心の距離
全国から選ばれた予選突破者は総勢五十名。ほとんどが在籍する高校から一名、多くても二名という面子の中で我が花咲学園の制服は八つ。
不安げな表情で周囲の様子を窺う烏合の衆を意に介せず、同じ制服が一丸となって道を行く姿は少々異常なものがあった。
夏休み中に届いた予選通過通知書には全員の名前があったので案外緩い審査だったのかと思いきや、この様子を見るにどうやら見当違いだったらしい。
(じつはわりと狭き門だったんだな。どうりで浅見先生も大喜びだったはずだ)
通知書を見て世界の裏側まで飛び跳ねそうだった浅見先生のやる気は爆上がり。火に油どころかマグマにダイナマイトを搭載した勢いで、俺のぐーだら夏休みは返上必至となり本番に向けて昼夜問わず練習に明け暮れることに。
なんせ本番まではあまり時間の猶予がない上に、朗読時間も八分と大幅に伸びたからだ。
俺の場合は内容が内容だけに、どうにもこうにも感情の起伏が大きくなってしまう傾向がある。下手すると悔し涙が滲んでしまうので、浅見先生にこっそり頼み込んで先輩方の面前で練習するのだけは遠慮させてもらった。
本番への追い込み期間だ。てっきり反対するかと思った浅見先生は意外にも快く了承。
「だって、わたしもあれ聞いたら泣いちゃって練習どころじゃなくなっちゃうもの!」だと。
んなわけで表面上は別の本を朗読するフリをし、自宅に帰ってから本当の練習に励んだ。
いやあ、マジで部活で練習しなくて良かったと思うぞ。なんせ今、俺の部屋は荒れに荒れてるからな。
二分語りが八分になったことで蘇る記憶量も傷口も大幅にアップ。読んでるうちに何度もぶち切れちまって、うちに置き去りとなっていた陽平カツラコレクションやJkのコスプレ衣装に当たりまくり。
ケラケラ笑いながら、ひゅんひゅん飛び交うカツラをバスケットボールよろしく機敏な動きで片っ端からキャッチにする陽平にぶち切れたりもした。
陰キャを演じる以上は決して他人に見られてはならない姿である。
それはともかくとして、今回のコンテストは大手放送局が主催を務める大々的なもの。メディアからの注目度も高く、次世代のアナウンサーの卵を発掘する場にもなっているそうだ。
参加人数は各部門によって異なるが、会場を埋め尽くす学生の数と湧き上がる熱気にワクワクが止まらなかった。お祭り騒ぎになるとテンションが一気に跳ね上がるのは、これまた陽キャの性質なので仕方がない。
受け付けが済むと浅見先生の後を追って審査会場へ移動。朗読部の会場は八階会議室となり、審査員の顔ぶれにはなんと現役のアナウンサーまでいる。こりゃ気合いが入るなと思ったが、先輩方の表情は固い。ここに来るまでは笑顔も見えていたんだがな。
みんな、どうしたことか朗読範囲を印刷した冊子を皺が寄るまで握りしめ、視線はキョロキョロと落ち着かない。中には「うっ」とか言いながら口を押さえてトイレに駆け込む先輩までいた。
優里先輩に至っては今にも失神しそうなほど青ざめていて浅見先生が必死に声をかけている。
「みんな顔色悪いですね。何か変なものでも食べたんですか」
「何バカなこと言っているのよ。緊張しているんでしょう」
浅見先生にそっと耳打ちすると呆れた顔をされた。
ああ、そうか。緊張してるのか。目立ちたがり屋の俺は緊張というものとは疎遠で生きてきたからな。ならば笑いの一つでも取って元気づけてやるか。
しかしこういう場面で緊張をほぐすというのは、なかなか難易度が高い。やり過ぎると集中力まで消してしまうからだ。
とりあえず一番顔色の悪い優里先輩のもとに行って「合宿の時の水色のワンピースは優里先輩の方が似合ってました」と耳打ちすると少し驚いた顔をしてから笑ってくれた。
この部で一番有望なのは優里先輩だ。小柄ながらも声の多様性が一番あるし、感情移入も得意。先輩が朗読を始めると自然と耳が傾くんだよな。きっと素人目には分からない魅力があるんだろう。
それに優里先輩は浅見先生の最推しでもある。普段はちゃらんぽらんな先生だが、部活の時だけは人が変わったように真面目になるからな。
もともとクール系美人だしメガネもある。Sっ気に磨きがかかるとでも言えばいいのか。俺と同様に八割がた見た目のハッタリが物を言っている状態だ。にしても先生が推すんだから間違いはない気がする。ま、俺はバカっぽい方が好きだけど。
朗読会場に到着後、そわそわと落ち着かない先輩方をまわってひと笑いかっさらってきた俺は、やはり本職はこっちなのだと実感しながら満足げに窓から外を眺める。秋口だと言うのにちょっとだけ近くなった空は群青色で真っ白なわた雲があちこちに浮かんでいた。
「彰くんは初めてなのに緊張していないのね」
そっと隣に並んだ浅見先生は以前のように触れ合う距離には近寄らない。一歩離れた位置に佇む。
俺との約束を守り意図的にそうしているのだと理解しつつ、届きそうで届かない距離に心がざわつきを覚える。さわさわと波立つ想いから目を逸らし、俺は平静を装った。
「俺、意外と肝が座っているのかもしれません」
「心強いわね。練習では上手くいっても場の空気に飲み込まれて普段の力が発揮できない生徒はたくさんいるもの」
「もったいないですね。でもきっと、みんな上手くやりますよ」
「彰くんが声をかけてくれたものね」
(見てたのか)
あの契約のあと嘘のように静かになった浅見先生。時間が経てば経つほど合宿での出来事は夢だったかもしれないと考えた。
俺に浅見先生の気持ちを推し量ることはできないが、気持ちというのは燃え上がりもするが風化もする。
自分のしたいことを禁止され、一喜一憂することもなくなり、当たり障りのない会話を交わし。触れ合うこともなく距離を置いて。そんなことを続けていたら、よほど強靭なメンタルでない限り心は折れる。
浅見先生の気持ちも、もしかしたら風化したんじゃないかと思っていた。そうなるように仕向けたのは俺なのに、ささやかな気遣いを見ていてくれたことが少しだけ嬉しくて。
――まだ俺のこと好きですか?
そんな疑問が浮かんできて思わず自嘲する。どの口がそんなことを利くんだと。
「彰くんも朗読、頑張ってね」
「はい」
互いに視線は窓の外に向けたまま。静かに言葉を交わす俺たちは、並ぶ距離だけでなく心の距離まで感じずにはいられなかった。
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