二章

花形種目は遠慮します

 浅見先生のストーカー事件は瞬く間に全校生徒に広まった。


 誰かが事実を聞き出し、広める。腹立たしいことに、噂好きの陽キャネットワークを介すれば容易なことだった。


「ねえねえ。如月くんが浅見先生のストーカー退治したってマジ?」

「ああ……うん」

「キャー! ホントだったんだぁ! すっごい強いんだってね!」

「そんなことないよ」


 クラスメイトから次々と声をかけられ、対応に追われる日々。静かな俺の時間は遥か宇宙の彼方に消え失せたようだ。


 距離を置いていたクラスメイトとこれだけ話すのは初めてのこと。興味本位にあれそれ聞き出そうとする男子や、キャーキャーと無駄に奇声を発する女子がうるさい。


 逃げるようにしてクラスから飛び出しても、他のクラスの奴に声をかけられる。生徒なら聞こえないフリをしてスルーすることもできるんだが、先生から声をかけられるとそうもいかない。


 先生方の話を聞くに、どうも浅見先生が俺の武勇伝に飾りをつけて話しまくっているそうだ。もう乾いた笑いしか出てこない。不本意ながら、一躍有名人となってしまった。


 そんな俺に今度は部活の勧誘が舞い込む。


 イカツイ先輩方がひ弱な一年のクラスに押しかけて俺を探し、何事かと周囲の注目を集める中で「ぜひ我が部に!!」と頭を下げる。


 いまのところは剣道部と柔道部のふたつ。合気道部がなかったのは唯一の救いだな。凄い体術イコール運動神経がいいと踏んだその他の部活は、どうも俺と仲の良い陽平に事実確認をしに行っているようだ。


 陰キャとして慎ましく生活したいという俺の望み。半分面白がりつつも空気の読める陽平は、俺が手を打つまでもなく見事に押しかける先輩たちをあしらっていた。


「いや〜あいつ。合気道はできますけど、他の運動はからっきしですよ。運動神経全部、合気道に持っていかれたんじゃないっすかね」


 もはやテンプレと化したその言葉を何度も口にして疲れたらしい。本当に頼りになる奴だ。


 だが結局は。


「バスケ部以外に入れてたまるかよ!!」


 ということだった。いや、入らないけど。


 そんななかで体育祭が近づき、教壇に立った浅見先生が口を開いた。


「では体育祭の種目を挙げるので、参加したいものに手をあげて下さい」


 多種多様な種目が横一列にズラズラと黒板に書き綴られていく。徒競走は全員参加。他はリレー、テニス、バスケ、バレー、ハードル競走、サッカー、二人三脚など種目は多い。ひとり一種目では数が足りないので、最低でも二種目は参加するようにとのこと。


「如月〜おまえ何にする?」


 いつの間にか呼び捨てになったのは、隣の席の菊地。噂話が蔓延してから毎日のように俺に絡むようになった。まあ、そんなの菊地だけじゃねーから、今更どうでもいい。


 さて、どーするかなあ。あまり運動神経の目立たないやつがいいよな。まず走る系は却下だろ? あれは花形だからな。とすると。


「うーん。俺、運動は苦手だから二人三脚とバレーにしようかな」

「マジかよ。おまえ運動神経いいって噂だぞ」

「噂だよ。事実じゃないし」

「彰くんはリレーがいいと思うわ!」


 ……パードゥン?


 突然入ってきた声に顔を上げると、浅見先生が目を輝かせて俺をみていた。ヒクッと口元が動く。このひと、なに言ってくれちゃってんの?


「い、いや。俺走るの苦手……」

「ほら〜。浅見先生も推してるし。おまえやっぱり隠してんだろ。体育祭で手を抜くとかあり得ねえぜ。燃えろ、如月!!」

「別に手を抜くわけじゃ……」


 菊地が拳を突き上げると、他のクラスメイトまで雄叫びをあげる。クソ陽キャ共め!!


 確かに陽キャたるものイベントで目立ってナンボだ。分かる。分かるぞ。けどな、俺は陽キャを卒業したんだよ! 巻き込むな!!


「でもリレーはさ、足の速い人で固めた方がいいよね? 一度タイムとったら?」


 誰かがそう言い出し、みんなが同意する。気づけばリレーが最優先種目となっていて、そこを埋めてから他の種目を決めようということになった。


 クソ陽キャ共が!!


 だけど一気一丸となった陽キャの波には抗えない。乗り気の浅見先生に従い、ジャージに着替えた俺たちは校庭へと出向いた。一人ずつタイムを取って俺の番となった時。


「はーい」


 とっくにタイムを取り終わった菊地が手を挙げた。


 なんだ?


 みんな同じことを思ったに違いない。


「俺、もう一回走りたい! 如月と走ってもいいですかー」


 はあ? なんで俺を指名してくるわけ? おまえの番は終わったろ。

 名指しされたことに妙な不快感を抱いてみれば。

 

「菊地さあ、陸上部じゃん。なんか如月くんが運動神経いいって噂、気に入らなかったっぽいよ。如月くんと競争したいって昨日もいってたもん」

「なにそれ。菊地、めんどくさ〜」


 俺はポンと手を打つ。なるほどな。要はマウント取りたいわけか。あいつより俺のが上って言いたいのね。いるんだよなあ、こーゆー奴。それがモテる道だと信じて疑わない。


 心の底から不本意だが、いまや俺の噂は全生徒の知るところとなったわけで。しかも見た目は下の下。派手でもない奴が話題になると気に食わない輩って必ず出てくる。


 ここで俺を負かして自分の株を上げ、ストレス発散したいんだろうな。つまりイジメの一種だ。俺はそう受け取った。


 いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていたけど、思ったより早かったな。浅見先生のお陰で。


 瓶底メガネの奥で浅見先生を軽く睨む。だがそんな眼差しは分厚いモザイクによって彼女には届かない。浅見先生はにこやかな笑顔を菊地に向けた。


「タイムを測るのは彰くんだけよ。それでもいいの?」

「いいっすよ」


 だろうね。菊地からしてみたら勝てればいいんだからな。よーし、その喧嘩買ってやるよ、菊地。ありがたく思え。


「彰くんも構わないかしら」

「べつに構いません」

「お。さすが男だね〜!」


 うるさい。ニヤッと笑った菊地が隣に並ぶ。屈伸したり上体を捻ったり準備運動に余念がない。俺はただ黙ってエンドラインを見つめるだけだ。


「よーい……ドンッ!」


 菊地。おまえは運が悪かったとしか言えない。入学してからろくに運動をしていなかった俺は、本来なら以前のように速く走れなかったはずだ。


 だけど浅見先生を問い詰めようと街を駆けたあの日。走ることがストレス発散の一環だと気づいた俺は、早朝にランニングをするようになった。


 くわえて俺は売られた喧嘩は買うタイプ。つまり取るべき行動はひとつ。全速力。それだけだ。


 浅見先生の声と同時に俺たちは地を蹴る。メガネのせいで曇った視界も直線ならば問題ない。全身に風を受けながら、闘志を漲らせて駆け抜けた。


「如月、はっや!!」

「ちょ……嘘でしょ。菊地遅いじゃん」

「菊地は速いって。如月が速すぎるんだよ」


 エンドラインを切った俺はすぐさま後ろを振り返る。それとほぼ同時に菊地がゴールした。


 続けて短く息を切りながらタイムウォッチを握る先生をみてみれば、頬に手を当ててうっとりとしている。タイムちゃんと測ったんでしょうね。


「先生! 如月のタイムは!?」

「えっ? あ、えっと……6秒02」


 少し落ちてる。やっぱり毎日走らないとダメだな〜。がっかりした俺とは違って、菊地は嘘だろ!? と先生からタイムウォッチを奪い取り、数字をみて愕然とする。おまえのタイムなんか興味ないけど一応聞いてやる。


「菊地くん。きみの最高記録って何秒なの?」


 その言葉にみんなが聞き耳を立てた。


「6秒……07」

「速いね」


 メガネの奥でニッコリと笑った俺に菊地は青筋を立てた。ざまーみろ。


 とまあ、そんな感じでザマァしたまでは良かったんだが。お陰でリレーのアンカーが確定してしまった。これは俺の求めた結果じゃない。

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