彼氏的俺様

「玲香!」


 すぐ気づくように大声で名前を呼んでみたが、くそ恥ずかしいなこれ。


 浅見先生は振り返ると目をパチクリさせた。まだ誰だか分かってないな。だけど説明するのはナンセンスだ。俺はオモチャみたいにずっとパチパチしてる先生の手を引いて歩き出す。


「お疲れ様。帰ろうぜ」

「えっ? えっ!?」


 よくみれば俺だって分かるはずだ。どこで会話を聞かれているか分からないから、敢えて何も言わない。なんとか「彼氏」にみえるといいけど。


 そのために今日は少し大人っぽい服装をチョイスしてきたんだ。いきなり失礼な態度を取る俺に先生がブチ切れる可能性とか、女と手をつなぐことの内なる拒否感で変な汗が出た。しかし、できるだけ平然を装うことに集中する。


「あ、彰くんなの!?」

「そう、俺。ちょっと黙って俺の言うこと聞いて」

「は、はい……」


 ボロが出るとマズイ。こういうのは演技が全て。あいつらは微妙な空気とかも敏感に察知する能力があるからな。俺は先生の腰に手を回して引き寄せた。


「ちょっと……彰くん?」

「黙れって言ってんの」


 先生は真っ赤になって口をつぐんだ。


 ごめんなー先生。下手に会話聞かれるとヤバイんだよ。そうしていかにも「恋人風」に街を歩き、駅に到着。そして電車は帰宅ラッシュ真っ只中。


 ひとが多すぎてここでもストーカーがどこにいるか分からない。


 だけど常にみられていると考えろ。


 そう自分に言い聞かせ、浅見先生をドア側に寄せて両手を付く形で覆い被さった。


 電車が揺れる度、背中に当たってくる人の重さに苛つくが、顔には出さない。そういう所もあいつらはみているからだ。嫌そうにしてた、とか。興味なさそうだった、とか。すんげー観察力だからな。


 なので致し方なく。じっと腕の中にいる浅見先生を見つめる。理想としては、大勢の中にいながら互いしか見えない二人って感じだ。


 本当なら楽しげな会話でもして笑顔を引き出せれば完璧だったが、多くは望むまい。


 口で語れないなら視線で語るんだ、彰!

 俺はやれる! やれる男だ!! と言い聞かせて浅見先生をじっと見つめてみる。


 ――正直、地蔵でもみてる気分だった。


 だけど俺を見上げる先生の顔はのぼせたように真っ赤だった。


 背中にのしかかるひとの波が、じわじわと先生との距離を詰める。壁についた腕に力をいれてみても、いまや俺と先生の顔は補習の時よりも近づいていた。


 そりゃこんだけ近くに顔があったら恥ずかしいよなあ。マジで悪いと思うが、いい加減に俺も二次ストーカー行為とはサヨナラしたいんだわ。わかってくれ、浅見先生。


 メガネの奥の瞳が潤みながら俺をみている。きゅっと結んだ口もとのホクロは少し小さくなって、小玉スイカは電車が揺れるたびに俺との間でバウンドした。


 そうして無言で過ごすこと十分ほどで金木町に到着。ようやくラッシュから解放されたことに小さく息を吐き、再び先生の手を握りしめる。まだまだ気は緩められない。おそらく、勝負はここからだ。


 閑静な住宅街にひっそりと延びる道には、巡回の時間とズレたのか警察の姿はなく、他の人影も見当たらない。けどな、絶対に付いてきているはずだ。警戒度をマックスにした俺は全神経を周囲に張り巡らせる。


 浅見先生は耳まで真っ赤にして俯き、黙って手をつないでくれている。もう少しの我慢だ、先生。あと少しで解放してやるから待って欲しい。


 アパート前に到着すると、浅見先生はよくやく顔をあげて俺をみた。気のせいか、目が潤んでる気がする。


「じゃ、じゃあ。彰くん。今日はどうもありがとう」

「……玲香」

「なぁに?」


 なに? って。普通に返すなよ。いや、返してくれないと俺が困るんだけどさ。名前で呼ぶこと突っ込めよな。


 デカイため息を飲み込んで、俺は浅見先生を抱き締めた。ちょっと小玉スイカが邪魔。半分以上潰れた小玉スイカを少しだけ解放して、先生の頬に手を伸ばす。


 メガネの中で切れ長の瞳が潤み、薄く開いた口元のホクロがとてもセクシー。サラサラの髪は黒いから下品な感じもしない。何度みても素晴らしきかなAV女優、浅見玲香。


「彰くん……」


 なぜだか、とてもうっとりした顔をする浅見先生が目を閉じた。


 ――眠いのか? そういや、さっきも目が潤んでたもんな。心配するな、布団はすぐそこだ。


 だけど俺的にはちょうどいい。浅見先生の首筋に手をまわして引き寄せ、顔を近づけ……


「やめろおおおおおおっ!!」


 ニヤッ


 背後からかかった怒声に思わず口角がつり上がった。同時に浅見先生を突き飛ばし、振り返る。


「きゃあっ!」


 後ろでドサッと痛そうな音が聞こえたが気にしない。目の前に現れたのはあのストーカー。


 こけた顔を怒りでふるわせるそいつは、ただでさえ大きな目を見開き、俺を睨みつける。骨ばった手にはカチカチを音を鳴らすナイフがあった。


 おお怖い。マジか、こいつ。


「俺のっ、俺の玲香さんに何するんだよおおおっ!」

「ホザけ」


 狂気じみた叫びをあげ、男はナイフをまっすぐ俺に向けて突っ込んできた。


 動きが単調なんだよ。

 すかさず横に一歩踏み込んだ俺は、先端の光る獲物を軽やかに躱しつつ、突き出された腕を片腕で巻き取り、手首に手刀を一発。硬質な音を立ててナイフが手から落ちる。立て続けに、くるっと回転して体勢を崩した男の背後に回り込み、首にもトンッと手刀を入れる。すると男は呆気なくその場に転がった。


「さ。電話電話」


 無様に転がるストーカーを冷やかに見下ろして、俺は巡査に電話をかけた。浅見さんと一緒にいたらストーカーに襲われたので捕まえて下さいって。


 巡査はパトカーですぐに飛んできてくれた。周辺を巡回してた警察も何人か集まってくれたので、男を引き渡す。


「きみが捕まえたのかい?」

「ええ、まあ」

「怪我は?」

「ないです。俺、合気道習ってたんで」


 サラッと答えると巡査は目を丸くした。他にも柔道や剣道の段も持ってるけどな。


 だからストーカーに襲われてもなんとかなる自信はあった。もちろん慢心は危険だが、こいつ、どうみても軟弱そうだし。ナイフまで持ち出してきたのは……さすがに予想外だったけど。


 襲われたという事実があれば、暴行罪は成立するのだ。ストーカーはだいぶ浅見先生に執着しているようだったし、ちょっと煽ってやれば俺を殴るくらいのことはしてくるだろう。そう踏んでの策だった。


 仮に一度は抑えても、二度三度続けば限界を迎えるのは時間の問題だ。それがまさか一発目で襲いかかってくるなんてな。マジでおっかねえ。


 凶器まで持ち出したんだから、罪は更に重くなる。まず、簡単には出てこれないだろう。


「ありがとう。本当にすごいなきみは。おかげで逮捕できたよ。きっと浅見さんも喜ぶだろう」


 そんでハッとした。そういや浅見先生どこ行ったんだ?


 振り返ると、四つん這いになって尻をさすっている浅見先生を見つけた。


「先生。大丈夫ですか?」

「いっ、痛いいいい」


 涙目で尻をさする浅見先生がおかしくて、俺は小さく笑った。


 何はともあれ事件は解決だ。これで俺もストーカー紛いの警護から解放されるし、尻が痛むくらいは我慢して欲しい。


「ほら。もうストーカーは捕まりましたから、風呂にでもゆっくり入ってケツに絆創膏でも貼って下さいよ」

「貼らないわよっ!」


 手を差し伸べてぷっと吹き出した俺に浅見先生は目を吊り上げた。


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