第五章:怖れるな、その目も耳も、かっ開け

努力が報われるとは限らないし、方向をミスれば目も当てられない

「オレ、つよくなるんだ!がんばって、がんばって、つよくなる!」


 と、言われましても。

 何でこういう話に、なったんだっけ?


 下らない。

 本当に、下らない話だった、気がする。




「おまえ、出てけよ!」

「ヤだ!イヤだもん!」

「あってない!それじゃあ、あってない!おまえ!あってない!」

「いたい!いーたーい!かみのけえ!ひっぱらないでえ!」

「ぶーす!ぶすぶすぶすぶすぶすぶぶぶぶぶ」

「ここはいつも!おれたちが!つかうんだよ!それと、こういうの、おんなのこがもってちゃ、いけないんだよ!」

「かーえーしーてー!わたしの!それえ、わーたーしーのー!ボールはー!みんなのものー!」

「うるさいー!『キィー!キィー!ワタシノー!ミンナノー!』うるさいこいつー!」


 ギャハギャハ笑う、その集団は、

 それはもう、怖かった。


 年長者。

 そこに居る中で、唯一の6年生だったそいつは、

 体格も大きく、こちらの言葉も聞かない。

 悪魔とか、怪物とか、そういう類でなく、

 暴力とか、破壊そのもの。

 今となっては、狭い部屋で威張り散らす、小さな男の子でしかない。

 でも、入ったばかりの閉じた世界じゃ、

 災害のように見えたのだ。

 自分に襲い掛かって来ないよう、祈りながら、遠巻きに、目も合わせないようにして、ひたすら過ぎ去るのを待つ。

 俺も確か、そうしてた。



 近くに居る先生に言っても、あまり意味が無い。

 それどころか、彼らも怖がっているように見えた。

 主犯格が、何かの装置?小さなリモコン?のような物を振り回し、「いってやろ!いってやろ!」と叫ぶと、それだけで誰もが、彼に謝り始める。

 だから彼の周りには、好き勝手したい乱暴者が集まったし、彼に何かされるのが怖くて、誰も親に言いつけたり出来なかった。


 大人が彼を止められないのを、みんな知っていた。

 だから、親に言っても変わらない、としか思えなかったし、親や先生が彼に謝りながら、誰が告げ口したのか伝えて、嵐の矛先が自分に向いて、という破滅の未来が、リアリティを帯びて想像出来た。

 

 そう言えば母さんは、保護者の中に、やたらと声が大きくて、威張り散らしている奴がいる、みたいな事を言って、プリプリ怒っていた。

 「かわいそうな部分があるのは分かるよ?大変だろうとも思う。でも、それで他より偉くなるわけじゃないし、なんなら余計に嫌われるのに」、そんな事を、言ってた気がする。

 もしかしたら彼は、その声が大きい人の子、だったのかもしれない。



 まあ、そういうわけで、今も昔も臆病者な俺は、いつものように、見つからないように、彼らから離れている、そのつもりだった。


 でも、段々と、それも怖くなってきた。

 彼らが今攻撃しているのが、家族ぐるみで仲の良い、よく見知った女の子だったから。


 この時は男女の別とかも、はっきり分かってない頃で、彼女に抱いていたのも、親愛の情、というのが近かった気がする。


 どっちにせよ俺は、その子に嫌われるのがイヤで、

 休みの日にだって、いつも会っていた彼女に、

 「どうしてたすけてくれなかったの?」、

 そう言われると思うと、ガッカリされると思うと、

 なんだか恐ろしくなって、



「や、や、やめろ、よ……」



 我ながら、無謀な事をしたものである。


「なんだよ!」

「やめろよ」

「なんだよ!!」

「やめろよ!」

「でてけよ!」

「でーてーけーよー!」

「でーてーけー!」

「やめろよおおおお!!」


 あーもう罵り合いのていすら成してないよ。

 どっちが大声出せるかのゲリラのど自慢大会の後、どっちからともなく腕を振り回しまくって、もみくちゃの滅茶苦茶だ。

 あの子はもっと大声で泣くし、俺はすぐにボコボコにされて押え込まれるし、彼らは互いに腕がぶつかったぶつかってないで、別の喧嘩を始めるし、散々だ。

 俺はこの時、何も出来ずに、すぐにジタバタするのにも疲れて、一緒に泣いてただけだ。


 

 少し後になって、勇気を出した別の子が、親に相談したらしい。

 学童どころか、小学校にとっても外部と言える大人達へ、その問題が知れ渡り、何かしらのやり取りがあって、彼は学校を移る事になった。

 俺はそれまで、あの子が取られた玩具おもちゃを取り返すべく、毎度毎度飽きもせず、勝てもしない戦いに、何も考えないで突っ込んでいただけだった。


 今なら分かる。

 あの子に見られてたから、諦める、という事が出来なかったのだ。


 気が小さいくせに、ええかっこしいなガキである。

 

 それとも、気が小さいから、なのだろうか。


 

 平和が訪れた後も、俺は親から言われて、学童に通わなくなった。

 その子と二人だけで、遊ぶようになった。

 特別な友達みたいで、それ自体は楽しかった覚えがある。

 そんな中で、将来どんな人間になりたいか、話した事があった。


 幼心にも、自分がクソの役にも立ってなかった事を、何となく感じていた。玩具だって、大人達てに戻って来たんだし。


 悔しかった俺は、言い訳混じりに、こう言った。


「オレ、つよくなるんだ!がんばって、がんばって、つよくなる!」

 

 「だから、つぎは、おれがまもる」、なんて。


 馬鹿なガキだ。

 心からそう思う。

 勇気を出して、一歩踏み出せた、そう思っているんだろう。

 酷い勘違いだった。

 お前がやった事は、怖い事から逃げただけだ。

 お前がこれからやる事も、全部が全部、同じ事だ。


「だったら、そのときは、わたし、すすむくんの、およめさんになる!」


 おいガキ、ちゃんと聞いとけよ?

 「その時は」、「お前が強くなった時は」、だ。

 役立たずのお前なんて、誰も見ちゃくれないぞ?

 思い出の中の、良い感じの約束に、甘えるな?

 お前が弱いまんまで、何のプラスにもならないで、愛して貰えるわけがないだろ?


 教えてやる。

 お前はこの1年くらい後、世界最弱の嫌われ者の、仲間入りをする。

 だけどお前は、それでも寝惚けてる。

 一丁前に、心の何処かで、明るい未来を、カッコイイ自分になれる将来を、信じてる。

 だから、あの子に寄りかかるなんて、浅ましい真似が出来る。


 自分がみんなから疎まれて、憎まれて、ヘドロや糞便、病原菌と同じ扱いなのに、彼女に無遠慮に近づくんだ。お前がお前を、何も分かってないくせに、「それでも彼女は分かってくれてる」なんて、その子の気持ちも考えないで粘着して、



「付きまとわれるの迷惑なの!分からない!?空気読んでよ!デリカシー無いの!?」



 ほらな?

 何も言えないだろ?


 俺は自分が頑張ってさえいれば、それで良いと思ってた。

 でも違う。

 そういう話じゃない。


 俺はこうなってしまった時点で、誰かに接近する事自体が、迷惑を掛ける事となるんだ。

 

 身体中から、毒やら汚物やら悪臭やらを垂れ流す。

 「触っても手に付かないよ」と言われても、そんな奴には近付きたくないし、それに触ってる人にも同様だ。

 考えれば、分かるだろうに。



 何も出来ない、ゼロだった俺は、

 居るだけで害悪な、マイナスに成り下がった。


 それに、その時になって、ようやく気が付いた。



 彼が園を出て行く、少し前、

 母さんは俺を抱きしめながら、こう言った。


「ごめんね。もっと早く気付いてやれれば…!よく頑張った…!ススムは私の誇り…!よく頑張ったね…!」


 違うんだ、母さん。

 オレ、何も出来なかったんだ。

 何も、してなかったんだ。

 オレじゃあ、あの子を、助けられなかったんだ。

 オレは、

 本当は、




「よく出来ました」




 温もりが、引いていく。


 夕焼け空の下、

 黒い影に抱かれていた。


「あなたは、面白いですね」


 静かで、つるつるすべすべしてる。

 氷のように、やいばのように。


「私が思っていた、それ以上に」


 だけど、優しく暖めてくれる。

 相反する二つに挟まれ、心地良い。


「上出来ですよ?これからも、頑張りなさい」

 

 ああ、そうか。

 熱くなってるのは、

 俺の体の方か。


 内側で、

 トクトク、ドクドクって、

 歓喜した血が、

 巡っているから。



 それがわかったあたりで、

 俺は深みに落ちてしまった。

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