第1.5話

時夫はたくましくなりたかった。


中学生のときからずっと、華奢な自分の体がコンプレックスだった。


男子も女子も、周りは竹の子のように成長していくのに、取り残されていくような気がした。

色が白くてなよなよしているように思えて嫌いだった。


だから、この男子高に入れたときは嬉しかった。

男子校といえば部活。

技術的に未経験者だと厳しそうだから、野球部とまではいかなくても、筋肉がつきそうで根性もつきそうな、硬派なクラブに入るのだと決めていた。

中学ではバドミントンクラブだったけれど、結局ペアを組んだ友達の足を引っ張ってしまって三年間はあっけなく終わった。高くない身長、つかない筋肉、少ない体力。

向いていないことは1年生の終わりにはもうすっかり分かっていた。

惰性で続けていたような部活だった。

高校はそうではない、自分がもっと活躍できるようなクラブに入りたい――。



4月は新入生の勧誘の時期だ。



時夫はサークル紹介の冊子を片手に部活を見て回っていた。

仲のいいクラスの友達はもう決めてしまって、もはや残っているのは時夫くらいだ。


バドミントン部からはぜひ見学をと誘ってもらったが断った。

中学でお荷物だったのだから、高校なんて貨物くらいの重さになってしまうにちがいない。


時夫はとにかく男らしい部活に入ろうと思っていた。種目は何だっていい。

汗臭くて、筋肉がつきそうで、根性も鍛えられそうな部活。

かといって、試合ばかりではなくて、チームメイトとの仲も深まりそうなアットホームな雰囲気のあるところがいい。


野球部とバスケ部は経験者しかいないらしく、やめた。

テニス部は人数が多くて競争が熾烈らしい。

高校からでも始められそうな種目はないだろうか。

空手や柔道はよさそう。

バレーボールも頑張ればできるかもしれない。

いや、身長が足りないか。

山岳部なんていうのもありかも。


二階からの階段を降りていたら、踊り場で5人くらいの生徒とすれ違った。今週月曜日発売の、漫画雑誌をもっている。よほど興奮する展開だったようだ。爆笑しながら階段をのぼってきた。

踊り場の床から、一階への階段を降りようとしたときだった。


キャラクターの物真似をしたらしく、一段と笑いが大きくなった。

パンフレットを読みながら歩いていた時夫の背中に固いものがぶつかった。


誰かのひじに押された時夫の体はぐらっと傾いて、重量に従った。体が勝手に動いていた。

足の裏で思いっきり床を蹴って、空気に浮かぶようなつもりで前に飛び出す。パンフレットがバサッと階段の壁にぶつかって落ちた。


誰かの驚くような声がして、ダンッと激しい音がした。


足の裏がじんじんする。


我にかえると、カバンが足元に転がっていた。

怖かった。


今更ながら、あの高さから落ちたのだと実感して震えがくる。

両足がガクガクしてきてその場に座り込んだ。


「大丈夫か?」


突然、大きな手がにゅっと出てきた。

血管が浮き出て筋ばっている。

こういうのをたくましいっていうんだろうなあ…


「あ、すみません。ありがとうございます」


ぼんやり思いながら、その手に掴まって時夫は立ち上がった。

思ったよりも強い力でぐいっと引っ張られて、つんのめるようにして時夫は立ち上がった。

じっとこちらを見ていたのは黒い短髪と、大きな体の男だった。

髪と同じ色の深い黒の瞳がまじまじと時夫を見ている。

いや、見詰められている。


「あのう……?」

「きみ、踊り場からここまで跳んだんだね。すごい」

「あ、はあ……どうも……」


そろそろ手を離して欲しかったけれど、男は興奮したように握りしめていた。


「何かスポーツやってるの」

「中学のとき、バドミントンをやってましたけど……」

「きみ、一年生か。ああ、ごめんね」


男は気が付いたようにパッと手を離した。

改めて見るとやはり大柄だ。ゆうに180㎝はあるだろう。

男性ホルモンがうらやましい。

身長が高いだけではなくて、筋肉がしっかりついているようだ。


「おれは三年の、戸次遼太郎って言うんだ。」

そう言って、戸次はにっかりと歯を見せて笑った。

爽やかが紺色のTシャツを着ている、と時夫は思った。

先輩がまぶしい。


その先輩のTシャツには筆のタッチで「柔」と書いてあった。

なるほど、と時夫は合点した。


中学や高校ではよく見かける、部活動のTシャツ。

柔ということは、きっと柔道部の先輩に違いない。


「で、突然なんだけど、きみ、もう部活決めた?」

「や、まだですけど」

「ほんとに!?」


戸次の目がキラキラッと光った。


近所でよく見かける散歩中のビーグル犬とよく似ている。

見た目は警察犬のようなのに、それが時生にはおかしく思えた。


「じゃあ、見学に来ないか」

と、戸次が言った。


「ええと……それ、部活のTシャツですよね?」

「ああ、そうだよ! よく分かったね」

Tシャツにジャージというあくまでもラフな格好だが、柔道部だっていつも胴着ばかり着ているわけではないだろう。


「おれ、興味はあって」

と時生が正直に言うと、戸次先輩はぐんと身を乗り出した。

「本当に!?」

「はい。おれ、体細いし背も高いわけじゃないから、鍛えられるような部活がいいと思って探してたんです」

「じゃあうちはぴったりだよ。もちろん筋力はつくし、体力だってつく。それにきみは――えっと、何君だっけ?」

戸次先輩は歯を見せてにっかり笑った。

爽やかな春の風が背後で吹いたように思える。

そのオーラにのまれそうになりながら、時生は遅ればせながらの自己紹介をした。

「堤 時生です。一年C組」

「そうか。おれも一年の時はC組だったよ。もう二年も前になるんだな」


懐かしそうに語る戸次先輩が、二歳しか変わらないはずなのにやけに大人に見える。

その姿は頼もしくて、この人についていきたいと思わせるような独特の雰囲気があった。


戸次先輩は言った。

「おれは三年A組なんだ。もし嫌じゃなかったら、明日部活の詳しい話をしてもいいかな」

「はい、お願いしますッ」

「じゃあ放課後に三年A組まで来てくれるか。教室で待っているから」

「はい!」


元気よく返事をした時夫を満足そうに見やると、戸次先輩はまた歯を見せて嬉しそうに笑った。

精悍な顔立ちも、凜々しい眉毛が少し下がるだけで人なつっこい笑顔に変わる。

こんな男になりたいと時生は改めて自分の目標を定めた。

そのために部活に入るのだ。

柔道部に!


階段を上っていく先輩の背中を後ろから見上げながら、時夫は柔道部への入部を決意した。

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