は満足さ。小テストなんかもするけど、歴史というのは大半が暗記だから、興味のない人はパズルか何かだと思ってくれればいいよ。じゃあ、授業を始めよう――」
新任の阿久津教師。
二十八歳だと言っていたがもう少し上に見えるし、女子にウケそうな二枚目風でもあった。言っていることもまともだし、頭も良さそうで、どうやら優秀な教員のようでもある。
教師をからかうことを趣味にしている須賀恭介なので、そのうち「コロンブスが乗っていた船はブラックパール号でしたかね?」などという科白も聞けるだろうが、阿久津というこの教師なら、笑って「タイタニック号で大きな流氷を発見して、それをガラパゴスと名付けたのが彼だよ」などとジョークで返すくらいはするかもしれない。洋の東西を問わず歴史には興味のない久作だが、苦手ということもなく、まあ、退屈でなければ何でもいい、そんなところだった。
ところで、ギリギリチョップとは何だろう?
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