177.あ、これ終わった

「やっばい…!ヤバイってぇ…!やられた…ッ!」


 俺は今、過去最大の危機に瀕している。

 それは何か?

 この景色を、無人のプールサイドをご覧頂ければ、分かると思う。


「お、俺の脳!俺の脳早く!はやく眠れ!持たなくていいから!はやく!」


 1秒でも早く、ではダメだ。

 1ミリ秒でも早く、本当の休眠状態に入るのだ。

 奴が来る前に「あれ、ススムくん?どうしました?そんなに慌てて」

「んんんんんんん!!」


 俺はガバリと頭を抱えて丸まった。

 まだ?脳ミソ君はまだ健在ですか?

 あれか?最近酷使し過ぎて、慣れてきた?

 要らない耐性ばっか付きやがる!


「カンナぁ!この為かあ!?」

「何の話、でしょうか?」

「俺が休日に、潜行の為にならない遊びをしに行くのをすんなり許可して、しかもその間、一切修行っぽい事を課して来なかったの、変だと思ってたんだ!『あれ?いつもなら夢での苦行を増量するとか言うのになあ?』って思ってたんだ!」


 彼女の思惑が、やっと分かった。

 その時には、手遅れだったが。


「丁度、大量の水を使いたいと、そう思っていたんですよ」

「やっぱりなあああ!」


 ほれ見ろ!

 彼女に優しさを感じた俺がバカだったんだ!

 「偶の息抜きは必要だって言うし、この前の大会で頑張ったから、配慮してくれたのかな?」とか思ってんじゃねえ!こうなるって、どうして分からねえんだお前はよお!?日魅在進よお!?


「これは私が、うっかり見落としていた事ですが、今のススムくんは溺死に対して、耐性が無さ過ぎます。先日はそのせいで、初手で敗北しかけましたね?」

「出来れば一生見落としてて欲しかった……」

「それを是正する為に、どのような試練を与えようか、考えていたのですが」


 そこにプールへのお誘いが来た。

 俺は、女子の水着で一本釣りされた。


「飛んでる夏の虫だよこれじゃあ!」

「先程から不可解なのですが、どうしてそれ程、濡れた雛鳥のように、怯えているんです?私からすると、そんなあなたを見ても、どう啼かせようか、腕が鳴るだけですよ?」

「サドっに拍車が掛かってるぅ…!?」

「水中深く落とされるだけです。海底深度の平均を用意していますが、夢ですので、いつかは現実へ浮上出来ます。暗く、重く、一度捕まれば、逃れる事は困難といえども、そこで終わりでないだけ、十分有情ゆうじょうでは?」

「いや、この際それはいいよ!」


 良くないけど、

 でも窒息なら、体内魔法陣の訓練で何度も経験したし、

 水圧も、まあモンスターに細切れにされる体験があったから、初めてじゃない。


 俺が怖いのは、そっちじゃなくて、


「カンナ、一応聞くけど、俺今日カンナを見ずに済ます事って、可能だったりする?」

「あれ、良いのですか?深海の真黒しんこくが与えてくれる、唯一の拠り所になるのですよ?」

「くそお……。発狂を防ぐには、それしかないのか……!」


 俺はそぉっと、下から顔を、視野を上げる。

 一気に全部受け取ると、それだけで一回死にそうだからだ。


 まず足先。

 ヒール高めのサンダル。

 その先に灰色の、割れ物のようにテカテカと、光をかえす脚。

 ここまで布面積ナシ。

 膝から上ではカーブが大きくなり、もってりとした柔らかみが加わる。

 そこに、レースらしい素材の、黒い布が垂れている。

 

「やっぱり水着でしょこれ……!」

「あれ、しかしススムくん。あなたが恐れる、“ビキニ”という種では、ありませんよ?」

「え?じゃあ何?スクール水着とか?」


 それなら色気が無いから軽いダメージで行けるか?何か羽織ってるみたいだし。

 待てまて、カンナのスタイルだと何着てても視覚的暴力になる。

 備えろ。

 覚悟を構えた俺は、視線を更に登らせ、


「ぐま゛あ゛ッ!?」


——心臓を一突き、即死だな。


 俺の後ろから冷静に見下ろす、もう一人の俺が居て、

——がばぁ゛ッ!?

 で、そいつも彼女の姿を見るや、瞬時に悩殺された。


 あの、あれだ、プランジングとか言う、胸の谷間にスリットが入ってるヤツ。

 レースのブラウスの下、黒く、刺繡の入ったランジェリーめいたそれは、臍まで深々と開いてるし、何なら外側も覆ってないから、切れ込みって言うか、2本の布を横紐で束ねてるみたいになってる。ほぼスリングショット型って言っていい。

 腰の辺りは当然のようにハイレグカットだし、これ背中側ってどうなってんの?いや!やっぱり見せないで!怖いから!


「どうです?違ったでしょう?」

「分類学的に言えばワンピースだからヨシ!じゃねえだろ!肌面積の問題が解消してないんだよ!なんなら悪化してる!うっすい布羽織ってりゃセーフになると思うなよ!?」

「裸を見た事もある癖に、何をそんなに慌ててるんですか?」

「それとこれとは味が全然違うの!いや『味』って言い方キッモ!???」


 キョドるとカンナの獲物になるが、しかしこれを前にして平然としていられるわけがあるか!こっちは男子だぞ!?これで周りがムードも何も無く、ガヤでわやくちゃならまだしもさあ!暗い中ライトアップされた、ナイトプール仕様で静かなそこに、二人っきりだぞ!?俺は死ぬ。ってか死んだ。


「さあさあ、時間は限られています。命短し、です。早く沈みましょう?私も付き合って差し上げますので」

「『命短し』とか言って寿命を縮めて来るの、論理がバグってんだよ」


 ってか、こんなに軽い自殺幇助は初めてじゃないかな?いやこの場合は無理心中か?

 

「はい、ぎゅー…」

「モガガガモガ」

「まだ陸ですよ?もう溺れているんですか?」

 

 あなたに溺れてます!ロマンチックな感じじゃなく!もっと切羽詰まった意味で!

 胸で右腕を挟まないでください!ロックしないでください!


 ボールのようだとは思ってたけど、その生々しい肉感と、それでいてしっかり反発する弾力は、鞠って言うのが近いのかもしれない。

 サイドからそれらを堪能する事で、そんな見解が脳内に立ち現れた。


 いや堪能するなよ。そのミチミチした物体、今からお前を海に沈めようとしてんだぞ?

 ってかやっぱりおかしいよこの人の肌。衝撃吸収か、それとも吸着してんのか知らないけど、腕を引き抜こうにもビクともしないもん。

 こっちの力が弱まってるのはそうだけど、カンナの手は俺の腕に添えられてるだけなのに、ズブズブとより深く咥え込まれていくのは、何か未確認の絡繰りがあるって!この人の肉自体が海流と化してるって!


「そう言えば今日、ミヨにこうやってくっ付かれて、幸せそうでしたね?」

「黒歴史増産中に埋め立て中の黒歴史を掘り返すのヤメテ」

「あのイリーガルの胸や素肌にも、夢中でしたし」

「いや!あれはモンスター相手だって知らなかったから!」

「本当に?」

「………発覚後もちょっと見てました………」

「ほう、『ちょっと』、ですか」

「嘗め回すように凝視してました!」


 だって!あれはあっちが卑怯じゃん!

 人を惑わす容姿と状況を用意しやがって!

 許さんぞ!


「ススムくんは、そちらへの備えも、努力しなければ、ですね?」

「なんで俺はこんな辱めを……!」

「はい、それでは行きますよ」

「ぽぺぺぱぺ」


 俺の右手、力んで握り締められた、その指と指の間。

 親指と人差し指の間を、彼女の人差し指が、

 人差し指と中指の間を、長い中指が、

 中指と薬指の間を、控えめな薬指が、

 薬指と小指の間を、細っちろい小指が、

 一本一本、喜悦を怖がる筋肉までほぐすように、

 優しげに割り離して、潜り入ってくる。


「ススムくん」


 対面するように彼女から抱かれ、

 左目から射す夕陽の熱に、心身を溶かされながら、

 

「また、ご一緒して、くれますよね?」


 言われるがまま、かれるがまま、

 一緒に横へ倒れ、入水じゅすい

 頭を下に、

 二人でぐんぐんと、

 沈んで行く。


 ふやけた頭が動かずとも、神経の危険信号が機能し、

 体内で魔力を循環させ、

 体外に噴出させて水を弾き、

 強化した気管で流入を防ぐ。

 が、それでは、肺に侵入済みの分を、追い出すには至らない。

 パワーが足りないと体内魔法陣の構築を急ぎ、

 酸素が足りず、

 呼吸が乱れ、

 何度か身体に穴を開けながらも、

 成立させる。

 だけど、

 吸い込む物が、尽きた。

 息が止まって、

 集中が切れ、

 魔法陣を維持できない。

 それどころか、

 疑似的な血流として扱っていたせいで、

 心臓が動作不全を起こした今、

 魔力循環すら、

 止まってしまう。

 守るものが無くなり、

 外から内から、

 重みが俺をくしゃくしゃにする。

 かなりのスピードで潜っているみたいで、

 皮が、

 その下の肉が、

 その中の骨が、

 順々にペタリと、

 平坦になっていく。

 カンナは、

 何も言わない。

 ただ静かに、

 穏やかに、

 眺めるだけだ。


 その虹彩を見続けてると、

 彼女に呑まれて、

 喉に圧搾されてるみたいな、

 変な気分になって。


 やがて頭蓋骨が脳ごと押し潰されて——



——え?


 

「また、ご一緒して、くれますよね?」


 

 入水。

 戻った?

 あ、ああ、そういう感じ。分かった分かった。

 一度死んだくらいで、解放してくれるわけが無かった。

 これ、俺が成功するまで、何度でも続くパターンだ。

 そこに上乗せして、話を聞いてくれる隙も、無いと来た。

 あの、それでも一つだけ聞きたいんだけど、

 


 これ、何%くらいの確率で、正気か命を失いますか?


 前のメニューより、リアル致死率上がってませんか?



 あとこれどうすんの!?

 

 無理だろ!常識的にも!非常識的にも!


 エラでも作れってか!?



「また、ご一緒して、くれますよね?」



 二回目以降、カンナは水に入る前から濡れていた。

 撥水性を持つかに見える程、ハリのある肌から雫が飛んで、

 アップにされた髪が、頬にくねりと張り付いて、

 そこから首筋へと水滴が伝い落ちて、


 それ見てたら何も出来ずに溺死。



「また、ご一緒して、くれますよね?」



 はい、余計な事考えてないで真面目にやりまーす。

 やらせていただきますよくそぉ!

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