205.旅に出ます、探さないでください part2
探偵になってからもう5年にもなると、そこそこの修羅場や珍事に動じなくなるものである。
特に離婚調停なんて、何度も経験して手慣れたものであり、人の絆が壊れた場面を目撃したり、依頼人や関係者が理不尽な理由で殴り込んで来たり、聞くだに残念な、或いは
最近だと、統合失調症患者と思われる人間が、「集団で追い回されているから助けて欲しい」、と駆けこんで来る頻度が増えた。彼も一応話は聞くが、「警察は信用出来ない」と、民間の探偵社に駆け込むのは、どうにもナンセンスじゃないかと思っている。
陰謀論がインターネットを駆使し始めて、精神病患者の妄想を食い物に金を稼ぎ、勢力を伸ばしたりしているが為、「嘘を流布しながら裏から監視する政府」が、ちょっとした流行になってしまったのだ。
中には終末論を唱える者まであった。
「10番目の永級ダンジョンが現れてから10年後、世界を滅ぼす災厄が来る」、とかなんとか。人の暦に世界の方から合わせてくれるなんて親切な話だし、もし事実だとしても探偵に言う事ではない。
彼をそこらの精神病院の隔離病棟に放り込んでも、「そういう人達も居るよね」と、嫌悪も抱かないし動揺もしない。柳に風、なのだ。
何が言いたいか?彼を驚かせたら、大した物だ、という話だ。
「警察は当てになりません」
で、現在。
最近聞き飽きた台詞を、真正面から叩きつけられた彼、
何故か?
彼の前に居るのが、少々太り気味の、派手で仕立ての良い、
「だから、この事務所にお願いしたいのです」
「ええー……その……、ルカイオス、様…?」
「ニークトとお呼び頂いて結構」
「ははあ……」
丹本で貴族とは寝ぼけてるのか?という言葉が飛んで来るかもしれないのだが、本当に貴族が出て来たのだから、仕方がない。
ルカイオス、という名前は聞いた事がある。
聞いた事があるのが、また問題だ。
上流階級、それも他国の家の話など、六波羅に興味があるわけがなく、触れる機会も無い。そんな彼ですら知っている。それはもう、お話にならないほど有名人、という事だ。例えば
ルカイオス公爵家。
現チャンピオン第7位が属する血族。
世界最高と呼び声高い貴族家の一人。
貴族の生き残りにして、民主化の波ではビクともしない城壁。
彼ら以外に、その苗字を持つ事が許された家は、少なくとも英国内に存在するとは、とても思えない。
だが、ルカイオス家出身の少年が、丹本に居るなんて、そんなニュースは聞いた事も無い。
少年。そう少年だ。
或いは青年でも良い。
兎に角その少年、ニークト=悟迅・ルカイオスは、六波羅の事務所、“
彼は対人経験が豊富なつもりだったが、しかし貴族と会話する際の作法など知らない。
頼みの綱の美人助手は、さっきニークトのお連れの少年と共に、コーヒーを淹れると奥に引っ込んでしまった。面倒事からの回避能力が高過ぎる。
という訳で彼はたった一人で、言葉遣いの割には高圧的な、貴族身分の年下と対面する、という窮地に立たされていた。いや、正確には座らされているわけだが。
「ええ、それで、捜していらっしゃりおりまするのが、その、こちらの……」
正直な所、指一本動かしたくはない、という怯えを押し遣って、怪しい敬語を口走りながら、テーブルに置かれた写真を引き寄せる。
下にある何かを見て慌てた様子の、童顔の少年が写っていた。
「カミザススム。私の同門です。名前くらいなら、聞いた事もあると思われますが……」
「ええまあ。それなりには存じております」
失踪人捜索の際、ディーパーという短期で稼げる、しかし危険な商売が、関わって来る事が大いに有り得る。
家族に言えないような借金をしてたりすると、その債権者からの伝手で、反社会的組織の“バイト”を手伝わされたりする。他人の、或いは偽造の潜行免許を使って、本人の
そんな人物が、ダンジョンの奥に置き去られ、死亡したりした場合、遺体の回収状況によっては、それが本当は誰なのかすら分からなくなる。何せ、管理ビルに残っているのは、偽物の名前、偽物の情報なのだから。
六波羅が担当した中にも、そういったケースがあった。
彼は時に目撃証言だけでなく、実際に潜って遺品が回収出来ないか、そこまで食い下がる事がある。
大抵はダンジョンの自浄作用で跡形も残っていないし、経費とリスクが上がるだけなのだからやめろと、助手からは口を酸っぱくして言われるのだが、それにはいつも同じ文言を返している。
「探して駄目だった」、その試行と結果こそが、人の時間を進めるのだと。
とにかく、彼自身もまたディーパーの端くれであり、だから潜行界隈の動きにも、結構精通している。
特に、その少年、カミザススムの話は、彼の心情
「潜行界の革命」、
「人類の革新」。
それ程までに、衝撃的だったのだ。
「8月14日、彼は私も通う学校、明胤学園の第5号棟、医療棟内から姿を消しました。病室には『さようなら』と書置きを残し、それ以降消息が掴めません」
「それは………ご心配でしょう……ですが………」
日付が問題だ。
「8月14日……まだ5日前、ですか……?」
「はい、もう5日、です」
「捜索願は?」
「学園側から、即日提出されました」
「それでは、何故ウチに?自分で言うのもなんですが、こんな薄汚れた探偵事務所に頼むよりも、警察に任せておいた方が、安く済みますよ?更に、我々が参加すれば、より早く見つかるというわけではありません。警察の捜査能力は、我々を遥かに上回りますし、我々と警察で密な連携を取る、というわけにはいかないからです。はっきり言えば、資金をドブに捨てる事になりかねません」
ニークトは、年齢の割には、落ち着きを持っているように見える。一挙手一投足の末端にまで気が通い、痛い程にきちりとしている為、座っているだけで、相手が引け目を感じてしまうくらいだ。
ここまで怜悧な人間だったら、六波羅が指摘した事も、言われるまでもなく分かっている筈だ。
それでも敢えて、突っ込んだ聞き方をした。
そこに一番確かめたい、話の核心があるように思えたからだ。
「まず、こう見えて私は、金銭を勿体ぶる性格ではありません」
「そうでしょうね、そう見えます」、という言葉はなんとか呑み込んだ。
「更に言わせて頂くと、貴方の認識に一つ、間違いがあります」
「間違い、と言いますと?」
「警察は動きません」
——何?
「何か重大事件が起こらない限り、放置するでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください!それはおかしい、有り得ません」
「そうでしょうか?」
「そうです!もう5日、なんでしょう?」
「はい、もう、5日なんです」
「昨今は『警察は事件性が無いとどうこう』言いますが、逆に何らかの命の危機を立証出来れば、優先的且つ早急に介入します。多感な時期の少年が、肉親を失った直後に、『さようなら』なんて言い残して出て行けば、衝動的な自殺を疑いますよ!こうしている間にも、ホームに飛び込んでいるかも……失礼、とにかく、そこまで楽観的な集団ではありません。少なくとも、丁都の警察は」
新型ウイルスによる、社会情勢の動乱によって、自殺者は増加傾向にある。
元は投資や事業の失敗から、莫大な負債を抱えたり、或いは失職して収入を失った者達が、世を儚んで……というパターンだった。しかし、蔓延した絶望の、死の空気に中てられて、更に何らかの不幸が重なり、未来は暗いと思い詰める、という積み重ねが原因の場合だってある。
中高生や、外出自粛の風潮で、他者との接触が絶たれた一人暮らし。そういった人々が、ふと気の迷いで、不安を行動に移してしまう。今だからこそ、その怖れは強まっている。
そんな中、カミザススムが置かれた状況は、充分「その可能性」を匂わせる物だった。これで捜査員の一人も動かさないのは、怠慢と言われようと申し開き出来ない。
「しかし、そうはなっていないのです」
ニークトはすげなく返す。
「警察には、知り合いが居まして」
流石は特権階級。しっかりとコネを持っていた。
「その人の言葉を信じるなら、捜索は開始されていません。今後、始まる様子もありません」
「そんな事が…」
「そんな事が、起こり得る。ある種類の人間を相手にする時には」
「貴方はそれを、最も良く知る一人では?」、
その目が鋭いのは、六波羅の人物像を正確に掴もうという、意思によるものなのだろう。
彼は、知っているようだ。
六波羅が、探偵の前に何処に属して、探偵となった後に何をして来たか。
「漏魔症……」
彼の許に来る依頼人の中には、その関係者も多い。
ダンジョン関係の脱法・違法ビジネスに巻き込まれ易く、漏魔症罹患者の遺品回収を請け負う人間は少ないからだ。
たとえ浅い階層であったとしても、一人で取り残されると生存は絶望的。
そして救助隊は、ほぼ100%派遣されない。
故に、六波羅のような人間に、話が回って来る。
例え何も見つけられずとも、「専門家が探して最善を尽くした」、その事実さえあれば、まだ納得できるもの。
その些細な慰めの為だけに、彼はよくダンジョンに潜る。
そんな死者達も、探す身内が居る分、まだ幸運な方と言えるが。
「しかし、漏魔症の未来にとって、史上最悪の不治の病にとっての突破口になるかもしれない、そんな人間を、見捨てるんでしょうか?警視庁までならともかく、公安委員会が、行政が黙ってはいないのでは?しかも、他ならぬ明胤学園からの要請です。国の中枢に声を届かせる事が、可能な立場の機関から、求められているのですよ?黙殺など出来る筈が……」
「私もそう思います。しかしながら現実として、警察上層部は『捜査中』という文言だけを武器に、腰を上げないつもりだと」
「……それは——」
——おかしい。
「幾ら差別的感情を持たれやすい、漏魔症に対する態度だとして見ても、あまりに妙です」
「そう、おかしいのです。ですからこの件に関して、警察は当てに出来ないのです」
「あ——」
——それで、
そうだ。
その、話だった。
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