41.2060年(零環17年)度明胤学園高等部特別奨学金認定兼高等課程編入試験

 牲歴、2060年。

 1月27日、土曜日。

 午後3時50分。


 明胤学園、地下第三模擬戦闘用アリーナ。



「よう、そろそろだろ?」

「…意外だな。貴様が休日を返上してまで、後進を見物しに来るとは」


 スタジアムと呼べる程の、広大さと収容人数を誇る戦場は、可動式の壁によって、今はバスケットボールのコート並みに狭い。

 床もパーツを入れ替えて、地形を変化させる事が可能だが、今回の試験で選ばれたのは、障害物の無いシンプルな平地だ。


 それを見下ろせる一室。

 VIPのスポーツ観戦用ルームのような場所で、初老の淑女が試験の開始を待っており、そこに大柄な男が加わった。

 部屋の中には複数のモニターが備え付けられ、数名の職員が手際良く準備を進めている。


「勤勉な種類の人間ではないと思っていたのだが。転向か?」

「なあに、『奇跡のローマン』ってやつを、生で拝んでみたくなっただけさ」

「ほう?」


 それでも老女は、依然としていぶかしげに見ているようだ。

 男のこれまでの勤務態度を振り返れば、当然の疑問と言えるだろう。


「……どう思う?」

「何がだ?」

此度こたびの受験者だ。他に何がある?」

「始まる前からどうもクソもねえだろうがよ」


 「違いない」と老女は笑う。我ながら、曖昧且つ無責任な問いだった、と。


「注目度は高いんじゃねえか?上の連中はシャイだから、そうは見せねえだけだろ」

「そのようだ。4台もの監視端末が増やされた事からも、複数人からの要請があったと分かる」

「見たいなら『見たい』でいいだろうによ。コミュ障共が」


 同じ組織内であるのに、試合見物も堂々と出来ない。

 腹の探り合いとは面倒だと、男は嘆息を漏らす。


「貴様は見たのか?」

「何を?」

「受験者が行っていたという、潜行映像配信だ」

「見たどころか常連だよ」

「なんと、“ご贔屓ひいき”、いや、今は“推し”と言うのだったか?」

「そんなんじゃねえさ。ただ、あれがどこまで通じるのか、気になったもんでな」


 そこで職員に誘導され、くだんの少年が入場してくる。

 場に呑まれず堂々と——とは行かず、巨額を投じられた設備に圧倒され、きょろきょろと見回しながら、所定の位置まで連れて行かれた。


「見ろよ、絶妙に小物っぽいだろ?」

「世間を引っ繰り返す程の騒ぎを起こせる人物とは、どうにも思えんな」

「そこがいいんだよ、そこが」


 どの立場なんだお前は、という問いは発さず、老女は少年の物腰を観察する。

 

 随分小柄だ。漏魔症に罹患した児童は、食事もおざなりにされがちで、発育が遅れてしまうと聞く。それを踏まえれば、成程160cm未満に見えるのも頷ける。

 ストレス由来か、幾房いくふさか白が混じる、巻き癖のついた頭髪。頼りなさげで、人のさそうな童顔。

 緊張で固くなっているのは明白で、強者が漂わせるような鋭さも感じられない。

 見た目だけなら、中等教育課程に進んだばかり、それほど幼稚にも見えてしまう。


 だが、


「へえ?見ろよババア。大体の噴出孔の位置が分かってやがる」

「ふむ、魔力探知に優れるという前評判は、間違いでは無さそうだ」


 さっきから少年が露骨に気にしている先には、魔素を排出する機構が隠されている。

 開放していない現在でも、その方向の魔素の濃度が、微妙に高いと気付いたか。

 彼が魔力を蓄積出来ない事を考えれば、自身の体内での魔力生産に気付き、魔素の出所を探っただとか、そういった絡繰りかと推察できる。


「頃合いか。よし、始めろ」

「はっ!」


 命令が下った。

 職員達がタブレットを操作し、アリーナの息吹が鳴動する。



「魔素、注入開始」

「材質強化魔法陣、及び魔力障壁生成魔法陣、魔力供給開始」

「場内設備強化、観客席保護用障壁、問題無く起動しています」

「魔力出力安定、こちらも問題ありません」

「魔素の濃度は中級ダンジョンクラスで間違いありませんか?」

「構わない、それでやってくれ」

「かしこまりました。中級基準値まで注入継続せよ」

「電力・魔力両用飛行カメラドローン起動」

「カメラドローン1番、2番、3、4、5…8台全機起動。映像、問題ありません」

「推定魔素濃度中級最低基準値に到達。安定状態に移行開始」



 2分とかからず、場内はダンジョン内と、ほとんど同じ環境に変わった。

 少年がヘッドセットを装着し、その場で軽く跳んでいる。

 不思議な事に、試験開始を前にして、逆に落ち着いたようにも見えた。


「オットー・エイティット特別非常勤講師、入ります」


 少年が待つのと逆側の出入り口から、1メートル80のガッシリした体躯が現れる。

 防御性能が極めて優秀なボディスーツで全身を覆い、その上にベストも着用。更に幾本ものナイフを刺したバンドを、体のあちこちに巻いている。ヘルメットもフルフェイス仕様である為、表情を窺い知る事はできない。


 “グランドマスター”ランク、オットー・エイティット。

 現役最前線のディーパーであり、本校の潜行系科目を担当する講師の一人だ。

 明胤学園の編入試験の最後である、実戦想定試験は、DRディーパーランク7以上の者が、担当するのが通例である。

 試験教官がモンスターの役を担い、実際に戦わせてみる、という物だ。



 ディーパーの資質には色々あるが、深級ダンジョンに挑むのならば、最低限の生命維持力、自己防衛力が求められる。これはそれを測る試験だ。

 例えば優れた指揮能力を持っていても、自分で自分が守れないならば、高ランクパーティーの一員にはなり得ない。

 逆に、協調性や連携という概念を持たない者でも、現時点で十分な戦闘能力やしぶとさを見せてくれるなら、将来の伸びしろを見て迎え入れたりもする。

 他者とのコミュニケーションは後付け出来る。しくは、圧倒的な才能で定跡じょうせきける、という事も有り得るだろう。一人で完結するディーパーも居る。

 しかし敵を倒せず、死なないように立ち回る事もできず、そんな人員は、どう工夫しても足手纏いだ。どれだけ成長しようと、土台が悪ければ限界も低くなる。


 自分の身を自分で守る。高ランクディーパーの最低ラインがそれだ。

 たとえパーティーが壊滅したとて、自分一人さえ残っていれば、全員で生きて帰還可能。そこまで行って、“1流”である。


 明胤が求めるものは、何時であっても“超1流”だ。


 本試験は教官と受験者の一対一形式。

 それぞれに持ち点1000ポイントが配布され、どちらかのポイントが0になった時点で、試験終了。それまでは制限時間も無い。

 

 理想としては、教官を倒すことだが、これは相当な才能を持たないと難しい。

 だが勝たなくても、アピールは可能。

 逃げ回ったり、攪乱したり、隠れたり。何をやっても構わない。

 戦う力、生き残る力、土壇場で十全を発揮する力、それらの将来性を感じさせた時点で、受験者側の勝ちだ。

 つまりこれは、教官に殺し切られる前に、どれだけ自分の持ち味を出せるか、という主旨の試験なのである。



「で、わざわざグランドマスター様のご登場とは、恐れ入ったぜ」

「貴様がそれを言うのか?」

「止めてくれ、俺のは『元』だ」


 最高位の“チャンピオン”は、WDAが定めた世界の上位10名。相応の理由と金額が用意され、組織や国のトップが直接依頼をして、それでようやく、動いてくれるかどうか。

 つまり“グランドマスター”とは、今の彼らが呼べる、現実的な最高戦力。

 この試験で、教官役を限界まで強くする、その理由は一つ。


「何もさせずに叩く」、それだけだ。


「潰しに来てるな」

「エイティットは大人気の無い男ではない」

「だが、優しいわけでもない。任務とあらば、必ず遂げる。そうだろ?」

 否定の声は上がらない。

「そんなにムキになるようなことかよ?」

「理事長には理事長なりのお考えがある。他のお歴々も同様だ。見ている方向は、必ずしも一致しないが」

「“理事長室バックランク”が一枚岩なら、そもそもこんな試験が始まってない、か」


 だが男は腑に落ちていない。

 漏魔症という病が、社会的に微妙な位置にあるのは分かる。

 だがこの学校の運営者達は、その程度で好奇心を止められるほど、お行儀の良いタマではなかった。

 確かに今までのローマンには、何ら発展性が見出せなかった。しかし、あの少年は違う。確固たる実績と共に、ローマンの可能性を示して見せた。

 勿論、「ローマンとしては強い」止まりの可能性も、まだ消えたわけではない。

 しかし、いやだからこそ、どれだけ成長させる事ができるのか、それを検証することに、意義があるのではないか?もしかしなくても、ローマン研究という分野において、世界の最先端になれる。成果だって、本人が自主的に上げてくれているのだ。


 それなのに、この学校の一部は、完全に少年を目の敵にしている。


 本当に、ローマン問題のデリケートさだけが、原因なのか?

 ローマンへの嫌悪感だけで、ここまで割れるほどに紛糾するか?

 

 混迷の裏にある思惑、情勢、それを読み取ろうとする男を待たず、

 

 試験開始のブザーが鳴った。

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