有頂天浅見パラダイス
もう恋せずにはいられない!!
浅見は湯上りの体を鏡に映し、赤くなったお尻に不器用な手つきで絆創膏を貼る。
最後は何が起きたのか浅見自身もよく分かっていなかった。
始まりは……そう、料理教室が終わってビルを出たら超絶イケメンに声をかけられた。
これまた彰くんに勝るイイ男で。頭のてっぺんから爪先に至るまでオシャレのセンスも抜群。彰くん一筋と決めていたものの、浅見の心は震度9程度にはグラついた。
知らないひとだった。だけど彼は間違いなく浅見をみて名を呼んだ。しかも呼び捨て。それだけでトキメキが半端ない。もっと呼んで!! 見知らぬ男についそんな欲が掻き立てられる。
「お疲れ様! 一緒に帰ろうぜ」
浅見は目を丸くした。
皆さま、聞きました!?
そう叫びたかった。自分は夢でもみているのだろうか。イケメンが一緒に帰ろうと誘っている。しかも慣れた感じで、いかにも恋人のような素振りできた。どういうこと!?
頭は混乱する一方だったが浅見は彼を突き放すことができない。もう好きにして! 夢心地で身を委ね、イケメンの顔を見つめてようやく気がついた。
似てる……似てる!!
「あ、彰くん?」
そうだったら、どれほど素敵だろう。彰くんがイケメンなのは知っているけれど、オシャレには興味がないようだったし。
いずれは浅見の手で着飾ってやろうとメンズファッションの雑誌をいくつか購入し、あれそれと彰くんに重ねて妄想を楽しんでいたのだが。
「そう、俺。ちょっと黙って言うこときいて」
真っ直ぐ前を見たまま彼はそう言った。浅見は歓喜で発狂しそうだった。本当に彰くんだった! 浅見が手を加えるまでもなく完璧な装い。そして。
俺様っ!!
いったい何がスイッチになったのか分からないけれど、今日は俺様モードだわ!!
こんなに幸せなことってあるだろうか。あの日以来、お目にかかれなかった彰くんの俺様をまたこうして拝めるなんて!
しかし浅見の幸福はそれだけに終わらない。彰くんが突然腰に腕を回してきたのだ。男らしい腕に引き寄せられて、思わず「あん」と甘い声を出しながら胸に顔を埋めたくなってしまう衝動をなんとか抑え込んだ。
だって彼は女嫌いのはずでは? 急にどうしたのかしら。とても嬉しい反面、そんな思いがチラッと胸を過った。
「ちょっと……彰くん?」
「黙れって言ってんの」
もう黙るしかない。俺様モードの彰くんは素敵すぎる。死ねと命じられれば、いまなら迷わず万歳しながら崖から飛び降りるだろう。
浅見は黙った。それが彼の望みなら自分は従うのみだ。
まるで恋人のように、お互いの腰に腕を回し体を密着させて街を歩く。夢のようだった。永遠にこうしていたい。できることなら楽しくお喋りをしたかったけれど、黙れと言われたのでグッと堪える。
いつも憂鬱な満員電車は痴漢の巣窟だ。必ず一日に一度は触られる。お尻だったり、わざと倒れてきて胸にぶつかってきたり。毎度のことなので、いちいち通報もしなくなった。
だけど彰くんはひとを押し分けて浅見を壁際に立たせると、顔の横に両腕をついて覆い隠してくれた。
なんて紳士的!!
感動のあまり涙が出そうだった。すぐそばに彰くんの腕があり、電車が揺れる度に彰くんの顔が迫る。何度か胸が当たってしまったけれど、気にしていないようだった。もしかして彰くんは小さいのが好みなのかしら。
やはり彰くんは他の男とは違う。しかし、いまさら小さくもできない。いったいどうすれば。胸の大きさだけは自慢だったけれど、彼の好みでなければ意味がない。
凄く問いただしたくて彰くんをじっと見つめていると視線が交わった。何も言わず、じっと自分をみてくる。胸ではなく、浅見の顔を。
心臓が破裂するかと思うほど高鳴った。
耳まで熱くなるのがわかる。思春期の学生でもあるまいし。見つめられただけで顔が熱くなるなんて、自分でも信じられなかった。
ああ、本当に好き!! もうここでキスしてしまおうか。そんな
帰宅ラッシュの電車の中でキスなんて。なんて大胆なことを考えたのかしら。いけないわ。抑えるのよ、玲香!
そう必死に自分を諌める。
すると彰くんの指が浅見の手に絡んできた。指同士を組み合わせる「恋人繋ぎ!」。浅見のライフは既にゼロである。無言のままキュッと手を繋ぎ、アパートまでの道のりを一歩一歩噛み締めるように歩く。
明日、自分は死ぬのかもしれない。
お母さん、お父さん。わたしを生んでくれてありがとう。とても幸せな最後を迎えました。
浅見は遠い田舎の両親に想いを馳せた。
そしてアパートに到着。夢はここで終わり。寂しさに打ちひしがれる想いで、ありがとうと伝える。それだけ言うのが精一杯だった。
「玲香」
ああ、また名前を呼んでくれるの? まだ天国じゃないわよね?
「なぁに?」
愛しい彰くん。何度でも名前を呼んで欲しい。甘えた声で首を傾げると、急に抱きしめられた。
もう死んでもいい……! さようなら、お母さん!!
浅見の胸の高鳴りは何千回と爆発を繰り返す。広い肩幅に硬い胸板。自分を包む体温。ああ、何度も夢にみたあの日の再来。
目頭が熱くなり、彰くんを見つめると頬に手が伸びた。浅見はそっと目を閉じる。なんてロマンチックな夜。ずっと待ち望んだこの瞬間。彰くんの吐息が唇にかかり、心ごと夢の中に浮く。
「やめろおおおおおお!」
ん?
夢を裂くような汚い声が耳に響いて、パチッと目を開けたら。
ドンッ!!
彰くんが突然自分を突き飛ばした。しかも相撲の張り手かというほどの勢いで。胸に恋とは違う衝撃が走る。言葉のままに息が止まり、軽く宙に浮いた浅見はお尻から着地した。
ヒールは片方どこかに飛んでいって、尾骨は死ぬほど痛かった。あまりの痛さに涙が浮かぶ。だけど、そんなことに気を取られている場合ではなかった。
ビックリして彰くんを振り向くと、ナイフを持ったストーカーと対峙している。
ダメぇっ! わたしの彰くんを殺さないでぇっ!
真っ青になった浅見はふたりの間に割って入ろうと、なんとか立ち上がろうとした。けれど腰とお尻が痛くて立ち上がれない。四つん這いになってヒーヒーいうのが限界だったのである。
彰くん!!
声にならない声で愛しい彼の名前を叫んだ、次の瞬間。
彰くんが襲いかかったストーカーに手刀を食らわせてナイフを叩き落とした。目にも止まらぬ早技とはこういうこと。次に瞬きをした時には首にもう一発入れていて、意識を失ったストーカーは呆気なくその場に倒れ込んだ。
信じられる? こんなこと。カッコイイなんてものじゃない。見た目だけじゃなく、俺様だけじゃなく、女を守れる体術まで備わっているなんて!
完璧すぎる。本当ならここで駆け寄って抱きつき、熱い口づけを交わすのが理想だったのだが。
「痛いいいいいい」
手を差し伸べてくれた彰くんに、そんな間抜けな言葉しか伝えられなかったのである。
その鬱憤を晴らすべく、浅見は翌日の職員会議で机の上に立ち、偉人の武勇伝を語るがごとく話して聞かせた。
あの時の彰くんがどれほど素晴らしかったか!
オリンピックに出ることができたなら必ず優勝をもぎ取るであろう体術。一つ一つの動作が流れるようで、かつ刃のように鋭く的確に相手を打ち負かしたのだと。
瞬きで見えていなかったことまで、まるで見たように話した。
刃物を持った相手に対しても怖気づかない勇気! 彼はまさに現代の王子様だと! 当然のことながら警察も彰くんをベタ褒めだったと!
ハートやらキラキラやら、エフェクトにエフェクトを重ねたあの夜の出来事を熱く。それは熱く。職員室が溶けるのでないかという熱で語ってみせたのだ。
そのことで後に彰が頭を悩ませることになるとは知りもせず。
【あとがき】
読者の皆様、ここまでご覧いただきありがとうございます。次話より二章突入となります。
面白かったよ!これからも読むよ!という方は作品フォローや★を染めて伝えて下さると嬉しいです!
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