思いがけないブーメラン
(あ、やべ。泣きそ)
つい熱くなりすぎて、途中から朗読範囲外の思い出まで追憶してしまった。つらく悲しい思い出は他にもごまんとあるが、一先ず朗読部分として選んだのは俺の「原点」とも言える記憶だ。
どうも読んでいるうちに感情的になり過ぎる。ふうっと息を吐き蘇る傷口を宥めていると、いつまでもOAの点灯が消えないことに気が付いた。
(二分……過ぎだよな? 練習した時はギリギリだったはずだが。浅見先生、何してんだ?)
ヘッドホンを外して窓ガラスの向こうを振り返り……俺は目を丸くした。
だって、浅見先生が泣いていたから。顔を俯いて両手で口元を覆い、ボロボロと涙を流す。フッた時にでさえ泣かなかった浅見先生がだぞ?
「な、なんだ?」
焦った俺は慌ててスタジオを飛び出した。
「浅見先生? どうした……」
「うううううッ! 犬飼くん、可哀想に!」
「……はい?」
犬飼というのはこの小説の主人公。つまり俺の偽名だ。さすがの姉ちゃんも本名を使うのは躊躇われたのか、陽平の名前も櫻田という名前になっていた。ちなみに、どっちも姉ちゃんの元彼の名前な。
「わたしも胸の成長だけは早くてよくバカにされてたから気持ち良くわかるわ!!」
(それとこれとは違うよーな)
悔しげにドンッと机を叩く浅見先生に、俺は複雑な顔を浮かべる。俺の黒歴史と先生の小玉スイカにいったいなんの共通点があるってゆーんだよ。号泣する姿に唖然としつつ、呆れた眼差しを向けていれば。
「だって変えたくても変えられないのよ! 自分じゃどうしようもないの! たった一つ目立つだけで、それがその人の全てであるようにまわりは見るのよ! いつだって内面なんて見るのは最後なの。悔しいわ、凄く悔しい!」
呆れ顔がふっと驚きに満ちる。
まさか浅見先生の口からこんな言葉が出るとは思わなくて。先生の憤りはまさに俺が常々感じていたことだった。
顔がいい。ただそれだけで女を取られると思う。女好きだと誤解される。俺はそんな理不尽さの中で生きてきた。
俺が一番大事にしてたのは友達だ。何があろうと絶対に裏切ったりしない。偏見で距離を置く友達に何度理解して欲しいと望んだことか。
男だけじゃない。女にでさえ抱くその思いを、まさか浅見先生が理解してくれるなんて思わなかった。俺はつい言葉を失って先生を凝視する。
「彼に櫻田くんという親友がいてくれて本当に良かったわ。彼がいなかったら立ち直れなかったかもしれないもの」
ホントそうだよ。浅見先生。
陽平がいなかったら、今頃どうなっていたか分からない。誰とも友達になれずに本物の陰キャになってたかもな。
「これって実話なのよね……。犬飼くん、今どうしているのかしら。心配だわ」
(今、目の前で傷口に塩を塗りながら録音を録り終わったところです)
ボックスティッシュを膝の上に乗せて何度も鼻をかむ先生からそっと視線を逸らし、俺は心の中で呟いた。
「犬飼くんには強く生きて欲しいわ。恐れずに前を向いて欲しい。強い人だから、きっとできるはずよ。だって彼は身をもって思い知ったんだもの。外見と外聞だけで差別される苦しみを。それなら女という括りで差別するのではなく、ちゃんと相手の内面を見ようとするはずよね。そうでしょう?」
すぴーっと鼻を噛む先生が同意を求めるように濡れた目で俺を見る。先生の問いは、まるで重量のある小玉スイカに横っ面を殴られたような衝撃を生み出した。俺はただ息を飲み、ゆっくりと先生を振りかぶる。あまりに突発的で心臓が止まるかと思った。
瞠目する俺に気付かず、先生は言葉を続ける。
「こんなに友達思いの彼だもの。自分がされて嫌なことを相手にするはずがないものね」
「……」
「もちろん簡単じゃないでしょうけれど」
「時間は……かかるでしょうね」
「ええ、それでも。向き合って気づくこともあるはずよ」
「――何に?」
「櫻田くんだけじゃなく、彼の心に寄り添ってくれる女の子もいるってことを」
「浅見先生、みたいに?」
「ええ! わたしなら櫻田くんとタッグを組んで全力で彼を守るわね!」
「そうですか」
先生は鼻をかんだティッシュをくるくるっと小さく纏め、叩きつけるようにしてゴミ箱に捨てた。珍しくご立腹の様子に思わず笑いがこぼれる。
先生が内に秘めた想いに共感してくれたこと、俺を守ると言ってくれたこと。ほんわりとした嬉しさで胸が満ちる一方で、先ほど受けたショックが笑みを苦くさせた。
「あっ、いけない! 職員会議の時間だわ、もう行かなくちゃ。出来栄えはどうかしら? わたしはこれで大丈夫だと思うけれど!」
「俺も、大丈夫だと思います」
「それなら最後の方だけカットして出しちゃうわね! それじゃあ、彰くん。お疲れ様!」
「お疲れ様でした」
泣くだけ泣いて、言いたいことを言って。ドアを開けた先生はパタパタと廊下を駆け出した。
再びドアが閉まる。俺は壁に背を預け、ずるずると腰を下ろした。ペタンとケツが床に付き、茫然と天井を見上げることしばし。広げた両膝の間に
「ホント痛いとこ突いてくれるよな。勘弁しろよ、浅見先生」
困惑ぎみの顔には苦笑が混じる。
まさかこんな形で説教を食らうハメになるなんて思いもしなかった。でも反論なんてできやしない。
浅見先生の言う通り、俺は外見と外聞だけで差別される苦しみを嫌と言うほど味わった。俺は今それと同じことをしてるって言うのか。中身を知ろうとせずに、女ってだけで差別してるって? まったくその通りすぎて笑えてくるよ。
ありがとう、先生。お陰で目が覚めた。
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