二人で分け合う喜び

 審査は受け付け番号順に呼び出され、一人ずつ行われる。うちの学園は優里先輩から連番となって俺は一番最後の四十二番。


 一分一秒と時が迫り、みんなが真剣な様子で冊子に目を通す中、俺はじっと腕を組んで壁にもたれかかる。ひとり八分の持ち時間だ、後半になるほど待機室で過ごす時間は長くなる。ついウトウトしかけた頃、ようやく優里先輩の番号が呼ばれた。

 

「三十五番」

「はいっ!」


 やや裏返った声で返事をした優里先輩は、ふうっと一息ついてから席を立った。


 順番が近付いたことで他の部員にも緊張がはしる。顔を強ばらせ、ぎこちない動きで案内係のあとを追う優里先輩を見送り、待つこと約十五分。優里先輩は戻ってくるなり安堵の表情を浮かべ、浅見先生に抱きついた。


 どうやら朗読は上手くいったらしい。興奮気味に頬を火照らせ、目には本来の生き生きとした輝きが戻っている。


 次々と審査会場へ姿を消していった先輩方もみな同じで、肩を落として帰ってきた奴は誰ひとりとしていない。みな、きちんと実力を発揮してきたようで表情は明るかった。


「四十二番」

「はい」


 場が和やかになったところで、ついに俺の番号が呼ばれた。

 

「如月くん、あまり緊張しないで!」

「深呼吸だぞ、如月くん」

「彰くん、頑張ってね!」


 自分の番が終わったとたんに余裕だな、先輩。胸の前で祈るように手を組み合わせる浅見先生は、見ているこっちが具合悪くなりそうなほど青ざめている。んな心配しなくても、ちゃんとやってくるって。


 ふっと小さく笑った俺に気づいたのか、一瞬だけ浅見先生の表情が緩んだ。


 案内係のあとを追って審査会場へ辿り着いた俺は流れるような動作で躊躇なくドアを押し開く。


 緊張? 心の準備? 


 そんなの腐るほど長い待ち時間に眠気と一緒に吹っ飛んだ。


 目の前には壇上へ続く短い階段とマイクスタンドが一本だけ。向かいの座席には真剣な眼差しを向ける五名の審査員。


 マイクの前に立った俺はお辞儀をすると「始め」の合図で口を開いた――。


 ※

 

 結果、朗読部門の大賞を飾ったのは我が花咲学園の部長、佐々木優里先輩。満面の笑みで表彰状とトロフィーを受け取る優里先輩に俺は心の底から盛大な拍手を送った。


 じつはうちの学園、部員が少ないにも関わらず多くの受賞者を出している影の強豪校だった。専門的ではないにしろ、数年に一度は受賞者を出すというのだから驚きだ。


 校則の緩さや破天荒な学風に注目が集まりがちだが、予選通過率だけでも全国トップクラスを誇る。先輩方の中にはその経歴を知って入部していた人もいたらしい。どうりで八名も通過するはずだ。


 まあ、俺に関してはビギナーズラックでしかないが。


 聞くところによれば、長らく朗読部の指導に当たっていた先生が二年前に定年退職し、次期指導者にと学園長から指名を受けたのが浅見先生だった。


 声に艶があり滑舌も良いのは知っていたが、学生時代は何度も受賞した経験があると言うからまたもや驚いた。


 しかも、ゆみっぺこと学園長も、かつては朗読部の出身で授賞経験者なんだと。


 ダンスパーティーの時は単純に頭のネジがぶっ飛んだおばちゃんだと思ったが、確かに通るいい声をしていたなと思い出す。そういえば、放送室が本格的なのは学園長の趣味だと聞いた覚えも。なるほどね、これで納得だ。


「えー、各受賞者に盛大な拍手を。そして今回は初の取り組みでもあった自由作品から特別賞を選抜致しました」


 一通り授賞者の発表が終わると審査員長がそう言葉を重ねた。


 たしか例年の受賞者は大賞と優秀賞の二つまでだったはずだ。


 審査員長の思いがけない言葉に、喜びあって肩を抱いていた生徒や先生方は驚いたように話すのをやめた。


「まだ朗読を始めて間もないとのことでしたが手元の冊子を見ることもなく、じつに感情豊かに、さも自分のことのように訴えかける言葉の情熱に我々審査員は大いに心を揺さぶられた。花咲学園一年、如月彰くん。前に」


 俺は目を丸くする。それは浅見先生や先輩方も同じ。

 みんな一瞬耳を疑って、固まって。互いに顔を見合わせ最後に俺を見る。


「如月くん!?」

「うそっ! 凄い!!」

「はっ、早く行きなよ!」


 一番状況が理解できてないのは俺だ。ポカンとしながらも優里先輩に背中を押されて壇上に進み出た。


「きみの朗読はじつに素晴らしかった。技術としてはまだ発展途上ではあるけれど、主人公の心の痛みが手に取るように伝わってきたよ。審査員の中には泣いてしまった者までいてね。また来年も楽しみにしてます」


 審査員長はそう言って皺の刻まれた目元を優しげに緩めた。彼の背後に並ぶ他の審査員も同意するようにうなずく。


 恥ずかしい話なんだが、やっぱ俺、朗読しながら泣いちゃったんだよなあ。もちろん悔し涙だけどさ、予想外に熱が入っちまって。


 怒りは怒髪天を衝く勢いだったし、悔しさやら哀感やらは深淵に飲み込まれるようだった。まあ感情の濁流が激しいのなんのって。


 かと言って陽平のカツラみたいにマイクをぶん投げるわけにもいかなくて、溜まった鬱憤は見事なまでに言葉に乗った。じわりと涙の滲んだ俺に釣られて審査員のおばちゃんも泣いてたのは知ってたけど、まさかこんなことになるなんてな。


『特別賞、如月彰』の文字が載った表彰状を受け取り、俺は勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 やはり感情移入が大事ってのは本当だ。あの本に書かれた内容は俺自身のことだから感情移入するのは当たり前だしな。姉ちゃんは最高のタイミングで最高のプレゼントを贈ってくれたわけだ。今度会った時は感想を述べるだけじゃなく、礼もしとくか。


 盛大な拍手を受けながら壇上を降りた俺を待っていたのは、はにかんだ笑顔に涙を浮かべた浅見先生だった。遠慮がちに両腕を伸ばす先生に、俺は困ったように笑う。


 触れるなとは言ったけどさ。こんな時くらいはいいだろう?


 俺は真っ直ぐ浅見先生のもとへ向かい、背中に腕をまわした。俺たちの間でギュッと潰れた小玉スイカ。浅見先生はそれすら邪魔だとばかりに力強く俺を抱きしめた。


「おめでとう! 本当に……おめでとう!」

「ありがとう。先生」


 飽きるほど抱きつかれたバンジージャンプから二ヶ月後。


 久しぶりに抱き合う俺たちは、懐かしい温もりを噛み締め互いに心を通わせた。浅見先生の喜びが伝わり、胸が熱くなる。


 でも胸が熱くなった理由はそれだけじゃなかった。さらりと流れる髪ごと浅見先生の体をかき抱き、ほっそりとした首もとに顔を埋めれば安堵が胸に広がる。


 あの契約から付かず離れずだった溝を、ようやく埋められた気がして嬉しかった。

 

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