朗読部に入らない?

 奇声を発して大きな拍手を送る男子たちに笑顔を向ける先生が、不意に俺をみた気がした。瓶底メガネのせいで表情なんてわからねーんだけどさ。なんとなくそんな気がしたって感じ。


 だけどそれが気のせいじゃなかったと気づいたのは、すぐあとのこと。


 ダルい自己紹介を笑いなくして無難に終えた俺は一呼吸つく。どうも、こういう場面になると笑いをかっさらいたくなるのは陽キャの悪い癖だ。自虐ネタなんざポンポン思いつくもんだから、無難に終えるということがどれほど難しいか身をもって知ることになった。


「席替えはもう少し後にする予定だったけれど、明日から授業が始まるので、目の悪い子は手をあげてください。その子だけ先に移動させるわね」


 一通り自己紹介が終わると浅見先生はそう切り出した。目の悪い子、と言われてイマイチピンとこなかったのはご愛嬌だ。もともと目は悪くないからな。


 おかげさまで中学の時はずっと後ろの席をキープしてた。だって前の席だとやたらと先生からチェックが入るだろ。あれが嫌なんだよ。


 だから本心としては前に行きたくない。


 だけどその時、浅見先生がじっと俺をみていることに気がついた。んで、あ。俺のことか。と思ったわけ。


「はい」


 マジで行きたくねえ。けど、昇降口での会話があるからなあ。さすがに誤魔化せないか。この先生が担任なのは、俺にとっては運が悪かったとしか言えないな。


 諦めて渋々手を上げると、浅見先生は一番前の席の子に俺と変わるように声をかけてくれた。


 声をかけられた男子はえーっと不満げな態度をみせたが、文句を言う意味がわからねぇ。

 後ろの席、最高じゃんか。


「じゃあ、彰くんはここね」

「はい。ありがとうございます」


 せっかく最高の位置取りだったのに最前列中央に移動することになった俺は、まったく感情のこもらないお礼を言った。

 先生はそんな態度をおかしく思ったのだろう。


「具合悪い?」

「え? いや、別に。じゃない。大丈夫です」


 気乗りしない返事をしたせいか、体調が悪いと勘違いしたみたいだ。瓶底メガネで隠れた俺の顔を覗き込む。


 その時、清涼感のある甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐり、レンズの奥に春らしいローズピンクの唇と小さな口元のホクロまでみえた。


 このメガネ分厚いのにな。もしかして、よほど近づいたんじゃないのか。


「そう? 度が合わないって言ってたから。合わないと頭痛とかするでしょ? 具合が悪くなったら言ってね。保健室に案内するわ」

「はい。ありがとうございます」


 メガネの隙間から前かがみになった先生の小玉スイカが机の上に乗っているのがみえた。


 隙間から見るとか変態かよ。わざとじゃないからな。俺はさっさと視線を逸らし、頭を下げた。


 初日はレクリエーションや部活見学。委員会の説明など、陽キャにしてみたら目立ってナンボのイベントが目白押しだった。


 俺も内心ワクワクがとまらなかったが、できるだけ無表情で振る舞うことに専念した。無意識のうちに輝いていたかもしれない目は、瓶底メガネ様が見事に隠してくれたことだろう。


 途中で部活見学にきたC組とすれ違って陽平と目が合う。俺を見るなり吹きだした陽平はシカト。あいつにはあとで説教だな。


「彰くん」


 鼻を伸ばす男子が女子テニス部員のスカートに食い入る中、日陰に入り体育館の壁にもたれかかっていた俺は、その声に振り返った。見れば浅見先生が隣に並び、遠くに生徒たちを見守っている。


「先生」

「部活は決めた?」

「いえ」

「朗読部に入る気ない?」

「朗読部?」


 なんだその陰キャ的な部活は。そんなものがこの世に存在するのか。

 俺は思わず引きつった口元をさりげなく顔を背けて誤魔化した。


「そう。わたしそこの顧問なの。放送部みたいなものなんだけどね。お昼にリクエストの音楽を流して雰囲気にあった台詞を読んだり、朝夕の放送をするのよ。あとは大会とかもあるし、時々遠征にも行くわ。毎年入部者が少なくて困ってるのよ」


 意外だ。見た目がエロイだけに。でも言われてみれば、先生の声には耳心地のいい滑らかさがある。声だけで性感をくすぐるスキルくらいは軽く持ち合わせていそうだ。


 この声で艶めかしく囁かれたら陽平曰くハァハァするんだろうが、俺は違う意味でゾクゾクするだろう。 


「先生、声もエロ……いいですもんね」

「エロイイ?」

「言ってません」

「言ったわよ。耳、いいもの」

「気のせいです」

「絶対言いました」


 クスクスと笑う先生は俺の脇腹を肘で小突いた。俺はそっと一歩、横に移動する。


 それに気付いた浅見先生が不貞腐れたように俺を小さく睨む。


「どうして離れるのよ」

「あー、えっと。俺、女性が苦手で」


 上手い言い訳も思いつかず、素で返した。嘘じゃないし、それで納得してくれ。


「本当に珍しいタイプよね、彰くんって」

「そうですか? よくいますよ、こんなの」


 女子テニス部には何人か可愛い先輩がいたらしい。ついにコートの淵に陣取った男子たちが特定の子に向けて拍手喝采を向けて応援し始めた。


「こんなのって。他人事みたいに言うのね」


 それに対してはスルーだ。これ以上しゃべると墓穴掘りそう。俺はテニス部の見学に集中するフリを決めこむ。


「ねえ、知ってる? ここの学園ね、生徒と先生が結婚する確率高いんですって」

「へー。そうなんですか」

「毎年必ず一組は卒業と同時に先生と結婚するのよ」

「へー」

「ここを受ける男子生徒はそれを狙ってるって噂もあるんですって」

「へー」

「彰くんは興味ないの?」

「まったく」


 最後だけやたらと力が入った。校則が緩いとは聞いていたけど、そんな噂まであるのか。まあ、正しい高校デビューを果たした奴らからしてみたら綺麗で可愛い女教師と結婚なんて夢だろうな。


 全員が狙ってるわけじゃないだろうが、少なからず夢抱いてる奴らは多そう。加えて校則も緩いってなれば、そりゃみんな見た目に気合い入れるわな。


 しかし卒業と同時に結婚なんて、在学中に先生と隠れて恋愛するってことだろ?


 想像するだけで面倒臭い。無理。絶対無理。


「おまえそりゃ、男の浪漫だろー!!」


 帰り道。瓶底メガネをしまってこめかみをグリグリと揉みほぐす俺の横で、陽平が天に向かって絶叫した。


「大人の色気溢れる知的な先生と学園ラブだぞ!! 夢しかねーだろうが!!」

「あっそう」


(あー。頭いてぇ。黒板見るタイミングあまりなかったのに、初日からこれで大丈夫かな)


「しかもおまえんとこの担任、あのエロイ先生だろ。名前なんてったっけ」

「浅見玲香」

「そうそう! あの先生すんげー人気あるらしいぜ。うちの学校に赴任してまだ二年目って聞いたけど、入学説明会で一目惚れして受験したってクラスの奴が言ってた」

「女を追いかけて入学するとかマジでありえねえ。俺は逃げたいんだ」

「ああ、そうね……」


 陽平はもげそうなほど首を落とす。毎度毎度、乗ってやれなくて悪いな。いや、本心ではないけど。


「で、おまえ。部活どこにするか決めた?」

「あー。朗読部」

「何それ。何すんの」

「放送部みたいなもんだって言ってた。顔だす必要もなさそうだし、ちょうどいいかなって」


 嘘偽りない理由だった。あのあと色々考えてみたんだが、朗読部って悪くないんじゃないかって。聞こえるのは声だけで、部員も少ないんだろ? マイクに向かって話すだけなら、おチャラけなければ陰キャを貫き通せる……はず!


「はー。なるほどね。いーんじゃね? 俺はバスケ部〜」

「ずっとやってたしな」

「ホントは戦力的におまえが欲しいんだけど」

「お断りします」

「ですよね〜」


 そんな軽口を叩き、一人暮らしのアパートに戻って速攻で。メガネを外し制服を脱ぎ捨て、Tシャツとハーフパンツに着替えた俺はベッドに倒れ込んだ。


「マジで疲れた」


 何が疲れるって、この根っからのおチャラけ癖を押し殺すことだ。ことある事に笑いを取りたくなる衝動を抑え込むのがホントにしんどい。


 あと瓶底メガネ。あいつは強敵だ。

 ずっとぼやけた視界の中にいるってのが想像以上にきつい。


 移動する時も教科書ひとつ選ぶのにも目を凝らす必要があって、昼を過ぎたころには頭がガンガンしてた。


 一向に落ち着きのみせない頭痛に悶えながら、俺はそのままメシも食わずに爆睡した。


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