130.四方八方、万事が休す

「カミザぁ?こんな所で、何をやってるんだ?」

「あ、せ、先生……」

 

 エレベーターで上がった先で、会いたくなかった人に、会ってしまう。


「お前、さっきの試合、出場メンバーじゃあ、なかったか?変更があるなら、先に言っておけよ?」

「シャン先生、すいません、あの…」

「どうした?カミザ」


 言わなければ、

 伝えなければ。


「俺、その、分かってなかったんですけど、みんなから、拒絶されてて……」


 恥ずかしさと惨めさで、海底深く溺れたような苦しさが、俺の肺を埋める。


「愛想を尽かされたみたいで……」

「はあ?」


 呆れも怒気も含んだ声が、俺の背筋を震わせ、血の気を奪っていく。


「マジかよ……」

「せ、先生、すいま」「あー!あーあー!」


 頭の後ろをペチペチと叩き、嘆く大男。

 顔がある場所が高過ぎて、逆光の影で表情が見えない。


「少しは、少しくらいは、せめてコミュニケーションぐらい、普通にやれるだろうと、そう思ってた、俺が間違いだったったってのか…!?」


 もう、やめて欲しい。

 何も、言わないで欲しい。

 だけど、これは罰だ。

 人の気持ちが分からず、人の期待を守れない、

 無為な人間への当然の仕打ちだ。

 耳を塞いではいけないのだ。


「俺はな?お前に目を掛けてやってんだぞ?」

「はい……」

「お前の事を見込んで、活躍して欲しいと思ってる。その為に、俺の持てる物全て、お前につぎ込んでやっている」

「は、い」

「完全な味方だぜ?そこんとこ、分かってんのか?」

「は、あ、え、っと……」

「どうなんだ?分 か っ て ん の か?聞いてんだぞ」

「はい…!わか、分かって、ます……」


 俺が、こんなにも、「普通に」出来ないから。

 とうとう、シャン先生にまで、


「お友達と仲良くしろなんて、簡単な、初歩的な事すら、満足に出来ねえのか?幼稚園児以下だな?テメエは」

「ごめ、ごめんなさぃ……」

「あー……、あーこりゃあ、こりゃあ本当に、ダメだな」

「え?」

 駄目って?

「何が」

 俺は、もう、駄目って?

 

「今分かった。テメエに投資するのは間違いだ。不良債権にはなるが、早めに損切するしかねえな」

「せ、先生!待って下さい!俺はまだ、最後まで足掻けてないです!みんなと仲直りするよう、死力を尽くします!せめてそれが失敗するまでは——」

「分かってねえな。分かってねえじゃあ、ねえか」


 分かってない。

 分からない。

 俺は、

 俺と彼らの間には、


「最初から直るべき『仲』が、無えんだよ。それをお前は分かってなかった。だから本番当日に、急に蹴り出されるような、そんなアホくさい事になるんだよ」


 そうだ。

 分かって、なかった。

 ずっと、

 勘違いしないように、

 何度も何度も、自分に問い返して、

 問い続けて、

 それで、納得した。

 自分の中だけに籠って、その答えで満足してしまった。

 だけど、それは俺が、「思った」事だ。

 俺は、知らなかった。

 知れてなかった。

 

 分かってなかったんだ。


「ったく、今からテメエを追い出して、それで何とかなるか?先が思い遣られるぜ……」


 ぶつくさ言いながら、去っていく大きな後ろ姿を、俺は引き止める事が出来ない。

 その勇気が、出ない。


 何を言っても、俺が話しかける事自体が、彼のストレスになる、それが分かった。

 カチカチと歯が鳴る音で、自分が自身を留め置けてすらいないと知る。

 止まっていたいのに、勝手に骨から揺れている。

 

 寒い。

 頭が割れるように痛い。

 皮膚がかじかんで、感覚が消えて行く。

 道の脇にまでヨロヨロ歩いて、そこで精魂尽き果て、しゃがんで動けなくなってしまう。


 目も耳も閉じようとして、

 その誘惑に、なんとか抗う。

 

 苦さも、冷たさも、悲しみも、痛みも、遠さも、寂しさも、

 全部全部、俺が受けるべき物だ。


 耐えろ。

 

 お前の罪を、

 噛んで

 噛んで

 嚙み切れなくても、

 喉に詰まっても、

 

 呑み込め。


 お前は、

 

 やってしまった。

 

 カンナは、

 カンナは何処に?

 

 彼女の名を呼ぶ俺の声は、

 抉れた胸の空洞を、反響するだけだった。




——————————————————————————————————————




「ススム君!ススム君!私だよ!ミヨだよ!ススム君!?」

「こいつは……」


 乗研が二人を連れ、寮の部屋に戻ってみれば、日魅在進は、隠されるでもなく、部屋の中、ベッドの上で横になっていた。


 僅かの間、それを訝しんだ彼だったが、奴らが彼を、堂々と残しておいた理由が、その内分かって来た。


「……ごめ、んなさい………ごめんな、さい………」

「どうして!?魔力がどこにも感じられないのに!」

「……あのクソジジイ、これ程の能力を………」

「おいどういうこった。この女なら、ダンジョン由来でない呪いくらい、解けるんじゃなかったのか」

「教室同士では、教師間ですら、生徒の能力をひた隠しにする。だが、こいつはやり過ぎだ………」

「おい——」

「先生!ススム君はどうなって…!」


 考え込むシャンの意識を、こちらに向けさせようと声を上げる彼だったが、痛切に問い質す詠訵が、誰よりも場を支配する事となった。

 シャンは一突き、凶器を肚に突き入れられたかのように目を見開き、それから場に居る3人の顔を順に見て、日魅在進に目を留めた。


 眠っている。

 けれど、うなされている。

 見て分かる。

 悪夢が、現実に滲み出ている。


「………今カミザが起きないのは、魔法のせいじゃねえ」

「どういう事だ?魔法ナシで、痕跡無く、人を昏睡状態に出来んのか?」


 そんな技術があれば、悪用し放題だ。

 隠している事自体が問題になる。


「少し違う。『今』起きないのが、魔法の為じゃねえって事だ」

「……ってこたあ、魔法によって、この状態になったってのは、間違いじゃねえのか」

 

 何らかの異常の、トリガーとなる魔法。


「恐らく、対象の記憶を使って、偽りの現実を見せる能力だ」


 記憶を、「使って」。

 それこそが、肝心な点。

 

「相手の記憶から、もっとも見たくない物を抜き出し、現実認識に混ぜ込む。カミザは今、自分が思う現実に、自分にとっての最悪を重ね、それを見せられている」


 長期的に幻術を掛ける時、最も有効な手法は二つ。


 極楽に漬けるか、

 地獄に堕とすか。


 気持ち良いなら、それをつぶさに確認して、矛盾を見つけたくない。

 苦しい現実からは、目を逸らして、矛盾を見つけられない。


 どちらも、幻術破りに繋がる、冷静な思考と観察そのものを、手放させる。


「カミザは、幸運には臆病な性質タチだったからな。不幸な幻の方が、確実だと考えたんだろう」


 一度脳に認識を植え付けてしまえば、あとは人体機能が、その現実を勝手にシミュレートしてくれる。

 そこまで行けば、人の生理・生態であり、魔法効果ではない。

 干渉するのは、いっとう最初の部分、

 背を一押しするだけで終わり。


 しかし、そんなもの、徹底して対人用だ。

 対モンスターとしてではなく、防衛隊対外方面部や、或いは警察権力、そういった道を意識させる能力。

 随分絞り込んだ、育成方針である。


「待て待てオイ。そんなもん、ベクトルが逆なだけでヤク中にしてるのと変わんねえじゃねえか」

「恐らく本人の能力なら、その状態から認識を取り除く、その方法もあるんだろうが…、だがノリド、その通りだ。未熟な学生の分際に使わせるなあ、危険な魔法だぜ」

「そ、そんな……、も、もしもススム君が目を覚まして、それでも酷い後遺症が残ったら、その時はどうするんですか!?」

「どうもしねえだろうな。『漏魔症がここまで脆いとは知らなかった』、とかなんとか言って終わりだ。それだけカミザの世間的な扱いは、ぞんざいなんだよ」


 詠訵は絶句し、それから日魅在の手を握りながら、魔法で作ったリボンも巻き付け、その状態で、何度も名前を呼び始めた。

 呼ばれている方には、何も届いていないらしく、「ごめんなさい……いやがられてるって……おれ、わかってなくて、ごめ、ごめんなさい………」、などと、消え入るような声で、ずっと繰り返している。


 乗研はその姿を見ながら、少なからず衝撃を受けた。

 彼の知る日魅在進は、何時もお気楽なお調子者だ。

 「逆境を跳ね除ける」だとか「みんな仲良く」だとか、大真面目に言ってしまえるような奴で、ローマンの中でも、運の良い方なのだと思っていた。

 その人種の中で、珍しく大きな挫折を知らず、それもあって、他のローマンには出来ない事も、自身の能力として身に着けた。

 「ツイてる」自負もあるから、どんな相手でも、「負けるものか」と思えてしまう、軽いが故に強い奴なのだと、乗研には一生理解出来ない男なのだと、思っていた。


 そんな少年が今、「自分が作った最悪の景色」の中に、囚われている。

 

 断片を拾って繋げると、彼の不安が見えてくる。


 彼はどうやら、嫌われて捨てられるのを、恐れていた。

 あれだけ自信満々に、「例え捨てられるのだとしても、やれる事はやる」、そう言える男が、


 それでもこんなに、弱かった。

 

 では、何時も見えている、夢見る無敵の少年は、


 あれは一体、誰なんだ?

 

 分かっている。あれも日魅在進だ。

 ボロボロで、平均台くらいの狭さで、崩れた先には奈落、そんな足場をハッキリと認め、それでもあれだけ強がれる。「崩れてないだけ」、「道が道として機能しているだけ」、「自分は幸運だ」、そう言ってしまえる。


 自分に溺れず、

 だけど他者の手に掛かれば、簡単に沈められてしまう。


 それが、日魅在進という男なのだ。


「なんだ…!?こんな時に…!」

 

 相手が一生徒ならまだしも、トロワの事もある。恐らく組織的に、日魅在進は嵌められた。少なくとも試合が始まる前に、朱雀大路に不正を認めさせ、彼を復活させるのは——


——相当な奇跡が重ならねえと、困難、いいや、ムリだ。

 

 それを打開する妙案が無いかと、頭を悩ませていたシャンに、その連絡が来た。


「………ヨミチ」

「……なんでしょうか?」


 振り向きもせず、声に棘を含むのは、何を言われるのか、予想が付くからだろう。


「親御さんは、本当に苦情を入れたらしい。運営委員から、両親の説得が済むまで、詠訵三四の出場は認めないと、お達しが来たそうだ」

「………分かりました」


 決定的だった。


「特別指導クラス、8人中3人が、行方不明か戦闘不能。出場者が6人に満たず、不戦敗、か」


 「一巻の終わりだぜ」、

 パンチャ・シャンは、

 笑うしかないようだった。

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