42.獅子は兎を狩るにもうんぬん part2

「エイティット…!」


 老女が静かに瞠目する。

 蛸の足がオットーの正面で絡み合い、円と、その内に接する五芒星を形作る。

 更に本人は両手の親指を折り、掌を相手に向け、口の辺りを隠すように交差させる。

「正気か!?やり過ぎだろうが…!?」

 少年は魔法陣が描かれ始めた段階で、阻止しようとスタートダッシュを済ませていた。

 が、使ってない蛸足が、二本残っている。

 2秒。

 仕込んであった魔力を撃たれ、一本が迎撃。

 もう一本が少年そのものへ振り下ろされ、横に避ける動作を強制。

 2本で、計2秒。


「“神聖海棲釣足八本タナ・タプ・ハカハカ”」


 それだけで、蹂躙準備が完了した。


 オットーの両腕が下がり、ヘルメットの口部分が開き、黒い煙幕が排出される。

 足で作られた魔法陣を通ったそれは、押し寄せる波のように急速に広がり、アリーナをその胃に収めてしまった。


「使ってきやがるとはな…!」


 これはオットー・エイティットが持つ魔法、それの本格発動を示す。

「光学カメラ、魔力カメラ、各機ノイズによって映像解析が困難!」

「狼狽えるな。グランドマスターが本腰を入れた。となれば、生半可な目潰しであるわけがなかろう」

「黒煙は敵も味方も巻き込み広がる。あの中ではオットーと、その許しを得た者以外、目も耳も鼻も、自らの魔力や魔法との繋がりすら、乱されちまう!」


 そして黒煙の中であるなら、蛸足を本体から切り離し、リモートコントロールが可能。

 攻撃の方向からすら、居場所を掴ませないようになっている。

 切り札の一つであり、受験生相手に使うような魔法ではない。

 

 確かに、遠隔で精密な魔力操作をする少年には、手札の中では最も有効。

 だからこそ、今使ってはいけない!もっと引き出せる筈なのに、終わらせに来ている!


「やはりおかしいぜ、あの野郎!」

「そのようだ。だがエイティットが訳も無く、斯様かような暴挙に及ぶとは思えん。ならば——」


 そこから先に続く言葉は、辛うじて切られた。

 「誰が指示したか」、と。


「何にしろ、誰かさんの注文通りの結果だぜ」

 男が舌打ちしながら毒づく。

「終わりだ。ポイントも——」

 老女は振り返って確認する。


 711点。


——何?


っている?」

「魔力が阻害されてんだ。反映にラグがあんだろ?」

「いや、あの魔法の特性と通信容量の小ささ、そして戦場の狭さを加味すると、数秒の遅延がある程度だ」

「あん?……おい、魔力の動態検知感度上げろ!」

「ほとんど潰れて何も見えないですよ?」

「大雑把な動きが分かれば良いんだよ!」

 

 内部を細かく観察するのを諦め、黒煙全体の揺らぎ方を見て、二人の動きを推測しようというわけだ。

 止まっている魔力は薄く、動いている魔力は濃く。と言っても、そこまで分かりやすく動いてくれるかは不明。


「………見ろ!」


 外側の魔力が内側と連動している。

 魔力が、上昇?下降?いいや、発散されて、収束しているのか?

「魔力は動かせている。本人が黒煙を吸い込む事は、免れたか」

 体の周囲や体内の魔力操作については、なんとか手綱を手放していない。

 吹きかけられる時に、自らを球状に覆うような防護膜を、瞬間的に張ったのだろう。

 

「そうか」

 そこで男が、急に合点がいったような態度を取った。

「理論上は可能なのか」

「どうした」

「黒煙は伝達を乱すだけだ。魔力そのものを削るわけじゃあねえ」

 黒煙に触れたからと言って、魔力が消えたり壊れたりはしない。

 例えば光がそこを通ると、屈折させ、時には散らしてしまう。そういう不良媒介としての性質を持つ。

 囲まれた魔力は操作が出来なくなり、安定性を保てなくなり、別々のエネルギーとして散逸するのだ。


「それは分かる。初手さえ間違えなければ、魔力の壁で防ぎ続ける事はできる」

 しかし

「空間の酸素が欠乏すれば、出て来ざるを得なくなるぞ?その上、自身からの攻撃も不可能に——」


「Z型エイプの奴、W型と同じように毒を使いやがる」

 

 急に話が飛んだ。

「何?何故今“人世虚ホリブル・ノブルス”の話を?」

「だがその二種には、決定的に違う点がある」

 「何か分かるか?」、老女にとっては馬鹿にされたような質問。

「Z型の場合、毒物を霧状にして吐き、一面に充満させる事が可能」

 「これで良いか?」視線だけで問うてやる。

「そう、そしてあいつも、その攻撃を受けていた」



 思い出す。

 Z型は少年に対しても、その毒霧を使っていた。

 一度目は、喉の動きに気付いた少年が防御し、それでも霧状と分かると、それが広がる範囲の外まで退避した。

 これで有耶無耶に出来ると学んだ大猿は、その後何度も、危険になれば同じパターンを繰り返した。

 

 そして、


 それが五度目になったあたりで、

 少年の対応が追い付いた。


 Z型が吐いた毒を、ドーム状の魔力膜ではばんだ後、

 


 構成する魔力を破裂させ、衝撃波によって一瞬間だけ霧を晴らし、そのタイミングで攻撃を挿し込みつつ、再度防御膜を形成しなおした。



「魔力で作った壁だ。自分と一緒に動かすことだってできる。だから逃げられても追える」

「問題は消えていない。呼吸はどうする?新鮮な大気を求めれば、障壁を解除せざるを得ず、毒素も同時に吸引する事になる」

「重要なのはそこだ。あのガキ、魔力で有害物質を弾いてやがる」

 

 有害物質の霧の中から、大気組成だけ正確に取り出す、これは無茶だ。原子レベルの器用さと膨大な処理が必要になる。

 しかし空気の中から、目に見える程大きい特定の物質一つだけを濾過ろかする、このような視点の転換で、少しは現実的となる。

 

 なので防護膜を形成する魔力の密度を、黒煙の粒子だけを通さないくらいに粗くすればいいのだ。


 これまた極めて繊細な、ミクロ的魔力操作を求められるが。


「………奴は、本当に」

「ああ、自分の魔力を個別に知覚している」


 それを瞬発的に行えるようになるまでに、どれだけ特異で過酷な研鑽があったのか。

 想像するだに、筆舌に尽くし難い。


「エイティットの攻撃で破られようと、単なる障壁だ。入って来た黒煙を、押し返すような壁を作ればいい」

「魔力塊を放てば、一瞬、そして一部分だが、黒煙を晴らすのだってイケる」

「索敵、そして攻撃手段もある」


 あとは、

 200点強の差を覆すような、

 逆転の攻撃力が、


「ふッ、はぁ?」


 男は自身の思考に、思わず笑いそうになった。


——中学三年生のローマンが?魔法発動中のグランドマスターに?

——言うに事を欠いて「逆転」、だと?


 彼はその妄言を、今度はちゃんと笑い飛ばそうとして、


 けれど、

 上手いこと息を吐き出せなかった。

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