いいケツ

「腹減った」

「朝飯は」

「ギリギリまで寝てたから食ってない」

「今夜うち来るか? 母さん喜ぶと思うし」


 相変わらずの寝癖と瓶底メガネで隣に陽介を並べて、俺は雷みたいな音を繰り返す腹をさする。


 じつは四月という新年度を迎えた親父は北海道に転勤が決まり、母さんもウキウキ観光気分でついていったので、俺は一人暮らしをしながらこっちに残ることになったのだ。


 カップラーメンさえあればやっていけると思っていたけど、一人暮らしってなるとカップラーメンすら作るのが面倒臭い。


 でも陽平の家が近いから、おばちゃんにいつでも食べにおいでーとは言われているんだよな。


「今夜お邪魔するかなぁ」

「おう。来い来い。けど今日から部活行くから帰りは別々になるかもな」

「あーそっか。じゃあ帰ったら連絡ちょうだい」

「はいよ」


 という通常運転の会話を校門前で終了した俺は、また猫を被って昇降口をくぐるわけだ。


 何人かクラスメイトとすれ違い、当たり障りのない朝の挨拶を交わし。思わず肩に引っ掛けてしまいたくなる鞄をキチンと手に持ってだな。


 だっる。


 と心で呟きながら歩く。


「彰くん!」


 教室に入ろうとしたところ、どこか焦ったような声に呼び止められた。昨日はクラスメイトとロクに会話をしなかったし、名前で呼ぶ奴なんていたか? と少し眉を寄せたが、振り返ってゲンナリした。


「浅見先生。おはようございます」

「おはよう」


 なぜ朝から小玉スイカ美人をみなければいけないのか。眼鏡、スイカ、口ボクロの三点セットにしか目がいかない。いや、十分だな。しかしそれは決していやらしい理由ではなく、その三つが異彩を放っているからに他ならない。


「部活、どう? 入部してくれる?」

「ああ。はい。今日、入部届け出そうと……」

「ほんと!? じゃあ、いまから来て!」

「どこに、ですか」

「放送室よ」


 なんというか。浅見先生は黙っていると、いかにもAVの教師コスをした美人なんだけど、わりと表情は豊かで笑うと可愛い笑顔になる。

 見た目だけじゃなく、こうした魅力も男子生徒を虜にする理由のひとつなんだろう。

 これがいわゆる、ギャップ萌え。

 かといって俺が萌えるかといったら確実に答えはノー。


 何度もいうが、俺は女という生き物にいい思いをしたことがない。特に笑って近づく女は、背中に黒いオーラを背負っているようにみえる。


 それならまだ喧嘩口調でがさつな女の方が気を許せる。だけどあの類もまた面倒臭い。急に態度を変えて女であることを主張し、泣き出すという特異体質を抱えているからだ。


 結果的に女はどんなパターンでも嫌いだ。うん。


 女嫌いを再確認しながら、俺はみんなと真逆の方向に進む。放送室があるのは教室が並ぶ校舎とは別棟の二階で地味に遠い。

 距離、確認しとくんだった。

 浅見先生の後を追いかけながら、いまさらそんなことを考えた。

 みれば別棟には音楽室や調理室といった実習用の教室が並ぶだけで、通常の学習クラスは見受けられない。人目を避けるには、これはこれで好都合かもな。


「今日ね、いつも朝の曲を流す子が休んじゃって困ってたのよ。朝は三十分になったら曲を流さなきゃいけないんだけど、その時間はもう職員室に行かなきゃならなくて」


 チラッと腕時計を確認したらもう四十分だった。

 

「やりかた教えてくれればやっておきますよ。八時になったら止めていいんですよね」

「ええ。簡単だからすぐ覚えると思うわ」


 放送室のドアを開いた先生が、カチッと入口の電気をつける。


「おお……」


 思わず素で声が出た。放送室なんて入ったことなかったから、どーせ小さい個室でマイクと向き合うだけだと思っていたんだが。


 これ、完全なスタジオだ。ガラスを挟んだ奥のスペースには高性能のマイクとヘッドホンが設置されてるし、手前のブースは多分音量調整とかだろう。


 うちの学園にこんな物があったとは驚きだ。


「ふふ。驚いたでしょう? この学園、放送室に本格的なスタジオがあるのよ。このガラスもちゃんと防音なの。普段は使わないんだけど、コンテストに参加する時は録音するために使ったりするのよ」

「凄いですね。でもちょっと、もったいないな」


 こんな立派なスタジオがあるのに、部員が少ないってどーゆーことだ?


 いや、答えは簡単だな。朗読部なんて響きからして陰キャだからだ。「部活どこにした?」「朗読部」って。まともな陽キャなら口にしにくい。


 だいたい朗読部ってネーミングが悪いよ。これなら放送部でいーじゃねーか。この設備で放送部ならプロフェッショナルな感じするし。


「そうよね。学園長の趣味らしくて、ここだけは本当にこだわったみたいなの。でも誰も見学に来てくれないのよね。黙って音楽をかけるだけじゃないから、照れくさいのかもしれないわ」


 いや、絶対ネーミングのせいだろ。こーゆーの好きな奴、結構いると思うんだが。


 だって浅見先生って人気あるんだろ? それだけで入部希望者なんて沢山来そうなものだ。それでも敬遠されるのは、どう考えても名前しかねえ。俺も最初聞いたとき引いたしな。


「もう行かなきゃ。あのね、ここがOAスイッチで、こっちが停止ボタン。これがリクエスト表。今日は好きなのかけてくれていいから。時間になったら教室に戻ってね。頼めるかしら」

「はい」


 浅見先生は口早に説明するとパタパタと走っていった。スカートの後ろに入ったスリットから、わりと太ももがモロみえなんだが。


 てか浅見先生、体にフィットした服装好きだよな。初めてみた時も思ったんだけど、あれいつかはみ出ると思うんだ。色んなものが。


 パンツみえそうだし。


 浅見先生が背を向けているのをいいことに、俺は瓶底メガネを少し下にズラして彼女の後ろ姿を眺める。


「いいケツ」

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