第32話

「どういうことだよ」

千田は右耳のピアスをいじりながら、怒ったように言った。


「俺たちはあと、一人いないと……夏の大会に出られないんです」

「ふーん」

「3年生の最後の大会で……怪我しちゃったんだ、先輩。事故で、足、やっちゃって」


千田の顔色が変わった。


「……足、治んねぇのか」

「1ヶ月かかるんだって。でも、戸次先輩は無理して、三週間って嘘ついて大会に出ようとして……あと一人だから……そうじゃないと、俺たちは人数がいなくて」


じわりとこみ上げてきた涙をそのままにした。

戸次先輩たちと今までやってきた数ヶ月をのせるには足りないくらいだ。

あふれる感情を見せるのは、できないダンスを見せるのに比べたら、ちっとも恥ずかしくない。


「この大会に俺たちが出られなかったら、戸次先輩は絶対、高校を卒業してからもずっと自分を責める。だから、俺はどんなことしたって、大会に出たい」

「……ずいぶん、ご立派な後輩だな」

「なんて言われてもいい。千田さん、お願いします。俺らに力、貸して下さい」


いきなり視界が歪んだ。

千田が襟元をつかんできた。

首が詰まって苦しい。

焦げ茶色の瞳が近くに迫ってくる。


「代わりに一発殴らせろっていったら、やらせんのか?」


嘲笑するように千田が言った。

最低だ。

絶対に関わりたくない不良だ。

人格破綻者だ。


でも、この人に縋るしか無い。

他の誰でもダメだ。

あの鳥のような跳躍を見た後じゃあ、もう他を考えることなんてできない。


「好きにして下さい。それで……それで、あんたが、……千田さんが一緒に踊ってくれるなら、俺はどうなったっていいです」


千田は感情を一つたりとも表さずに時生をみていた。

空っぽのビー玉のような焦げ茶色の瞳に首を絞められた自分が映っている。


「なんで、そこまで」

「あんなの見せられたら……執着、せざるを、えない、です」


そろそろ息が苦しい。

このまま不良に絞め殺されるのだろうか。

一発殴るくらいで、どうにか命は残して置いて欲しい。

時生の意識がうっすらと遠ざかりそうになった頃、千田が呟いた。


「……おまえ、イカれてんな」


そっと、驚くほどゆっくりと柔らかに手が離れていった。

荒々しいだけだった印象が変わる。

水筒の口に詰まっていた氷が溶けて中に落ちるように、すとん千田の言葉は時生の耳に入った。


「負けたよ、ストーカー小僧」


油断していた額に降ってきた千田のデコピンは、普通に痛かった。

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