第2話~神和彌子とさ迷える紅い弾丸 ―万物を太陽は整え収める―
ウンザリするほどうっとおしい梅雨を過ぎて空は晴れ渡り、気温はぐんぐんと昇り、街はそのまま蒸した熱帯夜へと突入した。
蘆野市の隣、湿気で陽炎(かげろう)が浮かぶ国際都市・神部(かんべ)市のグルメ繁華街、通称「リトルトーキョー」の外れに、かつて賑わっていたボーリング場があった。ブームが終わって連続休業から廃業して閉店した、電源の落ちた赤いネオン看板には「STRIKE」とあり、無人のはずのその店内のワンレーンに明かりが点いていた。
ドン、と鈍い音を響かせて村上一哉(むらかみ・かずや)が男の腹を殴り付けた。みぞおちをへこませた藤原は嗚咽を堪えつつ両膝を付いてうずくまった。その後頭部に、村上はもう一撃、重い拳を入れた。埃の浮かぶアプローチレーンに耳心地の悪い打撃音が続いた。その強烈な右フックで藤原の頭は揺れて、彼の視界も派手に揺れた。
「ははは! チョーウケるー! そいつ、誰だっけ? まあいいや」
背後で笑う亀山千広(かめやま・ちひろ)に頷き、村上一哉は藤原の、右フックでふらふらの顔面を蹴り上げた。革靴の先端が額を捉えて藤原の頭は跳ね上がり、首がゴキリ、と鳴った。揺れていた視界が猛速度で落ち、遅れて激痛が走った。
「藤原、だったかな? お前、俺らがチンピラか何かだと勘違いしてるんだろう? チンピラってのはお前みたいな奴のことだよ」
更にもう一発、頭を狙った村上の強烈な蹴りで吹き飛んだ藤原はアプローチフロアに転がり、ガーターレーンに頭を突っ込んだ。床はコンディショニングオイルでピカピカだが、舞い上がった埃が天井の蛍光灯で照らされて浮き上がっている。
「俺らはお前に商品を渡した。お前はその代金を払わず、だからそんなザマだ。簡単な話だろう?」
「か、金は渡した! そこの女に!」
鼻血を流して倒れている藤原が、ボールラック手前の長椅子に座る亀山千広を震える指で指した。
「あたし? お金って、あれ、お小遣いでしょ? もう使ったけど、何か?」
丸い金色のイヤリングをいじりながら藤原にそう返した亀山千広は、ドレッドヘアの村上一哉を見た。
「そういう訳で、俺はまだ代金を頂いていなんだ。解るだろう? それだと困るんだよ。俺たちはボランティアじゃあない。一種のビジネスマンさ。欲しい商品を提供してその代金を貰う、健全な企業だよ」
「だったら!」
激痛と痙攣と脂汗と血の藤原が、搾り出すように、叫ぶように村上に訴える。
「ブツは返す! 金が出来たら改めて――」
「駄目だね。クーリングオフ期間はとっくに過ぎてる。まあ、商品は返してもらうが、代金は、どうする?」
村上一哉は、タッチパネルケータイ片手で煙草を咥えて、二人の様子を面白そうに眺めているチヒロに尋ねた。
「代金って? またお小遣い? 貰えるものは全部貰って、その、誰だっけ? そいつはカズヤの好きにすれば? あたしはどうでもいいけど?」
ケータイをいじりつつ煙草を吹いたチヒロが、心底どうでもいい、という風に応えた。チヒロはケータイからSNSにあれこれと書き込んでいる。
「待ってくれ! 商品? こいつは返す!」
藤原が差し出したのは油紙に包まれた拳銃だった。村上がそれを受け取り、中身を確認する。
「三十万ぽっちで俺をどうこうしても何の得もないだろ?」
蒼白で必死の藤原に対して、村上は見下したままだった。路傍の石ころを見る、そんな目付きだ。
「PT99オートマチック。これはな、トカレフみたいな安物じゃあない。これがどういう銃だか、お前は知っているか?」
「俺はただ! 銃が欲しいって! そう、そこの女に頼んだだけで!」
「質問に答えろよ」
鼻と口からの血をアプローチフロアにばたばたと落としつつ、藤原は必死の手振りで村上に説明した。腹の痛みは少しマシになったが、真鋳のメリケンサックで殴られた頭はガンガンに痛み、血は止まらず、尖った革靴で蹴られた部分も同じくだった。
「中国系の奴らが銃を持ってるから俺らもで! そ、その銃は、その、トカレフじゃなくて……オートマチックで性能のいい銃だろ?」
藤原の説明に村上は溜息を一つ、大袈裟なゼスチャーでドレッドヘアを掻き揚げた。
「これはトーラスのPT99。9ミリを十五発のオートで、ベレッタM92のブラジルコピーだ。精度は低いしセッティングもお粗末な安物だよ。こんなものに三十万? 俺なら五万でもイヤだね。どれくらい精度が低いかというとだな……」
言いつつ村上は黒いオートマチック、PT99と呼んだ拳銃のスライドを引いた。金属が摺(す)れる音の後に銃口を藤原に向け、長椅子で煙草を吹かすチヒロをちらりと見てから、トリガーを一気に引く。パン、と乾いた音が夜のボーリング場に響いた。
「……ほうら。頭を狙ったのに肩に当たった。この距離でだぞ? お前、俺の腕が悪いとか思ってるだろう?」
「あはは! 外してやーんの!」
血が吹き出す右肩の銃創を押さえ藤原が悲鳴を上げ、そこにチヒロの笑い声が重なる。チヒロはケータイを藤原に向けてシャッターを切った。二度のフラッシュで藤原の苦痛に歪む表情が白く輝く。
「た! 助けてくれ!」
「助けて? 誰が? お前の仲間か? 今のは商品のチェックだよ。一発も撃たずで返品なんてのはビジネスライクじゃあない。こいつには三十万の価値はないが、それでもいちおう銃だ。まあ、お前みたいなチンピラが持つのがお似合いで、拳銃マニアに見せれば驚かれて雑談のネタにはなる、そんな代物さ。なあ?」
オートマチック拳銃を構えたまま、村上はチヒロを向いた。長椅子に座ったチヒロは咥え煙草でケータイをいじりつつ、ずっとケラケラと笑っていた。
「あたしはオートマチックなんて嫌いよ? 銃ってのは、こういう迫力のあるのがいいの」
咥えた煙草を床で揉み消して、チヒロはシルバーの大型リボルバーをウエストホルスターから抜いて、銃創を押さえる藤原に向けて両手で構えた。
「ハンドガンじゃあ世界最強の大口径、レイジングブル……って、ああ、それと同じトーラスじゃん。でも、そーんな安物とは大違いで、ユキネエのよりも、強力っ!」
ドン! 巨大な火花と同時にチヒロの大型リボルバーが吼えて、藤原の左腿の肉が派手に吹き飛んだ。チヒロは強烈な反動を器用に上に逃がしたので、リボルバーの銃口は天井を向いている。銃口から硝煙が立ち上り、チヒロが咥えた煙草の煙と混ざる。
「うひゃー! 大迫力! スプラッターじゃん! ははは!」
チヒロはリボルバーを長椅子に置き、左腿を押さえてうめく藤原を再びケータイで撮影し、すぐにSNSにコメント付きで掲載した。反応は上々だった。
「待てよ、チヒロ。こいつはまだ客だ。まあ、足なんぞ片方あれば充分だろう? それで、お前、名前は忘れたが、お前はこの銃、PT99をチヒロから受け取って、代金の三十万は何故だか俺のところにはない。これは妙な話だろう? これが安物だとかそういう問題じゃあないよな?」
右肩と左腿から血を吹き出している藤原は、床でもがきつつ村上を見上げていた。
「待て! それは返す! 金は! 金か? 幾らだ?」
「いやいや、それは変だろう? 商品を返却しておいて、金? 何の代金だ? 言っただろう? 俺らはビジネスマンだ。寄付金は貰ってやってもいいが、その話はまたの機会だ。もっとシンプルに、頭を使えよ」
オートマチックを構えた村上は、ゆっくりと説明を続ける。
「お前、名前は忘れたがお前が銃が欲しいと、あそこのチヒロに言った。それを聞いた俺はこの銃を用意してチヒロに渡した。チヒロはお前に銃を渡して、お前はチヒロに小遣いをやった。ここまではいいか?」
「あの女には二十万渡した! 足りない分は後でとも言った! それでいいってあの女は言ったんだ!」
藤原の叫びに、ケータイ片手のチヒロが金色に染めた眉をひそめた。
「えー、あたし? そんなこと聞いたかな? お小遣いを貰ったのは覚えてるよ? 二十万? それくらいあったかな? 新しいカバン買ってシャンパン空けたら無くなったけど?」
相変わらずケータイ片手のチヒロは煙草を継ぎ足した。ライターは腕時計とお揃いのブランドで、髪の毛やイヤリングと同じくどちらも金色だった。
「聞いてくれ! チヒロ? あの女が金を使い込んだ! そうだろう? 足りないのは謝る! すぐに用意する!」
「いい調子だ。話がシンプルになってきた。お前は代金のうち二十万をチヒロに渡したが、どうしてかそれは俺の手元にはない。足りない分を用意してくれるのはありがたいが、商品はどうする? このままだと、お前、手元に何も残らないが?」
「解った! ビ、ビジネスだろ? あの女は一旦忘れてくれ! アンタと直接だ! まず銃は返す! あの女に渡した金はどうでもいい!」
「それで?」
お気に入りのドレッドヘアをいじりながら村上は、アプローチフロアで叫ぶように言う藤原を細目で眺めていた。
「これでアンタに損はないだろう? そして! 金を用意してからその銃を改めて買う! アンタから直接だ! 値段は三十万でいい!」
「うん? つまりお前は二十万をチヒロに渡して、それはチヒロが言う小遣いで、銃は俺の手元に戻って、それをお前は三十万で買うと、そういうことかい?」
「そうだ! シ、シンプルでビジネスライクだろ?」
無理矢理の笑顔で藤原は言うが、コンディショニングオイルで磨かれた床は飛び散った血で真っ赤で、まるで戦場のようだった。それを聞いた村上はしばらく思案して、冷たく返した。
「こんな安物を三十万で買う? それだと俺は、まるで悪質商法をやってるみたいだが?」
「や、安くしてくれるならそれでもいい! とにかくアンタの言う通りにする! だから!」
「だから? 撃つなとか殺すなとか、そういう科白が続くのか? 俺は殺し屋でもゴロツキでもないんだが? なあ? チヒロ?」
煙を天井に向けて吹いているチヒロは、村上の問い掛けに首を傾げた。
「ビジネスー? そーいう難しい話はそっちで勝手にやってればー? あたし、バカだからわかんないしー。もう、メンドーだからさー」
「待て! 待ってくれ! 兄さん! アンタとだけ話がしたい! あの女は無視してくれ!」
「兄さんて、俺のことかい? お前のほうが年上のように見えるんだが? まあ、チヒロはビジネス向きじゃあないし、お前の言い分は?」
オートマチックのセフティをいじりつつ、村上は淡々と続ける。チヒロに任せるとあっという間に決着するだろうが、それでは儲けが出ないので、村上は面倒なことでもきっちりと処理する、組織の頭脳労働担当として対応していた。
「一度帰してくれ! 金が必要なら用意する! 三十万? もっとでも半日あれば用意出来る! 仲間のところにヤクがある! ばら撒けば三十万なんて一晩で稼げる!」
「ぷっ! ヤクだって! ウケるー! 何時の時代のコトバ? ははは!」
チヒロの笑いに村上が呼応した。
「チヒロの言う通りだ。スマック、スピード、コーク、その他モロモロで、今時ヤクなんて言葉を使うのは、年寄り刑事くらいだぞ? お前、俺より年上に見えるが、実はもっと老けてるのか? PT99とトカレフの区別が付かないチンピラ? そういう連中とのビジネスは嫌いだね」
「……だったらよぅ、その獲物を降ろして全員揃ってお縄ってのはどうだ? きっちり現行犯でビジネスライクじゃねーかい?」
オートマチック拳銃を持つ村上でもなく、血を吹き出して床に倒れている藤原でもなく、椅子に大型リボルバーを置いて煙草を咥えたチヒロでもない声が加わった。
「ブツだのヤクだのってのは古いのか? まあ意味が通じれば同じだろう? ほら、とりあえず銃を降ろせ。こっちはテメーの額をきっちり狙ってるぜ?」
現れたのはグレーのスーツに黒い中折れ帽子の中年で、手には銃があった。村上のものよりも小さく、形も随分と違う。
「おいおい、オッサン。突然出て来て、入場券は? それと老眼鏡は? こっちは三人、まあ一人は使えないが、三人で、お前は?」
「一人に見えるだろう? だがな、こういう場面ではコンビで出てくるってのが常套だ。神和(かんなぎ)ぃ」
中折れ帽子の合図で、彼の背後からもう一人が出てきた。
村上のものより大振りな拳銃を持った小柄な若い女性で、ロゴ入りの黒いベースボールキャップを被っている。無地の真っ赤なTシャツでダブルショルダーホルスター。細身のジーンズの足元はローカットの赤白バスケットシューズ。やたらと大きな両目だが化粧は全くなく、スタイルから男性にも見える中性的な印象だった。拳銃を握る右腕にある黒くて大きい腕時計も女性らしくなかった。
「あはは! オッサンとチビガキが出てきたじゃん! ウケるー!」
「ヘイヘイ、シャットアップ。うっせーぞ、そこのファンキー・パープルヘイズ。あたしはチビでもガキでもロリでもねーし、お前よりは年上だっつーの。そのアホ面で勝手に喋ったら、ダブルタップで頭トバしてミートパテにしてやっぞ?」
若い、二十代半ばに見えるベースボールキャプの女性が、ケータイを向けたチヒロを吐き捨てた。フラッシュが一度で中折れ帽子の中年とキャップの女性の画像がチヒロのケータイに収まった。
「なあ、ひょっとして、この二人がお前のチンピラ仲間か? 随分と頼りない仲間だな?」
村上が拳銃を中折れ帽子の中年に向けてから、床の藤原に尋ねるが、口調が若干、イラ付いているようだった。
「知らない! あんな野郎は知らない! 俺は無関係だ!」
とにかく窮地を脱したい藤原は、アプローチフロアに転がったまま叫んだ。
「うわ! お前、可憐な女子に向かってヤロウとか言いやがった。お前も勝手に喋るなっつーの。これがモデルガンにでも見えるってか?」
キャップの女性がシルバーグリップのオートマチックを床の藤原と、横に立つ村上に交互に向ける。かなり素早く、慣れた手付きに見えた。
「神和ぃ、漫談してるんじゃねーよ」
小さなリボルバーを構えた中年が、ゆっくりと二歩、村上に近寄った。
「……オッサンのほうは、ディテクティブスペシャルか。チンピラか私立探偵か、時代遅れの刑事ってところか? そんなのは銃じゃあない、オモチャだ。その距離で当てられるか?」
トーラスPT99を中年に向けて村上が淡々と言うが、中年のほうは顔色一つ変えない。中折れ帽子の下は太い眉毛と鋭い目付きで相手を威圧し、四角い顎には無精ひげで、眉間にはシワが刻まれている。スーツの上からでもかなりの筋肉だと解る大柄で、手にした拳銃が小さく見える。
「だから今時のガキは嫌いなんだよな。銃なんてのはトリガー引いて弾が出れば何でもいいんだよ。時代遅れで悪かったな。俺がチンピラや私立探偵に見えるか? なあ? 神和ぃ?」
「サンパチのシックスシューターなんて、今時だと私立探偵でも持たないですよ? って、ヘイヘイヘイ! 動くんじゃねー。あたしがチンピラに見えるってか? 私立探偵? 答えはノーだよ、ホーキ頭のドアホウ。クラムシェルホルスターでFN・ハイパワーとか生意気なヤローだな? 実はホルスターのほうが高いんじゃねーの? んで、トーラスのオートなんて安っぽいのでこの距離で当たるかっつーの。腰のハイパワーをクイックドロウでジョン・ウーライクに二挺拳銃でもやんのか? アホくせー」
神和と呼ばれた女性が、村上に一歩近付く。二人の距離は二十メートルほどしかない。
「チビガキのほうは、ガバ? ハーフステンのガバメントってのは、まあ、なかなかに渋いね。オッサンのリボルバーよりも性能が良さそうだし、こっちよりもだ」
「ヤーヤーヤー。だから、ホーキヤロー、お前は勝手に喋るな。ただのガバじゃねーから心の底から注意しとけ、このクソバカヤンキー」
「それでー? アンタら誰? そこの奴のお仲間?」
煙草を咥えたまま、含み笑いでチヒロが神和に尋ねた。応えたのは大柄の中年のほうだった。
「なんとも頭ぁ悪そうな女だな? 神和とどっこいだ。最初の科白はもう忘れたか? 現行犯でお縄で、ついでにブツでヤクの時代遅れだよ。俺は乾(いぬい)でそっちの小さいのが神和だ。取調べ中に名乗るのは面倒だから、今、きっちり覚えておけよ、安っぽいチンピラども」
ははは、とチヒロの大笑いがボーリング場に響いた。
「ひょっとして、ケーサツ? しかもたったの二人? 実はドッキリでした、とかー?」
言いつつチヒロは、ケータイで二人を再び撮影した。そのフラッシュに、ちっ、と舌打ちした中折れ帽子の中年、乾に代わって神和が銃を向けて応える。
「ヘイヘイ、パープルヘイズ。ここが最初の見せ場だから、その節穴できっちり見とけよ? あたしは――」
「県警九課だ。黙ってるなら誰も怪我をしなくて済むし、弾の無駄遣いもナシだ。ついでに無許可発砲の始末書もナシだから楽なもんだ」
「……うわ! 乾さん! そこ、あたしの見せ場! 名乗りのシーンで割り込むとかナシにして下さいよ! シェット! 涙出てくる」
神和は子犬のようにキャンキャンと乾に抗議するが、手にあるシルバーグリップの拳銃はチヒロに向いたままだった。
「県警九課? 九課なんて聞いたこともないが、ノワールの俺らをどうにかしたいなら捜査一課か機動隊でも連れて来いよ、オッサンと……チビガキ!」
村上が含み笑いのまま拳銃を神和に向けた直後、パパパン、と三連続の破裂音が薄暗いボーリング場、閉店したストライクに響いた。
「ヘイ、ミスター、動くなって何度も言わせんな。んで、改めて! あたしは、泣く子も笑う県警九課の神和彌子(かんなぎ・みこ)! さ迷える紅い弾丸ったー、あたしのことさ! ボーリング場だからトリプルショットガンのトリプルタップだ。派手に吹っ飛べ、クソバカヤンキー。ハー!」
両肩と右膝に神和からの弾丸を受けてよろめいた村上が、唸りながらフロアに膝を突いた。三つの赤い噴水で村上の目の前に血溜まりが出来る。藤原のほうと合わせて、アプローチレーンはブラッドバス状態だった。
「神和ぃ。その、さ迷える、っての止めろ。アホさが増すだけだ。派手女、動くな。そりゃあ大した銃だが、そんなモン握ったら、自慢の厚化粧が吹っ飛ぶぞ?」
鋭い視線と三十八口径リボルバー、ディテクティブスペシャルを長椅子に座るチヒロに向けて、乾がゆっくり近寄る。
「ガバメントで三発なら残り三発だろうが!」
血を吹き膝を突いた村上がPT99のトリガーを引くと同時に、神和と乾は左右に飛び、パパパンと再びの連続発砲音。村上の拳銃から一発と、神和が二発。両肘に弾丸を受けた村上がうめきつつ、PT99を落とした。
「クソホーキ頭、お前はガンマニアかっつーの。フォーティーファイブで弾切れに見えるってか? ただのガバじゃねーって言ったぞ? ダブルタップで実は残り十一発。さて、なーんだ?」
「……ガバメントで十六発? そんな銃!」
「ありませんってか? チチチ、あるんだよ、ドアホウ。ハーフステンのガバ9ミリカスタムだよ。グリップカヴァーは特注のメイプルだ。プラスワンで十六発で、ついでに右に予備マグが二本。あたしと銃撃戦やりたいんだったらお前がSATでも機動隊でも連れて来いってんだ、このホーキ頭のクソバカヤンキー」
神和彌子は更に近寄りつつ、膝を突いて両肩と右膝と両肘から血を吹く村上、血まみれでアプローチフロアにうずくまる藤原、長椅子で笑うチヒロにガバメントを向ける。FBI式とも呼ばれる両手持ちの構えで素早く照準を切り替えている。
「クソガキ!」
チヒロが叫んでリボルバーを握ったが、パパン、二連続のマズルフラッシュでチヒロは村上同様、両肩から血を吹き出して椅子に叩きつけられた。
「パープルヘイズのケバ女は見た目通りのアホだな。レイジングブル? そんなデカいリボルバーでファストドロウってか? 無理無理。そのダサい金髪を木っ端微塵にしたいところだけど、始末書がメンドーだから左右に外してやったぞ? あたしとイエスとブッダとアラーに感謝して祈れ、ファッキン・ノータリンビッチ」
両肩に二発の弾丸をほぼ同時に受けたチヒロは背もたれを真っ赤に染めて、血と悲鳴交じりで長椅子の上でもがいていた。藤原の隣で膝を突いている村上は両肩、右膝、両肘から血を吹きつつ唸っている。表情は苦痛で歪み、先刻までの冷静さは僅かしか残っていなかった。
「け、県警九課の……さ迷える紅い弾丸? お前……カンナギ? マフィア潰しのトリガーバカ?」
「ヘイヘイヘイ、だからさ、もう名乗ったし、トリガーバカは余計だ、ファック・オフ。悪党相手に迷わず発砲、たまに迷子のお茶目なポリスガール。あたしが噂の紅い弾丸、県警九課の神和彌子だよ。ドゥユー・ノゥ? ホーキ頭のチンピラクソヤンキーくん?」
村上一哉、亀山千広を行動不能にした神和は、銃を構えたまま藤原にゆっくりと近付いた。赤白バッシュのソールが同じく赤い血溜まりをそっと踏む。
「アンタ、蛇尾(じゃび)の連中といざこざやってるチンピラグループの、藤原だよな? 既にボッコボコじゃん。しかも二発も撃たれてるし。サイテーだな、今日は厄日ですってか? ご愁傷さま」
「……ケーサツ?」
声をかけられた藤原が神和を見上げる。若い、というより幼く見えるが、大きな瞳が自己主張しているようで特徴的だった。
「だーかーらー! 県警九課だってば! こういうのは一回でビシッと決めるのがカッコイイんだよ。泣くぞコノヤロー」
ふう、と溜息は中折れ帽子の乾からだった。リボルバーは脇の下のホルスターに戻し、中折れ帽子を取り、頭をバリバリとかきむしりつつ溜息をもう一つ、自分の革靴から視線を神和に移した。再び帽子を被る乾の口には煙草があった。
「神和ぃ。お前、そういうのを恥ずかしいとか思うことないか? 映画の観過ぎだ。そこでバッヂでも出したら完璧なアホの出来上がりだよ」
「やっぱし、こういうシーンではバッヂですよね? でも残念ながら、日本のお巡りさんのバッヂはパスケースと一体なのよ。ほれ、これが警察手帳。初めてじゃねーよな? 本物だよん。写真写りはイマイチだけど、これがあたしさ」
肩と腿に一発ずつ銃弾を受けて、腹部を殴られ頭部を蹴られた藤原が、かろうじて開いている片目で神和の手にあるパスケースを見た。
差し出されたチョコレート色のパスケースの表紙は無地。縦開きの開いた上ページには冬制服姿の神和のカラー写真と、刑事部捜査第九課・組織犯罪対策室、神和彌子巡査部長とあった。折りたたみの下ページに金色でPOLICEロゴの入ったバッヂが貼ってある。
「お前……カンナギ? 捜査中に迷子になる、刑事のクセに銃を撃ちまくる、ギャングだのマフィアだのを潰して回る、さ迷える紅い弾丸?」
「噂通りのトリガーバカなんだよ、そいつは。ちなみにな、お前らを潰してるのは神和じゃあなく、俺ら県警九課だよ」
溜息交じりの乾が面倒そうに付け足し、自分の手帳を見せた。こちらには刑事部捜査第九課・組織犯罪対策室、乾源一(いぬい・げんいち)警部補とあるが、藤原はそれを確認する前に意識を失った。
「神和ぃ?」
乾が神和彌子を怪訝な目で見るが、神和はぶんぶんと首を振った。
「いや! 撃ってない! こいつは撃ってませんよ? いや、ホントに――」
「死ね!」
血塗れの拳銃を構えた村上が叫び、パパン、神和のガバメントが火を噴いた。二発の9ミリ弾頭が村上の右手と首を撃ち抜き、村上は血溜まりの床に仰向けに倒れた。
「九課の捜査官がチンピラ相手で死ぬか、このアホヤンキー。こいつ、何発喰らえば黙るんだよ。急所外すにしたってもう撃つところないし、ダブルタップで首にも一発入れたからちょっとヤバそうだし、ねえ?」
「何が、ねえ、だ。ジョン・ランボーじゃあるまいし、撃ち過ぎだ、このトリガーバカ。自分でさ迷えるなんて名乗って、恥ずかしい奴だな。こっちが赤面しちまう」
両肩を神和に撃ち抜かれて血まみれのチヒロから大型リボルバーとケータイを取り上げて、乾は懐から折りたたみケータイを取り出した。
「テメー! 何が紅い弾丸だ! ケーサツなんて、ユウジとギャラガーでぶっ潰してやるんだから! 弁護士呼べよ! チビガキ!」
紫のノースリーブを血で真っ赤に染めたチヒロが、苦痛の表情で怒鳴った。
「シャットアップ、うっせーよ、ケバケバのノータリン・パープルヘイズ。二発も貰ったらブラッドバスで黙ってろ。何が弁護士だ、そーいう時は腕のいい検察呼べ、ドアホウ。チビで悪かったな。ガキはお前だろーが。ケバいチンピラ女のクセにクロスドローのヒップホルスターで、レイジングブルなんて高いリボルバー、持つんじゃねーよ、クソ生意気な。こんな大口径をお前が扱えるかよ、このクソバカヤンキー。黙ってないと頭にダブルタップすっぞ? 9ミリで二発も喰らったら、そのダサい金髪がスプラッシュのミンチだぞ? ファッキン・ゴーアヘッドでハレルヤのエイメンだ」
乾は二人を無視してケータイを耳に当てた。
「露草か? 俺だ、乾だ。村上と亀山と藤原、情報通りだ、現場は押さえた。負傷者が、えー、三名。救急車呼んでやってくれ。二人が二発喰らってて、もう一人は七発も喰らってるが、たぶんまだ生きてる。神和のアホがまた撃ちまくった。俺は一発も撃ってないよ。相手も銃を持っててな、何発か撃たれたがこっちは喰らってない。今日はもう店仕舞いだから後始末は任せる。カチョーと羽生(はにゅう)のお壌に報告、よろしくな」
ふう、と再び溜息で、乾は咥えた煙草にオイルライターで火を点けた。
「神和ぃ、蘭子(らんこ)が怒っても俺は知らんからな?」
「いやいやいや、誰も死んでないから鳳(おおとり)姉さんの出番ないっすけど? 薫子(かおるこ)ちゃんには出張ってもらうでしょうけど」
「あんだけバカスカ撃ちまくって、須賀のお壌ちゃんも大変だな、こりゃ。露草の小僧がフォローで来るから、ワッパつけとけ」
「乾さーん、ワッパは古いですよ? ま、ここは賢太くんにお任せってことで、車回しまーす」
神和は村上とチヒロをスチール椅子に手錠で固定し、気絶した藤原には乾が手錠をかけた。拳銃をショルダーホルスターに戻した神和は、閉店したボーリング場から早足で出て駐車場に向かった。と、車まで歩く途中の暗がりから見知った顔が出てきた。黒いスーツで表情も黒い、乾より幾らか若くて小柄な男だった。
「あれ? サミーさん? 夜遅くまでお疲れさまー。中には三人、一人はチンピラで、残りは村上と亀山、ノワールのメンバーですよ。安部と阿久津はいないみたいですから、今晩はサミーさんの出番もナシってことで。ノエルもスネークテイル系列もいないっぽいんで、リーさんにもそう伝えておいて下さいな。んじゃ、また後日」
黒スーツの中年、公安のサミー山田は無言で神和の説明を聞き、一言も発さずにそのまま立ち去った。
熱帯夜のボーリング場ストライクの入り口傍駐車場には、シルバーのダッジ・ステルス、フェアレディZコンバーチブル、180SXが置いてある。村上らの車らしい。そこから爆音が響き、神和を乗せた黒いツーシーターのスポーツカー、グリフィス500が唸りつつゆっくりとボーリング場ストライクの入り口に寄り、待ち構えていた乾をナビシートに乗せた。
二人はそこでしばらく待機して、九課の露草賢太が手配した神部署の自動車警らパトカー二台と救急車を確認して、ボーリング場を後にした。
神和がステアを握るグリフィスは、のんびりと中央道に入った。時間帯は深夜の手前で、幹線道路である中央道の交通量はまだかなりだった。帰路を急ぐのか飛ばす車両が多かった。
「だからよぅ、こんなやかましい車で捜査なんぞ出来るかよ」
ナビシートで煙草を咥えた乾が、ウンザリだ、といった調子でぼやいた。
「いいんですよー、これで。ご機嫌のV8サウンドっすよー。ここいらは高級車だらけだから逆に自然なんですってば。それに、速いので逃亡されてもこいつなら追いつけますし、何より……カッコイイ!」
夜の中央道をゆっくり流すV8の5リッターエンジンは低速でも爆音なので、神和の鼻歌は掻き消されている。
「だから、お前は映画の観過ぎだ。カーチェイスなんぞ管轄を越えれば無意味だし、そういうのは交機に任せればいいんだよ。それにな、日本のお巡りさんはもっと地味で堅実なんだよ。銃をバカスカ撃ちまくって、アホみたいに名乗って、オマケにこんな車と来た。さ迷えるってアレ、どうにかしろよ」
「乾さんだって、ジャガーのソブリンなんて渋いのに乗ってるじゃないですか。こいつより高いんじゃないっすか? んで、もう、リーサルウェポンとかグリマーマンとでも呼んで欲しいくらいっすけど、まあ、ノリですよ、ノリノリ。さ迷える紅い弾丸! 何かカッコイイじゃないっすかー!」
ヘビースモーカーの乾は渋い顔でラッキーストライクを継ぎ足す。二人の普段の足であるV8オープンカーの灰皿はラッキーストライクで満杯だった。
「そりゃお前、捜査中に迷子になって、バカスカ拳銃撃ちまくるアホへの、捜査一課からの嫌味だよ。それくらい気付け」
「嫌味だろうがカッコイイならアリですよ、アリアリ。一課は一課で大変でしょうし……って、ちょっと電話を。ハンズフリーだから大丈夫ですよん……はいな、神和です、って葵(あおい)か。頼まれた件なら鑑識に……おお! 真実(まなみ)ちゃんと? うん、いいよー。今、丁度一仕事終わったとこだし、隣のいかついオッサンをどっかに降ろして、ビーンズだよね? うん、二十二時半までには行けると思う。報告書は明日でいいや。んじゃ、後でねー」
ハンズフリーフォンをオフにした神和に、乾は嫌味と煙草の煙を向けた。
「神和ぃ? デカが現場で銃をバカスカ撃って、その後に酒飲みに行くって、お前は警視総監よか偉いってか? いかついオッサンってのは俺のことか?」
「まあ、細かいことはナッシングでノープロブレム。それに、デカって死語ですよん。ちなみにさっき、サミーさんと会いましたよ?」
「デカはいつの時代でもデカじゃねーか。で、公安一課からはるばるのサミー山田巡査部長、ねえ。安部だの阿久津だのは別だろう?」
「ノエルもスネークテイル系列もいませんでしたし、リーさんももうしばらくは九課でしょうね。そういう報告なんかも明日ってことで、あたしは今から非番でーす」
二人を乗せたオープンスポーツカーは爆音を撒き散らしながらのんびりと幹線道路を北上する。途中で乾を降ろした神和は、そのまま蘆野市にあるショットバー・チェリービーンズにステアを向けた。交通量が若干減った夜の幹線道路にV8の咆哮が響いていた。
――進出してきた海外資本の企業、就労目的の在日人と留学生の増加に端を発した犯罪の増加、凶悪化と国際化に、県警本部長の影山めぐみ警視監は刑事部捜査第九課・組織犯罪対策室を設立し、これに対応した。
通称「県警九課」は諜報活動と機動捜査を得意とした少数精鋭の実験的組織である。
永山教永(ながやま・のりなが)警部をリーダーに置き、捜査官は乾源一警部補を筆頭に、露草賢太巡査部長。刑事部鑑識課の須賀薫子警部補、刑事部科学捜査研究所所長兼プロファイリングチームリーダー、相模京子(さがみ・きょうこ)と所員の加納勇(かのう・ゆう)。防犯監視用カメラによるCARASシステムを実験運用する地域課第二通信司令室室長にして専属オペレータの羽生美香(はにゅう・みか)巡査。他に付属桜桃大学医学部法医学科助教授で監察医の鳳蘭子(おおとり・らんこ)らと連携し、県警九課は殺人から誘拐やテロ、サイバー犯罪なども想定した多用途組織として試験運用され、現在は「ノワール」と呼ばれる犯罪組織を内偵中である。
神部市の繁華街にあるグルメタウン、通称リトルトーキョーを拠点にする犯罪グループ・ノワールは国内でも屈指の大規模凶悪組織である。
国際指名手配テロリストの安部祐二、先物取引と株式投資の大手企業アクツエージェンスを資金源に裏社会を出入りする阿久津零次、ユーロ圏の麻薬王ノエル・ギャラガーらを抱え、中国系密入国ブローカー組織、蛇尾(じゃび)やロシアンマフィアのルチルアーノ・ファミリー、ニューヨークマフィアのガンビーノ一家、セルビアのテロ組織、レッドスターとも繋がりがあるとされるノワールは、その勢力を広げつつあった。
対する県警九課には、警視庁公安部公安第一課からサミー山田巡査部長、中華人民共和国公安部からリー・リィンチェ一級警司らが捜査協力の名目で応援参加していた。
そして、県警九課の女性巡査部長。V8スポーツのグリフィス500に乗り、コルトガバメント9ミリカスタムを撃ちまくる神和彌子。「さ迷える紅い弾丸」「トリガーバカ」などのスットンキョーな渾名を持つ、二十五歳で彼氏募集中の彼女は、私立桜桃学園理事長の天海真実、同学園スクールカウンセラーの露草葵の旧友で、蘆野市のショットバー、チェリービーンズに向かい、当然のように迷子になっていた。
「うわ! ここ、どこよ? 知らない景色が続くしー!」
さ迷える紅い弾丸、カーナビくらいは用意しよう。
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