第20話
「合宿するぞ!」
と、戸次先輩が言ったのは、夏休みの一週間ほど前だった。
2泊3日、学校に泊まり込みで練習をするという。
「みんな渡ったかー?」
いつもの舞踊場での練習終わり、モップをかけ終わった時生は、渡されたA4のプリント1枚をしげしげ眺めた。
スケジュール……
7:00起床、7:30朝食、8:30から練習。
12:00に昼食で、13:00から17:30まで練習。
18:00から晩御飯、20:00までシャワーと自由時間。
20:00から反省会でその後自由時間、22:00就寝。
「練習、練習、練習……えーっ、練習しかないじゃん」
深川がぼやいた。
「当たり前だ。お前、何しに行くと思ってんだ」
マヨ先輩が呆れて言った。
「えー、スイカ割りとか花火とか?」
「ばかやろう。そういうのは合宿とは言わねぇ、リゾートだ」
「いてっ! 何もはたくことないじゃないですかあ」
深川が後頭部を押さえて、恨めしげにマヨ先輩を見上げた。
「スイカか。それ、いいな」
と、猪原先輩が呟いた。あ、この人、たぶんスイカ持ってくるつもりだ……。時生は思ったが、口には出さないでいた。
「出席できないってやつはオレに連絡してくれ。三年は受験勉強もあるし、夏期講習が被ってるってやつもいるだろうから、無理は言わないし、一日だけの参加でもかまわないけれど、できれば全日参加してほしい。特に一年生は、この合宿ですごく伸びるはずだから、なるべく全員出てくれ」
時生は群くんと目を合わせると、小さく頷いた。群くんの方も頷き返した。何も言わなくてもお互い分かっていた。三年の先輩と過ごす夏はこれで最後だ。たった何ヶ月か一緒に過ごしただけだけれど、先輩たちの存在は大きなものになっていた。少しでも追いつきたい。自分の技術を高めたい。もっとかっこよく踊れるようになりたい――。時生にしても、群くんにしてみても、気合いは十分だった。
深川は解散の声がかかってからも不満そうにしていたが、猪原先輩に何事か耳打ちされて、機嫌を良くしていた。確実にスイカ割りの計画は進行しているようだ。
そして、夏休み初日。
昨夜テレビでやっていた天気予報は、異常気象の見本市のように38度という信じられない温度をずらりと並べていた。砂漠並みに暑いという事実にゲンナリしたが、暑さに斬り込む勢いで駅からの道を歩いた。すると灰色の高架線が見えてきた。自転車が一台止まっている。群くんはもう来ているのかもしれない。時生は河原に沿って小走りをした。
予想に反して、先に来ていたのは群くんではなかった。
「おーっ、やっほう」
のんびりと声をかけてきたのは深川だった。時生の姿を見て、左の耳だけイヤホンを外した。日陰の段に座ってみたらし団子味のカップアイスを食べている。さすがアイスクリーム研究会の唯一の部員だけある。この暑い中、和菓子のフレーバーを選ぶ勇気は時生にはない。
「早いな、深川」
「うん。オレ、5分前行動好きなの」
「あ、そう……」
変なやつだと思った。
たぶん深川にしてみても、自分がちょっと変わっていると思われていることには気が付いているのだろう。だけど、そのことをちっとも気にやまないのが、深川が深川たるゆえんなのだった。
「何聞いてるの」
と、時生が尋ねると、深川は、ああ、と気付いたように音楽プレーヤーを触った。
「うぃいんひあだよ」
We In Hereだということに、数秒してから時生は気が付いた。それはちょうど夏合宿の前に完成した、練習曲の題名だった。比較的ゆっくりとしたテンポで、腹に響くようなビートが特徴的な王道のヒップホップナンバーだ。
時生は正直に言うと、意外に思っていた。アイスが食べたいだけの変な男というだけではないのかもしれない。殊勝にもダンスの練習曲を聴いているなんて、本気でダンスが上手になりたい時生と大差ない。いや、行動にうつしている分、時生よりも一歩先んじている。
「なあ、深川はダンス、好きなの?」
時生の問いかけに、深川は首を傾げた。
「えー? そんなのわっかんねぇよ。でも、こないだやってみたのは、悪くなかったなあ」
数日前、最後の登校日に舞踊場で練習曲を踊った。深川にとってそれは、体育のフォークダンスや運動会のソーラン節を除くと、最初のダンス体験だった。
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