79.思い上がりは正される

 “火鬼ローズ”と呼ばれる彼は、今まさに、“盤石”を“完封”へ、押し上げている所だった。


 の卑怯者には、何も、何一つ、有効打は残っていない、そう考えられる。

 が、奴が持つのは“可惜夜ナイトライダー”、それが零したひとしずくだ。

 何が起こるか分からない。

 こちらからは極力余計な事はせず、奴らが手も足も出ない現状を保ち、その死を待つ。それがいい。


 そして、“その刻限”は迫っている。

 間もなくあの防護は消える。

 少年が張れる障壁は、数秒と持つまい。

 結局、彼らの抵抗は延命に終わる。

 その事について彼は、少女の方には申し訳なく思っていた。

 が、彼女は“カミザススム”を怨むべき、とも思う。

 奴が己を過大評価し、生物として道を違えたからこそ、彼らの対処が必要になったのだから。


 ローズは詳らかに観察し、何か変化が起こらないか注意を払い、


 障壁が——


——解けた。


 最後くらい、自暴自棄による特攻でもするだろうかと、そう身構えていたのだが、

 呆気ない幕引きであった。


 彼は野火が生み出す影の中から、二人が焼かれ死ぬのか、埋まり死ぬのか、それを観賞しようと——と言っても、本来の彼に眼球は無いのだが——、感覚器官を尖らせて、


 問題の少年が、右手を縦に、自身の胸の前に構えるのを捉えた。

 風の中でも、彼の声帯がどんな振動を起こしているのか、それは分かった。

 何故ならこの場所は、ローズ自身だからだ。


「“一二三四五燈、吹き満ちよ、舞い積もれ——」


 少年が親指から、順番に倒していく。

 頭に意味が流れ込む。

 これは、

 まさか、


〈——六七八九十剥かれし夏や、殊の外”〉


 砂の粒にも満たぬ、小さな小さな一瞬間。

 ローズは、“見た”。

 

 少年の右の掌に、

 誰かが左掌を合わせていた。

 唱える声に重ねるように、

 何かがうたい、指を絡めた。


〈十文字詠唱……!?〉


 それを、

 それすら、

 与えたというのか!?




                〈カイ ホウ

 



 何かが爆発したり、崩壊したり、

 そういうことはなかった。

 逆だ。

 その者の周囲だけが静かになり、ありとあらゆる事柄が静止した。

 その作用が届いた域は、黒い球体が実体化した如く。


〈違う、あれは単なる範囲だ…!全てを止めているから、そう見えるだけだ…!〉


 その周囲にある根から枝葉を生やし、擦り合わせ、緋炎ひえんを生む。

 それらで球状の聖域に踏み込む。

 魔力をぶつけ、強制的に押し動かし、掘り進む。


〈何かが触れれば…!何かしらが魔力防御を突破すれば、何が起こっているかを理解できる…!〉


 果たして、その通りとなった。

 焼き滅ぼすには足りずとも、内へ食い込むかく耀ようは、中の様子に手が届く。


 少年の、右眼だ。

 その瞳孔が、猫めいて縦長に伸びる。

 そこを境に、別たれた色にむ。

 血の如き赤から、からすの如き黒。

 夕焼けから闇夜へ、時間そのものを閉じ込めたみたいに。

 境界はやがて、亀裂となって、

 宝石めいた眼球を割った。

 中から生まれる、琥珀で成る花。

 小さな向日葵、そう形容出来る見目みめ

 色濃い花芯かしんが、蛇の目のように、


 じろり、と、

 


〈………!!〉

 

 彼は本能的危機感から火炎による攻撃を激化させ、その顕現を止めようとして、


 撫でられた。

 花の中から伸びた、冷たい右手に。

 花の中から?

 これは、少女の手だ。

 きめ細やかな、左腕。

 どうやってその大きさが、小さな花から出れるんだ?


 その右眼からは、

 


〈うぉおおおおおお!?〉


 火は吹き消され、

 根は引っ込められる。

 彼は惑乱していた。

 彼が知る法が、適用できない。

 何も無い場所から、何も分からないモノが、何も言わずに這い出して来た。


〈い、今のは……?〉

 

 球体が、緩やかに形を失っていく。

 中から現れるは、

 少年と、少女と、



 “彼女”だ。



 夜闇のように濃厚で、影のように稀薄。


 品を感じさせる仕草、不修多羅ふしだら薫香くんこう

 耽美な造作、肥沃な双丘、末広がりの腰回り。

 底無しに大らかで、美しく研磨され、

 目眩めくるめく背徳の権化、目を背けたくなる程に淫猥。

 

 悩ましく、

 麗しく、

 やわく、

 冷たく、

 甘く、

 尊く、


 そして、昏い。


 そんな少女の姿をした、

 モノクロオムの、

 “不在の”奇蹟だ。


〈お、まえ、は……!〉


 illイリーガルモンスター、

 “可惜夜ナイトライダー”。


〈いいや、〉


 いいや、


〈いいや、違う!〉

 

 確かに、その片鱗ではある。

 こちらの知識では、太刀打ちできないルールを持つ。

 けれど、

 だけれども、


〈カミザススム…!矮小な、いいや、卑しさだけで膨れ上がった、まこと堕落せし井中せいちゅうかわずよ…!〉


 目の前に居るのが、“彼女”そのものである、その道理が無い。


〈貴様の事を、ある意味では哀れに思う。私は、人間社会には、理解がある。故に知っているぞ。ローマンは、漏魔症罹患者は、その殆どが学ぶことから逃避する、そういった性質を持つ物だという事を〉


 彼女については、未だ理解不可能。

 しかし、そこに在る物が、取るに足らない、それは演繹えんえき的に分かる。


〈ローマンの知能は極めて低く、その補正すら拒否するらしいな?そんな貴様だから、分からなかった。こうなる未来を、予測出来なかった〉


 彼は、落ち着きを取り戻しつつあった。

 ほんの少しだけ、強い武器を持つ敵だ。

 けれど振るのが赤子では、事故にて敗れる事すらかたい。


〈貴様の右眼を使い、この世に「生まれる」という手段を、その為の“十文字詠唱”すらも、“彼女”が恵んでいるとは、予想外だった〉


 彼は認める。

 酷く狼狽した事を。


〈だが、ベースとなっているのは、ローマンである、魔力をとどめぬ肉を持つ、貴様自身の眼だぞ?そんな物を媒介として、借り物の力を引き出した程度で、如何程になると、思っているのか?貴様には巨大に映るそのエネルギーが、真の強者には指先に過ぎないかもしれない、そう考えた事はあるか?〉


 「いや、すまない」、頭の足りない、上位存在の娯楽に使い潰されるだけの少年を、本気で思い遣りながら続ける。


〈ローマンの知能だと、これでも理解は困難か。つまり、簡単に言ってやると、それは貴様を更に数分延命させるだけの——〉



〈“オロチ”、少しの間、二人を頼みます〉


 

 “彼女”の姿をした、力の残滓が、

 聞き惚れるような音を、

 言葉を、発した。


 纏われていた、透けるように薄いスカーフが離れ、少年少女を囲み、あらゆる厄難から守る。


〈………何?〉

〈あれ、お喋りは、おしまい、ですか?〉


 話している?意思がある、みたいに?

 いや

 否々いやいや

 そういう、プログラムだ。

 自由意志など、持つわけがない。

 あれは単なる、垢の一剥ひとへぎで——

 

——今、何と言った?


〈「オロチ」…?〉

 

 魔力エネルギーを持つのは分かる。

 窟法ローカルも持っていて然るべきだ。

 言葉ウィルを持つのもせなくはない。

 

 だが、

 どうして、


〈何故Vヴァンガードモンスターを持っている……!?〉

な事を、聞きますね〉


 は、袖の陰、ヴェールの向こうで、


〈私が私の持ち物を持つ〉


 控えめに、嘲弄ちょうろうした。


〈其れの何処に、疑懼ぎくする所が、在るのでしょう?〉


 宝まで、貸し与えたのか?

 それとも、

 本当に、

 

〈だとしても!〉


 だとしても、


〈貴様が受肉に使ったのは、素材として最低の粗悪品だ!それは変わらない!〉

 

 どういうつもりかは分からない。

 こちらの知らないトリックかもしれない。

 何も変わらない。

 彼の任務に、変更はない。


〈貴様は、大きく、弱体化した!今こそ!この戦争に影響を及ぼす前に、貴様を屠る事が出来る!〉

 

 結論は同じだ。

 いや、むしろ強まった。

 彼は茎を、枝を伸ばす。

 魔法発動の為、印と陣を用意する。


〈はぁー………ふふ、くつくつ……〉


 彼女は、それでも笑っていた。

 あまりに呆れ果て、笑うしかない、そんな様子だった。


〈逃さん。常の強さを出させぬままに、ここで〉〈失礼、言葉が足りませんでした〉


 不意に、彼女の視軸しじくが、薄黒い幕越しに、ローズを突き刺した。


〈「強さ」だとか、「逃がさない」だとか、そういう次元の話では、いのですよ?〉

 

 何も知らずに夢を語る幼児に、

 残酷な現実を注ぎ込む、

 悪趣味な大人の顔をして、


しかして、雑草の知能では、この程度も、分かりませんか?〉


 「可哀想に」、とでも言うように。



〈簡単に言えば、貴方の物語は今、幕引きとなりました〉



 構わずに、

 ローズは魔法を起動した。

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