129.戻りたい、そう思っても、責められない
「トロワせんぱーい!」
「あら?」
クラスと集合しようとしていた道中、ジュリー・ド・トロワは、かつて同教室だった、後輩生徒5人に、声を掛けられた。
「キャー!先輩だー!」
「トロワせんぱい!お久ですー!」
「この前の誘拐騒動で会ったばかりでしょう?」
「1週間以上会わなかったらお久なんですー!」
「先輩はいたーっち!」
「先輩せんぱい!」
「ああ、こら、はいはい、慌てない騒がない」
自分が教室を移動になった後も、こんな調子なのかと、古巣の変わらない様子に、可笑しくなってしまう。
「さみしいですせんぱーい!」
「どうして先輩はウチの教室じゃないんですかー!?」
「せんぱい!ウチらのこと、忘れてないですかー!」
「忘れてないわよ、失礼な。みんな、私の可愛い後輩だもの」
「「「「「キャー!!」」」」」
「こら、声量を落としなさい。周りに迷惑でしょう?」
「「「「「ごめんなさーい」」」」」
「全く……」
微妙に言う事を聞いてくれないが、嫌な気はしなかった。
かつてはこの5人と、トロワのスタンドプレー中心のパーティーを組み、輝かしき勝利の数々を勝ち取ったものだ。
女性だけのパーティーで、どんな相手でも一点突破、粉砕するその闘争は、とても楽しく、胸のすくような日々だった。
今のクラスとは、パーティーの在り方から言って、大違いである。
「トロワさん、お久しぶり」
と、そこに、彼女達が所属する教室、その担当教員が現れた。
年配の余裕を持った、尊敬すべき女性だ。
「先生、お久しぶりです。その後、どうですか?」
「やはり、貴方が抜けた穴は、大きくてね……。予選敗退よ」
「そうですか…、すいません……」
「いえいえ?貴方が謝る事じゃないわ?学園側の決定だもの」
「そう仰って頂けると……」
「けれどね?トロワさん」
彼女は、優しげに微笑みながら、
「納得は、していないのよ?」
しかし牙を見せる。
「……納得、していない、と言うのは…?」
そう言えばこの教師は、怒り心頭であっても、顔色は崩さなかった。
そんな事を、彼女は思い出す。
「丹本国の繁栄と安寧の為、彼が身を粉にして働いてきた、それは理解しています。動かぬ事実ですもの」
それはそれとして、
これはこれ。
「私達が丹精込めて育てた生徒を、収穫時になってから、横から掠め取ろうだなんて、お下品な話だと、思われません?」
「それは……」
そう思う。
その通りだ。
彼女はその事で、彼に憤り、反抗した。
明胤生としての7年間、その集大成が結実する、その直前まで来て、これまでの苦労も努力も研鑽も知らない彼が、無神経に簒奪する。
そんな事が、許されていい訳が無い。
罷り通らない。
「彼に生徒を取られた先生の中には、私と同じように、よく思っていない人も多いんです。当然ですよね?元チャンピオンとは言え、これは教職の領分。侵す
「先生、すいません、もし私の認識が、間違っていたなら、訂正して下さい」
彼女はよもや、
「シャン先生を、失脚させるおつもりですか?」
「はい、そういった腹積もりです」
「ですが、どうやって?」
“チャンピオン”という称号は、人類の中で最大の特別扱いを意味する。
戦力として人並外れて、否、
誉れであると同時に、人道や社会から外れれば、“災害”として“対処”する、その警戒視の表明。
頭に「元」が付こうとも、その名に宿った名実の力は、未だに健在と言えるだろう。
そんな彼を、国としては常に膝元に置いておきたい、とっておきの中のとっておきを、他でもない、政府が運営資金を出すこの学園で、敗走させるなど可能なのか?
「それが、出来るんです」
彼女は、ご近所相手に嬉々として、風の噂を披露するように、
「何と言ったって、これは本人から申し出た、本人承認済みの条件ですから」
パンチャ・シャンが……認めた?
「ご自分の立ち場を、危うくするような事を?」
「お行儀が宜しくありませんが、賭けのようなものらしいです。彼が教員としての成果を残せなければ、国からの特権、その一切を放棄する、と」
「そ、そんな一方的な…!?」
それは丹本国にとって、稼ぎ頭の単純な喪失。
賭けのようで、勝手な押し売りであり——
「しかしこれが、そうでもないんですよ?」
そうでも、ない?
そんな事が、あるのか?
「彼、チャンピオンになる前に、宜しくない筋との、関係があったらしくて…」
「『宜しくない』、と言いますと、その……」
「多分、貴方の創造通りの人種。学園の上層部や、政府側にとっては、潜行から引退した今、目立たず静かにして欲しい、というのが本心のようです。脚光を浴びて、過去を掘り起こされ、スキャンダルになるのを恐れた。“
彼は、望まれて、そうしていたのか。
どうだろう?本人は「疲れたから」だと、この前そう言った。
あれが嘘とも思えない。
では、何に疲れたのか?
かつての悪縁か?
それとも、チャンピオンですら折られてしまう、高く厚い壁があるのか?
そんな、大袈裟な笑い話の産物みたいなものが、現実に?
「互いに納得の上で、彼を放逐できるのならば、その方が良いと、そういう考えが主流のようなのです」
「『放逐』って……、チャンピオンにもなった、一足外せば生物兵器に成り得る、最高峰のディーパーですよ?野に放って、その後に別の事案へと繋がってしまったら、どうするんです?そんなの、不発弾を、大通りに転がしておくようなものです」
「ご隠居して頂く、場所と段取りがあるそうです。もう二度と日の目を見ないよう、現場と言う現場から遠ざける、という事かしら」
そこまで、
そんなに具体的に、
彼がまだミスや綻びを見せていない段階から、入念に。
「そしてトロワさん、私が何故貴方に、この話をしたか分かる?」
「……!」
そう、
学園の内側、それも中心部に近い、機密の意思決定。
世間話で口に出した、という事もないだろう。
聞かせられるとしたら、
例えば共犯者。
「何か理由を付けて、校内大会を棄権しなさい?」
「今日、これから、今から仕掛ける。そういう事ですか…」
「その通りよ?今頃、同派閥の皆さんが、別口で事に当たっているの。貴方は、その一つ」
ここだけ止まったとして、全体は変わらず進行する。
彼女の役目は、ほんの「
「だから、そんなに気負わなくていいの。ただ、ちょっぴり、確実性を上げるお仕事です。気持ち程度、協力して欲しいんです」
「そうしたら」、
それが上手く行った、その暁には、
「特別指導クラスは一度解体、その後に再編。貴方のような、あの場所に居るべきでない人も、元居た、居るべき教室に戻れる」
「全て、元通りよ?」、
その言葉を受けて、
「せんぱい、ウチら、またせんぱいと一緒に戦いたいです!」
それまで成り行きを見ていた、彼女達が口々に説得し出す。
「先輩!お願いします!戻って来て下さい!」
「やっぱりNポジションは、先輩でないと!」
「せんぱいに、成長した姿、見せたいです!」
「しっかり付いて行きます!合わせます!」
ああ、
可愛い後輩達。
彼女はその申し出に、指すべき誤りも、断るべき不都合も、
見つけられなかった。
それは、
元々あんな教室の、あんなパーティーのメンバーになる筈が無かった、
なるわけが無かった、
彼女の本来の日常が、
戻って来るというだけの話で、
「正しい」「間違い」を論じる以前、
「太陽は明かるい」だとか、
「氷は冷たい」みたいな、
「当然そうなってる」、という認識の中の話だった。
水が高きから低きに、
物事が難きから易きに流れ落ちるように、
彼女達と共に戦う、そのビジョンが、
ストンと腹に収まってしまった。
「急な事で、申し訳ないのだけれど、決行が今日、これからだから、今すぐに決めて欲しいの」
今、
ここで、
熟慮の暇なく。
そうやって彼女は、
思考の筋道を立てる事すらせず、
自身の感覚に、
従ってしまう事となった。
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